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トルコ語あれこれ

ラマザン・バイラム

ヒジュラ暦(イスラーム暦)は 太陰暦です. 太陰暦なら 日本の旧暦もそう・・・と 考える方が いらっしゃるかもしれませんが、日本の旧暦は 太陰太陽暦という 太陰暦と太陽暦を折衷した暦で 完全な太陰暦では ありません. つまり 月の開始、終了は 月の満ち欠けを 基準にしながら、年の開始、終了については、太陽暦の一年と同じに なるように 閏月を入れて調整したものです. ヒジュラ暦は そのような調整を 行わないため、毎年11日程度 前にずれていきます(ここまでは 言わずもがな :D).

さて、そのヒジュラ暦の 第9月が ラマダーン、トルコ語で ラマザンです. ラマザン月が 終わると 続く 2日ないし3日が トルコ語では <ラマザン・バイラム>と 呼ばれる 断食明けの大祭です. 今年は 8月7日で ラマザン月が 終わり、翌日から 2日間(インドネシアなど)ないし 3日間(トルコなど)が 断食明けの大祭ということになります.

ここで、ちょっと ややこしいのですが、ヒジュラ暦では 日没から翌日の日没までが 一日らしいです. これは ユダヤ暦と 同じです. クリスマス・イブといって クリスマスの<前夜祭>を 盛大に祝うのは、実は 12月24日の日没から クリスマスが 始まっているからなんですね.

もうひとつ、これも ややこしいのですが、新月であれ 満月であれ、これらは 一瞬のできごとです. 私たちは 日頃 「今日は 新月だ」などと 言いますが、厳密には 新月は 一瞬のできごとで、それを過ぎると もう満ち始めています.

ここで さらに時差が 関係してきます. つまり、新月の瞬間自体は 地球上のどこでも 同じですが、その日付は 場所によって 違ってきます. たとえば、今月の新月は 8月6日 21時51分32秒(UTC)だそうなんですが、これだと 欧米では 8月6日、トルコ(夏時間)や日本では 8月7日に なります. これに <日没からが一日の始まり>なんていう考えを 組み合わせると わけがわからなくなります.

その点は これ以上 追求しないことにして、このラマザン月の開始と終了ですが、国によって違う場合があるらしいですね. その理由について、望遠鏡で ヒラル(新月後初めて見える月)を 観測して決めるから・・・と 説明されることが 多いようなんですが、本当なんでしょうか?

今年のデータについては 調べ切れませんでしたが、2010年は 中国(甘粛省、新疆ウイグル自治区)、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタンなどでは 8月11日から、他の地域では 8月12日から ラマザン月に入ったらしいです.(風の旅行社) インドネシア、マレーシアも 8月11日だったらしい. このことからしても 時差説が 有力じゃないかと 思ってるんですが、どうなんでしょうか?

バイラムついてに もうひとつ. ヒジュラ暦の第11月は アラビア語で Dhû al Qa'da と呼ばれる巡礼月ですが、この時期に置かれる クルバン・バイラム(犠牲祭)は 巡礼月の10日から 4日間と なっているようなんですけど、なぜ 巡礼月10日などという 半端なところから 始めるのか 昔から 疑問でした. ご存知の方、いらっしませんか?

Moon Phases (Calendar-365.com)
風の旅行社
インドネシア(東京外大 青山亨研究室)
マレーシア(ボルネオ・ナビ Blog)


イスタンブル・アタテュルク空港
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外国のの人名

マガリャンイスって 誰のことだか わかりますか? ポルトガルの航海者 マゼランのことですが、ポルトガル語の発音では こういうらしいです.

日本語でも どこの国の言葉でも、外国の地名、人名というのは 表記に悩むもの. トルコ語も もちろん 例外では ありえません.

日本語でも 同じような傾向は ありますけど、古い時代に入ってきたものほど 変形されているというか 自国語化されている感じがします. トルコ語の場合も 表記には 揺れがあって 必ずしも 統一されているわけでは ないですが、新しい時代のものは 綴りをそのまま採用することが多いように思います. このほかにも 例えば クーベルタンを "Köber" などと言っているのを聞いたことがあるんですが、ネットでは 見つかりませんでした.

