いざ、キャバクラ(さぶっ)。       -漁師物語 続編- -2ページ目

今日この頃。

秋らしくなったかと思ったら、てぶくろが必要になって、数日後にはマフラーも必要になった。


                         20


パソコンが壊れて以来2週間ほど経つが、まだ新しいPCを買いに行っていない。

今週末行く予定だけれど、今度は結構評判が良い富士通にしようかと思ってる。

友達TがMac愛用者なんだけれど、あのMacを使いこなしているのはすげぇなぁと感嘆。

生まれて初めてMy PCになったのが15歳のときにJICAで働く従兄弟にプレゼントされた

Macだったのだが、その従兄弟はPCの使い方の基礎くらい教えてくれるのかと思いきや、

使い方も何も教えず「とにかく触れ」などと無謀なことを言い、翌週にはトリニダード・トバコへ

旅たっていった。その結果、結局大した活用はせず、4年後には俺が初ゴミにしたPCとなった。

それ以来、Mac恐怖症となり、今に至っている。


PCが使えないというのは不便だ。最近はもっぱら昼間は家で論文の元ネタとなるような本読みを

地道に続けて、夜11時ごろから学校のPCルームに篭り、朝帰りするという日常になってきている。

自分で羨ましいとか良いとか思うのは「朝帰りする」という部分だけだ。あぁ、情けない。


             23


学校は夜にもかかわらず、多くの研究室に火が灯っている。夜10時くらいまでは、学内で踊ったり、

歌歌ったり、楽器触ってる奴らも多くいるが、さすがに深夜になると、学内で篭って研究続けてる輩

ばかりのようだ。その光は、特に理系の研究棟で多く見かける。さすが理系の学校だわね(笑)


もちろん文系もがんばってますよぉ。

                       18


来週半ばをめどに書き上げてる論文。卒論から試験提出論文など、長く・・・いやなんか

それこそ悪霊に憑かれたような、そんな長い間付き合ってきた論文だ。

いよいよ、自分なりにめどをつけるときになってきた。


22


朝変えると、まぁ写真撮った日はさほどだったけれど、良い天気が待っている。

寒空だけど、気分はすこぶる良い。唯一の悔やみは、この光景がその後の

午前中の睡眠で一切見られないってことか。


            19


さて、秋はさっと過ぎ去り、すっかり季節はクリスマス一直線のようだ。

ちょっと前までは「はろうぃん」って感じの町並みだったのに。


さて、今年の年末は、しっかり稼ぐぞ。・・・・・例年通り(笑)

財政再建に関する一研究。

              論文:北朝鮮以来の管理統制経済の開始宣言


                著:Friedrich Engerukeisuu-takaidesu


                                  


経済危機である。PCが壊れたことは想定外であったし、それに対する支出も想定外であった。

来年から再来年に出るという次世代Windows Vistaに対する投資はしようと思っていた。

(Vistaに関しては、専門誌では大した変化はないという評価もあるが。)

