誰と付き合うかも重要ですが、どの情報源に日々触れているかも重要です。
もちろん「どの情報源に日々触れているか」は、誰と付き合うかにも関係してくるので、本質的には、同じことですね。そして、自分がどの情報源に触れているかに意図的で、自覚的になると、成長の速度が増します(多分w)。
というのも、我々は自我と呼ばれる臨場感空間に囲まれている情報的存在です。
自我という言い方が嫌であれば、重要性関数によって並べ替えられた情報の海に漂っています。
ただし我々は磁石のように自分に重要だと考えるものを引き寄せており、重要だと考えないものを遠くに引き離しています。
厄介なのは、今の自分が重要だと思うことは、未来の自分(もしくは理想の未来の自分)にって、不要なものであることが多いということです。
こんな思考実験をしてみてください。
たとえば、10年前に日々接していた情報を、いまもしリアルに触れることができたとしたら、、、自分の記憶という甘酸っぱい妄想ではなく、リアルにです。
もし、そのようなマシンがあるとしたら、「あ〜、こうやってくだらない情報の海の中で、くだらないことにアドレナリンを出しまくっていたから、俺(私)はこんなに成長が遅かったんだな」と思うのではないでしょうか?
いや、わかりやすく言えば、10年前のタイムマシンで移動して、10年前の今日という日を臨場感たっぷりに体感するような感じです。追体験なので、別にタイムパラドックスは起きません。
そして、自分が当時何を考え、何を悩んでいたかも追体験できます。思い出せるとします。
リベンジャーズ、いやいや、それもそうでしょうが、僕らは「僕だけがいない街」をも思い起こしますね。
ぴったり10年前の今日、何をしていたでしょう??
今日と変わらない明日が来ると信じて、どんなことに夢中になり、どんなことで頭を占めていたでしょう。
友人との些細な諍(いさか)い、親からの小言、大学のレポート、誰も読まない卒論、すぐに辞めることになる上司の小言、パートナーとの不和、、、そんなことが去来する自分自身を眺めながら、ツッコミを入れたくなるかもしれません。そんなことどうでも良いから、もっと大事なことがあっただろうにと。
でも、幸か不幸か、そんな自分を顧(かえり)みさせてくれる有り難いマシンは存在しません。
そして、もしそのマシンで10年前の一日を過ごせたら、きっともう一度、あの頃をやり直したいと思うのではないでしょうか。
もっとシンプルにゴールに向かい、もっとシンプルに自分のやりたいことを貫き通せば良かった。
そして人間関係はもっと丁寧にシンプルに、、、、(笑)。
どうせもう二度と会わないのだから(ほとんどの人が)、どの瞬間も味わい尽くせば良かったと思うのではないでしょうか。
これとほぼ同じことをワークとして、マシンを使わず、いや人工の人工知能(母親が胎内で造った脳という意味です)を使って行うのが、タイムマシン瞑想です。
心理学のタイムラインの技法を応用して、気功技術と混ぜて行います。
別に気功技術を使わなくても、ちょっと時間を取って、リラックスして、冷静に考えてみると、この追体験はできます。当時の日記などがあれば読み返してみても良いでしょう。
「あのときああしていれば良かった」という後悔の念を抱くことは誰しもあります(後悔は不要ですが)。
でも、それを痛切に感じているのは「いまこの瞬間のあなた」に対して、未来のあなたです。
未来のあなたが、今、10年前の身体に入り込んで追体験して、嘆息しているのです。
「いやいや、(昔の)俺、こんなことに夢中にならず、くだらないことではなく、本質に、チャンスにちゃんと向き合えよ」と。
それに思いを馳せることができれば、この瞬間から生き方を変えることができます。
重要性関数という磁石が変わり、集まってくる情報が変わり、それは宇宙が変わるのと同義です。