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トルコ語あれこれ

ゴミ問題

<トラブゾン狂騒曲(Fatih Akın 監督)>というトルコ映画が 上映中だそうですね. 原題は なぜか ドイツ語で "Der Müll im Garten Eden(エデンの園のゴミ)". 黒海沿岸のトラブゾンの東にある Çambumu という村を舞台にしたゴミ問題がテーマのドキュメンタリーだとか. Fatih Akın 氏は、あの "Crossing the Bridge (İstanbul Hatırası)" の監督でもありましたね. "Crossing the Bridge" も 映画の中の台詞は ドイツ語交じりだったような記憶が ありますが、彼は ドイツ在住なんでしょうか.

映画の話はさておき、ゴミ問題に関しては 私の意識は とても低いです. ゴミ分別には懐疑的です. 自治体によって違うでしょうが、粗大ゴミの手続きが 煩雑なのには 嫌がらせしてるのかと 感じてしまいます. 分別化が進んだために、一部の分類ゴミの収集間隔が間遠になったのにも不満です. ただ まぁ、ゴミの有料化には賛成ですけどね.

いきなり日本のゴミ問題の愚痴に なってしまいました. たしか、テロが理由だったと 思いますが、日本では 街から ゴミ箱が ほとんどなくなってしまったのも不満の一つです. 私には テロを口実に 経費節減を図ったとしか 思えないんですが・・・. トルコでは 日本より<テロ事件>の数は 多いと思われるのに、街中に ゴミ箱があって、うれしい限りです. 公園や遊歩道には 専用のゴミ箱が ありますし、街中には 家庭ゴミ収集用の大きなゴミ箱があって、歩いているときに ゴミを そこに捨てても 問題ありません(多分).

ところが、ゴミ箱は多いのに トルコでは 道にゴミを捨てる人も 結構います. そこは よくしたもので、日本では あまり見かけない 制服姿の路上清掃員が 箒で道を清掃してくれます. 多分、市か区の職員だと 思うんですが、そういう彼らを 失職させないために 道にゴミを捨ててるわけです・・・というのは もちろん 冗談です. 多分、彼らの人件費が安いために そういうことが できてるんでしょうが、これから 変わってくるでしょうね.


これは公園のゴミ箱(イズミル)
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竹内ホジャの赤い辞書

トルコ語を学習しようと思う日本人なら ほとんどがお世話になっている赤い辞書. 「トルコ語辞典ポケット版(竹内和夫著、大学書林刊)」というのが 正しい名前ですが、だいたい赤い辞書で 通ってしまいます. 事実上 唯一の トルコ語‐日本語辞書といっていいと思います. 私も もちろん 大変お世話になっていて、すでに 2冊目ですが、3冊目を買うのも そう遠くないかもしれません.

ただ、この辞書に関しては 残念なことがありますね. この辞書を 使っている人は たいてい感じているでしょうし、周知の事実でもあると 思うんですが・・・それに、私などが こういう場所で 書くことではないんですが、とても残念に 思っているので、敢えて書いてしまうことにします.

残念なことというのは 改訂版のことです. 形式上は 私の1冊目は 第9版(2002年3月30日)、2冊目は 第12版(2010年5月30日)です. 順調に 版が重ねられているんですが、これは 多分 <改訂>版ではなく、単に 刷り増ししただけなんだろうと思います. 前から気になっていた箇所を比べてみましたが、変更は ありませんでした. <まえがき>の日付(1990年1月5日)が最後の改訂の日付だとすると、かれこれ四半世紀近く 改訂されていないことになります. 以下、改訂版が 出てないという前提で話をします.

改訂版が出ないことによって、当然、いろんな問題が生じます. 主なものは 以下の3点でしょうか.
① 誤り、欠落などが修正されない.
② 古い表現、現代では不適切な表現とみなされる箇所が修正されないまま残る.
③ インターネットなど 新しい事物に関する単語が 収録されない.