古いものを中心に いくつか例を挙げて見ます. 語尾を略す トルコ語の癖が おもしろいです. 全部 わかりますよね ^^;?

Venüs
İskender
Pitagor
Eflatun
Sokrat
Arkhimed
Aristotel
Epikur
Herodot
Jül Sezar
Hadrian
Ferdinand Macellan
Kristof Kolomb
Şekspir
Pyotr İlyiç Çaykovski

最新式の<精密体重計>
以前は 人がいて計ってくれていたが 今はこういう無人のも多い.
もっとも 人が乗っているのを見たことがない (イズミル)
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カヤキョイ

地中海沿岸地方(といってもエーゲ海に近いですが)に Fethiye(フェティエ)という町があります. Fethiye の南の山の中に Kayaköy(カヤキョイ)という村があります. ただし 人口は ゼロ人です.

住民交換という言葉を 聞いたことが あるでしょうか? トルコ語では "mübadele" と いいますが、オスマン時代 アナトリアには エーゲ海沿岸地方を中心に 多数のギリシャ人が 住んでいましたし、逆に バルカン半島などには トルコ人が 住んでいました. ケマル・アタテュルク自身、ギリシャ北部の町 テッサロニキ(トルコ名 Selanik)の生まれですからね. そして 1923年、ローザンヌ条約で これらの住民を トルコとギリシャとの間で <交換>すると定められました. ギリシャからトルコに 送られたトルコ人は 50万人、トルコから ギリシャに送られたギリシャ人は 100万人とも 言われるようです.

もっとも トルコ人、ギリシャ人の区別は、イスタンブルの正教徒など 一部の例外を除き、宗教を基準になされたため、トルコ語を話す正教徒や ギリシャ語を話すムスリムは 宗教にしたがって 移住させられた例も あったようです. いい迷惑ですね. それでなくても 移住させられる住民にとっては つらい経験です. 強制的に 住み慣れた土地から 生計のあてもない土地に 移住させられるわけですから. ただ、移住せずに残ったとしても 対立する国の住民 それも少数民族として 生きていかなければなりませんから 楽なことでは なかったでしょう.

Kayaköy には 元々 ギリシャ人が住んでいました. 住民交換により 彼らは ギリシャへ 送られ、かわって ギリシャの Selanik に住んでいた トルコ人 2,500人が この村に やってきました. (こういうことは 普通に 行われたようです. ワインで 有名な Efes の近くの Sirince (シリンジェ)村も その一つで 今は トルコ人が 住んでいます.)

ただ、農民だった彼らは 石造りのギリシャ人の家になじめず、一部は 村を去っていったようです. さらに 1957年には 地震が Fetiye を襲い、多くの民家が倒壊しました. このとき 地震で家を失った フェティエの住民が Kayaköy にやってきて 村の家々を 略奪して行ったんだそうです. このために 村は それ以後 無人になってしまったということです.

私が この村を 訪れたのは もう 10年も昔ですが、そのときは 周囲に誰も 人がおらず、村は 静まり返っていました. 山の下の方から 鶏の鳴き声が 聞えてくるだけ. もし、機会があれば Kayaköy に 寄ってみてください. ちょっと違うトルコ(ギリシャ)が 見られると思います.

Kırık bir 'Mübadele' öyküsü (Ömer Şahin 氏)



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パサージュ

パサージュというのは もともと フランス語で、フランスには たくさんのパサージュが 残されてます. もっとも、実際に パリのパサージュに 行ったことはないんですけどね. 「パリ時間旅行(鹿島茂著、中公文庫)」に 写真が載っている <ギャルリ・ヴィヴィエンヌ>というパサージュなどは 教会かと 見まごうほどの壮麗さ.

フランスから 伝わったんだと 思いますが、トルコにも<パサージュ>が ありますね. 一番 有名なのは 多分 イスタンブルの <チチェク・パサージュ>でしょうか. レストランなどが入っていて、壮麗さでも パリに 負けてない空間になってます.

