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ハヤコラム

30代半ば新米主婦(腐)の若干サブカル寄りブログ。

手術の翌日、再度不妊センターでの診察。エコーには昨日まで映っていたものが当たり前だけど何にも無くなっていた。まだ血が少し溜まっているとのことで、子宮を収縮させる止血剤を追加で処方された。
この薬がけっこう辛くて、とにかく生理痛の酷い時の痛みが1日中続き出血もあるので、ロキソニンを併用した。
今、手術から3日が経過したところだが、習慣というのは一瞬で身についてしまうものなんだなと痛感している。たったの数週間だったけど、赤ちゃんがお腹にいるという経験をしたことで、食べ物に気をつけたり、お腹をかばったりする癖がなかなか抜けないのだ。もう何も無いのに。少し前の今まで通りの自分に戻っただけなのに、自分が半分になったような、前よりもマイナスの人間になったような気がする。
期待させてしまったお互いの親や兄弟にも、気を遣ってくれる友人たちにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「もう少し2人を楽しもう。」と言ってくれた主人の言葉が嬉しくてまた泣いた。
完全に立ち直るにはまだ時間がかかりそうだけど、とにかく優しい主人がいてくれて、それだけで今は幸せだ。
流産手術の日にちは2日後に決まった。宣告の翌日は、子宮口を広げるための器具を挿入する処置のため、また病院に行った。子宮口が広がる過程で痛みがともなうとのことでロキソニンを処方されたが、それほどの痛みもなく違和感もなかった。この日はなんだかヤケクソの気分というか、自暴自棄のような態度で過ごす私に主人も優しく見守るしかなかったようだった。
そして、手術当日。主人も会社を休んで付き添ってくれた。手術は日帰りで朝9時からの予約、手術室のある産科への通院となった。あんなに待ちに待った産科への初めての通院が、こんな形になるとは皮肉なものだ。受け付けを済ませ、待ち合いで待っている間、産まれたてのようなかわいい赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、「酷やなぁ」と呟いて、主人と苦笑した。
昨日まで思い切り泣いたせいか、腹をくくってはいたものの緊張は高まっていき、ついに手術室に案内された。
人生で初めての手術が、人生で1番悲しい手術になってしまった。
手術台に上がると左腕には自動血圧計がはめられ、右手指には酸素計が挟まれて、腕には点滴という状態。足は広げられ各々をバンドで固定された。想像以上に手術だ。看護師も先生も患者の気持ちに寄り添うという感じではなく、淡々と自分の仕事をこなすことに徹していて、逆にありがたかった。この人たちにはこれが日常でプロなんだな、と。もうすでにここへきて患者と一緒に悲しみに寄り添っている場合ではないのだ。
「それでは麻酔を入れますよー」と看護師の声が聞こえて、早く意識が完全に無くなるのを期待したが、麻酔が効きにくいのかうっすらと意識は残ったままだった。それだけに、まさに子宮を思い切りえぐられている激痛に何度も何度も襲われた。痛い!と何度も言いそうになったけど、意識が朦朧としているせいか声にならず、ううー!ううー!と唸っては、看護師の手をきつく握っていたような記憶がある。
処置が終わって、預けていた生理用ショーツとナプキンを履かせてもらい、担架に移って病室に寝かせてもらった。ぼんやりした中で、とにかく早くという気持ちで「外に主人がいるので…」と言って、主人を呼んできてもらってからは安心して眠ってしまった。
2時間程眠って目が覚めたあと、看護師に付き添われトイレに行った。トイレでは子宮にガーゼが入っているのでそれを引き抜いてくださいとの指示。これがけっこう衝撃で、血だらけのガーゼが引っ張っても引っ張ってもどんどん出てきて、血の気が引いていくのがわかった。
その後はすぐに会計をして病院を出たのだけど、吐き気がすごい。タクシーで帰る間、何度も吐きそうになって無事帰宅後はそのまままた眠ってしまった。
ひと眠りすると、吐き気も治まっていて、食欲も出てきたのでその夜は宅配ピザをとってもらい、主人と何に対してかわからない乾杯をして(赤ちゃんへの献杯だったかも)、少し笑い合った。

