【前回のあらすじ】
新居での生活を始めた二人。そんな中、沖田は山南から介錯を依頼される。近藤、土方もまた、山南の想いに心を揺らしていた。
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【十六夜の月】第20話
「本当に良いのでしょうか…」
「副長が、特例だと仰られていました」
「土方さんが?」
「はい」
市村辰之助さんが私を迎えに来たのは、夕闇迫る頃だった。沖田さんの容態が急変したことを告げられると同時に、土方さんからの伝言を受け取り。
すぐに必要な分の荷物を用意して、市村さんに連れられるまま新居を後にしていた。
「先程もお伝えしましたが、決してお気になさらず。もう一つの家だと思って頂いて結構です」
「…はい」
「その代り、『こき使ってやる』と、仰っていましたから」
「ふふ…」
薄らと微笑む市村さんの横顔を見やりながら、土方さんの顔を思い出して思わず声を出して笑ってしまう。
屯所内に寝泊まりすることは叶わなくても、何かあったらすぐに飛んで行けるように、屯所から数軒離れた御屋敷にお世話になることになったのだった。
「感謝してもしきれません…」
素直な気持ちを告げると、彼は微笑んだまま「急ぎましょう」と、言って速足で歩き出し。私も、それに置いて行かれないように速足で追い掛ける。
今は落ち着いているという沖田さんの容態が気になるし、早く土方さん達にお礼を言いたい。そして、可能ならば…
山南さんに会いたいと思っていた。
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それから、どれくらいの時間が経っただろうか。屯所に辿り着いた頃には、もう漆黒の闇が辺りを包み込んでいた。
私達はまず、これからお世話になるお屋敷へ足を運び、挨拶を済ませてから屯所へと向かった。
「お連れしました」
「…おう」
襖の前で中へ声を掛ける市村さんを見やり、中から聞こえる相変わらずのぶっきらぼうな声に苦笑する。
ゆっくりと開いた襖の先、土方さんは文机に向いながら何やら書状らしきものを書き認めており。私は、市村さんから促されるままに部屋にお邪魔し、土方さんの横に腰を下ろした。
「では、俺はこれで」
「ご苦労だった」
私にも一礼し、その場を去って行く市村さんを見送った後、土方さんを見やりながら次の言葉を待つ。
やがて、筆を置いてこちらに向き直った土方さんは、少しやつれているように見えた。
「よく来たな」
「有難う御座います、土方さん」
「礼を言わねばならんのは、俺のほうだ」
「え…?」
こちらを見つめる真っ直ぐな視線がとても哀しげで、私はその視線から目が逸らせなくなった。
「山南の件だが、総司から聞いているか?」
「…はい」
土方さんの言葉に小さく頷いた。
沖田さんが山南さんを連れ戻しに行った次の日の晩。全てでは無いかもしれないけれど、山南さん脱走の件について説明を受けていたことを話すと、土方さんは更に瞳を細めた。
「春香…」
「は、はい」
「総司を頼んだ」
(…っ……)
こんなに優しい表情もするのかと吃驚してしまうほど、哀しげだった眼が少しずつ柔和なものへと変わって行く。
「…はいっ」
そう言って、再び静かに口を開く土方さんの言葉に戸惑いながらも、私は目を逸らさず耳を傾けていた。
それからしばらくの間、今後の事を話し合った後、すぐに沖田さんの部屋へと向かった。
「沖田さん、」
襖越しに中へ声を掛けるが、返答が無い。そっと襖を開けて中を見やるも、布団が綺麗に敷かれているだけで沖田さんの姿は無く。
「…どこにいるんだろう」
不安になってその部屋を後にしようとしたその時、縁側の方から咳き込む声を耳にした。
(沖田さん…)
障子を開けた先に、独り佇んでいる広い背中に声を掛ける。