Vikipedi - Çiçek Pasajı
パリ時間旅行(鹿島茂著)

ただ、パサージュといっても <チチェク・パサージュ>のような 有名なところばかりでは ありません. 気をつけながら 歩いていると、町のところどころで <パサージュ>と 名づけられた一角を 目にすることが あります. 現在では たいていは ビルの一部の 店舗が 入っています. 小規模な商店街といったところで、チャイ屋さんや 電気屋さんなんかが 軒を並べてます. こういう普段着のパサージュも 好きです.


チャンカヤ・パサージュ (イズミル)
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文学クイズ

今日は 趣向を変えて クイズを出してみましょう. 下の30個は すべて 有名な欧米の文学作品です. 何問わかりますか? 20問もできれば 上々でしょう.

01. "Savaş ve Barış" ロシアの小説
02. "İlahi Komedya" 長編叙事詩
03. "Genç Werther'in Acıları" ドイツの小説
04. "Çizmeli Kedi" 童話
05. "Silahlara Veda" アメリカの小説
06. "Denizler Altında Yirmi Bin Fersah" フランスの小説
07. "Üç Silahşörler" フランスの小説
08. "Güneş de Doğar" アメリカの小説
09. "Sefiller" フランスの小説
10. "Vadideki Zambak" フランスの小説

11. "Değirmenimden Mektuplar" フランスの小説
12. "Esrik Gemi" フランスの詩集
13. "On Küçük Zenci" イギリスの小説
14. "Ay'a Yolculuk" フランスの小説
15. "Gazap Üzümleri" アメリカの小説
16. "İki Yıl Okul Tatili" フランスの小説
17. "Dar Kapı" フランスの小説
18. "Suç ve Ceza" ロシアの小説
19. "Çanlar Kimin İçin Çalıyor" アメリカの小説
20. "Gulliver'in Gezileri" イギリスの小説

21. "Don Kişot" スペインの小説
22. "Morg Sokağı Cinayeti" アメリカの小説
23. "Seksen Günde Devr-i Âlem" フランスの小説
24. "Tom Sawyer'ın Maceraları" アメリカの小説
25. "Bremen Mızıkacıları" 童話
26. "Çirkin Ördek Yavrusu" 童話
27. "Külkedisi" 童話
28. "İhtiyar Adam ve Deniz" アメリカの小説
29. "Kibritçi Kız" 童話
30. "Paris Sıkıntısı"詩集

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解答
01. "Savaş ve Barış" 戦争と平和(トルストイ)
02. "İlahi Komedya" 神曲(ダンテ)
03. "Genç Werther'in Acıları" 若きウェルテルの悩み(ゲーテ)
04. "Çizmeli Kedi" 長靴をはいた猫(グリム兄弟)
05. "Silahlara Veda" 武器よさらば(ヘミングウェイ)
06. "Denizler Altında Yirmi Bin Fersah" 地底二万哩(ヴェルヌ)
07. "Üç Silahşörler" 三銃士(デュマ)
08. "Güneş de Doğar" 日はまた昇る(ヘミングウェイ)
09. "Sefiller" レ・ミゼラブル または ああ無情(デュマ)
10. "Vadideki Zambak" 谷間のゆり(バルザック)

11. "Değirmenimden Mektuplar" 風車小屋だより(ドーデ)
12. "Esrik Gemi" 酔いどれ船(ランボー)
13. "On Küçük Zenci" そして誰もいなくなった(クリスティ)
14. "Ay'a Yolculuk" 月世界旅行(ヴェルヌ)
15. "Gazap Üzümleri" 怒りの葡萄(スタインベック)
16. "İki Yıl Okul Tatili" 十五少年漂流記(ヴェルヌ)
17. "Dar Kapı" 狭き門(ジード)
18. "Suç ve Ceza" 罪と罰(ドストエフスキー)
19. "Çanlar Kimin İçin Çalıyor" 誰がために鐘は鳴る(ヘミングウェイ)
20. "Gulliver'in Gezileri" ガリバー旅行記(スウィフト)

