寂しいから物理宇宙はできた。生命現象は次元を跨いだつかの間の現象!? | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

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苫米地理論では物理宇宙は寂しいからできたのだとされます。情報状態で好き勝手生きていると最初は自分の思い通りで楽しいのですが、そのうち飽きて来て、隣の生命や人間と戯れたくなります。

 

その公共スペースとして物理空間を生み出し、僕たちはそこでモーダル・チャネル(5感+言語)を介して交わります。

 

体を失い、情報状態だけになった人類にとっての宇宙というのは、その人が好きなものだけを集めて勝手にストーリーをつくり上げたものです。そして、自分が主人公となり、隣の生命、隣の人間とは何の関係もないまま長年を過ごしているとどうなるか。

 

次第に飽きてくるのです。

 

すべてハッピーエンディングの、すべてを自分でコントロールできる世界なんて面白くないじゃないかと思うのです。そして、それ以外のストーリーを求め始める。

もちろん、いろいろなバラエティをやってみるのですが、それでも最後に人間は思い至ることになります。「でもこれって、全部自分がつくった情報だよね」と。

それゆえに、寂しいことだと気づくのです。

寂しいから、の結論として抱く思いは特別なものではありません。

「みんなの公共スペースをつくろう。マトリックスをつくろう」

ただし、だれも自分以外の人の存在に対してコントロールをせず、お互いが本当に独立した存在としていられる空間を作ろうとするのです。

もちろんそこにはインタラクション(相互作用)は必要です。例えば、データの書き換えはやめよう。要するに魂や遺伝子を書き換えるのではなく、お互いのインタラクションは五感だけに限ろう。超能力通信も、それはデータとデータの交換だから許さない。

そういう空間をつくろうというコンセンサスを成り立たせ、それを物理空間と読んだのです。

言い換えれば、物理空間はみなの共有スペースとして生み出されたということです。

そして、そのためにビッグバンが起こされたのです。

今ある宇宙は、共通空間、あるいは公共空間としての宇宙だということです。

なぜ、宇宙が生まれたのか。寂しいからです。

それが未来から見た今なのです。ホーキングは時間を逆に見ていたから理解できなかったのではないでしょうか。

未来から過去に時間が流れるというその論理的な結論として、寂しいから、みんなのプレイフィールドが欲しくてビッグバンは起こったのです。

(「苫米地英人、宇宙を語る」p.p25−28)

 

 

ユダヤ・キリスト教に基づいた「過去から未来へ時間は流れる」という洗脳からの脱却として、苫米地理論では「時間は未来から流れる」とされます。未来の完全な情報状態に飽きて寂しさを感じた僕たちが、他の存在と交わるために物理空間を作り、現在に降り立って来たとも言えます。

 

人類全体の機運として、ドンドン自我を(記憶を)サイバー空間にアップロードし、またメタバースの技術の発展により、ますます自分だけの情報空間に戻ろうとしているように思います。苫米地理論の未来から時間は流れるという議論と、その未来においては情報状態になって漂っているということを踏まえると、さもありなんと思います。

 

 

c.f.ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 2022年07月26日

c.f.自我をサーバーにアップロードする未来はすぐに来る、でもなめらかな連続ではなく離散的なワープとして 2022年07月27日

 

しかしその一方で、「寂しいから物理空間はできた」というのも引っかかります。僕たちは未来の自分たちに憧れ、そこに戻ろうとしますが、その一方で未来の僕たちは寂しいから物理空間を作ったんだけどなーと思っているかもしれません。いや、妄想ですけど。

 

だったら、物理空間、あるいは身体に閉じ込められた”今"を楽しむのも一興なのかもしれません。不完全で、色々と不具合があるけど、他の存在や生命と交われる物理空間も楽しみましょう。

 

それを苫米地博士は「次元」の切り口でも僕たちに伝えてくれています。過去(2009年)の著作で高次元のA次元空間から物理空間である4次元空間を通り抜けるように旅をしているとお書きになられています。

 

ちなみにこのA次元は第二世代だと情報空間や超情報場としてアップデートされ、第三世代ではその説明が与えられます。僕の理解が正しければ、ですが。

 

