【前回のあらすじ】
春香の部屋を後にした沖田は、お凛に呼び止められ父親としての役目を果たす。お凛、土方、近藤から春香と共に生きることを説得された沖田は、その旨を春香に告げた。そんな父親としての役割に重きを置こうとする沖田に、春香はこれまで通り新撰組として生きて欲しいという素直な想いを告げたのだった。
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【十六夜の月】 第28話
再び沖田さんが私の部屋を訪れたのは、十日後の夕刻だった。
相変わらず、下半身の痛みに耐えながら寝不足にも耐える日々を過ごしていたが、また会いに来てくれた沖田さんの笑顔に癒されながら、幸せな時を過ごしていた。
数日ぶりの対面ということもあり、ここ最近の翔太郎の様子を話して聞かせると、沖田さんは私の話に頷きながらも、翔太郎の薄い前髪を優しく梳いたりして終始、笑顔で接している。
「もう、こちらが見えているのかな?」
「薄らとなら、見えていると思います」
と、その時。くしゃみをした翔太郎に一瞬、きょとんとした表情を見せる沖田さんが可愛くて、思わず声を出して笑ってしまう。
「初めて聞きました…」
「ふふ、可愛いでしょう?」
「はい。それにしても羨ましいなぁ」
「何がですか?」
私の問いかけに、沖田さんは少し悪戯っぽく微笑みながら言った。こんな可愛い翔太郎と、いつも接することが出来る私が羨ましいのだと。
「そして、何より貴女からの愛情を独り占め出来る翔太郎が羨ましい」
「翔太郎に焼きもち妬いているんですか?」
「はい」
即答されて思わず呆気に取られるも、なんだか嬉しくて沖田さんの腕にそっと触れた。
(また、細くなったような…)
お医者様の言う通りに薬を飲み続け、なるべく療養していたおかげで回復傾向にあると言っていた沖田さんだけれど、無理をして一日中寝たきりになってしまうこともあるのではないか。
そんなふうに思いながらも、ずっと顔を見ていない近藤さんや土方さん達のことを尋ねた瞬間、沖田さんの動きが止まった。
「…どうかしたんですか?」
「いや、何も…」
それでも、どうして近藤さん達が広島へ出立していたのかが気になっていた私は、その理由を尋ねてみた。すると、沖田さんは少し考えた末、簡潔にでも丁寧に話してくれたのだった。
「ただ、“無念だ”と、仰られていた」
「そうですか…」
布団の上で仰向けのまま微かに手足を動かしている翔太郎を見つめながら、切なげに呟く沖田さんを見やった。
土方さんと共に近藤さんの部屋へと向かった沖田さんは、そこで広島での一件の全てを聞いたのだという。
池田屋事件後、禁門の変などでも活躍した新撰組は、その強さと信頼を確立させていった。
薩摩藩、会津藩、新撰組などの活躍により旧来の力を盛り返したように見えた幕府だったが、これまで佐幕派として最も貢献してきた薩摩藩に対し、幕府を乗っ取るつもりではないかと言う謀反(むほん)の疑いをかけてしまう。その結果、事実無根な薩摩藩は幕府に見切りをつけ、倒幕へと移行していくことになるのだった。
そんな中、外国人から諸技術などを学び、幕府では無い天皇を中心とした強い日本国を形成した上で、攘夷を行おうとしている薩摩藩と長州藩を阻止する為に、新撰組も新たな隊士などを募集したり、広島へ向かったりして常に忙しない日々を過ごしていたらしい。
幕府が第二次長州征伐に向け、長州訊問使として大目付を派遣すると、いずれ長州藩と決着をつけなければならないと考えていた近藤さんは、長州の実態を探るべくその訊問に同行することを願い出、変名してまで挑んだ訊問だったが、入国すら認められず無念の帰京となったのだそうだ。
まさに、命懸けの同行だったに違いない。
「その時、私は改めて思いました。局長の下で生きて行かねばと…」
悲痛な表情をしていたからだろうか、沖田さんは、そう言い終ると私を見つめ困ったように微笑う。ただ私は、そんな沖田さんに「そうですね」としか返すことが出来ないでいた。
(やっぱり、ずっと傍にいて欲しい。限られた時間を一緒に過ごしたい…)
全てにおいて覚悟を決めていたはずだったし、これからやるべきことも理解していたはずだった。けれど、厳しい現実が重く圧し掛かる度に、怖くてどうしたら良いのか分からなくなる。
沖田さんがいて、翔太郎がいて、私がいる。
もうどこを探しても、こんな幸せは見つけることは出来ないだろうから。
「春香…」
「あ、すみません…」
心配そうな瞳で私を見つめる沖田さんにぎこちない微笑みを返すと、小さな声で何かを言いたげな翔太郎を見やった。
(それでも、私は前へ進まなければならない。それしかないんだよね…)
「ねぇ、総司さん…」
「はい」
「……やっぱり何でもないです」
「言い淀まれると、気になるな」
