少しだけタイトルから遠回りしますが、最後にはたどり着く予定です。
(人生だって同じ。遠回りしたっていいじゃないか!)
今読んでいる本の1冊に新潮新書の『本気で言いたいことがある』(さだまさし/新潮社)があります。
(「……の1冊」としたのは、私の読書法が、何冊もの本を同時進行で読んでいく方法だから)
10日(日)にこの本の再読を始めました。
その日のうちに222ページ中162ページまで一気に進みました。
(この本を最初に読んだのは、「H18.8.8~8.29」とあります)
この本の中に次の記述がありました。
*
しかし僕は、職業というものは命がけの人生観の噴出だと思うのです。
青臭い意見だ、と笑われるかもしれないけれど、仕事というものは経済活動には違いないが、その仕事の先にある、この道を行きたいのだ、という自分の人生とイコールになるような、仕事への愛とか誇り、みたいなものが実は一番大切だと思っているのです。
だから僕にとっての職業の理想は「楽しんでやれる」ということです。
もちろんそれで賃金が良ければ最高ですが、賃金のために嫌な仕事を我慢してやるなんてまっぴらです。
「楽しむ」ということは、単純に面白おかしいという意味ではありません。
頑張って自分で歩く上り坂の苦しさを楽しめるか? ということなのです。
そう、苦しむことを楽しむことが出来たら、嫌な仕事を我慢して苦しむだけの人より、もうワンステップ上のステージまで行くことが出来るからです。
*
「上り坂の苦しさを楽しめるか?」という言葉が目に留まりました。
「苦しむことを楽しむ」という言葉も目に留まりました。
これって職業以外のことでもいえることですよね。
さて、翌日のことでした。
11日(月)は卒業式の3日前。この日、最後の学年集会がありました。
学級委員会の企画で、集会の終わりに3年団の先生がずらーっとステージ上に並び、生徒たちが書いた「感謝のメッセージ(おしゃれにリボンで綴じてある)」を代表生徒たちから一斉に受け取った後、一人ずつ順番にステージ下の生徒たちに向かって話をしました。
一人の先生の話がとても印象に残りました。
その先生は、高杉晋作の辞世の句について話していました。
高杉晋作とは、幕末期に活躍した長州藩の藩士で、奇兵隊を作った人物です。テレビのドラマにもよく出てくるので、ご存じの方も多いでしょうか。
おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり
この歌について生徒たちに思いを述べてから、最後は「生きてください」と結びました。
「こいつら、『生きてください』の意味がちゃんと解ったんじゃろうか。……こりゃあ、解っとらん者が多そうじゃわ」
ステージ下に座っている生徒たちの表情を眺めながら、ステージ上で私はそんなふうに思っていました。
その日、帰宅してから、「高杉晋作 辞世の句」で検索してみました。
出てくる!出てくる!
(検索すれば何でも出てくるんですね。本当に便利になりました。でも、これっていいのか悪いのか……、それはここで考えるのはよしましょう)
おもしろき こともなき世を おもしろく
この上の句を高杉晋作が詠んで、
すみなすものは 心なりけり
という下の句を、療養中の高杉晋作を看病していた野村望東尼(のむら もとに)が詠んだという説があるようです。
解釈の仕方はいろいろあるようです。
私ならこうなります。
面白いとは言えん世の中じゃけど、どうせ生きるんじゃったら、面白く生きていかな(あかん)。面白くするかせんかは、ワシの心一つじゃ。
(方言で書きましたが標準語に直すまでもないでしょう。私のふるさとは笠岡市真鍋島。今テレビで大活躍中の千鳥の大悟は隣の北木島。ノブとの方言丸出しの掛け合いが私にはとても心地いいです)
歌の中の「世の中」はいろいろ言い換えられます。
面白いとは言えない事を面白くするのは、心のありよう(心構え)次第だ。
面白いとは言えない物を面白くするのは、心のありよう(心構え)次第だ。
「心のありよう(心構え)」とは、言い換えれば「生き方」
生き方次第で、どんなに面白くないことも面白くできる。
私の思いも先生と同じ。
4月から始まる新しい生活を、さらにその先の人生を、「面白いものにしてやるぞ(楽しんでやるぞ)」という気持ちで生きてほしい。
「面白いものにしてやるぞ(楽しんでやるぞ)」という気持ちで生きてください。
もし君が、小中高校生なら
嫌いな授業をどう生きるか?
しんどい部活動(学校外のクラブ活動)をどう生きるか?
面倒くさい当番活動、係活動、委員会活動をどう生きるか?
準備や練習が大変な学校行事をどう生きるか?
掃除の時間にどう生きるか?
どうか「面白いものにしてやるぞ(楽しんでやるぞ)」という気持ちで生きてください。
きっと面白いものになります。
きっと楽しめます。