でもこんなに早く、しかもXP世代に更なる投資をすることは計画外である。


私も、ホリエモンみたいに「想定の範囲内ですね」みたいなことを言い放ってみたいものである。

しかしながら、Sony Timerという伝説上の生き物は、その息吹を現実的に放ったのであった。


さて、未曾有の経済危機である。想定の範囲内は、入学金・学費・生活費・友人の結婚祝い等々

であって、PCについては「一切」の想定をしていなかった・・・大学院生といわず、この時代、

PCがないのは生活に支障を来たすと言っても過言でないことは否定できないだろう。


さて、こうして訪れた未曾有の経済危機であるが、それに対する某Y国(私)の反応は至って鈍い。

なぜか。どうも「弛緩」しているようである。実は経済危機、今に始まったことではない。


「よって」、この経済危機に長年浸っていたことから「悪慣れ」しているのである。

では某Y国の経済危機の起源・・・悪慣れの起源は、いったいいつなのであろうか。

本論の問題意識はこうしたものであり、最終的にそれに対する施策を提案するのが

最終的な目標である。


・・・・・


1997年、東南アジアを中心として、世界では金融危機が起こった。その要因は内外様々な

ものの複合的なものであったが、それに対してアメリカ主導のIMF統制経済が大きな力を

振るった。それは良かれ悪しかれというものであったが、結果としては諸国のマクロ経済の

安定を導いたことは事実でもあろう。


某Y国の経済危機は、奇遇にも同年から始まる。その要因はアジア経済危機と同様の

短期資本の過剰状態に代表されるグローバリゼーションの動きという国際的動きと、

財閥に代表されるようなクローニーキャピタリズム(縁故資本主義)などの国内的要素が

非整合的になり、その状態が末期に至った・・・という要因らとはまったく関係ない、某Y国の

経済危機は母国からの独立がもっとも大きな原因である、と論じたのは、日本・上野帝国大学で

近隣の風俗研究や男女の協調・対立をゲーム理論から探る研究を続けているTakasy. Kuma Bullである。

独立・・・それも激しい戦いを経た後の分離独立であった。それは母国との長年の対立から引き起こされた

母国からの要請(封じ込め戦略)でもあり、それも兼ねての某Y国自身の選択でもあった。


独立を果たした某Y国は、財源「0」のスタートであったことから、夜間に従事する、ある産業を

財源とする政策を執ることになった。某国がアヘン栽培することから財源を得ていったように、

某Y国もまた人には言えないような夜型仕事による財源を見つけ、それを2年続けたのである。


一ヶ月税収がおよそ16万円であった某Y国も、途中、一ヶ月税収全てを原チャ運転中に

道に落として失くすという短期的な経済危機も迎えることがたびたびであった。しかしながら

その間は歳出も約10万円といったところで、毎月6万の繰越が起こるという、若干、バブリーな

状態であったことも事実である。そうして経済危機といっても、破綻というものではなかった。


問題はそれから数年後である。それはもう、自転車操業という状況になってきた。

特に悲惨だったのが、某Y国が埼玉の某A大学国に植民地統治されていた時代であった。

当時、某A大学国の経営的課題から、某Y国は搾取の対象となり、年間100万×4年=計400万ペソの

搾取が行われた。他大学国が、搾取額を年々減らしていく傾向が多いのに対し、この某A大学国は

4年間一律、しかも金額が高いままという、やや変わった側に属す国であったといえる。

一方、某Y国も決して搾取されて黙ってばかりでいた訳でなく、抵抗運動を必死に繰り広げていった。

そうした試行錯誤の結果、様々な恩賞を得て、少なくとも60万ペソを奪い返したのである。


だが、それこそ、日本国の予算の多くが国債で賄われているのと類似した状況にあるのは変わらない。

そうした中で日本国は歳出削減---特別会計なども含め、様々に削減の議論が進む一方、

高齢化の進む社会の中で税収の大幅な減少が見込めることもあり、また国債を減らすという

目的の達成のためには大幅な増税を必要としている段階にある。およそ増やせるところは

増やしていく訳だが、その一つが消費税議論である。


なお、今回PCの購入では、この消費税が上がる前だったこと、これだけが唯一の救い、

という自分への慰めが、少し出来そうで、出来なさそう、こんな嬉し泣きをしている某Y国である。


さて、話を戻すと、日本国に見習って、某Y国も歳出削減を図っていかねばならないのは

必至である。某A大学国の植民地統治時代、某Y国は恥ずかしい事実ながらも、ある意味計画経済の

はしりである「家計簿」なるものを途中からつけ始めた。これは毎年上納する100万ペソの「年貢」を

どう工面するのか、その問題を解決するには、こうした対策をするほかなかったためであった。

だがその結果、近隣諸国から若干の経済援助を受けながら、何とか年貢の上納を完納したのである。


ところがこの歳出削減も、かなり無理が出てきた。明らかに歳出が大幅な増加を見せたのが

某Y国の立地する場所に由来する=交通・輸送に関するものである。政治・経済交流には

