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トルコ語あれこれ

Neşet Ertaş 一周忌

最後の・・・と言ってもいいかもしれません、トルコ民族音楽の大御所 Neşet Ertaş が 亡くなったのが 昨年の今日、9月25日でした. 昨年は、追悼の意味をこめて 伝記本や何10枚もの記念CDが出たり、追悼コンサートが 行われたりしました.

彼は 1938年、İç Anadolu の Kırşehir という町に 生まれました. Kırşehir 市がある Kırşehir 県には 髭の殿下こと三笠宮親王が 主導して設立された <アナトリア考古学研究所>が ありますから、日本人には ある意味 馴染みのある土地とも いえます.

こんな話を聞きました. 「日本からプリンスが クルシェヒルに 二度やってきた. 多分、Neşet Ertaş に会いにきたのだと思う. 最初に来たときは 連絡不行き届きで エルドアン首相が 出迎えるのが遅れ、プリンスは アンカラ空港の VIP ルームで 長いこと待たされた. これに懲りたんだろう、二度目のときは 外務当局に連絡せず、VIP ルームも 使わずに さっさと クルシェヒルに 行ってしまった.」 トルコ人にとって Kırşehir は どこにでもあるような小さな町で、有名なものといえば <Neşet Ertaş>ぐらいしかないので こんな誤解が生まれたんでしょう. 実際は Neşet Ertaş に 会いに来たのではなく、考古学研究所に 行かれたのだろうと思います.

彼の人生は 大きく 3つの時期に分けられます.
1. 生まれ故郷のクルシェヒルで 父親について 音楽を始めた時期.(1938~)
2. イスタンブルやアンカラで ラジオ出演するなどして 活躍した時期.(1960~)
3. 病気治療のため ドイツに移り住んだ時期.(1976~)
ただし、亡くなったのは トルコ、İzmir の Karabağlar でした. 今、Karabağlar には 彼の名を冠した公園が 作られ、彼の銅像が立てられています. Karabağlar では 今日も 追悼コンサートが あるようです.

彼のサズの演奏は 独特で ちょっと聞けば 彼の演奏であることがわかります. 弦の張り方から 特徴が あるようです. サズは 6本から 8本の弦が張られますが、一番普通なのは 7本です. 7本の場合は、弦を 低音側から 3本、2本、2本と セットにして 張りますが、低音側3本のうち 1本と 高音側2本のうち 1本は 普通 低音がよく出る巻弦が 使われます. Neşet は 中音弦にも 巻弦を 使うらしく、独特の音色がします.

サズは ギターと同じく 右手に持ったピック(tezene あるいは mızrap)で 弾きますが、Neşet は ピックを持った右手の 中指や薬指で サズの胴を 弦を弾くのと同時に叩いて パーカッシブな音を 出します.

これらは 必ずしも 彼が 発明したものでは ないと思いますが、彼のサズの特徴に なっています.

彼の演奏で 有名な曲には 以下のようなものがあります. もちろん ほんの一部です・・・. YouTube あたりで 検索してみてください.
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Mihriban
Neredesin Sen?
Hüdayda (Fidayda)
Tatlı Dile Doyulur Mu?
Yandı Bağrım Yandı
Haydar Haydar
Öldürme Beni
Allı Turnam
Bağa Gel Bostana Gel
Gönül Dağı
Kar Yağar Kar Üstüne
Çiçek Dağı
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めんどくさいので 今回は いちいちリンクは 張りません. あしからず.


Allah rahmet eylesin.


Neşet Ertaş 追悼本
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104.bölüm Yayın: 18 Eylül 2013

秋のセゾンが 始まりました. 春まで Hürrem を 演じていた Meyrem Uzerli は 故国のドイツに 帰ってしまって ドラマに復帰することは ないようです. まだ 新しい Hürrem に なじめませんが、ぼちぼち 慣れていくしか ないですね. ドラマを見ると Hürrem だけでなく 王子たちの配役も変わっていて、春のセゾンから 時間がたったことを暗示するとともに Hürrem の配役変更の違和感を 小さくするように 配慮されていると感じました.
そろそろ ドラマは フィナーレに 近づいてます.

