我が家は楽園だった、という記事を書きました。


この楽園、いつまでも続くわけではありません。期限付きの楽園でした。



親や祖父母、親族の大人達は、子供の時代はとても温かく見守ってくれていたと思います。それは思い出の中で、十分に理解できるものでした。しかし、高校の卒業以降は、大人としての扱いをきちんとされました。子供ではなく、社会人として生きていくことができる年齢の人間として、親の態度も年々、甘さのない対等な大人としての言動が増えていたと思います。



それは、大学や専門学校へ行きたければ学費と、生活費の一部援助を親がしてくれますが、進学しなければ長男以外は安アパート(親の支援は最初の1年、月3万のみ)へ直行です。仕事をして食べていかねばなりません。その現実については、親からきちんと情報提供され、自分もそうしていくのだから、と言い聞かされることが多くなり、順番に兄弟が巣立っていったことで理解できました。



健康で五体満足の大人を、大学までサポートした後は、年とった大人(親、祖父母、親族たち)が養う道理はない、というルールでした。それまでに猶予期間(学業に専念して知識や技能をつける)は十分にあったのと、生まれてからずっと自立すること、それを当たり前に育てられていますから、大学を出たらあとは家を出るな、というのはどの兄弟姉妹、従兄弟従妹達もしっかり感じていました。



親の経済的な点でも、あらゆる費用の大きなシェアは教育費だったことを数字で知らされて育ってきています。親は自分の趣味にお金も使わず、それこそ服も買わず旅行もいかず、ひたすら子供の教育費に惜しげもなく使ってくれていました。(これも子供時代は理解しておらず、バイトをはじめた頃に実感したものです)大学以降も家にいる大人を養う余裕は、祖父母の介護もある老いた両親には残っていない、という事もしっかり兄弟姉妹から順次に伝達されての自立でした。



障害特性がある私達なので、大学生になった当初はなかなかバイトが続かず稼げない子もでてきますが、その場合は従妹や兄弟姉妹に頼み込んで、居候させてもらわないといけません。兄弟姉妹はシビアです。自分達で手がいっぱいだから、仕事を早く見つけて家賃、電熱公費を負担すること、食費を負担することを要求します。当たり前ですよね。なので、なりふりかまわず必死でバイトを探したものでした。住んでいる所も、本当にぼろいアパートです。住居費にお金をかけるとその分仕事の負担は増えるし、好きなオタク学問ができないことがみんな経験を聞いて理解していたので、ボロだろうが頓着しませんでした。食事も白ごはんと100円餃子とか。まかないが付くから飲食店、という人間が多かったです。



親族の子達は、ほとんどが大学や専門学校へ進学しています。親の支援は学年が上がるごとに減りますから(3年、4年は暇が増えるのでバイトができるとわかっているため、専門学校は短期間で卒業なので例外)、学業とバイトは両立していました。家庭教師ならいつでもありましたし、つなぎにファーストフード店などで仕事もありましたし、困ることはありませんでした。



今思えば結構シビアな親だったな~と回想するのですが、自分が発達障害の子供を育てるにあたって、なぜ親がこのような「期限を切ってまで子供を家から出したのか」がはっきりと理解できました。



発達障害の子供というのは、本当に「変化に弱い」です。「現状を維持したい」という無意識のコントロールがきついのです。これは決まった食材を食べるとか、決まった店ばかり使うとかいう風に日常的なこだわりとして現れている事も多いですね。成長するとそのこだわり傾向がナリをひそめるように一見みえますが、上手く隠れただけで、特性が消えたわけではありません。



もし、親が大学を自宅から通学させ、就職活動もゆっくりさせ、就職しても家から通勤させたら・・・どこに自立という節目、切れ目ができるでしょうか。親が、切れ目をきちんと線引きしなければ、障害特性のある子達は、自分から線引きするということは、まず難しいのです。これは甘えなどではなく、障害特性の最大の特徴だと思います。


変化がストレスであり、不安であるし、未来を見通せない障害持ちなのだから、自分から家という安全圏を出てストレスある未知の世界に挑戦しようなどと、誰が思うでしょうか。私が親から線引きされていなかったとしたら、食事も家で食べて、実家で何でもやる発想から抜けきらない・・・拠点を変える、自分の家を持つ、自分の居場所を実家以外に持つという非現実的な事(想像できないこと)はまずしなかったと思います。



想像ができない。


想像できないことは、実行もできない。


誰も期限を切らないし、背中も蹴って押してこない。


押されるまで、発想もわかないし、ちょとよくわからないから、様子をみよう・・・


それで、何年も、何十年も過ごしてしまいそうな自分。


私も自分の子供には、大学まできちんとサポートをして、その先は自分の好きな学問なり仕事なりをして、自分の好みの家に住めるように給与を増やしていき、自分のオリジナルの世界で生きていくのですよ、と私や親族の例を出して言い聞かせていますが、もし、万が一、魔がさして子供ともっと一緒にいたいと思ってしまい、この大学卒業という期限を逃したとしたら・・・その後どう自立させたらいいのかが、私もわかりません。


結婚が自立のチャンスになるでしょうか?


私の思考回路をたどると、一人で生活をして仕事に没頭をしている延長上で出会いがあり、その相手と二人になる「物理的時間」が多かったので、そのまま結婚につながりましたが、もし私が出会いがあったとしても、毎日実家に帰宅することが「私のルーティーンのこだわり」となっていたら(こだわりは無意識です。変化や刺激を避けたい思考で安定して閉じこもる自閉的思考です)、結婚という発想にはつながらなかった、と感じるわけです。一人だったから、結婚できた。親と家族といたなら、いくらプロポーズされたからといっても、仕事―実家 というルーティーンの中で必要としていない結婚にはピンとこないような気がするんですね。



親が見本として見せて、私達に経験させてくれたから親として同じ事ができるだけで、親がしなかった大学という期限を超えて子どもが家にいる状態になったら・・・延々とそのまま、どうしよう、どこでどう自立させたらいいの?と迷いに迷う気がします。夫は子供可愛さに、まあまあ、と家にとどまることに賛成しそうな気もしますし。結婚相手を見つけているということも、おそらくわからない気がします。毎日きちんと帰宅して家でご飯食べているかもしれない子に、結婚できるほど意気投合している恋人がいるなんて高度な推測は、私達夫婦にはできそうにない。



こういうことを鑑みると、絶対的に想像力が欠けた人間である私は、親と同じやり方で子供を自立させるしか方法がなさそうです。ただ、うちの親を含め親族の大人達は、一族のルールとして確立しているこのやり方に不満がある人間は、兄弟姉妹、従兄弟従妹達にもほぼいないと思うので、ある程度は自信を持ってやっていけそうです。


自分の納得いく仕事を得ることができ、自分だけの幸せな家庭を持った今、親と同等の責任を負う立場になっている、というのも「やっと親においついてきた」という気になります。そういう誇らしさ、みたいなのもあるのかもしれません。そういう立場になって、やっと「自立ってこういうこと」とわかった次第です。











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