【前回のあらすじ】


急激にまた体調を崩す沖田を考慮し、特例として春香を呼び寄せた。そんな中、刻一刻と近づく山南の最期。春香は、土方同様、もう一人の兄として慕っていた山南との対面を果たしたのだった。


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【十六夜の月】第21話



あれから、一足先に沖田さんの部屋に身を置いていた私は、山南さんの介錯を終えて戻って来た沖田さんを迎え入れた。


その瞳は憔悴の色を浮かべていたが、たった一言、「只今戻りました」と、言って、沖田さんはいつものように微笑んだ。


山南さんの覚悟と、土方さんの覚悟。


そして、沖田さんの覚悟を考えるだけで、再び込み上げて来る涙を堪えきれなくて…


「…ごめんなさい…私、」

「………」

「もう、泣かないって決めてたのに…」

「春香…」


敷かれた布団の上。


胡坐をかいていた沖田さんの長い腕に誘われるままに襟元に頬を寄せ、同じようにその広い背中に縋りつきながら、山南さんと最後のお別れをした時のことを丁寧に話した。


最期まで私に笑いかけてくれたこと。

そして、


「土方さんと同じように、総司を頼む…と、」

「…そうでしたか」


(泣きたいのは沖田さんの方なのに…)


やっぱり、山南さんの優しい笑顔を思い出して涙を堪える私の頭上。沖田さんの消え入りそうな声を耳にする。


「泣いてやって下さい」

「え…っ…」

「私達の分も…」


表情は分からない。

その声はとても哀しげでいて、どこか穏やかな響きがあった。


「沖田…さん」


私を抱きしめる手に力が込められると同時に、これ以上無い隙間を埋めるように今度は強く抱き竦められる。


「…見事な最期でした」

「…っ…」

「私は一生忘れない。あの方と…共に戦ったことを…」


その一言を聞いた途端、堪えていた嗚咽が堰を切ったように溢れ出た。


本当は泣いてばかりではいけないと思う。

けれど、沖田さんの手が震えていることに気付いてしまった私は、それを堪えることが出来なかった。



そして、ひとしきり泣いた後。


私の顔を覗き込む沖田さんの優しい瞳と目が合う。


「…泣き顔も可愛い」

「え…」


爽やかな声で言われ、思わず恥ずかしくなって俯くと、「そんな表情(かお)もいい」と、言われる始末。


「な、何を言ってるんですか…」

「素直な想いを口にしているだけですよ」

「は、恥ずかしいですから、改まって言われると…」

「…いつ、言えなくなるか分かりませんから」


(…あっ……)


頬を襟元に預けたまま、一瞬、息を呑んだ。



幕末志士伝 ~もう一つの艶物語~


人の命は儚いもの。

沖田さんとの時間も、永遠じゃない。


改めて、忘れかけていた現実を思い出し、思わず目前の襟元を握りしめる。


いつの日か…。

この優しい温もりも感じられなくなる。


そう思った途端、どうしようもない程の哀しみに襲われて。


「…っ……」

「春香」

「ごめん…なさぃ…っ…」


次々と零れ落ちる涙を拭うことも出来ずに、私はただ、その温もりに包まれながら声を殺して泣いた。


 ・


 ・

 ・


丑の刻。


市村から、春香を無事に屋敷へ送り届けたという報告を受けた沖田は、縁側のいつもの場所に腰掛けながら月を見上げていた。


また一人、同志の命を奪った己の手を強く握りしめる。


(今更なんだというのだ…)


これまで、どれ程の命を奪ってきたことだろうか。だが、それもこれも京の町を守る為であり、自ら信じた武士道を貫く為。


後悔は無いと、思う反面。

人の道から外れているという思いに苛まれ続けていた。


「そんなところで何をしている」

「…見て分かりませんか?月光浴です。今宵の月も綺麗なので」


土方は、障子を開け放ったすぐ先に佇んでいた沖田に声を掛け、ゆっくりと歩み寄り隣に腰を下ろした。


「もうじきかな…満月は」


月明かりに照らされた沖田の横顔は薄らと白く浮かび上がっており、月を見上げたままの瞳が妖艶に細められる。


(…ったく、世話の掛かる奴だ)


