Εν αρχηι ην ο Λόγος  神はどこに?悪魔はどこに? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

「神を味方にする」とか、「神を使役する」とか、「悪魔を召喚する」などとここ最近の「まといのば」はかなり物騒な話しばかりです。陰陽師やら言霊やらアルケミア(錬金術)やらトーラー、タルムードから魔術まで出てきています。

頭がおかしいのでしょうか?

いえ、切り口が斬新なだけで、中身はかなり真っ当です(当社比w)。

逆に我々のモノの味方が倒立しているということを、これらのオカルトを装う事象は示しています。


たとえば、「神」とは何でしょう?
もちろん「神」はア・プリオリな全知全能の存在としては定義できません。
でも全知全能ではないア・プリオリではない「神」が存在します。


私たちは聖書にそのヒントを見ます。

なぜ聖書にヒントを見るのでしょう?
決して聖書が無謬(むびゅう)であったり、真理の書だからではありません。聖書も数多(あまた)あるうちの1つの表現型として採用しています。


では、ヨハネの福音書の冒頭を見てみましょう。

「はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神であった」(John1:1

このラテン語版が

In principio erat verbum

そして、原典であるギリシャ語版は

Εν αρχηι ην ο Λόγος

(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)

とあります。

当然ながら、原典がギリシャ語、それをラテン語に訳し、英語に訳し、日本語に訳されています(いや、日本語訳はどこから訳されているかは良く知りません)。
ただ伝言ゲームは意味が劣化します。

ギリシャ語版ですと、アルケーにおいて、ロゴスがあった、と明瞭になります。

アルケーというのはラテン語のPrincipioが語感として分かりやすいと思うのですが、万物の原理、プリンシプルという感じです。

ギリシャ哲学を知っているとアルケーと言うのが、万物の根源という意味だとピンと来ます。お馴染みの概念です。

現代科学という神話においては「超弦理論」のスーパーストリングスがアルケーの近いのではと思います。
原子モデルでもOKです。量子でも良いと思います。

アルケーについてはWikipediaではこう書かれています。

アルケー(古希: αρχη 希: arkhē)とは、「はじめ・原初・根源」等のことであり、哲学用語としては「万物の根源」また「根源的原理」を指す。宇宙の神的・神話的な起原である。


アルケーにおいてLogosがあり、そのLogosは神と共にあり、そのLogosが神であった、とある以上は、ざっくりと考えれば、アルケー=Logos=神(Deus)ということです。

ここからまたざっくりと考えれば、神を味方にするとは、論理(Logos)を味方につけるということです。言葉を味方にするということです。
そして神を使役するとは、ロゴスを駆使するということです。

シンプルな話しです。



「神は細部に宿り給う」とは宇宙の隅々までが論理によって支配されているということです。
我々が理解できるか否かは別として、そこにはいつも論理が支配しているということです。



もちろん身体も論理が支配しています。論理という言葉がピンと来なければ、アルゴリズムでもシステムでも構いません。カラクリでもOKです。

ちなみにコンピューターもカラクリでできています。そしてコンピューターは電気で動くことがポイントではなく、カラクリがポイントです。アルゴリズムがポイントであり、公理系としてのシステムがポイントです。


(引用開始)
バベッジの解析機関が完全に機械的な構成だったという事実は、逆に一種の迷信から目を醒まさせてくれるかもしれない。現代のデジタル計算機は電気的であり、人間の神経系統も電気的であるという類似性が、しばしば重要視される。しかし、バベッジの機械は電気的ではなく、すべてのデジタル計算機が同等であることを考えれば、電気的であることが本質的に重要ではないことがわかるだろう。(略)したがって、電気を使用するという類似性は、一種の迷信と言える。むしろ、何らかの本質的な類似性を見出すためには、数学的な機能に目を向ける必要があるだろう。
(引用終了)(計算機械と知性 アラン・チューリング 高橋昌一郎訳 現代思想2012 vol.40-14 p.14)

バベッジの解析機関が完全に機械的な構成だったという事実は、逆に一種の迷信から目を醒まさせてくれる 2013-12-26

チューリングの物言いはシンプルです。
これまたざっくりとまとめると、脳とコンピューターは似ているがそれは電気で動くことではなく、機械であるという点で似ているのであり、数学的な機能が先にあり、それを実装するカタチとして神経系なりコンピューターがあるのです。


そう言えば小飼弾さんのブロマガが一年ぶり以上に再開しました。
かなり面白いです。是非見てみて下さい!
http://ch.nicovideo.jp/dankogai/blomaga
ブログも一年以上投稿されていなかったので、楽しみすぎます!!


そこで紹介されていたのが、The Art of Computer Programmingでした!
下にリンクを貼っておきます!!


というわけで、数学的な機能であるアルゴリズムは神ですw
ロゴスが神であるように(^o^)
(なぜなら、アルゴリズム=ロゴスなので)


ちなみに身体も純然たるアルゴリズムですし、意識が介入する余地はほとんどありません。
成功法則もアルゴリズムです。ラッキーや飛躍が介入する余地はほとんどありません。そう見えたとしても、それは僕等がそのアルゴリズムを見えていないだけです。


そして当然ながら脳もアルゴリズムの塊です。
そのアルゴリズムは機械と同じく物理的です。脳が破壊されれば、考えることはできません。


「自我はない」というプリンシプルがありますが、自我はまさに「点」のようなものであり、あるといえばあるし、無いと言えば無い存在です。その自我という「点」のその周辺に肉体や臓器や脳や皮膚がプカプカと浮かんでいます。私が発する言葉もプカプカと浮かんでいます。

自分が発する言葉と他人が発する言葉が宇宙を構成しており、それがEcho(こだま)する空っぽの空間が自我の場と言えます。

自我は鵺(ぬえ)のようなものであり、自我を変えようとするのは天に唾(つば)するのと同じです。むしろ暖簾(のれん)に腕押しです。

そうではなく、環境を再定義すること、そしてその前にまず「環境」なる言葉(ロゴス)の意味を再定義することからはじめましょう。

まさに「はじめに言葉ありき」です。



【書籍紹介】
The Art of Computer Programming Volume 1 Fundam.../KADOKAWA

¥5,184
Amazon.co.jp

The Art of Computer Programming Volume 2 Seminu.../KADOKAWA

¥5,184
Amazon.co.jp

The Art of Computer Programming Volume 3 Sortin.../KADOKAWA

¥5,184
Amazon.co.jp

The Art of Computer Programming Volume 4, Fasci.../アスキー・メディアワークス

¥5,184
Amazon.co.jp

Art of Computer Programming, Volumes 1-4A Boxed.../Addison-Wesley Professional

¥31,566
Amazon.co.jp