写像とは具体的にどのようなものか、考えてみましょう。  繰り返しますが、私たち4次元人にはそれより上の空間のことを、実体として見ることも知ることもできません。しかし、先に述べたように、写像として認識することは可能です。それは、高次元の物体が4次元を通り抜けるときです。  たとえば、先に紹介したリサ・ランドールの『ワープする宇宙』に書かれている例ですが、3次元空間の球が2次元空間を通り抜けるとき、2次元の人には、図2の左のように  「いきなり点が現れて、その点の丸い形がどんどん大きく広がっていき、そのうちまた小さくなり、最後は点にまで縮まって消えていく」  ようにみえます。  これは、どの次元でも同じこと。4次元空間に生きる私たちは、それより高次元のA次元空間から球が4次元空間を通り抜ける写像を、「突然現れて、突然消える」物体として認識するわけです。  ということは、突然生まれて突然死んでいく私たち人類という存在そのものが、A次元の写像だという見方ができます。ならば、  「この世に生きている私たち4次元人は、いままさに、A次元から4次元空間を通り抜けて旅をしている最中」  だということです。  画家のポール・ゴーギャンは、貧困と絶望のなかで『われわれはどこから来たのかわれわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という作品を描きましたが、この大作の答えはまさにここにあると言えるのではないでしょうか。  4次元空間を映画館にたとえてみましょう。すると、私たちの人生は映画館に入って映画を見て、出て行くのと同じです。人生は、同じ映画館に入って映画を見て、出て行くのと同じです。人生は、同じ映画館にいる人たちといっしょに見る一つの映画のようなもの、と言えるでしょう。  つまり、映画館に入るときが誕生日で、出るときが命日。映画をゆっくり見る人はそれだけ寿命が長いのだろうし、何度も出たり入ったりする人は生まれ変わることができるかもしれません。おもしろい映画が見られた人はおもしろい人生を遅れた人でしょうし、逆につまらない映画だった人はつまらない人生になってしまったのかもしれません。  宇宙そのものも、4次元空間を通り過ぎている最中の、A次元も写像と言えます。  実際、A次元から下の次元を見ることができるなら、いくつもの宇宙がポップコーンのようにボンボン生まれている感じだと思います。あるいは、火にかけた鍋の湯がぐつぐつとわいている、その気泡の一つひとつが4次元空間に生まれる宇宙と考えてもいいでしょう。  A次元は時空を超えて空間なので、4次元空間に宇宙が突如生まれたビッグバン以来、人類はすべて一つです。A次元から見たビッグバンはまさに、4次元空間に生まれて、いま通り過ぎている最中の写像と見ることができます。だから、イエスも釈迦もあなたも私も、同じかたまりの違う側面にすぎないわけです。  宇宙はたまたま136億年にわたって膨張を続けてきましたが、A次元空間レベルでは、気の遠くなるような時間だって一瞬なのです。宇宙も、  「一瞬にして生まれて、一瞬にして消えていく」  ものでしかないのです。  人類のすごいところは、肉体を4次元空間に置きながらも、「脳と心」は宇宙より大きなA次元空間にまで広がっていることです。「いま、月の表面にいる」と心で思っただけで、実際には行けなくても月の表面に行くリアリティを感じることができます。  「人類はA次元空間を通り過ぎる旅人」  と言うと、「自分は本当にちっぽけな存在だ」と思うかもしれませんが、人類の「脳と心」がA次元にまで広がっていることを考えると、実は、  「A次元という自分の「脳と心」の中を、ビッグバンが通り過ぎている」  と見ることができるものです。  人類の多くは抽象度が低いためにこのことを知りえないだけで、本当はすべての人が4次元宇宙を内に抱える、とてつもなく巨大な存在なのです。  すごいと思いませんか?  その気になれば、誰だってA次元まで意識を飛ばせるのですから、物理次元に縛られているのは非常にもったいない。せっかくの能力も宝の持ち腐れです。

(夢が勝手にかなう脳)

 

 

人生は旅だなんてよく喩えられるものですが、苫米地理論においては人生、いや生命現象はそのような次元を通り抜けていく旅のようです。

 

ちなみにこの苫米地博士の次元の議論は「フラットランド」という次元に関する小説を思い出させます。著者は十九世紀から二十世紀に渡って活動した教育者であり神学者のエドウィン・アボット・アボットです。彼は26歳でなんとシティ・オブ・ロンドン・スクールの校長になる、早熟の天才です。

 

 

 

※エドウィン・アボット・アボット

 

「まといのば」本家主宰はこの「フラットランド」は西洋(のインテリの間)だと聖書や不思議の国のアリスなどと並ぶ「常識」とよくおっしゃいます。現代の知の巨人たちが書いた書物だと、所与の前提として度々登場してきます。

 

また「フラットランド」は生命現象の不思議をあますことなく直観的に理解させてくれる、と。

c.f.フラットランド(2次元世界)からの手紙 〜万有引力とは ひき合う孤独の力である〜 鬼神の実在性 2017年04月06日

(引用開始)

フラットランドという印象的な物語の中で最も注目すべきシーンは3次元の存在が2次元空間(フラットランド)を通過する場面でしょう。

これは生命現象の不思議をあますことなく、直感的に理解させてくれます。

生命現象とは多次元世界の住人が、ある側面から見れば、物理的現実世界という奇妙な情報空間を通りすぎる、つかの間の現象です(「つかの間」と言っても、時間は物理空間の位置のことであり、他の空間では定義できないものです)。


