自分の神様であるハヌマーン様に尋ねる、というのは具体的にどのようにするのでしょうか? | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

東京・新宿にて、「まといのば」公認のパクリでダイエットを中心にセミナーを開催しております。ブログにてそのお知らせをしております。

ここ最近のブログについて、受講生の方から質問をいただきました!

 

それがこちら!(掲載許可をいただいております!)

 

    

ブログを読んでいて気になったのですが、自分の神様であるハヌマーン様に尋ねる、というのは具体的にどのようにするのでしょうか?

 

それにまつわるカラクリや、ワークなど気になりました。またブログなどでも解説いただけると嬉しいです!

 

ブログにリアクションいただけて嬉しいです!

 

さて最近のこのブログを読んでいる方の中には、「まといのばの弟子のくせに神がどうとかスピり始めた」「ダイエットのやりすぎで頭がおかしくなった」などなどと思っている方もいるかもしれませんが(いや被害妄想w)、大丈夫です!

 

どこまでいってもT理論と本家の気功のお話です。

 

さてご質問の「自分の神様であるハヌマーン様に尋ねる、というのは具体的にどのようにするのでしょうか?」ですが、、、、

 

回答としてはまっすぐハヌマーン様に「どうすればいいですか」と尋ねる、ということになります。

 

 

そうするとしばらくしてその回答を送ってくれます。

 

いや質問の回答になってないか。。。ただ無理やり言語化すれば文字通りそのようになります。

 

こればかりは文字だけで説明が難しいので、あえて遠回りしましょう。急がば回れ、です。

 

まず自分の神様に尋ねるには、そもそも自分の神様と出会っていなければなりません。ただ現代社会、特に日本で神様ってなかなか見つけられません。

 

少なくとも僕は神社仏閣とかいっても神様と出会ったことがありません。

 

しかし映画という文化になら、神様がいるような気がします。それが以前も紹介したインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」です。僕も師匠がセミナーとブログで紹介されていたので観に行きました。(※1)

 

 

インドのラーマ教の神様であるハヌマーンを熱烈に信仰している主人公が、迷子になっている声をなくした少女を対立している国まで送り返しにいくお話です。めちゃくちゃいい映画で、癒されます。

 

あとはその真逆のようですが、マッドマックスのメインキャラクターたちは皆神のような人々ばかりです。それをデミゴッド(半神)と言います。

 

マックス、フュリオサ、イモータン=ジョー、ディメンタス、善悪の違いはあれど、皆神々しく超常的な存在です。

 

 

 

 

 

神と出会うといっても変なカルトに行く必要はなく、映画館に行けばいいと思います。映画の土台となるのは神話ですし、神話は神々の物語です。(※2)

 

映画を通じて神話に触れ、神々と出会いましょう。その中で自分の心を打つ自分の神様を見つけてください。

 

 

見つけたら次は本家の気功技術をフル実装していきましょう!

 

「遮那」「アリス式大周天」などで情報身体を大きくし、自分自身を自分の神様と同じ大きさまで大きくします。ここでのポイントもやはり臨場感であり、手触りです。

 

いきなり東京ドームと同じくらいとか、太陽系と同じくらいとか、宇宙そのものとしても、なかなか臨場感がありません。誇大妄想で終わります。いやそれで終わればいいですが、誇大妄想も行き過ぎると悲惨なことになります。(※3)

 

なので自分の部屋の天井くらいの大きさといった、臨場感と手触りのある大きさでワークすることが、本家では推奨されています。

 

僕たちは巨人の肩に乗って、魔境や闇堕ちを避けていきましょう。

 

次に「アジュナ・チャクラ」や「アジュナの光」のワークで情報空間に対して目を開き、神様からの予兆やメッセージ、青いボール(※4)が認識できるようにしましょう。

 

また「耳を開く」で文字通り耳を開いて(エゴ潰して)、神からのメッセージを「Echo」しましょう。(※5)

 

その準備ができたら、神様からメッセージを送ってもらえるようにこちらから意図します。気功技術で言えば「タイムマシン瞑想」(※6)をガンガンやりましょう。

 

T理論においては神様とは未来の自分であり、遮那であり、ハイヤーセルフです。それらは未来の存在なので、実体はありませんが、存在はします。

 

少なくとも僕たちが認識する限りは存在します。縁によって生じる。

 

未来の存在である以上、神様からのメッセージは全て未来からやってきます。そしてそれはT理論のプリンシプルである「時間は未来から流れる」を受け入れ、それをベースに本家で気功技術化された「タイムマシン瞑想」で未来からの圧倒的な流れを感じます。

 

そのワーク中に予兆(※7)やメッセージをつかむこともあるし、普段鍛錬していると、ふとした瞬間に予兆やメッセージが訪れることがあります。

 