21. "Don Kişot" ドンキホーテ(セルヴァンテス)
22. "Morg Sokağı Cinayeti" モルグ街の殺人(アラン・ポー)
23. "Seksen Günde Devr-i Âlem" 八十日間世界一周(ヴェルヌ)
24. "Tom Sawyer'ın Maceraları" トム・ソーヤーの冒険(トウェイン)
25. "Bremen Mızıkacıları" ブレーメンの音楽隊(グリム兄弟)
26. "Çirkin Ördek Yavrusu" 醜いアヒルの子(アンデルセン)
27. "Külkedisi" シンデレラ(グリム兄弟)
28. "İhtiyar Adam ve Deniz" 老人と海(ヘミングウェイ)
29. "Kibritçi Kız" マッチ売りの少女(アンデルセン)
30. "Paris Sıkıntısı" パリの憂鬱(ボードレール)



熱気球 (カッパドキア)
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国旗と蹄鉄

トルコ人は トルコ国旗が 大好きですね. 町のそこら中に 飾られてますし、町では 国旗売りも見かけます. 日本では ありえないですね. 最近でこそ スポーツの場面などで 国旗や国歌を 目(耳)にすることが 増えた気がしますが、年配の人間には 戦争のイメージと ダブって見えます.

トルコ国旗は ご承知の通り 三日月に星のデザインですが、この旗 日本の国旗と違って 縦に飾られることも 多いです. その際は、月が上になるように配置します.

唐突ですけど、トルコで 馬の蹄鉄を 飾る場合、開いた方を下にすることが 多い気がします. アメリカなどでは 蹄鉄は 幸福が 入りますように・・・と、開いた方を上にするのが鉄則なんですけど、トルコには そういう考えがないんでしょうね. 国旗の三日月に 影響されている気がするんですけど 考えすぎでしょうか.


Wikipedia - トルコの国旗


Dokuz Eylül(9月9日)大学本部に掲げられた国旗 (イズミル)
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Sarı Gelin
金髪の花嫁

この花嫁とは、現在のグルジア共和国のチョルフ川流域に 昔 住んでいた キリスト教徒のクプチャク侯の娘のこと. "Sarı" とは ここでは 金髪という意味らしいです. このクプチャク侯の金髪の娘と エルズルムの若者の 恋の物語.

この物語は エルズルムとその周辺であった実話で、現在では トルコ語、アゼリー語、アルメニア語などで 歌われている.(トルコ側としては これは アナドルの türkü の一つであって アルメニア人も 歌っているのは 彼らが トルコ文化に影響されたためである・・・との考えのようですが、日本人としては この点は 留保しておきましょう.)

さて、若者の家族は この結婚に反対でした. ムスリムの家庭の息子が キリスト教徒の娘を嫁にすることへの抵抗も あったのかもしれません. 一方で 娘の家族も、同じ理由からか、結婚に反対でした. 若い二人は 駆け落ちすることに決め、とうとう 実行します. クプチャク侯の家来たちは 何日も二人を探し、とうとう見つけて 若者を殺してしまう・・・という話です.

これだけ・・・と言えば これだけの話なんですが、何百年もの長い間 伝えられてきたのには、端折られたディテールだけでなく 何かそれだけではすまない感情的なものも あるんでしょうね. ロメオとジュリエットの話にも 似てますが、Sarı Gelin は 恐らく シェークスピアより 古い時代の話なんですよね.

ちなみに、クプチャク侯(Kıpçak Bey)というのは 所謂 キプチャク汗国の貴族ということかなと 思うんですが、そうすると 時代的には 13~16世紀ということになります. ジンギスカンの長男が作ったこの汗国は 中央アジアから黒海の北を経て東欧にまで至る大きな帝国で、確かに 現在のグルジア共和国辺りまで その版図に入っていたようです. そのキプチャク汗国に 金髪のキリスト教徒の貴族が いたことになるんでしょうか?

ただ、この娘については クプチャク侯の娘ではなく、1130年代のグルジア王ぺネックの娘であるとする主張があって 議論が続いているようです.


金髪の花嫁

エルズルムの市場では・・・
一人の娘が品々を物色してる・・・
手にはインク壷とペン・・・
悩みに対する方策を書くのだ・・・

エルズルムには一羽の鳥がいた・・・
翼には銀があった・・・
あの人は行ったきり戻らなかった・・・
きっと事情があるに違いない・・・
(・・・の部分は 合いの手のような部分で 省略しています)

我ながら 意味がつながらない変な文章ですが、何か私の知らない慣用句や 言い伝えが 隠れているのかもしれません. トルコ語バージョンは、ここには 載せなかった歌詞を含むものもあるようで、もともと 明瞭でないうえに ヴァリエーションまで多いとなると ますます 言いたい所が見えてきません. 下の アゼリー語(英訳)の歌詞の明瞭さと 比べると 一目瞭然でしょう. ただ、それだからこそ トルコ語バージョンには 歴史の澱が 沈殿しているのかもしれません.

