週末に、いくつかの親族と合流して子供達を遊園地で遊ばせました。田舎だし台風のこともあって、ガラガラ状態だったのでじっくりゆっくり楽しめました。


子供達は、年上の従妹、従兄弟たちを筆頭に「わ~」っとチビエリアから順番に大人のエリアまで移動しながら、乗り物に乗ったりイベントホールを覗いたりしていました。大人は、おしゃべりしながら後ろ方ついてまわりました。


子供達の面白いところは、みんなアスペルガーだとか自閉症スペクトラム系なので、特性がしっかりあるものだから、個々、目も合わさないし(視線があわないのがうちの一族では自然)、それぞれ興味がある乗り物に衝動的に次々乗りたがるし、休憩を一切入れないし(ご飯の時以外はお茶もおやつも見向きもしない)、ぐるぐる回転する乗り物に連続で乗ろうと、降りたらすぐ駆け出して次!次!と移動する。


みんな三半規管が強いのか?回転することに気持ち悪さがないのか?3歳や4歳のちびでさえ、コーヒーカップを超高速でぐるぐる回して乗っていて、遊具が止まったらフラッともせず、ダーッと駆け出すぐらいの強さ。すごいなぁ、と感心しきりでした。



こんな、個々は興味のある「乗り物」に意識が集中していて「乗る事だけ」に夢中な状態なのに、なぜか同じテンポ(興味がある事に関してはテンポがむちゃくちゃ早い)で、無駄なおしゃべりもなく、だらだらと相談することもなく。「次あれ!」と指さして駆け出す子がいたら、その遊具に視線を捕えられると衝動的に興味がそこにみんな集中して(視野が狭いので、見たものに気を取られる習性があります)一族の子全員がダーッと走り出す。乗り込む際に席も適当。小さい子なのに、一人で座るから係り員さんが大きい子に「横に座ってあげて~」と促すぐらい、普段は不安が強くて怖がりな小さい子達も、乗り物は全く別物らしい。



ただ面白いのは、並ぶときはきちんと列を作って並び、どんなに衝動的でも順番を守っていたり、人と人との距離を教えられたようにきちんとキープしていること。(くっつきすぎないように)それに大声で話さない。飛び跳ねたりジャンプするのも、列では絶対しない。一人でくるくる回って歓喜で喜んでいる時は、人がいないところに走って行ってわ~っとやっている。家庭で決めたルールが浸透しているのがわかって、親達は「まじめだよねぇ」「本当に、ああしてるとおりこうに見えるよねぇ」と規則を律儀に守っている子達を眺め。



本当に、「見守る」だけでそれぞれの子供は「自分のしたいこと」にがっと集中して親元には一切戻ることもなく、用事を言いに来ることも、何か要求することもなく、朝から帰宅する夕方まで、ただひたすら「見守る」だけ。お昼時間に「ごはんにします!」と号令をかけて支払をするだけの役目でした。食べる時も、子供達を一か所にまとめておけば、ひたすら食べます。8歳なのにもう大人と同じ量のカレーを食べる子、7歳だけど3歳児が食べるぐらいのお子様ランチしか食べれない子、スパゲティーのたれなしの部分しか食べない子、まだ幼稚園の年少さんなのに、食べて食べて、食べまくる子など、食に関してはものすごく個性的でしたが、それぞれの快適な量と食材をきちんと選んで食べました。



それで、彼らを見ていて小さい頃からのことを思い出したのですが、親や祖父母、親族から、私達もこんな感じで何も介入も干渉もされずに過ごしたな・・・と。家でも外でも、守るべきルールは厳しいぐらいに徹底されていましたが、そのルールさえ守っていれば、何をしていても叱られないし、自由にさせてくれていました。従妹と山遊びが楽しくて、週末はおにぎりをつくってもらって、朝から暗くなるまで親族の家の裏山に入って遊んでいても、かわるがわる大人達が時々通りかかったりしてたけど(今思えば子供を気にして定期的に見に来てくれてたのだとわかりますが)、口をはさまれたことが一切なかったです。



勉強も、幼稚園の頃に兄弟の教科書を借りて、勉強ごっこをしたら算数が楽しくてどんどん解いていたら、親族のどこからかもらってきてくれた子供向けの問題集をどっさり持ってきてくれて「やっていいよ」と渡してくれて。夢中になって、しばらくは算数がマイブームだったこともあります。



兄弟の小さいのは、三輪車にのれなくて(三輪車の足こぎがどうしても難しいようでした)、でも体格がよく背が高かったから「兄貴の自転車みたいなのに乗りたい」といきなり言い出したら、これも親族のどこからか小さめの自転車をもらってきて、「乗っていいよ」と渡していましたね。弟は夢中で一人でこけては乗り、こけては乗りして、いつのまにか乗れるようになっていました。



姉妹の一人が、従兄弟の家でピアノが上手いお兄ちゃんがいて、それを見て「やりたい」と言ったら、親族の使っていないピアノをひかせてもらえるよう話をつけて、その親族宅に毎日のように通っていくようになった。その子はお兄ちゃんからいらなくなった楽譜をもらって、自己流でピアノをひけるようになったり。



思えば、親は子供のことをよく見ていて、やりたい!という衝動が湧きあがった時にタイミングよく、その教材や道具を提供してくれていました。「これをしてみたら」と言われるときは、やりたくてやりたくてたまらないときに言ってくれる感じで、「やった!」と思って飛びついていた気がします。



今、自分が子供を育てる親になって思うのは、本当に障害特性のある子達は好き嫌いがはっきりしているということ。そして興味のあることが、丸わかりになるぐらいわかりやすい。親としては、その興味ある部分に発揮する集中力や熱中する後ろ姿を見ると、「これを何とか、お稽古とかの形で習えるようにしてやりたいなぁ、能力をもっと伸ばしてやりたいなぁ」という気持ちが出てきますね。



草や絵具やらで色水を作って、そこに何かまぜて色彩実験をして研究成果を紙に書いて喜んでいる子が、毎日毎日、いろんな考えついた実験をしているのを見て、私達夫婦は科学実験のできる市主催の教室を探してしまいました。やりたいことをもっとハイレベルにやれると、喜びはひとしおなのを知っているので、ついつい自分と同じだろうと考えてしまうんですね。それで大ヒットして「ありがとう、ありがとう」と何度も何度も子供から言われると、「ああ、探して連れて行ってやれてよかったなぁ」と思います。



私の親達も、きっとそうだったんだろうなあと。



好きな事を、自由にさせてくれて、しかももっと追究できるようにあらゆる手段でもってさりげなくサポートしてくれていた親や親族には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。兄弟姉妹達も、親となって、やっぱり同じように子供のためには、「馬に乗りたいと言うんだけど、どこかツテはあるか」とか「船に乗りたいというんだけど、小さいボートはだれか持ってたか」とか、連絡が来るたびにほほえましくなります。



家というのは、自分が自分らしくあることができる、楽園のような場所だったなぁと今でも懐かしく思います。








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