【前回のあらすじ】


沖田の看病と、翔太郎の世話に追われる春香。春から夏へ、季節が移りゆく中。確実に変わりつつある時世の中で翔太もまた、龍馬らと共に戦い続けていた。


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【十六夜の月】 第32話


とてつもなく長く感じた夏が過ぎ、秋風に心地良さを感じていたのもつかの間。朝晩、めっきり冷え込むようになってきたある日の夕刻。ずっと泣きっぱなしだった翔太郎を抱いたままだった私は、ようやく静かな時を得ていた。


布団の上で、すやすやと心地良さそうに眠る翔太郎の可愛い寝顔を見つめながら、これまでのことを振り返る。


「こんなに大きくなって…」


翔太郎が誕生してから、今日で丁度一年。


七か月目でもう、掴まり立ちをして歩こうとしたり、母乳よりも離乳食を欲しがったりと、その成長ぶりに驚かされてばかりだった。


お凛さんから、男子は女子よりも成長が遅いと聞いていたのだけれど、全てにおいて急速に成長していき。何よりも、沖田さんのことを、「とー」と、呼ぶようになったことにこの上ない喜びを感じた。


「私のことは、まだ母様と呼んでくれないのにね…」


「とー」と、呼ばれる度に翔太郎を抱きしめる沖田さんの、嬉しそうな微笑みがとても印象的で。私は、そんな翔太郎に正しい呼び方を繰り返し言い聞かせている沖田さんと、きょとんとしたままそれを聞いている様子の翔太郎を交互に見守っていた。


つい、二日前のこと。


血は争えないというか、刀掛けの上に置かれていた刀を掴みたがる翔太郎を抱き上げ、“大きくなったら教えてあげますから”と、苦笑を零す沖田さんに翔太郎は、構わずいやいやをするように首を横に振っていた。


(あの時の、沖田さんの困った顔ったらなかったなぁ…)


その後、幾度も続いた一種の父子格闘の末。とうとう根負けした沖田さんは、刀を刀箪笥へしまい、その代わりに小太刀を手に取って翔太郎の前に差し出した。すると、翔太郎は嬉しそうに声を出して笑い、重たい小太刀の柄の部分を両手で握りしめながら何かを呟き始めたのだ。


何を言っているのかは分からなかったけれど、ゆっくりと、たどたどしいその物言いに微笑まずにはいられず、成長した翔太郎と沖田さんが剣を交えている姿を想像していた。



「早く大きくなって、総司さんと…」


二人が剣を交えている姿が見たい。

時に激しくぶつかり合いながらも、楽しそうな…


たとえ、その夢が潰えたとしても決して卑下したり絶望したりしない。沖田さんの想いは、既に私や翔太郎の中にあり、これまで沖田さんと関わった全ての人に受け継がれてゆくのだから。


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*慶喜・秋斉SIDE*


一方、その頃。


第十五代将軍となった慶喜は、大阪城にて次なる強大な軍隊を率い、この国を治めるのは徳川幕府以外にないのだと朝廷に認めさせる為、フランス軍との交渉に追われていた。


フランス公使、レオン・ロッシュとの話し合いの末、再度フランス軍の力を借り、これまで以上の覚悟をもって戦う意志を固めたのだった。





つかの間の休息。


「あれから、もう一年か。翔太郎といったな、だいぶ大きくなったのだろうね」

「そうだな」


縁側で曇り空を見上げながら呟く慶喜の背後で筆を走らせている秋斉もまた、同様に呟いた。


(あの子も厳しい現実と向き合い、闘っているのだろうな…)


ふと、思い出すのは春香の朗らかな笑顔と優しい声。戦況が厳しくなるほど、彼女の存在の大きさに気付かされる。


「なぁ、秋斉」


秋斉は、慶喜の呟きに一瞬、手を止めた。次いで、障子を閉めて自分の隣に歩み寄りこちらを覗き込むようにしてくる慶喜の、悪戯っぽい笑みを見やる。


「…なんだ、その不敵な笑みは」

「いや、相変わらず眉間に皺が寄ってるなーと思ってね。せっかくの二枚目が台無しだ」

「………」


慶喜の軽口な物言いに溜息をつき、再び文机に向い筆を走らせる秋斉の横顔を見つめながら、慶喜もまた溜息を零した。


「なんて、そんなことが言いたい訳じゃないんだ」


(…なら、何が言いたい?)