Yellow Bride(アゼリー語バージョンの英訳版)

Your hair is long, one doesn't braid long hair
One doesn't pick a dewy flower
Yellow Bride

Your hair is long, one doesn't braid long hair
One doesn't pick a dewy flower
Yellow Bride

What a love is this love!
They will not give you to me
Oh, what can I do?
Yellow Bride

What a love is this love!
They will not give you to me
Oh, what can I do?
Yellow Bride


The tallest of this valley,
Shepherd, return back the lamb.
The tallest of this valley,
Shepherd, return back the lamb.

I wish that one day I could see,
The face of my playful love.
Oh, what can I do?
Yellow Bride

I wish that one day I could see,
The face of my playful love.
Oh, what can I do?
Yellow Bride


What a love is this love!
They will not give you to me.
Oh, what can I do?
Yellow Bride.

They will not give you to me
Let your granny die.
Yellow Bride
Oh, what can I do?
Yellow Bride



Yavuz Bingöl
Sibel Pamuk
アルメニア語バージョン(Nilüfer Akbal)
アゼリ語バージョン(Akif İslamzada)
アゼリ語カラオケバージョン
Sarı Gelin の物語


古代ギリシャの女性像(イズミル考古学博物館)
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きつねとたぬき

うどんの話では ありません.
<ことわざ>というより<慣用句>なんですが・・・

"Tilki uykusuna yatmak" (キツネが床につく)という表現が あるらしいです. 意味は <寝たふりをする> つまりは <タヌキ寝入り>. トルコには タヌキがいないので <タヌキ寝入り>という言い方がないのは わかりますが、よりによって キツネですからね、笑えます.
もっとも <チャンスを狙うために 寝たふりをする>というニュアンスらしいので、単純に <起きていると 思われたくないから 寝たふりをする>タヌキ寝入りとは 趣が少し違っているようです. さすが キツネ・・・というところか.

タヌキと言えば <取らぬタヌキの皮算用>に似たことわざも あるみたいです.

"Denizdeki balığın pazarlığı olmaz." (海にいる魚を売り買いはできない.)
海になじみの深い日本にこそ あっていいことわざだと 思いますけどね.



街角 (バンドゥルマ)
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理由が知りたい
Sebebini Bileyim

Zara は トルコ民謡の歌手と言ってよいと思いますが、モダンな民謡という感じです.
彼女は 伝統的な曲も もちろん たくさん歌ってますが、この曲は Zara しか 歌ってないようなので、恐らく オリジナル・・・なんでしょうか. いやはや歌謡曲的というか それを もっと激しくしたような歌詞ですね. 曲だけ聞いている分には もっと柔らかいラブソングに 聞こえるのですが.


理由が知りたい

私に何の罪があるのか知らないけれど、罰は 甘んじて受けるわ.
道で野たれ死んでもいいわ.
書記がいるなら 自分で首をくくるわ.
お願いだから 機嫌を直して.

知りたい、知りたい、理由が知りたい.
裁判官がいるなら、検事がいるなら
私は 罰を受けるわ.


あなたが山だったら 私と話しあったでしょ?
あなたが石だったら 私を同情させたでしょ?
もうたくさん、いっそ 私の首を切って 血を流してみたら?
お願いだから 機嫌を直して.

知りたい、知りたい、理由が知りたい.
裁判官がいるなら、検事がいるなら
私は 罰を受けるわ.

(繰り返しは省略)

山が、石が・・・というくだりは 意味不明、ことわざか何かから来てるんでしょうか?