土方は、その哀しげな横顔を見つめながら静かに口を開いた。


「…病人は大人しく寝てろ」

「大人しく寝ていましたよ。土方さんのお小言はもう、うんざりですからね」

「そんな減らず口が利けるなら、大丈夫か」

「ええ」


月を見上げていた沖田の瞳が初めて、土方を見つめた。


「ただ、」

「………」

「身を捨ててこそ…浮かぶ瀬もあれ。このままでは、生きながら木棺の中にいるような気がして」


漆黒の闇に消え入りそうな涼やかな声。

そして、その瞳が伏せられた途端、土方は沖田の腰元に携えられている刀に手を添えた。


祇園会の最中、近藤らと共に出陣した沖田を襲った病は、その後も衰えることなく猛威を振るい続けている。


それは、逃れられぬ現実として沖田を苦しめ、共に生きてきた土方の心をも蝕み始めていた。


どうして、私が。と、


日々、そのような想いが強まってゆく沖田の心中を思えばこそ、土方は手を伸ばさずにはいられなかった。


「惑わされるな」

「………」

「己自身の負の心に…」

「…土方さん」


慈しむような眼が沖田に向けられる。


その柔和な眼差しを受け、沖田はくすくすと微笑った。


「何が可笑しい」

「いえ、久しぶりに見たなぁと思って。土方さんのそんな顔…」

「………」


少し咳き込みながら笑い終えると、沖田は再び月を見上げながら日野の地にて、初めて同志を募り江戸を出立し、二週間をかけて京へ上洛した頃のことを懐かしそうに語り始めた。


「よく山南さんと、武器防具を集める為に其処ここを駆けずり回っていた。そして、同志らと共に京へと上洛してからは、あっという間だったような気がする……ここまで…」

「…………」

「ねぇ、土方さん」

「なんだ」

「月には兎がいる…と、昔から言い伝えられていますが、なにゆえ兎なのかご存じでしたか?」


突然の問いかけに、土方は眉を顰めて月を見やる沖田の横顔を見つめた。


「理由があるのか?」

「はい。これは、山南さんからの請け売りですけれどね」


と、沖田は楽しそうに話し始める。



「これは、古今物語の中からの伝承で、猿と狐、そして兎の三匹が、山の中で力尽きているみすぼらしい老人と出会ったところから始まり…」


三匹は、その老人を助けようと考え、猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕って其々老人に食料として与えたのだが、兎だけはどんなに苦労しても何も採って来ることが出来ずにいた。


自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼み火を焚いて貰い、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだのだ。


その姿を目にした老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の慈悲ある捨て身の行動を後世まで伝える為、兎を月へと昇らせたのだった。


「月に見える兎の周りに煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際のものだということです」

「…初耳だ」

「土方さんは、自らの命を捧げた兎をどう思われますか?」


いつもの笑顔で問いかけてくる沖田に、土方は小さく息をついた。


(…俺に何を言わせたい)


何故、このような話を持ちかけられたのか分からぬまま、いずれ刀を振るえなくなるであろう沖田の行く末を想いながらも、兎のように君主の為、この命さえも惜しまぬことを告げた。


「それじゃ、答えになっていませんよ」

「どういう意味だ」

「いえ、土方さんには愚問だったかな」


やれやれとでも言いたげに土方を見やるものの、鬼らしい受け答えだと納得すると沖田は、厚い雲に覆われ始めた月を見上げながらぽつりと呟いた。


「今の私は、兎のように身を投げ出すことさえ出来ない…」


(…総司)


土方の眼が、苦痛を耐えるかのように細められる。



短くも、長い沈黙。


先に口を開いたのは、土方からだった。


「そろそろ、部屋へ戻れ。風が出て来た」

「そうですね…」


立ち上がり、隣でゆっくりと立ち上がる沖田を見やり己も部屋へ戻ろうとしてふと、立ち止まりほんの少し振り返って、


「くどいようだが、祝言を挙げるつもりなら早ぇとこ済ませろ」


それだけ言うと、土方は再び部屋へと戻って行った。


(祝言、か…)


沖田は再び月を見上げ、もう眠っているであろう愛しい人の笑顔を思い出すと同時に、じき会えるかもしれないもう一つの尊い命に想いを馳せた。


出来れば剣を振るい、己の分身として春香を守って行ける強い志を持つ者へと。





【第22話へ続く】




~あとがき~


想像力+希望だけで書いて来てしまったこの十六夜の月も、もう21話目。これからの展開をどれだけ明るく書けるか…。


それが、今後の課題のような気がしますあせる


今後も、新選組の動向を簡潔に…でもなるべく丁寧に書きながら、沖田さんと春香の生活を色濃く描いていけたらって思っていまふ音譜


はぁ…。

いや、しかし…


書けば書くほど…心が痛いです。


沖田総司の一生は、ほんまに…儚くも美しい。


そして、彼を取り巻く周りの人々もヽ(;´ω`)ノ