① については、それほど数が多いというわけではないんですが、辞書の権威や信頼度にかかわる部分なので ぜひ 修正・改訂して欲しいと 思います.
② については、単に古臭いというだけなら いいんですが、<差別的>表現は、この辞書そのものが 問題視される恐れがあり、修正の必要があるだろうと思います. 個人的には、<差別用語や禁句の言い換え>の習慣は 必ずしも 賛成じゃないんですけどね.
③ は、①や②ほど 深刻な問題ではないんですが、こういう単語は 毎年 蓄積していきますし、一旦 収録しても またすぐ 意味が変わったり、使われなくなったりする可能性もあり、やはり 定期的に 改訂版を 出して、最新の状態を保って欲しいです. 非常にポピュラーな単語なのに 載ってないとなると 辞書の価値を下げかねませんし.

竹内先生あるいは その後を継ぐ方が 改訂版を出されるのを 心待ちにしております.


イェニ・フォチャの海辺の街並み
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tutmak

"kaldırmak" と並んで 多義なのが "tutmak" ですかね. これも 竹内和夫氏のトルコ語辞書ポケット版(大学書林)を見ると・・・

tutmak: つかむ、つかまえる、取る、手に入れる、借りる、雇う、ちゃんとした仕事につく、捕える、おさえる、(雪などが)覆う、とりつく、とりつかれる、(ことばを)実行する、守る、着く、達する、ある状態にしておく、見なす、当てる、時間がかかる、差し出す、《つづく動作が予期に反し、ふさわしくないことを表わし、tutar, tutup, tuttu などの形をとる》さっさと、いきなり、やにわに、みるみるうちに

・・・と ならんでます. 同様に 例文もいくつか引用してみましょう.
kalemi tutmak 鉛筆をつかむ
hırsızı tutmak どろぼうをつかまえる
balık tutmak 魚を取る
このへんまでは、"balık tutmak" だけ "balığı tutmak" じゃないのが 気になりますが、ま、いいでしょう.
Bu yazı iki sütun tutar. この文は二欄になる(二段の意味でしょうか)
Burada bir kat tuttum. この階をおさえた(借りた)
Avukat tutacak para nerede? 弁護士を雇う金がどこに?
iş tutmak 仕事につく
başları duman tutmuş dağlar 頂を煙霧が覆った山々
en tuttuğum romancılardan biri わたしの最もとりつかれた小説家のひとり
Vapur İzmir'e tutmayacakmış. 船はイズミルに着かないかのようだった.
Aldığım şeyler bin lira tuttu. 買ったものが 1,000 リラに達した.
Evini, üstünü temiz tutar. 家や身なりを清潔にする
On lirayı borcunuza tuttum. 10 リラ貸しにしておくよ
saati kulağa tutmak 時計を耳に当てる
ekmeği ateşe tutmak パンを火にあぶる
Bu iş iki saat tuttu. 仕事は2時間かかった
konuklara şeker tutmak 客にキャンデーを出す
Arada sırada tutar bizi balık yemeğe götürür. 時たまいきなり私たちを魚食いにつれ出す.

