妊娠と流産③。 | ハヤコラム

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30代半ば新米主婦(腐)の若干サブカル寄りブログ。

流産手術の日にちは2日後に決まった。宣告の翌日は、子宮口を広げるための器具を挿入する処置のため、また病院に行った。子宮口が広がる過程で痛みがともなうとのことでロキソニンを処方されたが、それほどの痛みもなく違和感もなかった。この日はなんだかヤケクソの気分というか、自暴自棄のような態度で過ごす私に主人も優しく見守るしかなかったようだった。
そして、手術当日。主人も会社を休んで付き添ってくれた。手術は日帰りで朝9時からの予約、手術室のある産科への通院となった。あんなに待ちに待った産科への初めての通院が、こんな形になるとは皮肉なものだ。受け付けを済ませ、待ち合いで待っている間、産まれたてのようなかわいい赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、「酷やなぁ」と呟いて、主人と苦笑した。
昨日まで思い切り泣いたせいか、腹をくくってはいたものの緊張は高まっていき、ついに手術室に案内された。
人生で初めての手術が、人生で1番悲しい手術になってしまった。
手術台に上がると左腕には自動血圧計がはめられ、右手指には酸素計が挟まれて、腕には点滴という状態。足は広げられ各々をバンドで固定された。想像以上に手術だ。看護師も先生も患者の気持ちに寄り添うという感じではなく、淡々と自分の仕事をこなすことに徹していて、逆にありがたかった。この人たちにはこれが日常でプロなんだな、と。もうすでにここへきて患者と一緒に悲しみに寄り添っている場合ではないのだ。
「それでは麻酔を入れますよー」と看護師の声が聞こえて、早く意識が完全に無くなるのを期待したが、麻酔が効きにくいのかうっすらと意識は残ったままだった。それだけに、まさに子宮を思い切りえぐられている激痛に何度も何度も襲われた。痛い!と何度も言いそうになったけど、意識が朦朧としているせいか声にならず、ううー!ううー!と唸っては、看護師の手をきつく握っていたような記憶がある。
処置が終わって、預けていた生理用ショーツとナプキンを履かせてもらい、担架に移って病室に寝かせてもらった。ぼんやりした中で、とにかく早くという気持ちで「外に主人がいるので…」と言って、主人を呼んできてもらってからは安心して眠ってしまった。
2時間程眠って目が覚めたあと、看護師に付き添われトイレに行った。トイレでは子宮にガーゼが入っているのでそれを引き抜いてくださいとの指示。これがけっこう衝撃で、血だらけのガーゼが引っ張っても引っ張ってもどんどん出てきて、血の気が引いていくのがわかった。
その後はすぐに会計をして病院を出たのだけど、吐き気がすごい。タクシーで帰る間、何度も吐きそうになって無事帰宅後はそのまままた眠ってしまった。
ひと眠りすると、吐き気も治まっていて、食欲も出てきたのでその夜は宅配ピザをとってもらい、主人と何に対してかわからない乾杯をして(赤ちゃんへの献杯だったかも)、少し笑い合った。