いつそれらがやってくるかは誰もわからないので、常に心と身体を開き、メッセージを受け取れるようにならないければなりません。そして本家主宰がよくおっしゃるように、紙のメモでもスマホのメモでも、すぐ言語化し記録しておきましょう。(※8)

 

以上を数年単位で鍛錬し続けていれば、「自分の神様に尋ねる」ということが自分のこととしてよくわかるでしょう。

 

ただ気功のワークだけでは足りなくて、膨大な量の勉強も必要です。神の言葉は論理的なものですから(というか新約の伝統にさかのぼれば神とは言葉・ロゴス・論理(※9)なので)受け取り理解するには論理に対する訓練が必須です。

 

それには本家のブログに集結するような様々な学問を学び続けるのが大事だと僕は理解しています。

 

また自分の神様を受け入れて生きるというのは、洗脳社会から離れて生きるということでもあります。

 

メッセージによっては家族と縁遠くなったり、一時的に財産を失うこともあるでしょう。多くの人がそこで日和りますが、それだと先へは進めません。

 

イエス様が過去に説いたように、人は二人の主人に仕えることはできないので(※10)、自分の神様を信じて生きると覚悟を決めましょう。

 

以上が自分の神様に尋ねることができるようになるための理論と方法と注意点でした。

 

自分ひとりで実装するのは難しいと思いますので、パーソナル・セッションでそのお手伝いをしていきたいと思います!!

 

お申し込みお待ちしております!!1

 

 

【シン・TMダイエット・パーソナル・セッション】

【内容】パーソナル・セッション(+LINEによる体重とセルフィーと食事の記録管理)

【場所】 新宿の貸し会議室orオンライン

【受講料】

  1年コース(12回セッション)360,000円/半年コース(6回セッション)180,000円/単発セッション30,000円

オンライン1年コース(12回セッション)240,000円/オンライン半年コース(6回セッション)/単発オンラインセッション20,000円

【受講資格】ブログ読者

【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから

 

友だち追加

↑質問はこちらのLINE公式アカウントからいつでも歓迎です!!

 

 

【脚注】

 

(※1)

こちらの本家の記事の最後に紹介されています→「コツは骨」と分かったら、整体のコツは「骨で骨を触ること」その圧倒的な臨場感のみが大事 2024年05月08日

 

(※2)

宗教には必ず聖典があります。その聖典を中心に宗教の理解を深め、信仰を深めるものです。

しかし、抽象度を上げて見ると、聖典とは他の宗教から見れば神話です。

聖典は神々の物語であり、神話ということです。

神話と言えばギリシャ神話や記紀神話を思い出します。聖書も創世記を眺めても分かるように神話です。キリストが神の子であるならば、その人生の物語は神話と言えます。

ハリウッド映画は現代の神話と言えます。むしろ神話から積極的に題材を得ています。

神話を通して世界を眺めると、世界はシンプルに解けていきます!

【本日開催!!】いよいよ今年最後の寺子屋!ラストはビッグバンに迫ります!!お楽しみに!! 2014年12月10日

 

(※3)

アリス式大周天と臨場感についての警句は本家の過去記事を参照せよ→アリス式大周天ではなぜ頭が天井に届くだけで、もっと高いところを目指さないのか?星の高さではダメ? 2021年10月02日

 

(※4)

苫米地 どうしても時間は未来から過去ってなっちゃう。これは逆にしようがないんだよ。例えば川上から赤いボールがプカプカと流れてきたとするよ。俺が川の真ん中でその赤いボールを拾ったら続いて青いボールが流れてきた、と。そこでもし、俺が「良かった。俺が赤いボールを拾ったおかげで青いボールが流れてきたんだ」って言ったら、「頭、大丈夫?」の一言で終わりでしょ(笑)。俺が赤いボールを拾おうが拾うまいが青いボールは流れてくるときは来るんだって。青いボールが来るのか、赤いボールが来るのかという因果は川上の人が何を投げたかで決まるんであって、俺が何を拾ったかで決まるんじゃないんだよ。でも、多くの人は「昨日こういうことをしたから、今日こうなった」って言うでしょ。

 ──はい。普通はそういう因果だと思ってます。 

苫米地 ということは、みんな逆じゃん。「私はあの大学に行ったんでこうなりました」とか「私はあの大学に行かなかったのでこうなりました」とかさ。いいけど、「私が赤いボールを拾ったから、青いボールが来ました」って言ってるのと同じだよ。それってバカげた考えでしょ(笑)。つまり多くの人は逆向きの因果に囚われているの。正しくは因果の因は過去にはないってこと。それはもう現代分析哲学が証明しているし、オリジナルの仏教でもそうだし、科学でもそう。

 

 

 

(※5)

Echoに関しては本家の過去記事を参照のこと→気功技術「Echo(エコー)」とは音と光が響き渡る大聖堂のごとく 2016年03月10日

 

(※6)

ぴったり10年前の今日、何をしていたでしょう??