ここまででも 多彩さは なかなかのもんでしょ? さらに 他の単語とくっつくと・・・
ağırsı tutmak 陣痛が始まる、痛み出す
ayrı tutmak 差別する
akılda tutmak 心に留める
akort tutmak (楽器の)チューニングが合う
albüm tutmak (レコード、CD の)アルバムが売れる
alkış tutmak 拍手する、大声を出して声援する
ayakta tutmak 人を座らせない、人をしゃんとさせておく、ことを継続させる
bağlı tutmak 締めたままにする
baş tutmak 船をある方向に向ける
baş üstüne tutmak おおいにもてなす
başı tutmak (うるさくて、心配で)頭が痛い
bir tutmak いっしょとみなす
boyun tutmak 反対する
boyundan tutmak (赤ん坊を抱くとき)首を支える
çeneni tutmak 黙る
deniz tutmak 船酔いする、海を見ていて酔う
dilek tutmak (誕生ケーキのろうそくを消す前などに)願いごとをする
dümen tutmak 舵を取る
el üstünde tutmak 尊敬と親愛の情を示す、下にも置かない
elde tutmak 所有する
elinden tutmak 助ける、保護する
elektrik süpürge tutmak 電気掃除機をかける
et tutmak 太る
ferah tutmak 気を楽に持つ
gözü tutmak 気に入る、信頼する
güreş tutmak レスリングをする
hariç tutmak 除外する、排除する
hesap tutmak 帳簿をつける、記録する
hıçkırık tutmak しゃっくりをする
hoş tutmak もてなす、親切にする
kafa tutmak 反抗する
kalbini ferah tutmak 気を楽にたもつ
kan tutmak 血を見て気分が悪くなる、血液型が適合する
kendini zor tutmak (怒りなど)かろうじて自制する、やりたくないことをやるために自身を強いる
kin tutmak 恨みを抱く、敵意を持つ、憎む
kızamık tutmak はしかにかかる
kriz tutmak 発作がおこる
kulak tutmak 耳を貸す、気に留める
lafa tutmak 人をおしゃべりで邪魔する
matemini tutmak 喪に服する
mekân tutmak ある場所に落ち着く
mesken tutmak 居を定める
mesul tutmak 責任を負わせる
metres tutmak 妾をかこう
nasır tutmak タコができる、マメができる
nefesi tutmak 息が止まる
nöbet tutmak 当直する、当番に立つ
oruç tutmak 断食する
pas tutmak 錆が出る、錆がつく、カビが出る
randevu tutmak 待ち合わせをすっぽかす
ritim tutmak (手足などで)リズムをとる
saat tutmak 時間を計る
saf tutmak (葬儀、金曜の礼拝などで)参列者が 列をつめる
sıkı tutmak 大事にする、本気でやる
sır tutmak 秘密を守る
sorumlu tutmak 責任があると責める
söz tutmak 忠告を守る、言うことを聞く
(sözünü tutmak 約束を守る)
taraf tutmak ~に味方する、~の側につく
(tarafına tutmak ~に味方する、~の側につく)
tempo tutmak 音楽に合わせて手(足)拍子を打つ
tıraşa tutmak (隠語)無駄話であきあきさせる
tok tutmak 腹持ちをよくする
uzayacağı tutmak 延ばし延ばしにする
vaadini tutmak 約束を守る
vatan tutmak 自分の母国とする
yalanını tutmak 人の嘘を見破る
yas tutmak 喪に服する、嘆き悲しむ、哀悼の意を表す
yeğ tutmak ~(I)を ~(A)より好む
yer tutmak 場所をとる、席をとる、席を予約する、位置を占める
yerini tutmak 代わりをする
yüreğini pek tutmak 勇気を持ち続ける
yurt tutmak 住みつく、定住する
yüz tutmak ある方向へ向かう、変わる、~し始める
zabıt tutmak 議事録を取る
zar tutmak 思ったとおりの目を出すために指先でサイコロをひねる
zor tutmak かろうじて抑える、やっとのところでがまんする

いやはや、これが全部 tutmak ですから 溜息が出ます. さらには 受身形 で "tutulma" といえば 天体の食のことですね. ということは "tutmak" には (天体の)食を起こす、(天体を)掩蔽する などという意味もあることになりますね、多分. "ay tutulması" で月食、"güneş tutulması" あるいは "gün tutulması" なら日食. ちなみに 皆既食なら "tam tutulma"、金環食なら "dairesel tutulma". なお、皆既食は 日食にも月食にも ありますが、<金環月食>というのは ありません. 地球の影の方が 月より 大きいから.


アマスヤの家並み
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kaldırmak

トルコ語には、日本語では あまり見ないような 多義の動詞がありますね. "kaldırmak" もその一つ. 字面からすると "kalmak" の使役形のように 見えるんですが、意味からは むしろ "kalkmak" の使役形のように 見えます. それは ともかく、おなじみの 竹内和夫のトルコ語辞典ポケット版(Türkçe Japonca Sözlük、2002年、第9版、大学書林)には こんな意味が 並んでます.

kaldırmak: 立たせる、もちあげる、あげる、起こす、目ざませる、立ち上がらせる、立てる、動かす、移す、運ぶ、出発させる、奪う、盗む、はがす、刈りとる、廃止する、しまう、のける、どける、取りのぞく、耐える、我慢する、似合う、埋葬する

載っている例文を いくつか 挙げると・・・
Duvarı bir metre kaldırmalı. 壁を一メートル高くしなければならない.
Toz kaldırmayın. ほこりを立てないように.
Kitapları dolabın üst gözüne kaldırdım. 本を上の棚に移した.
Bu kamyon kaç ton kaldırır? このトラックは 何トン運べる?
vapuru geç kaldırmak 船の出発を遅らせる
kız kaldırmak 娘を奪う
Eti kaldıralım, kedi yemesin. 肉をしまっておこう、ネコが食べないように.
Şu masayı oradan kaldıralım. そのテーブルを そこからどけよう.
Bu kumaş fazla süs kaldırmaz. この布には よけいな飾りは合わない.