Süleyman yatakta. Hasta mı yoksa sadece uyuyor mu?

Hürrem bir falcı ile görüştü. Hürrem Süleyman öldükten sonra kim tahta çıkacağını merak ediyor. Falcı "Kan görüyorum, kan." Hürrem kimin kan olacağına meraklandı.

Vezir-i azam olan Rüstem paşa'ya Barbaros geldi. Tahta kim çıkacağını ilan edilecekmiş. Şehzadeleri de çağırmış.

Hürrem ile Sümbül ağa birlikte bir yere gittiler. Duvarında gizli kapı vardı oraya girdiler.

Süleyman masada kağıt yazıp onu kutuya koydu. Bu kağıtta kim tahta çıkacağını yazmış. Neyse ki hasta değilmiş.

Matrakçı pazarda dolaşıyor. Dedikoduya göre uzun zamandır sefer çıkmayınca Yeniçeriler gayri memnun olmuş. Matrakçı kalabalık olmayan bir tali yoluya girdi. Hiç yoktan gasıp onun boynuna hançeri sıkıştırdı. Matrakçı ona para verecekti ama o gasıp değil Şehzade Bayezid'di. Şaka yapmış.

Süleyman ile Hürrem Cihangir hakkında konuşuyor.

Mihrimah Selim'in odasına geldi. Selim haremiyle birlikte yataktaymış. Mihrima zorla odasına girip haremini çıkardı. Mihrima onu da uyandırdı.

Sümbül Cihangir'e kıyafet hazırlanıyordu. Cihangir hoşlanmadı.

Mustafa aile ile beraber yola çıkıp payıtahta gidiyordu. Bir yerde yüzlerce asker yolu kapattı. Yeniçeriler Mustafa'yı karşılamak için orada beklediler. Ama askerin Süleyman'dan talimat almadan hareket etmesi büyük suç olabilir. Mustafa bunu endişelendi.

Haremde kızlar hazırlarken Selim geldi. Kızlar çok meraklandılar Selim'e. Ama Bayezid hala gelmdei. Mihrimah Afife hatuna gelir gelmez haberini olmasını istedi. Selim Hürrem'in dairesine geldi. Hürrem babasıyla görüşüp görüşümediğini sordu da Selimm babasının herkesle aynı anda görüşmek istediğini söyledi.

Sonunda Bayezid hareme vardı.

Mahidevran'lar da saraya vardı. Gürfem ve Afife onları karşıladı.

Rüstem ile Mihrimah görüştü. Tahta kim çıkacağını konoştu. İkisi de Mustafa'nun tahta çıkmamasını istedi. Yine de Mihrima ona zarar vermeyi de istemedi. Oraya haber geldi. Mustafa Yeniçerilerle birlikte payıtahta geldiğini.

Mustafa Hürrem'in şehzadelerle görüştü. Onlar birlikte Süleyman'a geldiler.

Hürrem ile Mihrima konuşuyordu. Mahidevran'ın saraya gelmekten hoşlanmadılar. Oraya Sümbül haber getirdi. Süleyman çağırıyormuş.

Rüstem Hürrem ile görüştü. Mustafa'yı Yeniçeriler karşıladığını anlattı.

Saraydaki meydanda herkes toplanıyordu. Bir tören başlayacak. Meydana girmeden önce Süleyman Cihangir'e kendi yaptığı yüzük verdi.

Kadınlar bunu pencereden bakıyordu.

Sonunda tören başladı. Cihangir sözleri ünledi. Bazı sözler unutunca Süleyman destek oldu.

Gece Cihangir'in odasına Hürrem geldi. Cihangir kendi kaderini üzülüyordu. O kamburdu.

Süleyman şehzadeleri yanına çağırdı. Rüstem paşa da katılması istedi.

Hürrem Sümbül'le konuştu. Şehzadelerin arkasında güçlü kadın olmasını istediğini anlattı. Sonraki gün kadınlar saraya gidiyordu. Onlarından biri olan Sisilya vardı. Hürrem onu hareme girmeye karar verdi.

Matrakçı ile Bayezid matrak oynuyordu. Oraya Selim geldi.

