私達、アスペルガー、自閉症スペクトラム、高機能自閉症の子供時代に共通していることがあります。
季節感がわからない、ということと、暑い、寒い、という温度差を自分で感知して、季節や気候にあわせて服装を変化させる、ということが自動的にできないのです。
これは、放置しておくといつまでもいつまでも、定型一般の人が見たら
「なぜこんなに寒いのに半そでシャツ一枚なの?」
といぶかしがられるような人間でいます。そうなると、メリットは全くない。発達障害があるからこその、障害面でこうなっている、とは誰も察知してくれないので、
「ただの常識知らず」
「ただの頭の悪い人」
と蔑まれるネタとなります。
なにしろ、長じても年中半そでタイプの人間のまま育つと、法事だろうと入学・卒業式だろうと、面接だろうと社会人になりきちんとした服装での出席が必要な場であろうと、我流を通すことは確実だろうマイペース人間が発達障害を持つ私達なので、TPOというものを皆目察知できないケースで、多々やらかすと思うのです。
そういうイベントでの粗相をしないためにも、教育は赤子から、の一族です。
身だしなみとは、自分の評価を下げないための最低限のテクニックだ、という風に割り切っています。人から嫌われたり、軽蔑されたり、敬遠されるようなネタを自ら大々的に提供することのないように、必要なのだ、という説明を小さい頃よく受けた覚えがあります。
服装については、とても厳しく季節ごとに入れ替えることを指導されました。自分達の子供用チェストの中身を、寒くなれば夏物を全部透明なプラスチックケースに入れて、秋・冬物の服をどっと入れるわけです。これは1日、家族全員が自分の分をやる、という風に行事の一つになっていました。
触覚過敏で、長袖が嫌な子とかもいますが、その場合は体に触れても大丈夫なやわらかい生地のトレーナーとか、起毛のものとか、ネル生地とか、色々親が試させて自分が良いと思う物を着るように言われました。
この小さい頃からの習慣が定着し、行事となっているので、今でも天気予報で「そろそろ寒くなってきます」と聞こうものなら、週末は服の入れ替えか~と頭が切り替わります。そうすると、やらないと気が済まなくなってくる(衝動性)。
子供の頃は、本能のままであれば、家ではパンツいっちょが嬉しいのだろうし、外でも半そででジャケットなど着たくないのだろうけど、季節が変われば服装も変わる、苦手でも服装に関しては社会のルール(私達にはルールとして決めているけど、世間一般では単なる常識ですよね)なのだから、という理論で無理やり自分に納得させている感じです。しかしそれも習慣になれば、中学ぐらいから当たり前にできるようになって、ストレスも感じなくなり、むしろ季節ごとに服装を変えることは当たり前になるという・・・
習慣こそ、発達障害の人間には社会的常識を身に着ける最良の方法、と言えるのではないでしょうか。
急激に寒くなってきた家族はみな、今朝もきちんと厚手のジャケットを羽織って出て行きました。
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