他の単語と くっつくと さらに多彩な意味を持ちます(竹内ホジャの辞書以外のものも 含むかも.)
ayağa kaldırmak 大衆を立ち上がらせる
baş kaldırmak 反抗する
dörtnala kaldırmak (馬を)駆歩で走らせる
el kaldırmak 手をあげる
halter kaldırmak バーベルを持ち上げる、重量挙げをする
kadeh kaldırmak 乾杯する
kazan kaldırmak 反抗する
mahalleyi ayağa kaldırmak 人騒がせなことをする
ortadan kaldırmak なくす
rafa kaldırmak 棚上げにする、ほうっておく
şaka kaldırmak 冗談がわかる

"kazan kaldırmak" っていうのは おもしろいですね. イェニチェリの伝統から 来たんでしょうか. 最近 よく行われる、抗議の意志を示すために 鍋やフライパンを叩く "tencere tava davası" というのも 連想させます.

最近のニュースで こんなのが ありました. この場合の "kaldırmak" は さて どんな意味でしょうか? (答は 写真の下 :D)
Mısır'da Türk dizileri kaldırıldı


道一杯に広がって行進するデモ隊
地方公務員かなにかのデモのようですが、バス停のそばには チャイ屋らしき移動屋台も 同行しています. 鐘、太鼓が 入ることも. 抗議する、あるいは 主張する内容にも よるんでしょうが.
(アンカラ、クズライ)
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答: といっても 私が そう思っているだけですが、<ボイコットする>というぐらいの意味じゃないでしょうか. 詳しい事情は 知らないんですが、昨今のエジプト情勢に対する トルコの行動に抗議するために "Öyle Bir Geçer Zaman Ki", "Muhteşem Yüzyıl", "Aşk-ı Memnu" に 代表されるトルコのテレビドラマを放送しないことにした・・・ということらしいです. 逆に言えば、これまでは 放送されていたわけですね. エジプト人にとっては "Muhteşem Yüzyıl" などは 複雑な心境だったんじゃ ないですかね.
あるイスタンブルの物語

また一つ ドラマを見終えました("Bir İstanbul Masalı" 全71話). ATV という局から 2010年頃に 放送されたドラマです. 全71話なのに ATV のサイトでは 57話までしか 公開されてないという体たらく. こういうのは なんとかして欲しいです. ま、ネットで こうして過去のドラマを 公開してくれること自体は とても助かるんですけどね. 私の知る限り、日本じゃ やってませんよね. オンデマンドとかでない限り.

ドラマは 大企業 ARC の経営者 Ömer Arhan 一家と その邸宅の運転手 Cemal Kozan 一家の物語. 妻の Suzan は Arhan 家の調理人. Arhan 家には 妻のBehiye との間に 二男(主人公 Selim と 弟 Demir)、Kozan 家の方は 二女一男(姉 Çiek、主人公 Esma、弟 Ozan).

舞台は もちろんイスタンブルなんですが、一部 アイヴァルクへも 広がります.

設定としては 陳腐といえるんですが、ホームドラマ向きの無難な展開で 71話まで 続きました. このドラマには 極悪人は 出てきません. 察するに 視聴率も 悪くなかったんでしょう.

Arhan 家の次男坊 Demir は、あの "Muhteşem Yüzyıl" で Rüstem Paşa を 演じている Ozan Güven. 最初は 彼が 現代に生きているのが 馴染めませんでした :D. ヒロインの Esma を 演じている Ahu Türkpençe は 美人は美人なんですけど、個人的には 眼鏡をかけた姿の方が好き.

Bir İstanbul Masalı - ATV



アイヴァルクの昼下がり
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Turanism

トゥラニズムという言葉が あります. 皮肉なことに トルコ語でなく、ペルシャ語で <中央アジア>を意味するそうで 字義的には <Tur の土地>という意味だそうです. "Tur" は 古代ペルシャの神の名だとか.(Wikipedia - Turan)
北欧神話の雷神 Tor も 確か 中央アジアの生まれだったような気がします. "Thursday" の語源になた神ですね. Tur と 関係あるのかどうかしりませんが.