 

今日と変わらない明日が来ると信じて、どんなことに夢中になり、どんなことで頭を占めていたでしょう。

 

友人との些細な諍(いさか)い、親からの小言、大学のレポート、誰も読まない卒論、すぐに辞めることになる上司の小言、パートナーとの不和、、、そんなことが去来する自分自身を眺めながら、ツッコミを入れたくなるかもしれません。そんなことどうでも良いから、もっと大事なことがあっただろうにと。

 

でも、幸か不幸か、そんな自分を顧(かえり)みさせてくれる有り難いマシンは存在しません。

 

そして、もしそのマシンで10年前の一日を過ごせたら、きっともう一度、あの頃をやり直したいと思うのではないでしょうか。

 

 

もっとシンプルにゴールに向かい、もっとシンプルに自分のやりたいことを貫き通せば良かった。

そして人間関係はもっと丁寧にシンプルに、、、、(笑)。

 

どうせもう二度と会わないのだから(ほとんどの人が)、どの瞬間も味わい尽くせば良かったと思うのではないでしょうか。

 

 

これとほぼ同じことをワークとして、マシンを使わず、いや人工の人工知能(母親が胎内で造った脳という意味です)を使って行うのが、タイムマシン瞑想です。

心理学のタイムラインの技法を応用して、気功技術と混ぜて行います。

未来の自分が、過去の自分を追体験して、嘆息する瞬間に、今、自分は立ち会っていると考えてみる。 2021年07月31日

 

(※7)

予兆というのはサインです。

未来の自分が送るサインかもしれませんし、天使の導きかもしれませんし、無意識の計らい、神の恩寵、、、

単なるスコトーマが外れただけのこと、、、

 

何にせよ、そのような現象があります。

予兆という現象があり、それを見逃さないことが重要となります。

 

予兆に対する重要性が上がると、予兆が目につくようになります。

それはとても大事なことです。

 

でも予兆よりも大事なことは鍛錬です。

いや、どちらも大事ですが、鍛錬なくして予兆無しです( ー`дー´)キリッ

ねえ、ブルータス、僕らがうだつが上がらないのはね、 なにも運勢(星)が悪いんじゃない。 2020年09月21日

 

(※8)

ともかく何でも記録しておきましょう。

メモ帳でもノートでも、自分宛てのLINEでも、エバーノートでも良いので、記録しておきましょう。

かなり財産になります。

 

体重や食べたもの、トレーニング、体調、寝た時間や起きた時間など、トイレの記録なども大事です。

いまはアプリで便利なものが増えてきていますし、ライフログをアップルウォッチなどもサポートしてくれます。それらも存分に使って、記録をつけましょう。

 

記録が重要というよりは、ファクトベースで考えることができるのが重要です。

 

つい僕らは気分で、楽観的に分析したり、悲観的に分析したりしてしまいます。その分析の材料が記憶だと悲惨です。そのときの気分にあわせて、記憶が歪むからです。

逆にファクトベースで分析できれば、冷静に考えられます。

 

記録が記憶と違うことは良くあります。これが認知の歪みであり、記憶の歪みです。

 

 

というわけで、メモ魔になって記録を取りましょう。

自分の行動をしっかり目的に結びつけて、褒めてあげる。この小さな繰り返しは大きな自信になった 2019年06月29日

 

(※9)

たとえば、「神」とは何でしょう?
もちろん「神」はア・プリオリな全知全能の存在としては定義できません。
でも全知全能ではないア・プリオリではない「神」が存在します。


私たちは聖書にそのヒントを見ます。

なぜ聖書にヒントを見るのでしょう?
決して聖書が無謬(むびゅう)であったり、真理の書だからではありません。聖書も数多(あまた)あるうちの1つの表現型として採用しています。


では、ヨハネの福音書の冒頭を見てみましょう。

「はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神であった」(
John1:1

このラテン語版が

In principio erat verbum

そして、原典であるギリシャ語版は

Εν αρχηι ην ο Λόγος 

(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)

とあります。

当然ながら、原典がギリシャ語、それをラテン語に訳し、英語に訳し、日本語に訳されています(いや、日本語訳はどこから訳されているかは良く知りません)。
ただ伝言ゲームは意味が劣化します。

ギリシャ語版ですと、アルケーにおいて、ロゴスがあった、と明瞭になります。

アルケーというのはラテン語のPrincipioが語感として分かりやすいと思うのですが、万物の原理、プリンシプルという感じです。

ギリシャ哲学を知っているとアルケーと言うのが、万物の根源という意味だとピンと来ます。お馴染みの概念です。

現代科学という神話においては「超弦理論」のスーパーストリングスがアルケーの近いのではと思います。
原子モデルでもOKです。量子でも良いと思います。

Εν αρχηι ην ο Λόγος 神はどこに?悪魔はどこに? 2016年03月03日

 

(※10)

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。(マタイ6;24)