Sebebini Bileyim

Suçum neyse cezamı ver çekeyim
Bir ömürde yollarında öleyim
Katip olda ben boynumu bükeyim
Kaldır aramızdan bu dargınlığı
Katip olda ben boynumu bükeyim
Kaldır aramızdan bu dargınlığı

Bileyim bileyim sebebini bileyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Bileyim bileyim sebebini bileyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim


Bir dağ olsan konuşurdun benimle
Bir taş olsan acıtırdın canımı
Yeter al başımı akıt kanımı
Kaldır aramızdan bu dargınlığı
Yeter al başımı akıt kanımı
Kaldır aramızdan bu dargınlığı

Bileyim bileyim sebebini bileyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Bileyim bileyim sebebini bileyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim
Hakim olda savcı olda
Ben cezamı çekeyim


歌詞

演奏




路面電車 (アンタルヤ)
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トルコの蜜飴

ロシア語の通訳で作家の米原万里さんが「旅行者の朝食(文春文庫)」というエッセイで、<トルコ蜜飴>と<ハルヴァ>というお菓子を 紹介されています.

<トルコ蜜飴>とは 聞きなれない名前ですが、ケストナーの「点子ちゃんとアントン」という物語に出てくるそうです. 万里さんは これを読んで、<トルコ蜜飴>を 一度食べてみたいと 思い続けていたそうなんですが、父親の仕事の都合で チェコスロヴァキア(当時)に 住むことになり、駄菓子屋の一番人気のお菓子が<トルコ蜜飴(トルコの蜜)>というお菓子であることを 知ったそうです. このお菓子、ヌガーに 似ているものの ナッツ類がもっと多くて サクサクしているそうです. これでも 並みのキャンディや チョコレートじゃ 太刀打ちできないぐらい美味しいそうなんですが、ロシア人の友達イーラは、「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわよ.」と言うんです. そう言われたら 万里さんならずとも 好奇心が涌きますよね.

イーラは 夏休みに ロシアに戻って ハルヴァを 買ってきてくれました. ベージュ色のペースト状のもので、イーラは スプーンで こそげとるように掬って 差し出してくれました.
美味しかったかって? もちろん 美味しかったそうです、<トルコ蜜飴>の百倍も. その後も大人になって この本を書くまで <ハルヴァ>を 超えるものは なかったようです. ただし、どのハルヴァでも 美味しいわけではなく、むしろ なかなか同じ味のハルヴァが 見つけられなかったようです.

美味しいハルヴァに 再会できないまま 年月が過ぎ、やがて <ハルヴァ>は ロシアのお菓子というより 旧ソ連のイスラム圏の人たちの作るお菓子だということがわかってきたそうです. そう、トルコの<ヘルヴァ>ですね. その後、万里さんは レシピを覚えて 自分で作ってみたりするのですが、やはり イーラのハルヴァとは 似ても似つかないものしかできない. 半ば 諦めかけているときに 友達が アテネで ハルヴァを 見かけたといって お土産に 買ってきてくれた. 一口食べてみると・・・そう、イーラのハルヴァの味だったそうです.

またしばらくして、一冊の本が 万里さんの手に入ります. 歴史学者・言語学者・外交史研究家にして料理研究家の V.V.ポフリョーブキンの「料理芸術大辞典・レシピ付き」. そこには 一ページにわたって ハルヴァの起源、特徴、レシピが 記されていたそうです. それによると ハルヴァの起源は イランで 紀元前5世紀に 遡るとか. ハルヴァを作るには 細かい気遣いと 手間が必要で 簡単にできるものでは ないようです.

どうやら <トルコ蜜飴>は、ヨーロッパで ハルヴァを真似て作ったものにつけられた名前らしいです. そして 万里さんは <ハルヴァ>が ヌガーと トルコ蜜飴と 求肥と 落雁と ポルボロン(スペインの菓子)と 血縁関係にあることを確信したと書き、ユーラシアの大地と歴史に 想いをはせています.
(なお、上の文章は「旅行者の朝食」を 簡単に紹介したに過ぎません. 興味をもたれた方は 「旅行者の朝食」を 読んでみてください.)

なお、米原万里さんは 2006年に 癌で亡くなられています(享年56歳). ご冥福をお祈りします.


ところで、私自身は トルコで ヘルヴァを 何度も 食べましたし、土産にも買いましたが、まことに残念なことに そんなに美味しいものとは めぐり合っていません.


旅行者の朝食(米原万里)


イズミルのカフェ街
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