Yahya Yeniçerilerin başı Ali ağa'ya Mustafa'yı karşılaması konusunda daha dikkatli olmalıydı diye uyardı ama Ali ağa kulağını vermedi.

Bayezid ile Selim matrak oynamaya başladı. Süleyman da bunu balkondan bakıyordu. Ama onların arasında kavga çıktı. O zaman Süleyman'a Mahidevran ziyarete geldi. Mahidevran Mustafa'nın kız getirdi.
Barbaros Mustafa'yı gemiye davet etmiş. Kız Süleyman için şark söyledi. Mahidevran bir daha bebeğini beklediğini söyledi. Mustafa Manisa'da doğdu, bebek de orada doğsun diyerek Mustafa'yı Manisa sancağıya tayin etmesi istediğini ima etti.

Gece Mustafa eşiyle birlikteydi. Mahidevran gelip Süleyman'a ziyaret ettiğini anlatarak mutlaka tekrar Manisa'ya döneceğini söyledi. Ağa geldi Süleyman Mustafa ile görüşmek istemiş.

Sisilya hamamda yıkayıp yeni giyisiler giyidirildi. Kendi istememiş gibi oldu. Eski günler hatırlıyordu. İtalya'da zengin bir evde büyüdü.

Süleyman ile Mustafa görüştü. Yeniçeri meselesi konusunda konuştu.

Rüstem ve Mihrima'nın sofrasında şehzadeler de katıldı.

Mustafa ile Hürrem sarayda karşılaştı. Mehmet'in cenazade en son görüşmüş. Hürrem sonra Süleyman'a geldi.

Sisilya rüya gördü. Eski evde parti yaparken biri kılıç ile geldi. Kargaşa çıktı. Bu kargaşa içinde babası öldürüldü. Sisilya rüyadan uyanınca aynayı kırıp cam ile kendini öldürmeye çalıştı. Hekim çağıldı kurtaldı. Selim olmasaydı o kadar çabuk hekim çağılmazmış.

Süleyman Matrakçı ve Hoca Çelebi (Ebussuud efendi) ile birlikte cami inşaat yerine geldi. Sonra Süleyman ile Hoca Çelebi ile konuştu.

Sümbül Hürrem'e haber getirdi. Süleyman şehzadeleri divana çağırmış. Belki de ilan etmek için. Hürrem heycanlandı.

Divan toplantıda Rüstem paşa bir kutudan kağıt çıkardı.

Muhteşem Yüzyıl (Star TV)


オトバン(ハイウェイ)から見えたマルマラ海
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やばんじゅ

前回の記事で 日本には <赤の他人(よそ者)>を もてなす文化はない・・・みたいなことを書きました. ただ、考えてみると トルコにも <yabancı>という言葉があります. <赤の他人>や<よそ者>ほどは 積極的に<よそ者>を 排除する雰囲気は 強くないような気はしますが.

"Yaban" には 以下のような意味が あるようです.

"Yaban"
1. 無人の
2. 野生の、家畜でない、野良(犬、猫)
3. 自生する(植物)
4. 無人の土地
5. 家族のいる家から遠く離れた土地
6. 外国人

"Yabancı" となると・・・
本来 "yabancı" は <"yaban" の人>という意味ですが、実際には 形容詞も 多いですね.

1. 異民族(の)、外国人(の)
2. 他国民(異民族)と 関係のある
3. 他人の、よそ者の
4. 見知らぬ、未知の
5. 異種の
6. ある問題に関して知識、経験のない
7. 特定の土地や人に縁のない、部外者の

TDK から 雑に訳したものですが、これをみると "yabancı" の方が 拒絶のニュアンスが やや強いように 感じられます. 街のアパートや住宅に "Yabancı お断り" みたいなことが 書かれていることがあって、ちょっと ドキッとしますが、これは <部外者>でしょうね.