診察室で告げられたのは、繋留流産。まさに悪循環ネット検索無限ループで何度も検索した類の流産だった。赤ちゃんがお腹の中で成長が止まってしまっているので、手術で出すか、自然に出てくるのを待つかという選択肢を与えられたが、いきなりのことで全く判断がつかなかったので、先生の判断を仰ぐことにした。先生からは、自然に出てくるのを待ってもいつになるかわからないし、手術で出したほうが次のステップにも進み易いと言って頂き、手術を受けることにした。その後、承諾書の説明を丁寧にしてくださったのだけど、正直全く頭に入らなかった。ただ、この時期の流産はほとんどが染色体の異常が原因で、母体の影響ではなく仕方のないことだから自分を責めないように、との言葉に少しだけ救われた気分だった。
一旦待合室に戻り、手術への詳しい流れの説明と手術に向けての血液検査を看護師から受けることになった。淡々と診断と状況説明だけに徹する先生とは反対に、看護師の優しい説明に我慢していた涙が急に溢れてきた。「びっくりしたよね、まさか自分がって。でもまた次、気持ちに整理がついてからゆっくり次の段階に進めばいいからね。大丈夫?個室用意するから休んで帰る?」といろいろ気遣ってくださったが、一刻も早く病院を出て主人の声が聞きたいという思いもあり「大丈夫です」と言って、泣きながら会計を待った。
会計を待っている間、いろんな思いが込み上げてきたが全て自分のおごりが招いた結果だという気持ちになった。私は妊娠がわかってからの週数間、この不妊センターで何年も不妊に悩んで通っている人たちの中で、どこか抜け出したような優越感のような気持ちに浸っていたようなところがあったのかもしれない。最低の人間に下された当然の結果のような気持ちになった。
病院を出てすぐに主人に電話をした。仕事中に電話をかけたことなんてなかったので、主人も察したのだろう、すぐに電話に出てくれた。「赤ちゃん、ダメだった。」と言うとまたたくさん涙が出てきた。毎日不安を口にする私に、希望の言葉で安心させてくれ続けた主人が、かわいそうで仕方なくなった。「ごめんね。」と言うのが精一杯だった。
あまり悲しいことをブログに書くことは避けたいタチなのだけど、今回は書くことで気持ちを昇華できるかもしれないと思い、記録することにした。

1月にチャレンジした初めての人工受精の成果が実り、その月の末に検査薬の陽性反応が出た。
なんだかすぐには実感がわかなくて、ただ、昨年9月から始めた不妊治療から半年もせず妊娠できたことはラッキーだなぁという感覚。
後日、通っていた不妊センターに妊娠判定という形で受診すると、エコーに小さな袋みたいなのが見えて、ちゃんと着床していることを確認。へぇ~よくわかんないけどこんな感じなんだ、とまだ他人事のような気分。
それでも、主人との日々の会話は赤ちゃんの話題一色になり、これからどうすかるか、部屋を片付けなきゃ、とか、「初めてのたまごクラブ」をすぐ購入して、何を食べちゃいけないとか、やってはいけないことなどを研究する生活が常となっていった。
翌週も、もう少し経過を見るとのことで、また不妊センターでの診察になった。
翌週は袋の中に小さな丸いものが見えて、これが赤ちゃんの元です、と先生。1週間で急激に細胞が分裂していってるんだーと感心。
私の通っている不妊センターは、別の建物に産科もあるので、また次、もう一度不妊センターで診察してその後産科かな、とのこと。
この日、病院からの帰りはよくわからない丸いもののエコー写真を、これが赤ちゃんか、と何度も見返した。
しかし、病院側もドラマみたいに「おめでとうございます!」って祝福ムードでもないし、なかなか産科へ昇格できないもんなんだな、果たして今の状態を妊娠と呼べるのか、この頃から喜びより不安が増大していった。
翌週の診察、丸いだけの赤ちゃんがちょっと細長くなっていて、拡大するとピク…ピク…と動いているのがわかった。「見えますか?これが心拍です。ちゃんと動いてるね」と先生。ウワァ、ほんとに動いてるーと、感動というより驚き。でもけっこうゆっくりなんだなーっというのが第一印象。
「順調です。」と言って頂いたものの、まさかの翌週も不妊センターでの診察とのお告げ。えー、まだ産科に行けないのか…との思いが不安を募らせたものの、心拍が確認できれば流産の確率はグッと下がると言われているらしいし、少しずつ親しい人たちや職場に妊娠の報告を進めていくことにした。
そしてまた1週間が経ち、診察の日。赤ちゃんは1センチ程に成長しており、前回よりもすごく早く脈打っている!先生も「前よりハッキリ動いてますね」と言ってくださり、やっと産科かーと安堵するや否や、またしても次も不妊センターで、との通告…がーん…やっぱり何かおかしいところがあるのかな、とさらなる不安がよぎる。いろいろ調べると、確かに週数にしてはサイズが小さいような…こうして、不安が不安を呼ぶだけの最悪のネット検索ループに陥っていってしまった。
とはいえ、赤ちゃんはちゃんと動いているんだし、先生からもどこが悪いとも言われた訳でもなく、とにかく安静に過ごすことにした。なにより、つわりの症状が重くなりつつあり、しんどい反面、つわりを通して赤ちゃんがいることを感じれるようで逆に安心したりしていた。そして休んでいたスポーツジムも解約をしたり、不安と期待と未来の準備という相反する混沌の中でモヤモヤと1週間が過ぎていった。
陽性反応から5回目の診察の日。今日で不妊センターを卒業して、母子手帳の段階か?と期待を抱きつつ、いつも通りエコーを確認すると、袋の隅のほうでキュッと固まったように全く動いていない赤ちゃんが見えた。先生が無言で拡大するも、ピクリとも動かない。今、私は何を見せられてるんだろう…と、とにかくよくわからなかった。「見てもらったらわかるように、動いてないですね。先週からあまり成長もしていないし多分…あとで診察室でお話ししますね。」とだけ告げられて、「はい…」と言うしかなかった。
あけましておめでとうございます。新年最初のブログは新年らしい内容を記しておきたいと思います。
昨年6月に会社の女子会で訪れた嵐山mitateさんが気に入りすぎて、再訪してきました。今回はとてもお世話になっているお友達のお誕生日お祝いを兼ねて。
こちらのランチ、季節ごとに毎月メニューが変わるコースとのことで今回も楽しみにしていました。
1月ということでやはり新年のおめでたい演出が満載でまたまた感動させて頂きました。

