【前回のあらすじ】
西本願寺の北集会所を新しい屯所に構えた後。そこを拠点として、新たに隊士を募る為に土方、伊東、斉藤の三名は江戸へと出立する。その間、沖田と春香は新居へと戻り、久しぶりに二人だけの時間を過ごす中。やがて、三十数名の隊士を引き連れて京へと戻って来た土方達を迎え入れた。その間、春香に新しい命が宿っていた。
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【十六夜の月】第23話
「それで、彦五郎さん達はお元気でしたか?」
「ああ、お前にも会いたがっていた」
あれから、私は沖田さんに連れられて土方さんの元を訪れていた。文机の前で筆を走らせながら答える土方さんに、沖田さんは満面の笑顔でなおも話しかける。
「私も会いたかった…」
「あの、彦五郎さんとは?」
「俺の義兄だ」
私からの問いかけに答えると土方さんは筆を休め、こちらへゆっくりと向き直った。
「それと、私達にとっても強い味方…と、言えます」
「強い味方?」
「はい。私達が京へ出立しようとした時も、壬生浪士組として幕府の下についてからも、現在もずっと、物資などを送って下さっているので。私が、姉の嫁ぎ先である日野に預けられていなければ、彦五郎さんと出会うことは無かったかもしれません」
沖田さんの話だと、佐藤彦五郎さんとは、まだ沖田さん達が江戸にいた頃からお世話になっていた方らしく、甲州街道を渡る幕閣などが立ち寄る宿の主でもあるらしい。
元々、日野宿本陣の裏に建てられた道場へ足を運んでいた土方さんは、家族のように可愛がられていたのだが、姉であるノブさんが彦五郎さんに嫁いだことにより、その関係は増々深まって行ったのだそうだ。
宿へ立ち寄る客の中には、京で起こっている事柄をこっそりノブさんに報告していく人がいたそうで、ノブさんからその話を聞いた土方さん達は、本気で上洛を目指すようになったという。
「土方さんがまだ十八、私が九つの頃でした」
その後、黒船襲来により、京の情勢は大きく変化してゆく。
元々、攘夷論を好んでいた近藤さん達が、それでも攘夷論者のやり方に反発し、最終的に会津藩主の下につくことになってからの新選組は、ただの剣客集団では無くなっていったのだった。
「私は、山南さんと共に武器防具を調達する為、昼夜問わず駆けずり回っていました。そして、百名以上の同志らと共に壬生浪士として上洛し、会津藩の下、浪士組として一番隊を任され今に至ります」
「そうだったんですね…」
「きっと、山南さんの死を悼んでおられたことでしょう…」
(…っ…)
すぐ隣で瞳に悲しげな色を浮かべている沖田さんと、腕を組み黙り込んだまま、一点を見つめている土方さんを交互に見やりながらも、私は山南さんの笑顔を思い出していた。
切腹後、山南さんの亡骸は山崎さんと、神崎さんの手によって光縁寺へと埋葬された。
山南さんの死を悼み、何度か訪れた光縁寺。
その都度、たまに藤堂さんや永倉さんと顔を合わせることもあり…
藤堂さんの、少し憔悴したような覇気の無い眼が気になっていた。
今、沖田さんが話してくれた通り、元々は攘夷論者として集結した壬生浪士組が、いつの間にか佐幕派として動くようになっていったことに対して、その攘夷論を大切に考えていた山南さんや藤堂さん達が、佐幕派に寝返ったような近藤さん達に、疑問を抱くようになるのは当たり前のことだったのかもしれない。
特に、藤堂さんは山南さんを尊敬していたと聞いている。
哀しみも、悔しさも人一倍だったに違いない。
「春香、」
「え?」
「具合でも悪いのですか?」
沖田さんの呼びかけにふと、視線を上げると隣からは沖田さんが、目前からは土方さんが私を見つめていた。
「あ、いえ…何でもありません」
「ところで、お前ら」
苦笑しながら答えると、土方さんが厳かな表情で私と沖田さんを交互に見やる。
「本当に祝言を挙げねぇ気なのか」
「はい。その分、新選組隊士として生きる総司さんの為に、そして…この子の為に…大切に取っておきたいと思っています」
腹部に触れながらそう言うと、土方さんは目を細め口元を緩ませた。
「そうか。にしても、いつからだ」
「え?」
「いつから互いの呼び名を変えた」
「…あっ…」
(そこを指摘されるなんて思わなかった…)