TDK (Türk Dil Kurum)


車道を行く観光用ファイトン(二人乗り馬車)
御者は ほとんどジプシー(ロマ)の人たちだそうです.(イズミル)
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お・も・て・な・し

このセリフ、今年の流行語大賞も 獲得しそうな勢いですけど、<おもてなし>と言えば トルコの方が 本場じゃないでしょうかね. 実際には、トルコ共和国だけじゃなく 広くテュルク系を はじめとする民族ということだと思いますが、<客人(misafir)を もてなすことは 神聖な行為であるとともに喜びでもあり、それをしないのは 恥ずかしいことだ>という伝統が あるようですね. もちろん、客人をもてなすことを大事にする文化は 世界のあちこちに ありますが、私の印象では 遊牧民に 多いような 気がします. 人が まばらにしか 住んでない土地では、人は 敵であるより味方(助けてくれる存在)になる可能性の方が高い・・・ということなんでしょうか.

日本人も 客をもてなすことを 大切にする民族とは 思ってますが、<赤の他人>という言葉が 示しているように、見知らぬ人であっても 友人同様にもてなす・・・という印象は 薄いですね. <一期一会>という言葉も ありますが、<もてなす>という文脈の言葉では ないですね. <お互い様>という気持ちの方が 近い気がしますが、これも 見知らぬ人を もてなすときの言葉とは ちょっと違っているような気がします.

アメリカでも 南部に "Southern Hospitality" という言葉が ありますね. <赤の他人>を どの程度もてなす文化なのか 詳しくは知りませんが.

田舎に行けば 昔ながらのもてなしが 残っているんでしょうけど、現代のトルコの都会では 日本人が驚くような もてなしは それほど多くないですね. もちろん、友人宅を 訪問したりすれば 充分に もてなしてはくれますが.

カザフスタンのトルコ人(Ahıska Türk)の お宅に おじゃましたときは、食べきれないぐらいの食事を 次から次に出してくれました. それが おれたちの習慣なんだと 言ってましたが、Ahıska Türk の伝統なのか カザフスタンの伝統なのか わかりませんでした.

トルコで 唯一気づいたのは、誰であれ 家を訪問した人は チャイの一杯でもいいから お出しして もてなすのが礼儀・・・と考えていること. 日本でも 「お茶でもどうぞ」といって もてなすのは 普通ですから 驚くことないじゃないか・・・と 思われるかもしれませんが、電気の修理に来たおじさんであっても 誰であっても 出すんですよね. 出された方も 飲むのが礼儀と 考えてるみたい. 日本でも 過疎地などの年配の方のお宅に 電気修理に行けば 茶でも 飲んでいけと 言われるかもしれませんが、日本の都会では あまりやらないでしょ?


路面電車(イスタンブル・シルケジ)
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"hoş" の不思議

eğlence、hoş、keyif、zevk、いずれも 感じのいい言葉ですね.
eğlence は 元々 トルコ語の単語のようですが、hoş は ペルシャ語から、keyif, zevk は アラビア語から来た言葉とか. トルコ語とペルシャ語とアラビア語の <楽しい>です.
さて、それぞれの基本的な意味は・・・

eğlence: 楽しみ、気晴らし、娯楽
hoş: 楽しい、愉快な、陽気な、快い、喜ばれる
keyif: 気分、きげん、元気、薬、楽しみ、上機嫌、陽気、ほろ酔い、気まぐれな要求、願い
zevk: 喜び、楽しみ、好み、趣味、味、風味

hoş だけが 形容詞で 他の3つは 名詞ですが、どう使い分けるのか 迷うぐらい 意味は似てますよね. しかし、実際の使われ方では "hoş" のユニークさが 群を抜いてます. "Keyifine bak." や "İyi eğlenceler." 、"Alişveriş yapmaktan zevk alıyorum." などは 特に 違和感も ありませんが、"hoş" については 例えば 真っ先に 思い出される "Hoş geldin(iz)." "Hoş bulduk.". トルコ語を 覚え始めの頃 挨拶は こう言うんだと教わったものの、なんとなく 違和感が 残ってました.

"Hoş geldin." では "hoş" が 副詞的に 使われていると解すべきなのか:「楽しく来たな」「楽しく来たよ("bulmak" には 達する、来るという意味があります)」、あるいは "Hoş geldin." では 主語・述語が 倒置されていると 解すべきなのか:「お前が来たことは 楽しい」. さて、どうなんでしょう? しかも "Hoş bulduk." の方は 通常 一人のときも "bulduk" と 一人称複数の形に 使われるようです. 何にしても 不可解な 表現です. 慣用表現には 文法的に理解しにくいものが 多いことも確かですが.