秋斉の心中は穏やかでは無かった。フランス公使から最善を尽くすとの返答を得たものの、先の長州軍との敗戦による影響は思っていた以上に大きく。家茂の死後、その勢力を一気に伸ばし始めた薩長を打ち負かす為にどのような策を練れば良いのか等、慶喜以上に頭を痛めていたのだ。


「沖田くんも、春香も元気かなと思ってさ」


無邪気な笑顔を見せる慶喜から視線を逸らし、


「便りが無いということは、何事も無いという証拠だろう」

「相変わらず冷静というか、素っ気ないというか」


再び溜息交じりに言う慶喜を横目に、秋斉はようやく書き終えた書簡をそのままに。筆を置き、伏し目がちに呟く。


「いずれは…」

「…いずれは?」

「いや、何でもない」


真面目な表情で聞き返してくる慶喜に淡々と答えると、秋斉は書簡を綺麗にたたみ、ゆっくりとその場を立ち去った。


「まったく、素直じゃないねぇ」


その去りゆく後ろ姿を目で追いながら呟くと慶喜は再び立ち上がり、開け放たれたままの障子の隙間から舞い落ちてくる白を見とめた。


「くるしくも降りくる雪、か…」


凍てついた風が慶喜の白い吐息を攫ってゆく。次いで、そっと差し出した手の平に小さな雪を受け止め、その解けゆく様を見届ける。


(戦い、そして勝つ。誠の道はそれ以外に無い…)


そう自分に言い聞かせながらも、思い出すのは家茂の言葉だった。



『なぁ、慶喜。本当に戦しか方法が無いのか?』



期待と信頼を向けてくれていた家茂に対し、慶喜は常に“戦わずして勝利非ず”と、伝えて来た。


「俺は…」


粒の大きさを増し始めた雪が、天を仰ぐ慶喜の頬を掠めゆく中。その憂いを宿した眼差しが、哀しげに歪む。


「…どこへ行こうとしているんだ」


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慶応二年十二月二十九日──

宵五つ半(午後8時頃)。


残り僅かとなった師走。

私達は、親子水入らずで無事に年を越そうとしていた。


つい先ほどまで、活発に動き回っていた翔太郎がようやく眠りについた後。隣の部屋にいる沖田さんの全身を解す為、いつものように肩から腰にかけてそっと揉みこんでゆく。


「痛くないですか?」

「はい。とても気持ちがいいです」


少し項垂れながら言う、その穏やかな声にほっと安堵の息を零した。一時と比べれば、咳も吐血も治まっているし、食欲も徐々に戻り始めている。それに、この一年間、翔太郎も大きな病気や怪我もなく成長してくれた。


これ以上、何を望もうか…

改めて、神様に感謝しながら今度は、沖田さんの隣に腰を下ろし手の平から腕にかけて揉み始める。


長い沈黙。いつもならば、何か話題を見つけて口を開いていた沖田さんが、ずっと黙ったままなのが気になって、私は少し躊躇いながらも問いかけてみた。


「どうかしました?」

「…………」

「総司さん…?」


また気に掛かることでもあるのだろうかと思った。刹那、何かを言いかけた沖田さんは一度、考えあぐねた後、私を真っ直ぐに見つめた。


「やはり、内部分裂は避けられないようです…」


思い詰めたように顰めた瞳が伏せられる。その意味を尋ねると、沖田さんは言いにくそうに話し始める。それは、つい先ほど届いた書簡の件だった。斉藤さんから沖田さんへ宛てたその書簡には、新撰組内部で起こりつつある分裂について書かれてあったらしい。


(あ…)


あの時、偶然、聞いてしまった斉藤さんと藤堂さんの会話を思い出し、微かに肩を震わせた。沖田さんがそれ以上のことを口にしないということは、私が絡んだ一件のことは書かれていなかったのだろう。内心、どきどきしながら話しの続きを促すと、沖田さんはより真剣な顔つきで伏し目がちに呟く。


「相手からすれば、“思想が合わねば脱退あるのみ”と、言ったところでしょうか」


藤堂さんらの真意を突き止める為、土方さんから隠密を任された斉藤さんは、躊躇いながらもその任に就き。結果、伊東さん達の企てを知った斉藤さんは、その全貌を近藤さんに伝えたという。