フラットランドというのは、エドウィン・アボット・アボット著作の小説です。
2次元世界の住人たちを中心に多次元世界の住人の生活を描いています。

エドウィン・アボット・アボットという名前が面白いことにエドウィンA・Aなので、Aの二乗(スクエア)とご自身が言っているのがお茶目です。事程左様(ことほどさよう)に数学的な物語ですし、数学宇宙の内側から世界を眺められる作品です。

欧米では(おそらく)誰もが知っている作品なのですが、日本での知名度はそれほどありません。
たとえばリサ・ランドールなども5次元について語るときに、フラットランドについてさらっと言及しています。
アリスや聖書を注釈無しに引用するように、フラットランドもそのような扱いです(お馴染みのブライアン・グリーンやイアン・スチュアートも)。

(引用終了)

 

苫米地理論における「物理宇宙は寂しいから他の存在と交わるためにできた」ということと、本家主宰が書かれているように、「生命現象とは多次元世界の住人が、ある側面から見れば、物理的現実世界という奇妙な情報空間を通りすぎる、つかの間の現象」ならば、僕たちがやるべきことはシンプルになります。

 

すなわち寂しいから生み出された物理宇宙で他の生命と交わること、そして(そのためにも)自らの生命現象もつかの間のものに過ぎないと見切ることです。そうすることで情報状態でメタバースに自分一人で閉じ込められたエゴイズムの轍から自らを解放し、また自らをつかの間の現象に過ぎないと虚しくすることで、他者と交わることに意欲が湧いてきます。

 

せっかく一人でいるのが寂しくて物理宇宙ができたというのにその物理宇宙で人類は戦争したり、憎み合い、妬み嫉みで足を引っ張り合ったりしています。

 

その一方で、お互いに愛し合い、慈しみ合い、喜怒哀楽を共有することもできます。お互いにその存在を祝い合い、その悲しみを分け合い和らげることもできます。

 

僕たちは苫米地理論や「まといのば」本家のレクチャーを通じて、すでに物理宇宙は寂しいからできたことを知り、他者と交わるためにそれができたことを知っています。知っているのなら、あとはそれに粛々と従い、他者と交わりましょう。

 

気功は、今すぐに全世界や全人類を回心させるのは難しいかもしれませんが、少なくとも僕たち自身の心と身体を良い方向に書き換え、思考の抽象度を引き上げ、他者と快く交わることを可能にしてくれます。

 

そして僕たちの本質的な喜びは、他者との関係性の中にしか存在しません。

 

何の因果かこのブログを見つけて、苫米地博士や「まといのば」本家の理論や技術を知ったのなら、それも何かの縁ですから、その縁を繋いで見ませんか?

 

3月5日の気功ニューフェイス講座ではzoomを利用したウェビナーで、いまさら聞けない「気の玉・結界」について、何と最先端の理論であるシン・TENETの理論の高みからお伝えします。シン・TENETを通じて、これまでヒューリスティックに理解されてきた様々な現象がより整合性を持って理解できるでしょう。

 

また3月19日の『模倣気功団』のセミナーでは、せっかく寂しいから物理空間を作ったにも関わらず生じる嫉妬や抑圧、そして他者と交わる意欲を失わせる鬱について、理論的に理解し、緑のつた(オセロー)を取り除く気功技術を通じて解放されましょう。またヒーラーとして活動していくのに必須の鬱に対する理解も技術を通じて深めましょう。

 

ここ最近は人類のダークなサイドが目立つようになってきましたが(あるいはそれは有史からそうかもしれませんが)、光の部分だってあることを思い出しましょう。そしてそれに身を投じ、少なくとも自らと自らの周囲を善いものにしましょう。

 

たとえそれが焼け石に水に過ぎないとしても。

 

絶望ばかりが広がりますが、それに染まってしまうのも短絡的です。僕たちはそれに対抗する苫米地理論と「まといのば」の気功を知っていますから、自分が闇に染まらないように、そして自らのフォロワーが闇に染まらない全力で生きましょう。

 

お申し込みお待ちしております!!!

 

【気功ニューフェイス講座「いまさら聞けない気の玉・結界」】
【対面セミナー日時】 3月5日(日)15:00~17:00

【場所】 zoomによるウェビナー
【受講料】 15,000円(銀行振込/Paypal)

【受講資格】ブログ読者
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから

 

 

 

 

【『模倣気功団』セミナー「嫉妬・抑圧・鬱とサヨナラ」】
【対面セミナー日時】 3月19日(日)15:00~17:00

【場所】 新宿の貸し会議室(受講生に個別でお伝えしております)
【受講料】 20,000円(銀行振込/Paypal)

【受講資格】ブログ読者
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから

 

 

パーソナル・セッションもお待ちしております!!セミナーの日程が合わない方はセッションでもオーダーメイドでお伝えします!!

 

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【場所】 新宿の貸し会議室(受講生に個別でお伝えしております)もしくは遠方の方はオンライン
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