トルコは アジアとヨーロッパの間にあります. そして いろんなものの狭間で 揺れ動いてます. 例えば キリスト教とイスラーム(教)という対立軸が あります. これと関連して、世俗主義とイスラームという対立軸も あります. 現代のトルコでは こっちの方が 深刻でしょう.

世俗主義は 現実生活では 欧米のファッションや 生活習慣を取り入れることに つながりやすいので、欧米の生活習慣・文化と 伝統的生活習慣・文化の対立と言う側面もあります. 以前 イズミルで <ヨーロッパよりヨーロッパ的>という表現を 見たことが あります. そこには <ヨーロッパ的なものは すばらしい>という価値観が あります.

これに対抗するものの一つに トゥラニズムが あります. トゥラニズムは 超国家主義とか 超民族主義とか 言われたりしますが、その範囲は ウラル・アルタイ系の言葉を話す民族全体の場合もあるし、チベット、朝鮮(韓国)、日本といった国々まで含めることすら あるらしいです. ただ、トルコで使われる場合には テュルク系民族全体の民族主義といったものを 意味することが多いと思います. つまりは <トルコ的なものは すばらしい>という価値観です.

テュルク系民族の住む領域は広大で、東は 東シベリアのヤクート族、中国のウイグル族、中国には サラール族、ユグール族といった民族もいます. 中央アジアには カザフスタンや ウズベキスタンなど おなじみの国が ならんでいます.アフガニスタン、イランなどにも トルコ系の民族は 住んでいます. ヨーロッパでは ルーマニア、モルドヴァに ガガウズ人というキリスト教徒のトルコ人が います. ガガウズ語は 現代トルコ語に 最も近い言語の一つらしいです.

トゥラニズムの是非について ここでは 述べませんが、欧米にあこがれる風潮が強まる半面、こういう力学も 働いていることは 事実でしょう.


アラビア文字で書かれたマンホール
トルコのMさんの説明では電話会社のものらしい.(イズミル)
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否定疑問文

否定疑問文というと、英語で Don't you ~ とか Aren't you ~ とかいう形で 聞かれる 疑問文ですね. イエスとノーの 使われ方が 日本語と英語で 逆なので、大昔 学校で英語を習ったときに こんがらがった記憶があります. 頭では 理解していても 実際の会話では 結構 間違えてしまいますよね.

英語では 肯定の内容を 伝えるときは "Yes"、否定の場合は "No" となるわけですが、日本語では 答える内容ではなく、質問者に同意するかどうかによって、同意する場合は <はい>、そうでない場合は <いいえ>となるわけで、相手との関係を重んじる日本語らしい使われ方です.

わかりきったことですけど、一応 書いておきます.
【英語】
Didn't you go...?
Yes, I went. (No, I didn't go.)
【日本語】
行かなかったの?
いいえ、行きました.(はい、行きませんでした.)

では、トルコ語は? となると、これが なんとも トルコらしいというか どっちも あるようなんですよね. つまり、"Evet" とか "Hayır" というのを 聞いただけで 早合点しちゃいけないということですね.

下の例は どっちでしょうか? 直球じゃないので、ちょっと ややこしいかも.

Sen hiç uymadın mı?
Yok, erken kalktım.

「寝なかったの?」という質問に「いや、(寝たけど)早く起きたのよ.」と 答えているので 日本風ですね. 英語なら "Didn't you sleep...?" "Yes, I slept but..." と なるはず.

頭の中で 仮説を立ててるんですけど、<トルコ語も もとは 日本風の答え方だったのが、西アジアやヨーロッパの言語と 接触するうちに 英語風の答え方も 取り入れられていった>. どうですかね. もともとから 両方あったとは 考えにくいし、もとは 英語風だったんだけど あとになって 日本風の返事の仕方が増えてきたとも 考えにくいんで・・・. もちろん 実際は <仮説>でも なんでもなくて、専門家の間では 答えは出てるんでしょうけど.

ちなみに、フランス語では "Oui" と "Non" のほかに "Si" というのがあって、否定疑問で "Oui (Yes)" の代わりに 使われます. イタリア語も 同じようですね. ただ、これらは いずれも 英語風(の変種)と 言えます.