私と沖田さんは顔を見合わせ、「それは!」と、同時に口にして、どちらからともなく言い訳をすると、土方さんは鼻で笑い始め。
次いで、「ったく、ガキが」の一言で、私達はまた口を閉じて俯いた。
こんなふうに穏やかに微笑う土方さんは、いつ以来だろう。沖田さん曰く、鬼の副長として常に隊の嫌われ役を担っている土方さんの眉間には、いつも皺が深く刻まれていて…
そんな土方さんばかりを目にしていたからか、
「土方さん…」
「なんだ」
「本当は、笑うと可愛いんですね」
何故か、そんなことを笑顔で口走っていた。
「………」
「ぷっ」
土方さんの呆気に取られたような息と、沖田さんの笑いを堪えた息が同時に聞こえ、私も目を見開きながらすぐに口元を抑え込む。
「ああぁ、ごめんなさい!こんなこと言うつもりじゃなかったんですけど…」
弁明する私の隣で沖田さんがお腹を抱えながら笑いを堪える中、どんよりとした空気が土方さんの周りを包み込んでいるようで…
「その…何て言うかつい…素直な言葉が出てしまって…」
「春香ぁ」
「は、はい!」
(ど、どうしよう…)
「やっぱりお前は…」
「言い過ぎました、すみません!」
怒られる…と、思って俯いた。
次の瞬間、
「総司にやっちまうのは、勿体ねぇくれぇいい女だな」
「え…」
楽しげな声に視線を戻すと、柔らかな瞳と目が合い。
その眼差しは、とても優しくて穏やかに見えた。
「それは、どういう意味ですか」
「そういう意味だが」
ふくれっ面の沖田さんと、あっけらかんとしている土方さんを交互に見やり、私は苦笑しながらもこの和やかな雰囲気を楽しんだ。
「…言っておきますが、春香さんだけは譲れませんから」
「ばぁか、当たり前だ。何を言ってやがる…」
ここ最近は、息つく暇も無いくらいそれぞれが忙しなく動き回っていたから余計に。
この二人が、こんなふうに言い合いをしていることが嬉しかった。
それから、出産に向けてお世話になっているお屋敷の方からも、手を貸して貰えるようになったことを伝えると、土方さんは沖田さんを見つめながら厳かに口を開いた。
「総司」
「はい」
「これからは、春香と共に生きろ」
「………」
土方さんを見つめていた沖田さんの瞳が大きく揺れる。
「それは、隊を去れ…ということですか?」
「そうは言わん。だが、今のお前は…」
「お荷物、ですからね」
「………」
沖田さんを見つめていた土方さんの瞳が大きく揺れた。
(…っ……)
「どんなに願っても、私にはもう…」
「………」
「あの頃のように刀を振るえなくなった私は、ただのお荷物でしかない。それでも、この命途絶えぬ限り……これからも誠の下…」
「父親になるんだぞ」
土方さんの低く抑えたような声に肩を震わせる中、沖田さんは私の手を強く握りしめながら言った。
「だからこそ、最期まで武士として生き続けたいのです!」
(……!!)
「本来ならば然るべき手段を取らねばならぬこと、虫のいい話だということも重々承知しています。たとえ隊のお荷物だと言われようと、この残り少ない命を縮めることになろうとも……私は、自らが信じた武士道を貫き通したい」
「総司…さん…」
「もしあの時、春香さんのことを諦めていたらこんな風に思うことは無かったのでしょうけれど」
柔らかな視線と目が合い、繋いだ指先から優しい温もりが伝わってくる。
「ですから私は、」
「みなまで言うな…」
土方さんは、ゆっくりと立ち上がり障子を開けて縁側を見つめながら小さな息を零した。
「だが、春香は納得しているのか」
その土方さんからの問いかけに、沖田さんと私は顔を見合わせて苦笑する。
「春香さんから言われたのですよ」
「おいおい…」
思った通りの一言が返って来て、私はそんな土方さんの呆れ顔を見上げながら思わず声を出して笑った。
そして、新選組として生き続ける沖田総司を支えることが、妻としての務めであるということを真剣に伝えると、土方さんは渋い顔をしながらも納得してくれたようだった。
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それから、私は隊士の方々と屯所内の雑用を熟したり、捕物などで傷ついた方々の怪我を診たりと、相変わらず忙しく動き回っていた。
「だいぶ塞がってきましたね」
「はい…くっ…」
いつものように、焼酎を滲ませた手拭いで傷口を消毒し、新しい晒(さらし)を巻きつけながら、まだ少し痛みを堪えるようにして片目を瞑る隊士を見やる。