「企て?」

「近藤先生の命を奪うこと、でしょうね」

「そんな…っ…」

「大丈夫ですよ。近藤先生がそう簡単に負ける筈がありませんから」


思わず息を呑むと、逆に沖田さんの大きな手に包み込まれる。


「全てを私に打ち明けることを躊躇していたらしいが、土方さんから余すことなく伝えろとの命を受けたと、書かれてありました」

「土方さんから…」

「一刻も早く戻って来い。そう、言われているようで…」


泣いたように微笑う沖田さんの伏し目がちな瞳。それでも、嬉しそうな声を聞いて優しく肩を抱き寄せられるままに、沖田さんの胸にそっと頬を預けた。


「ねぇ、総司さん」

「はい」

「来年こそは、京へ戻る。それを目標にしましょう」

「……はい」


改めて、肩に添えられた手に力が込められる。


きっと、伊東さんと共に新撰組を抜けようとしている藤堂さん達にも思うところがあるのだろう。袂を別つのはとても残念だけれど、それも止むを得ないことなのかもしれない。山南さんの死後、山南さんを慕っていた藤堂さんにとって、やり場のない怒りと悲しみは、新撰組に背を向けることで少しは治めることが出来たのだろうか。


と、そんなことを考えていた時。沖田さんの、少し抑えたような低い声が耳元を掠めた。


「たとえ、一人残らず隊を後にしても、私は地獄の底までお付き合いすると土方さんにお伝えしたのです。ああ見えて、あの方々は時々、道を見誤ることがありますからね」

「それって、土方さんと近藤さんのことですか?」

「ええ。ですから、やはり私が傍にいないと…」


ほんの少し体を離して、微笑んでいるであろう沖田さんを見上げると、すぐにおどけたような瞳と目が合い。土方さん達の、呆れ顔を思い出して思わず声を出して笑った。



今度こそ永遠の別れを迎えてしまうのではないかと、覚悟した夜もあった。翔太郎の泣き声も手伝って、何度、涙を流したことか…


それでも、今を精一杯生き続けて来て良かった。そして、諦めなくて良かったと、思える日が必ず来る。私達はその日を信じ、目標を達成させる為に努力しようと、改めて誓い合ったのだった。


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*翔太SIDE*


慶応三年二月八日。

朝四つ半(午前10時頃)


「…ふぅ。とりあえずこれで終わりだな」


今日、運搬する予定の荷物を積み重ね、防寒用に首に巻いていた手拭で額に薄らとかいた汗を拭う。それぞれが自分の役割を熟す中。俺は、ふと壁に掲げられたままの旗を見つめた。


(これまで、いろんなことがあったな…)



年明け早々、海援隊の旗揚げをし、それ以降も有言実行を目指して来た。その結果、幕府への謀反者として、長崎奉行所に追われる身となった俺達は、その本拠地を小曽根乾堂(こぞね けんどう)さんの邸宅に移していた。


小曽根さんは長崎で有名な商人の一人で、俺達の心強い味方と言っても過言では無い。何らかの迷惑が掛かるからと、最初は首を横に振っていた龍馬さんだったけれど、小曽根さんの、覚悟の眼差しを受けて、龍馬さんは泣き笑いのような表情を浮かべながら頷いたのだった。


そして、慶応三年一月十二日。


無事、後藤象二郎との会談が行われ、初めて土佐が一つになり。海援隊となった今、新たな決まり事を守りながら諸外国に負けないくらいの交易手段を身に付けつつある。龍馬さんの言っていた、“上士も下士も無い世”がついに実現した記念すべき日となった。


これまで、数多の困難と哀しみに見舞われながらも、何とかそれらを乗り越えることが出来たのは、みんなで支え合ってきたから。


「みんな…か」


ふと、春香の顔が浮かび、忘れかけていたもう一つの存在を思い出す。


(最後に話したのはいつだったっけ。今も元気に暮らしているかな…)