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私の頭には バラの花輪飾り

私の頭には バラの花輪飾り
でも それに満足して 笑いなんかしなかった
指折り 日を数えながら
苦しんでいるのよ
私を 連れて行って、あなたを諦められないの.

私はピンクのバラだったのに しおれちゃったわ.
白いバラには 教訓になったわね.
あなたと 面と向かっているときですら
あなたの顔が いとおしかったわ.
私を 連れて行って、あなたを諦められないの.

中庭の奥で待つわ
小太鼓を 叩きながら
苦労が報われるのね.
待ちくたびれて 手首が疲れちゃった.
私を 連れて行って、あなたを諦められないの.


この歌は "Mendilimde Gül Oya" という名前で 呼ばれることも あるみたいですが、メロディも その他の部分の歌詞も 同じです.

この歌は Çanakkale 地方の Biga という町の民謡のようです. ルメリやエーゲ海地方らしいメロディのような 気がします. Zarife と Ümit という名前の男女の 熱愛の物語だという 書き込みを 見つけたんですが、真偽のほども 物語の詳細も 不明です. ほとんど この歌詞しか 情報がないので 想像をたくましくするしか ないんですが、Zarife と Ümit は 相思相愛だったのに、Ümit が 町を離れなければいけなくなったんでしょうね. 戦争でしょうか 他の何かでしょうか. やっと 彼が戻ってくるまでを 歌っているみたいです.

小太鼓を叩きながら・・・というところが よくわからないんですが、そんな習慣でも あったんでしょうか. なお、小太鼓(dümbelek)というのは ダルブッカに 似ているけど それより 少し小さい太鼓です.

"Çemberimde Gül Oya" という名前の テレビドラマも あるらしいです. そのうちに 見てみようと思いますが、現代ドラマなので この歌の物語を そのまま再現したもの・・・というわけでは ないみたい.

YouTube - Çemberimde Gül Oya (Zara)
Çemberimde Gül Oya 歌詞



チャナッカレ海峡(ダーダネルス海峡)
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石からパンを・・・
Ekmeğin Taştan Çıkarmak

こんな慣用句が あります. 文字通り訳せば「石から パンを作り出す」ということですが、ずいぶんな表現ですね. なにごと?と 思ってしまいますが、"101 Deyim Öykü (Süleyman Bulut 著)" という本によれば こういう話なんだとか.

あるとき、いろんな職業の男たちが 世間話をしていました. 話が 生活費を稼ぎ出すことの難しさに及ぶと、めいめいが 自分の仕事が どれだけ大変かを 話し始めました.
パン屋は「竈の火の前で 練った小麦粉を パンにしていくのが どれだけ大変か わかるか?」と 言うと・・・
農家の男が すかさず反論します「それがどうした? カンカン照りの太陽、雪、雨の下で 種をまき、苗を植えるのに 比べればな. 」
すると今度は 漁師の男が 割り込んできます「夜も明けぬうちから 海に出て、寒さの中で 水から パンを作れるか?」
これを 聞いていた石工が こう言います.「パンを 竈やら 土やら 水から作るのが そんなにすごいか? おれなんか 石から パンを作ってるんだぞ.」

ちなみに この本には この慣用句の意味として 次のように 書いています.
1. En olmayacak işleri başarıp, hayatını kazanmak.
  一番難しい仕事をやってのけて 生活を勝ち取る
2. Ne yapıp edip geçimini sağlamak.
  何であれ やって 生活を支える

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ラマザン・・・勘違い

前回の <ラマザン・バイラム>の記事、ちょっと 私 勘違いしていたようです.
2010年のラマザン月の開始日は・・・

8月11日: 中国(甘粛省、新疆ウイグル自治区)、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン、インドネシア、マレーシアなど
8月12日: その他の国

・・・と 書きましたが、東南アジア、中央アジアの国々が 8月11日なら、それより西の中東、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなどは 11日か 10日でないと いけないですね. 東の国々が11日で それより西の国々が 12日だったのなら 時差(経度)が 理由では ありませんね. それと 2010年は トルコも 8月11日だったみたいです.


夏になると こんなスイカ売りが・・・(イズミル)
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