土方さん達が江戸から戻った後も、新選組は忙しなくその活動の場を広げながら、ある時は将軍家茂様を狙う敵の潜伏先を見つけ出してそこを討ち。
その際、傷を負ってしまう隊士も多数出て、所謂、病室には寝たきり状態のままだったり、治療の甲斐無く息を引き取っていく人もいる。
ここに足を運ぶ度、命の尊さを感じずにはいられない。
以前の屯所内にあった病室よりも広いものの、その分、人の収容率も高くなったことで、衛生面が懸念されつつあり、もう少し何とかならないものかと考えていた。
そんなある日の午後。
家茂様上洛にあたり、原田さん率いる十番隊と、井上さん率いる六番隊が二条城への警護を担う為、三条蹴上へと駆り出された。
容赦なく照りつける太陽の下。
勇ましく屯所を後にする彼らを送り出し、私はいつものように体調を考えながら沖田さんや当番隊士の手伝いを熟しつつ、縁側に腰掛けながら洗濯に勤しんでいた。
「…っ……」
突然、胃の奥から込み上げて来るむかつきに襲われ始める。
(気持ち悪い……もしかして、悪阻かな…)
「大丈夫ですか?」
「…っ…」
口元に手を添えたまま声のした方を見やると、市村さんの心配そうな瞳と目が合った。
「顔色が悪いですよ。また無理をなさっているのではありませんか?」
「…大丈夫です。多分、悪阻だと思いますから」
「だったら尚更、無理はいけません」
市村さんは、私の隣に腰を下ろすと、「ここは俺に任せて」と、言ってにこやかに微笑んだ。
「でも、こんなことくらいで休んでいたら…」
「沖田さんのあの喜びようったら無かったな。それに、俺も楽しみなんですよ」
「え?」
「お二人のお子に会える日が。ですから、母としてその小さな命を育て、無事に誕生させることだけを考えて頂きたいのです」
そう言って、私を退けるようにして盥の前に屈み、さりげなく胸元から手拭いを取り出すと私に差し出した。
「…ありがとう、市村さん」
「これからの時期は特に、無理は禁物です。俺で良ければ何でもしますから、いつでも遠慮なく言って下さい」
「はい…」
市村さんの言葉に甘えて、水でも頂こうと台所へ向かう途中。とある部屋の前を通り過ぎようとしたその時、襖の向こうから漏れ聞こえる声に思わず足を止めた。
「だから、俺は伊東先生につくことにした」
(この声は、藤堂さん?)
「平助…」
「このままでは、無駄死にだ」
「確かに、そうかもしれないが…」
(もう一人は斉藤さん…)
「お前はどうするつもりだ…」
「俺は…」
短い沈黙の後。
斉藤さんの掠れたような低い声を耳にする。
「俺は、誠の意味を見極めたい。ここで…」
「……そうか。分かった」
聞いてはいけない話しなのだと直感しつつその場を動けずにいると、話し声が聞こえなくなるとほぼ同時に、目の前の襖が勢い良く開けられた。
(…!!)
「春香さん…」
「あ…あの、台所へ向かおうとしたら、お二人の声が聞こえてきて…」
斉藤さんを目前に慌てふためいていると、奥にいた藤堂さんに腕を引き寄せられ、鋭い視線に絡め取られる。
「どのあたりから聞いていた?」
「え、あ…」
「答えろ」
押し殺したような声と、強く握りこまれた腕の痛みにただ肩を竦めていると、斉藤さんは襖を閉めてすぐに私と藤堂さんの間に割り入るようにして私の前に立ちはだかった。
「平助、落ち着け…」
(あ、あれ…?)
斉藤さんの低く抑えたような声を聞き、広い背中を見つめた。その時、目を開けているにも関わらず視界が暗闇に閉ざされたように見えなくなり、体が宙に浮いたような感覚に包まれながら、膝から頽れ背後に倒れて行く感じを覚えた。
「は、春香さん!」
「ごめ…ん…なさ…」
「春香さん!」
薄れゆく意識の中で、斉藤さんの声を遠くに聞いたまま。
私は、漆黒の闇の中へと誘われていったのだった。
~あとがき~
ぬぅああ、今回もお粗末さまでした
なるべく明るく描いてみましたが…。
やっぱ、十六夜の月はどうしても切なくなりがちです
沖田さんの想い、土方さんの想い。
山南さんの想い、残された隊士らの想い…。
それぞれの想いを考えると、涙が出そうになって…
でもって、不協和音が大きくなりつつある中。
その後も、脱走者や間者などの切腹は続き…。
本当のところ、新選組はどこへ行こうとしていたのか…
今回も、お付き合い下さってありがとうございました