そんなふうに思っていた。その時、背後で弥太郎さんの、少し慌てたような声を聞いた。


「ほいじゃあ、行って来るき。あとは任せたぜよ」

「おー、弥太郎。頼んだちや」


部屋を後にする弥太郎さんを見送った龍馬さんは、その場に佇んだままの俺に歩み寄り、いつもの笑顔で言った。


「どういた、翔太」

「え?」

「なんぞ、あったかえ?」

「いえ、何もないですけど…」


そう答えながら、逸らしつつあった視線を龍馬さんに向けた途端、あの柔和な瞳と目が合う。


「そうかえ、ならえいが」


そうじゃ!と、言いながら一つ手を叩いた後。龍馬さんは俺にここで待つように言うと、少し離れた戸棚から何かを取り出し、それを持って嬉しそうに微笑みながら戻ってきた。


「ちっくと前に、沢村が貰うて来てくれたがじゃ。ほれ、おまんも食え」

「これは…」


白く皺くちゃな和紙に包まれた中にあったのは、長崎名物カステラだった。


「かすてーら、ゆうそうじゃ。失敗した余りもんらしいけんど、美味けりゃ形なんぞどーでもえいき」

「俺より、皆さんに…」

「皆はもう食ったがじゃ。こりゃあおまんの為に残しちょったがぜよ」

「それなら、遠慮なく戴きます」


なおも俺の前に差し出して来るカステラの欠片を一つ抓んで丸ごと口に頬張る。現代で食べていたカステラより甘さは控えめながら、そのしっとりとした美味しさに、ほんの少しだけど気持ちが安らぐような気がした。


「…美味い」

「そうじゃろ?ゆっくり味わって食いや」


次いで、残りのカステラを手渡され、また忙しそうに周りに声を掛けながら奥の部屋へと去ってゆく龍馬さんを見送る。


(また、思い詰めたような顔をしてたのかな。俺…)


きっと、龍馬さんからはそう見えたに違いない。長次郎さんや内蔵田さんが亡くなってから、“決して自ら命を絶つな”と、何かある度に口にしていた龍馬さんの、これ以上同志を見送るようなことはしたくないという、想いが窺える。



『わしはのう、翔太。みんなーが幸せに暮らせる世が必ず来る。そう、思うちゅう』



そんなとてつもない夢を、馬鹿にする人もいた。決められた規律の中で育った者がそう簡単にこれまでの考えを変えられる訳がない、と。


けれど、あの坂本龍馬は、歴史通りにそのとてつもない夢を次々と叶えて来た。そんな龍馬さんに惹かれ、心動かされた人も多く、良くも悪くも龍馬さんは有名人になっていった。


そこで、とうとう改名に踏み切った龍馬さんが考えた偽名は、才谷梅太郎だった。それを聞いた時の、皆のきょとんとした顔に思わず笑ってしまったけれど、その反面、改名しなければならないほどの状況にあるのだという不安は消せないまま。


それでも、俺は前だけを見て必死に戦ってきた。


(そうだ。これからも俺は、龍馬さん達と一緒に戦い続ける。それが、春香を守る唯一の手段でもあるんだよな。)


俺は、再び旗を見つめ、心の中でのみ呟いた。そして、また俺を呼ぶ同志らの声に大きく応える。改めて、求められている喜びを感じながら。





【第33話へ続く】





~あとがき~


今回も、ちーとばかし展開があっちこっちへ飛びまくりだったので、私の説明では読みにくかったかもしれませんが…描いておきたいシーンを、これからもこんなふうに書いて行こうと思ってます。


そして、いよいよ慶応三年に突入です。


慶応四年の夏まで…

あと、一年と六カ月。


(TωT)



もう、既に何度も言っていますが。

艶がというより、やっぱこう、違う舞台のような…


龍馬さんに関しては、どうしても福山さんが浮かんでしまって(笑)頭の中では、アニメ化というより、相変わらずドラマ化され…


勝手ながら、龍馬=福山雅治さん。慶喜=小林豊くん。秋斉=向井理くん。翔太=高杉真宙(まひろ)くん。沖田=辻本祐樹くん。土方=久保田悠来(ゆうき)くんで再生してしまう時もありますあせる


ちなみに、高杉くんと小林くんと久保田くんは、「仮面ライダー鎧武」に出演中で、ガイムは好きで観てるんですけどw


最近、翔太くんと、慶喜さんと、土方さんを動かす時、新たに彼らが浮かんでしまうんですよねあせる


話は逸れてしまいましたがw

今回も、お粗末様でした汗



ちなみに…


Koharu's Bur

↑高杉くん、小林くん、久保田くんの記事はこちらのブログへアップしてみました(-∀-)イヒッ