余談ですが、"Hoş geldin." は その家の住人でなくても 使えます. 例えば ある家に 客として 行っているときに その家の 家族の誰かが 外から帰ってきたときには 客が "Hoş geldiniz."、帰ってきた家族が "Hoş bulduk." ということが あります. これも、最初、客の私が 使っていいのかどうか どきどきでした.

それだけじゃ ありません. 何かが気に入るという意味で "(Bunlar) hoşuma gitti." などという表現が あります. これは また 一体なにごとでしょうか? トルコ語では 形容詞が 名詞として 使われることは 普通ですから(güzel など) "hoş" が 名詞的に使われているのは まぁいいんですが、「(これらが)私の楽しさに 行った」とは ずいぶん ぶっとんだ 表現ですよね.

"Hoş" に こういう ちょっと変わった表現が 多いのは、この単語が ペルシャ語起源であることと 関係あるのかないのか ちょっと 気になってます.


さらに 余談なんですが、"Hoşça kal(ın)." という表現が あります. これは 別れる際に 去る側が 言う言葉なわけですが、送る側は "Güle güle." と 言えば 一番 普通なんでしょう. ただ、以前 "Küçük Prens(星の王子様)" の トルコ語訳を 8種類 仕入れて 比較したことが あるんですが、星の王子様が 狐と別れるシーン(21章)は 驚くべき混乱でした. この 8冊の中には 数十ページにわたって まったく同文で 盗作が 疑われるものが 混じってますが、それにしても 別れの言葉が 混乱していることに 変わりはありません.

去る側(王子様)が "Hoşça kal." というのは 8冊中7冊、残りは "El veda." でした.
送る側(狐)は、なんと "Güle güle." と はっきり言っているのは 1冊のみ. 狐の文章中に güle güle が 使われているのが 一つ、合わせても 2冊に とどまりました. あと、1冊は "El veda."、これは 送る方も送られる方も 同じですから 賢いですね. さて、残り5冊中、送る側であるにも かかわらず "Hoşça kal." と言っているのが 2冊、残り3冊は 聞きなれない "Hoşça git." でした.

実は この "Hoşça git." が 使われている 3冊中 2冊は 当該部分が まったく同文で、(どちらが真似をしたのか 判別できないんですが)盗作が 疑われる訳文です. この2冊を 1冊と 見なしたとしても 7冊中2冊が "Hoşça git." ということになります.

送る側の言葉としては "Hoşça git." は "Hoşça kal." の対語としては 意味的には 一番 ぴったりくるんですが、私自身 "Hoşça git." と言われたことは ありませんし、耳にしたことすら ありません. トルコ人の先生に 話したら "Hoşça git." などと言う表現はないと 断言されました. だけど 7人中2人の翻訳者が・・・:D.

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9月9日

9月9日は 旧暦だと 重陽の節句(奇数が重なって めでたいから)ですが、トルコでは オスマン朝末期の 1919年に トルコに上陸し、アンカラ近くまで 進攻したギリシャ軍に対して、ケマル・アタテュルク 率いるトルコ軍が 反撃し、1922年9月9日、ついに イズミルに進軍した記念日として 知られています. イズミルにとっては 一年のうちで 一番 重要な記念日かもしれないです.

もちろん、ギリシャにも 言い分は あるんでしょう. もともと アナトリアは ギリシャ人が 住んでいた土地なわけですし、オスマン朝下でも (下の "Lost Paradise" によれば)イズミルのギリシャ人口は 当時のアテネの人口の2倍もあり、トルコ人の数を 大きく上回っていたそうですから. それに エーゲ海沿いの地域の領有は 第一次大戦後に結ばれたセーブル条約でも 認められても いました.