まず最初の一品は毎回同じもののようで、美山卵とフォアグラのムースなのですが、本当に美味しい。しかも陶芸作家さんがこの一品のために製作したというひょうたんの器がとても素敵です。このひょうたんにも無病息災を願うといった意味が込められているそうです。
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2品目からは、前回とは全く違うメニューが並びました。こちらも美山卵を使用した蟹の蒸し物。ユリ根とキャビアが添えられていて絶品でした。
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こちらはお刺身。お刺身に見えますか、これ。4種のお刺身と周りのソースの相性が絶妙で目にも鮮やかでテンション上がります。
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そして思わずうわぁ!と声を出してしまったのがこちらの八寸。シェフからの年賀状ですと紹介され、めでたい一富士二鷹が描かれています。駒の折り紙が添えられていますがこれがなんと…
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開けると中に八寸のお品書きが書かれてるんですねぇー、憎い!憎すぎる演出!ちなみに前回6月に訪れた際はカエルの折り紙でした。
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先ほどの八寸で、三茄子がないなぁとチラっと頭をよぎっていたら、次に出てきたこちらのお料理、白い部分がニシンのムース、下に茄子が隠されていて、ここで一富士二鷹三茄子が完成するという…してやられた感に鳥肌立ちました。しかも、上の梅のソースで全体を初日の出に見立てているのですって。素晴らしすぎるでしょ。
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そしてこちらがメインのお料理。こちらなんとお鍋料理なんです!配膳されたときには袋が閉じられていて、ハサミで切って開けてくださるのですが、開けたとたんに椿が花を咲かせるという!いただくとアツアツで本当に美味しい鴨のお鍋でした。
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そしてご飯とお漬物があり。
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デザートはピスタチオのアイスやらコーヒーのムースやら何層にも重なったデザートにラズベリーの温かいソースをその場でかけて下さった一品。一見合いそうにない何種類もの味ですが、これが不思議と一緒に食べると絶妙に合うのです。
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最後はお茶菓子とコーヒーかお抹茶を選ばせて頂けて、
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私はコーヒーにしたのですが、お砂糖がコーヒー豆の形をしていてめっちゃかわいかった!
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この内容でランチが4500円。コスパも申し分ないですし、それ以上の価値が必ず得られるコースです。
ほんとにもう、今回も最初から最後まで細部にわたるまで驚きと感嘆の連続で毎月のメニューをコンプリートしたくなるお店です。

嵐山mitateさん最高!