「駄目じゃないですか、こんなところにいては。初春とはいえまだ朝晩は冷えるんですから…」
「春香さん…」
少し驚愕したような視線と目が合い、私は微笑みながらこれからのことを簡潔に説明した。やっぱり、沖田さんだけ知らなかったんだと思い、自然と笑みが零れてしまう。
「…そうでしたか」
「沖田さんの体調が優れない場合のみですけどね。でも、どうしてこんなところに?」
「月が綺麗だったので…」
(…月が……)
黒い雲に覆われて見えなくなってしまったのだろうか…
月の姿はどこにも無かった。
「風邪でも引いたら大事です。さ、部屋に戻って下さい」
「分かりました」
微笑み合い、二人して部屋の中へ入ると、布団の中へと潜り込む沖田さんに掛布団を掛けながら傍に腰を下ろす。
「さっき、土方さんから言われちゃいました」
「何と?」
「総司を頼む…と」
その言葉を掛けて貰った時、泣きそうなほど嬉しかったことや、改めて土方さんの優しさに触れることが出来たことを話すと、沖田さんは天井を見やりながら苦笑した。
「これでいよいよ、頭が上がらなくなるな…」
「ふふ、そうですね」
微笑み合い、ふとこちらへと伸びるしなやかな指先を手の平で包み込む。
(冷たい…)
その手を擦って温めていると、沖田さんは自分の手を見つめながらぽつりと言った。
「このまま、夜が明けなければいいのに…」
(…っ……)
普段、決して泣き言を口にしない人が、こうして私の前で全てを曝け出してくれている。夫婦だから当たり前なのかもしれないけれど、それが嬉しいと思う反面。
別れの時が、刻一刻と迫っていることに気付かされるのだった。
山南さんは今、何を思っているのだろうか。
私は、沖田さんが深い眠りに誘われるまでその手を握りしめていた。
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翌朝。
早々にお屋敷を後にした私は、屯所へと足を運んでいた。
朝餉の準備を手伝い、沖田さんの部屋へ配膳すると、昨晩のようにそこには畳まれた布団が一式残されたまま。
(まさか…)
配膳をそのままに、途方に暮れながらも屋敷の中を探し回っていると、前方の部屋から現れた土方さんと鉢合わせた。
「あ、土方さん!あの、沖田さんがどこにいるか御存じですか?」
「既に大広間へ向かったと聞いているが」
「…もう、ですか」
「ああ…」
低く呟く土方さんを見やりながら、一瞬だけれど、これからどうしたらいいのかを考える。
(きっと、断られるに決まっている。でも、やっぱり…)
もう一つの想いを胸に閉じ込めておくことが出来ず、最後に山南さんとお別れがしたいということを告げると、土方さんはしばらく沈黙した後、少しの間ならばと承諾してくれたのだった。
「何故、そんなにまでして会いたいと思うのだ」
「私にとっても…兄のような人だったからです…」
「…………」
土方さんは、訝しげに眉を顰めながらも自分に着いて来るように私に言うと、足早に歩き出した。
私は、その背中を追いかけながら辿り着いた蔵の前で、一瞬、足を止める。
「…あそこに、山南さんが」
「行って来い」
「はい…」
逸る気持ちを抑えながらゆっくりと歩みを進めると、格子の向こう。こちらに背を向けたまま、文机に向かって何かを認める山南さんの姿を見つける。
(…っ…)
躊躇いながらも、切腹裃(せっぷくかみしも)を身に纏ったその後ろ姿に声を掛けた。
「山南…さん」
声を掛けて間もなく、山南さんはゆっくりと振り向き穏やかに微笑む。
「春香さん、なにゆえこのような場所に…」
「お別れがしたくて……土方さんに頼んで、ここまで連れてきて貰いました」
「今回の件では、要らぬ心配を掛けてしまいましたね」
「いえ、」