藤堂さんと斉藤さんとの一件や、これから新撰組が何を考え、どのように行動していくことになるのかなど、本当は言いたいことや尋ねたいことが沢山あった。
「我らのことなら心配無用です」
「え…」
「貴女はただ、翔太郎のことだけを考えていて下されば…それでいい」
「……はい」
どこか躊躇いながら返答すると、沖田さんは真剣な眼差しで私を見つめ言った。辛い思いをさせてすみませんでした、と。
「辛い思いって…」
「今更ではありますが、身重な貴女に任せるべきではなかったと反省しています」
俯く私に、沖田さんはいつものように柔らかい声で語り掛けてくれる。
ただその言葉通り、私を屯所に置いたことを悔やんでいるだけなのか、例の一件のことを言っているのか。疑問は尽きないままだったが、やっぱりそれ以上尋ねることが出来ずにいた。
刹那。ひときわ柔和な声と温もりに包まれ、沖田さんの腕の中で心が徐々に癒しを取り戻し始める。
「あったかいなぁ…」
柔和な声も心地良く、肩に添えられたままの手の平から伝わる熱も、そっと絡め取られた指先から伝わる想いも、その何もかもが愛おしい。
「春香」
「…はい」
短くも長い沈黙。次にどんな言葉を投げかけられるのか、どきどきしながら待っていた次の瞬間、強く抱きしめられると同時に楽しげな声が私の耳元を擽った。
「呼んでみたかっただけです」
「はっ…?」
少し呆気に取られながら視線を上げると悪戯っぽい視線とかち合い、「変な顔になっていますよ」と、からかうように言う沖田さんにふくれっ面を返す。
「なッ…もう、いいですっ」
「怒った顔、久しぶりに見たな」
「え…」
「どの表情も大好きなのですが、」
やはりこの温もりに勝るものは無い。と、言って沖田さんは再び私を包み込むようにして優しく抱きしめてくれた。
「ただ漠然とした不安に囚われ続けるよりも、これからどのように生きてゆきたいか」
「…………」
「貴女はそれだけを考えていて下さい。大丈夫ですよ、傍にいますから…」
(…!!)
抱きしめられてその表情は窺い知れないけれど、そんな沖田さんの言葉に嬉しさと切なさが綯交ぜになって、堪えていた感情が少しずつ解放され始める。
「総司さん…」
「はい」
「もう少しだけ、こうしていて下さい…」
「……はい」
沖田さんは、今こうして生きて私を抱きしめてくれている。それだけで幸せじゃないかと、必死に言い聞かせている自分がいた。
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数日後。
いつものように朝を迎え、相変わらず忙しない時を過ごしていた私の元を訪れてくれたのは、秋斉さんだった。
「これは、慶喜はんから。そして、これらは花里達から預かって来た」
翔太郎とも対面して貰った後、秋斉さんは持参した風呂敷包を解き沢山の品々を見せてくれた。何枚あっても足りないと思われていた布や、晒、中には風車などの工芸品もあり、思わず感嘆の息を零した。
「うわぁ、こんなに…ありがとうございます!すっごく嬉しいです」
「ほんまは、みな同伴させたかったがそうもいかへんかったさかい…」
「年が明けたら、翔太郎を連れて置屋へ遊びに行かせて下さい!」
それぞれが用意して下さった品々を見やりながら、みんなの顔を思い出していたその時、秋斉さんはその中から赤い布らしきものを手に持ちこちらへ差し出した。
「それと、これはわてから。こん子がすくすく育つよう、お願いして来ました」
「これは?」
「夜泣き封じの前掛けどす」
三十三間堂さんには、子供の夜泣きを封じてくれるというお地蔵様がいるらしく、そのお地蔵さまの前掛けを赤ちゃんの枕に被せて寝かせると、夜泣きが治まるという言い伝えがあるのだそうだ。
「御利益があるとの噂もちらほら。せやから、試しに借りてみた」
「ありがとうございます!」
受け取って、枕元にそっと置くと秋斉さんはこれまでものことを楽しそうに話し始める。
「花里は毎日のように神社へ足を運び、春香はんとお腹の子の無事を祈っとった。菖蒲も、番頭はんらも皆おんなじや。慶喜はんも、あーしたほうがええ、こーしたほうがええと煩いくらいあんさんを心配しはってな」
「とても有難いです…」
「今日も、仕事を休んででもあんさんに会いに行くゆうて聞かへんかった」
「ふふ、慶喜さんにもよろしくお伝え下さい」
微笑み合い、隣で親指をくわえ始めている翔太郎を見やり、そろそろ母乳を飲ませてあげたいという旨を伝えると、秋斉さんは少し態勢を明後日の方向へ向け視線を逸らした。
次いで、襟を胸元ぎりぎりまで落とした後、翔太郎を抱き上げいつものように布で胸元を覆う。
「もう、大丈夫です」
「……ああ」
ゆっくりとこちらへ向き直る秋斉さんに微笑んで、今度はこちらの苦労話やら嬉しかった出来事やらを聞いて貰うことになった。
初めての陣痛、出産、その後の育児のこと。