ただ、元々 ギリシア人の土地だった と言っても、オスマン朝から 数えても 約500年、セルジューク朝から 数えれば ほとんど 1000年前には ギリシャ人の土地では なくなっているわけですし、ギリシャ人より 前にも 別の民族が 住んでいたわけですから、その<正統性>には 若干 疑問符が つきます.

セーブル条約で ギリシャのアナトリアのエーゲ海岸地域の領有が 認められた点についても、敗戦国のオスマン朝は この条約で 領土の大部分を失うことになったわけで、トルコ人にとっては 到底 受け入れることができない内容でした.

いずれにしても、この戦争で イズミル市民が 多数 死亡しました. このあたり、以前にも 紹介したと思いますが、以下の本が 詳しいです.

Paradise Lost: Smyrna 1922: The Destruction of Islam's City of Tolerance
By Giles Milton


この本では İzmir と呼ばず Smyrna と 呼んでいます. Smyrna は ギリシャ名ですが、トルコ名の İzmir にしても Smyrna が トルコ語風に 訛ってできたわけですから 同じようなものです.

<9月9日>は トルコ語で "Dokuz Eylül" と 言いますが、イズミルには "Dokuz Eylül Üniversitesi", "Dokuz Eylül Hastanesi" など "Dokuz Eylül" を 冠したものが たくだんあります. 確か、小学校も、ロカンタにも あったような・・・.

当日は 式典も開かれますが、例年 トルコ空軍の "Türk Yıldızları" アクロバットチームが 展示飛行を 行います. 今年も 来たらしいです.


エーゲ海の島で 海水浴
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朝日の<あ>

・・・って ご存知でしょうか? 昔、電話などで 電報の文などを 伝えるときに、聞き間違えを防ぐために、例えば <あきた>という代わりに 「朝日の<あ>、切手の<き>、煙草の<た>」と言ったわけです. これは <和文通話表>というもので <あ>から<ん>まで 決まっています. ちなみに、<ん>は「おしまいの<ん>」です. 一応、<昔>と 書きましたが、通話表は 今でも使われます. 人名や地名などを 電話で 伝えるときには 有効です. お試しください.

<和文通話表>が あるぐらいですから、当然 <欧文通話表>も もちろんあります. 順序から言えば、こっちが 先でしょう. 英語では "phonetic alpabet" あるいは "phonetic code" といいます. これには 実は いろいろあるんですが、今、国際的に使われているのは "Alpha", "Bravo", "Charlie"..."Xray", "Yankee", "Zulu" というもので "Ankara" という場合には "Alpha November, Kilo, Alpha, Romeo, Alpha" という風に 使います. 主に 航空、船舶、軍隊の無線などで 使われています. "NATO Phonetic Alphabet", "ICAO(国際民間航空機関)Phonetic Alphabet", "ITU(国際電気通信連合)Phonetic Alphabet" などと 呼ばれますが、いずれも 同じものです. ここでは <国際版>と 呼ぶことにします.

<和文通話表>が あるように、各国でも 自分たちに なじみのある言葉で 作られた <各国版通話表>みたいなのが ある場合もあります. たとえば、スペイン版では "Antonio", "Barcelona", "Carmen"... スペインらしいでしょ?

さて、トルコの "Phonetic Alphabet" は "Türk Kodlama Sistemi" と 言いますが、おもしろいことに 町の名前を 使うようです. これにも いくつか種類が あるらしいのですが、例えば <トルコ標準化機構>というところが 定めたものは・・・

"Adana", "Bolu", "Ceyhan", "Çanakkale", "Denizli", "Edirne", "Fatsa", "Giresun", "Yumuşak ge", "Hatay", "İzmir", "Isparta", "Jandarma", "Kars", "Lüleburgaz", "Muş", "Niğde", "Ordu", "Ödemiş", "Polatlı", "Rize", "Sinop", "Şırnak", "Tokat", "Uşak", "Ünye", "Van", "Yozgat", "Zonguldak" ("Yumuşak ge" と "Jandarma" は 地名が 見つからなかったんでしょう."Japonya" と 言って欲しかったですね.)