柔和な声を耳にして、自然と涙が込み上げ…
堪えることが出来ないまま、ぼやける目でその笑顔を焼き付けようと格子に手を掛け、ぎりぎりまで近寄った。
「どうして、脱走なんて…」
「どうしてでしょうね」
その場に頽れるように腰を下ろすと、大きな温かい手が私の手を包み込んだ。
「春香さん」
「…はい」
「総司を頼みましたよ」
「…っ……」
一瞬、強く握りしめられて、とうとう堪えきれず嗚咽が漏れ始める。
こんな理不尽な死があるだろうか。
どうして、山南さんみたいな優しい人が死ななければならないのだろう。
「総司ではないが、貴女に泣き顔は似合わない」
「やま…なみ…さ…」
精一杯の笑顔を向ける私に、
「そうそう、その笑顔です」
山南さんも、満面の笑顔を返してくれたのだった。
やがて、やって来た隊士の方に連れられるようにその場を後にしようとする山南さんに、私は最後の声を掛けた。
「山南さん!私……私、貴方のこと…一生、忘れません……」
一生懸命、声を振り絞りながらそう言うと、最後に山南さんはいつものように微笑んでくれたのだった。
「…うっ…うぅ…」
誰もいなくなった部屋を見つめながら、嗚咽を堪えきれずに声を出して泣いた。すぐ傍に土方さんがやって来ていたことさえ気付かないくらいに。
屯所へ訪れては私を快く迎え入れてくれて、お座敷へ足を運んで貰ってはいろいろな話を聞かせてくれた。
中でも、やはり…日野の地にて。
土方さん達と、夢や理想を語り合っていた頃の事を懐かしみながら話す彼の笑顔が…。
(山南さん…っ…)
「春香、」
「…っ……」
「戻るぞ」
背後から掛けられる冷たい声に、肩を震わせた。
(…それだけ?)
刹那、
足音が遠ざかっていく。
「…待って下さい」
「…………」
「もう山南さんに会えなくなるのに……どうして、そんなに冷静なんですか」
振り向き、立ち止まっている土方さんの背中を見やる。
「山南さんは…山南さんは、ずっと…」
「それ以上言うな」
(……!)
低く抑えたような声にハッとして思わず目を見開くと、土方さんはその場に佇んだまま大きく息をついた。
「…あいつの死を無駄にはしない」
「土方さん…」
「それだけは約束する」
それだけ言い放ち、その場を後にする土方さんの背中を見やりながら、何故か沖田さんの言葉を思い出し胸が締め付けられた。
『どうやら土方さんは、本物の鬼になろうとしているようです』
(そうか……そうだよね…)
山南さんの想いは、土方さんに届いている。
これが新選組隊士の運命ならば、私も沖田総司の妻として同じ想いを受け入れなければ…。
元治二年、三月二十日。
山南敬助、享年三十三。
山南さんは、最期の最期まで武士として生き続け。
誠の志を胸に抱いたまま、自らその短い人生に幕を閉じたのだった。
~あとがき~
ものすごく書いてて辛くなりました
どういうふうに描こうか、いろいろと迷いに迷った結果…こういう感じに。
これで良かったかどうかは…分かりませんが…
この後…。
残された隊士らの心情を描くのも辛いところです。
特に、沖田さん。
上手く描ければいいなぁ
↓そして、もうじき旧前川邸では、山南忌が行われるようです。
山南さんの死や、切腹。
何が切っ掛けで、近藤さんらと対立するようになったのか…。
全ては、あやふやなまま
切腹していない説とか、脱走も誰かの創作なのではないか…とか。
本当に、明里という恋人がいたのか?とか。
山南さんの脱走を、近藤さんは喜んでいた?とか。
山南は、「やまなみ」なのか、「さんなん」なのか…とか(苦笑)ドラマなどでは、「やまなみ」と、呼んでいたけれど、三男とも名乗っていたらしいから、「さんなん」の可能性もある…など
謎だらけだからこそ、いろんな山南さんが描けるのでしょうけれどね
今回も、遊びに来て下さってありがとうでした