秋斉さんは、それらの全てを真剣な顔で、時には笑顔で聞いてくれて、お凛さんたちや沖田さん以外の人に話すのはとても新鮮だった。
ふと、会話が途切れて間もなく。
秋斉さんは少しかしこまったように口を開いた。
「母親らしい顔になって来たな」
「そうですか?」
目蓋を閉じて母乳を飲んでいる翔太郎を見つめながら答えると、秋斉さんは「幸せか?」と、呟いた。一瞬、躊躇いを見せるも、今が一番幸せだと伝えた。
「沖田さんがいて、翔太郎がいて、みんなが私達を支えてくれている。こんなに幸せでいいのかなって思うくらい幸せです」
「そうか」
細められる柔和な瞳。
その視線は、真っ直ぐ翔太郎を見つめている。
「何か、悩み事なんぞあったら遠慮なく頼ってくれて構へんえ」
「…はい」
「もう既に、悩んどるようやけど」
誰よりも長い間接してきた秋斉さんには、私の考えていることが全部伝わってしまうのだろうか。と言うより、ただ単に嘘がつけないだけなのかもしれない。
どちらにせよ、話せる限りの悩みを聞いて貰うことにした私は、少しずつだけれど抱いていた不安を吐きだし始めた。
自分で選び、覚悟を決めて邁進してきたことに後悔は無いものの、将来のことや新撰組の行く末を思う度に不安でいっぱいになるのだということを素直に話すと秋斉さんは、視線を翔太郎に向けたままこう言った。
翔太郎の為にも強くなれ、と。
「秋斉さん…」
「母として、子に出来る限りの愛情を注ぎながら沖田はんを支えて行かはったらええ」
(みんなと同じ言葉…)
「沖田はんと、春香はん。なにも二人だけで育てろゆうとる訳やない。皆で育てる思うて、気張り過ぎたらあきまへんえ」
その一言で、ほんの少し救われた気がした。それと同時に、お凛さんたちからも同じことを言われていたことを思い出す。
「やっぱり、秋斉さんは頼りになりますね」
「気丈な子や思うたり、か弱すぎる思うたり。慶喜はんやないが、放っておけへんのや」
だから、これからは自分のことを兄だと思ってくれて構わないと、言ってくれる秋斉さんの存在が嬉しくて、私は素直な想いを口にしていた。
「ありがとうございます。秋斉さ…じゃなくて、秋斉兄さん」
藍屋にいた頃は楼主と新造という立場だったが、これからは違う。そう思うと少し恥ずかしく感じたけれど、そんな私の一言に、秋斉さんも少し照れたように微笑んでくれたのだった。
その後も、会いに来てくれた沖田さんに秋斉さんが訪ねてきてくれたことや、慶喜さんや置屋のみんなから頂いた物を見て貰ったりして、同じ喜びを分け合った。
翔太郎と二人きりでいる時も、戴いた品々を目にする度に置屋のみんなやお世話になった人達の顔が浮かんで来ては、また会って話せたらどんなに素敵だろうなどと思い描いていた。
そんな想いを強く抱いていたからか、不意に襖の向こうから聞き慣れた声を耳にした途端、嬉しさでいっぱいになり、すぐに明るく返答し部屋へと招き入れた。
~あとがき~
楽しい時というのは、過ぎ去るのが本当に早いもので。
人は、人と感動を分け合い、苦楽を共にしながら生きてゆき。
完璧な人なんていなくて、誰しも失敗を繰り返しながら成長していくものだ。
進むべき道は自分で選び、一歩ずつ進むしかなくて。
戻ることは出来ないけれど、必ずまた新しい道は開けてくるものだ。
それでも、怖くて足がすくんで進めなくなってしまった時。
誰かがきっと、その背中を押してくれる。
その繰り返しなのだろう。
なんて、十六夜の月を書いていると、このようなことを思います。
自分が、もしも春香だったら。
艶が本編でも、主人公になりきって読んでいますが、どうしていただろう??
ちゃんと、沖田さんに寄り添って最期まで看取る覚悟を持つことが出来るだろうか?とか、書きながらドキドキしちゃってます(汗)
昔読んだ小説の主人公が、
「生きているだけで幸せなんだね」
と、青空を見上げながら言う場面があったんですけど…
どんな状況であっても悲観せず、前だけを見て生きていこう。
その為に生まれて来たんだ。
そんな作者からのメッセージを受けた時のことを思い出しました。
ぬぅあんて、今回はお話もお話なだけにしんみりしちゃいましたが…
いよいよ、伊東甲子太郎たちとの一件や、薩長同盟成立、第15代将軍の誕生が待っており…新撰組内で燻っていた内乱が起こり始める。
鳥羽伏見の戦いや、寺田屋事件。
近江屋事件での龍馬さん暗殺容疑。
そして、甲陽鎮部隊での最後の活躍など。
ほとんど沖田さんは関わることが出来ないまま…
もう、これだけの事件を考えると暗くなりがちですけど、翔太郎と春香との時間をどれだけ明るく楽しく書けるか…
後半も私なりに頑張りますッ!
ちと、長くなりましたが…
ラスト、現れたのはいったい誰なのか?w
今回も、沖田さんたちを見守りに来てくれてありがとうございました