いつか トルコで 使ってみたいもんです. ほかに Sivil 版、PTT 版、陸軍版、海軍版も あるようですが、いずれも町の名を つけたもの. ちなみに、空軍は 国際版を 使っているようです. というか、トルコでは 陸軍、海軍が 国際版を 使ってないのが 不思議です. 日本では <欧文通話表>といえば 国際版を指します. 自衛隊も 国際版を 使っていると思います.

<各国版通話表>を 作る理由は、なじみのある言葉の方が わかりやすいということの他に、その言語に 固有の音がある場合、国際アルファベットでは それが表現できないから・・・という理由も あります. トルコ語版では それが よくわかりますよね.


Vikipedi - Türk Alfabesi
Wıkıpedıa - 通話表


トルコのブルーインパルス、トルコ空軍のアクロバット・チーム <Türk Yıldızları>
トルコ空軍は 2011年に 創立100年を 迎えました.
100周年を記念するエアーショーで (2011、イズミル・チーリ空軍基地)
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Patates!!

写真を撮るとき、日本では アメリカを真似て <チーズ!>と いいますが、トルコでは <Bir, İki, Üç!(1, 2, 3!)>とか <Patates! (ポテト)>と 言うみたいですね. 基本的に<イ音>を 発音するときに 笑顔がきれいに見える・・・のが <チーズ!>と言う理由だと 言われているようですが、トルコのは<イ音>じゃなくて <ü音、エ音>ですね.

韓国では <キムチ!>とも 言うらしいし、他の国でも いろんな言い方をするようなので、日本でも <寿司~!>ぐらい 言ってみたらどうでしょうかね.

日本では 以前は <1足す1は? 2~!>などとも 言ったそうですが、あまり記憶にありません. そう言われれば 聞いたことが あったかも・・・という程度.
こういうものは 流行りものなので、トルコで 今でも <Patates!> と 言うかどうかは 知りません.


蒸気消防車!? (イズミル)
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Çemberimde Gül Oya

ちょっと前に「頭には バラの花輪飾り」という曲を紹介した記事で、同名のテレビドラマが あるらしいと 書きましたが、さっそく 見てみました.

このドラマ、2004~2005年にかけて "Kanal D" で 放送されたらしいのですが、この局のサイトには 過去のドラマを 保存・公開していないようで、このドラマも見つかりません. 2012年には Star TV という別の局から 再放送されたようなんですが、ここでも みつかりませんでした. 別の局から 再放送というのは 異例だと思いますが、それだけ 人気が あったんでしょうか.

それにしても、この二局だけが たまたま 過去のドラマを保存・公開してないというのならいいんですが、<現在の視聴率アップに つながらない過去のドラマは公開しない> というのが 主流になりつつあるとしたら、私としては 残念なことです.

ということで、YouTube で 見始めたのですが、10話まで 来たところで 11話、12話が 見つかりません. 13話は あるものの、その先も 最低 40話までは あるはずなのに、飛び飛びにしか 見つかりません. で、結局 見るのを 断念しました.

途中までしか見てないし、ここに 紹介しても 見られるわけでは ないのですが、せっかくなので 簡単に あらすじを ご紹介しておきます.

物語は Yurdanur の時代と その娘 Feriha の時代のストーリーが同時展開するような ちょっと 凝ったドラマです.Feriha の父 Mehmet は 亡くなっていて、母と娘の間に その死をめぐる感情的対立ができたようで、現在、母と娘は それぞれ 一人住まいをしています. Feriha は 雑誌社に勤めていて、編集長(?)Sinan から 70年代の トルコの激動期の記事を書くように 指示されます. その頃のことを知らないので・・・と 尻込みする Feriha に Sinan は 母に聞いてみたら・・・と 言うのです. まだ、感情的なしこりの残る母のところに行き、若いときの頃のことを 話して欲しいと 切り出してみます. 母は、匿名にするという条件で、自身の若い頃の話をし始めます. ドラマは、母の語る70年代のストーリーと 現在のストーリーが 微妙に絡みながら 同時進行していきます. この母の話を <Çemberimde Gül Oya>と題して 雑誌に載せたところ 大評判になってしまい・・・というストーリーです.

Feriha を演じている Melisa Sözen は、"Muhteşem Yüzyıl" で Nora という女性を 演じてました.

全40話が 見られることになったら また 改めて見てみたいと思います. さて、また 別のドラマを 探さないと・・・.

ちなみに 同名のあの曲は ドラマのテーマソングのワンフレーズに 使われているだけのようです.

Vikipedi - "Çemberimde Gül Oya"

街のザクロジュース屋さん
注文すると その場で絞ってくれます (イズミル)

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ヒュッレム異聞

普段は タレントのゴシップには 興味ないんですが、今回ばかりは 若干 触手が 動いてしまいました.

今は 夏で、トルコのドラマは 夏休みですが、 "Muhteşem Yüzyıl" で ヒロイン Hürrem を演じていた Meyrem Uzerli が 5月に 突然 ドラマの撮影をすっぽかして ドイツに行ってしまっていた事件は 視聴者に 大きな衝撃を 与えました. 彼女は 数日後に ドイツから戻ったと 思っていたんですが、今も そのままドイツ(ベルリン)に いるようですね.

ところが、この数日の間に 新しいニュースが 聞こえてきました.
彼女は 父親がトルコ人、母親がドイツ人のハーフで、生まれもドイツなら 母語もドイツ語. "Muhteşem Yüzyıl" の撮影が始まってからは もちろん トルコに滞在しているわけですが、ホテル住まいで トルコでは 親しい友達も いなかったようです. ドラマの撮影も、特に最初のうちは トラブルの連続で、さらには 脚本を書いていた Meral Okay が 亡くなったために 脚本が たびたび変更されるなど、仕事の上でも 気が休まらなかったようです.

そんなところに、ドラマで スレイマンの母后を演じていた Nebahat Çehre から Can Ateş という男性を 紹介されます. この人物、トルコでは有名なプレイボーイで、過去に 結婚して 二児をもうけたものの 離婚、その後は 女性とつきあっても 結婚はしない、子供は作らないと 決めていたようです、 Meyrem も 最初は「友達の関係だからね」と 念押ししていたようですが、そのうちに ずるずると 深い関係に なっていきます.

つきあい始めて一年. 今年になって 二人に 破局が 訪れます. 彼女は 自殺もしかねない状況で、夏までに まだ 4話分の収録が 残っていたにもかかわらず、ドイツに 逃げてしまいました. 本人の弁では 「傷ついた動物のように 逃げた」そうです.

その後、自分は 「燃え尽き症候群 ükenmişlik Sendromu")」だったと 告白するのですが、私は 疑問に感じました. <燃え尽き症候群>というのは すべてをやり終えて 何も残ってないときに 発症するものですからね. 彼女には まだ ヒュッレムの役が 残ってます. ただ、ドイツで 燃え尽き症候群の治療を 行っていたのは 事実らしいです. <すべてが終わった>のは 仕事じゃなくて 彼との関係だった・・・ということでしょうか? それを 燃え尽き症候群と 呼ぶのには まだ 抵抗が ありますが.

ここまでなら 夏の間休養して 秋から復帰・・・という展開も ありえたかもしれません. しかし、彼女は ドイツに行ってから 妊娠を知ることになります. Can も Meyrem も 子供を作るのを 望んでなかったのに なんで? という疑問に対しては、ピルなどのホルモン系の薬は 飲みたくなかったので 他の方法を 行ったが 結果的に 失敗したということらしいです. Can は 最初から宣言していたとおり 中絶を要求しますが、Meyrem は 迷った末に 産むことにしました. これで 彼との別れが決定的になり、出産を決意したことで ドラマ復帰も ありえなくなりました.

プロダクションとの契約は 来年3月まで 残っているようですが、主役が交代したことで 視聴率の大幅低下は 避けられないだろうと 思います. この状況で ドラマを 来年3月まで 続けるつもりなんでしょうか.

Meyrem は出演料で ベルリンに家を買ったそうで、その家で 子供を育てるつもりのようです. トルコに戻るつもりはないとか. 彼女に対しては プロダクションから 訴えが起こされるかもしれませんし、まだまだ 何が起こるかわかりませんが、こうなった以上は 元気な赤ちゃんを 産んで欲しいものです.


ザルツブルグ城(オーストリア)
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