名著J・Nyeの「国際紛争」の冒頭に出てくるように「交通」というものが大きな要素となった。

メイフラワー号の時代から、電話開発の時代・・・大きな変化は、その地理の密接化である。


ところが今某Y国が移転し、立地するところは、最近交通革命が起こったものの、未だもって

未開の地である側面は否定できない。そうした交通革命の不十分性は、無駄な歳出を生んでいる

状況にある。なお某Y国の立地の悪さについて、身を持ってこの所属「県」の「田舎性」を感じ、

それを論じたことから大きな成果を生み出したのが、渋谷一等地大大学院で「女から身を守る」と

「ハード・ゲイは身を助く」という文脈で安全保障論の研究に従事しようとしているGoro. Noguchiである。


また新たに某B大学国の植民地下に入ったことも、経済危機の連続性に大きな影響を

与えている。某Y国自ら「世界の中の日米同盟」という小泉の言葉を倣ったのか定かではないが、

『どうやら、某Y国は、某B大学国の植民地下に入ることが小泉のように「世界の中へ通づる」と思った

ふしがあるようだ』と論じ、立証したのは、アメリカ・コロンビアブレンド大学でPh.D(男女・夫婦関係論)を

盗ってきたAkitoshu. Miyasako de Mesquita(Goro Noguchiは彼の弟子)である。


結果、予想以上に某B大学国で年貢を納めることになった訳であるが、それなりに想定内でも

あったことも事実である。それなりに学内で勤労する機会が機会均等法により与えられており、

何とかなっている側面も少しながらあるのが事実のようだ。


しかしながら、今回のPC購入という特別会計については別問題である。

それは急にステルス戦闘機を1000台も発注するようなものである。

あまり例えが上手くいかないのは、もはや某Y国も焦ってネタ切れであることをご了解願いたい。


さて、歳出削減が無理であるならば、増税に踏み切るしかないのは、日本国を見れば一目瞭然である。


「いつか来た道」


そんな状態で日本国を後追い・・・否、某Y国こそが日本国を体現しているとも表現できようか。


さて、増税するにはどんな方法があるか。まず勤労する人口を増やすことが重要になってくる。

労働人口--特に契約雇用の増大が日本の税収に影響を与えていることを考えれば、

某Y国の勤労形態を変えることも一つの手であろう。これは冬のシーズン時期に行う予定である。


もう一つ、某Y国も「税収が増やせないのか」という問題提起がある。

すなわち、某Y国に対する年貢制を実施する可能性を探るというものだ。


これはすなわちどういうことか。


某Y国が歳出を行う過程においては、某B大学国だけではなく、実質上の宗主国である日本国に

「税」を納めている。そのもっとも大きなものが先に挙げた「消費税」である。


某Y国が消費する中で、その5%が日本国へ上納されている。つまり10万支出したら、5000円を

支出のほかに日本国へ上納しているのである。


では、某Y国にも税を納めればいいのではないか。これが某Y国の財政増収へ導かれる道であろう。


では、税をかけるということは一体どういうことか。


その答えは次のようなものである。某Y国が消費するたびに5%日本国へ上納している。

それと同時に某Y国へも同5%を上納すればよいのではないか。


つまり消費税10%(12%議論もあるが・・・)を「前倒し」するのである。

そうすれば、各消費毎に5%の収入が起こり、そうして某Y国の税収が生まれ、

財政的に豊かになるのではないか、という議論である。


と、PC修理の見積もり電話を受け取ってから数時間後、夜道を歩いている中でふと閃いた名案である。

これはそれぞれの各国(家庭)でのヤリクリに困っている奥様方にも応用される名案であろう。


おぉ、この管理統制経済を実施しよう!!おぉ、我ながら名案!!




・・・と閃いて1分後、ふと思う。


これは一つの問題がある。それは、そうした増税により「消費意欲が抑制される」という問題である・・・

その結果、消費力低下による日本経済の圧迫がひき起こる可能性が生まれる訳だ。


つまり家庭内歳入の増加には繋がるが、国家内の歳入の増加には繋がらないというパラドックスを

秘めてしまう・・・


あぁ、名案を思いついたと思ったのに、すぐさま迷案とでも冥案とでも言えるものになってしまった・・・

考えるのに数時間、それを潰すのに1分間である。


まさに、世は儚いものである。


だからこそ、前出のAkitoshu. Miyasako de Mesquitaはこう言い切ったわけだ。


「私たちが携わってる研究は、こうして『非生産的』な活動なんだよね・・・」と・・・。

※筆者からのささやかなお願い。

本論は、著作権は「あまり」存在しない。しかしながら実話をもとにした創作物であることは事実である。ただし、書いた本人ですら、どこまで自己の尊厳を大事にしようとしたかは未知数である。笑い話であるが、笑い話でもない、そういうキワドイ作品であることは、それなりに自覚している。よって人には本blogを、筆者から直接聞いた人以外には教えないよう、お願いしたい。


また実名でないが虚名で名前をお借りした方で、気分を害した方がいらっしゃったら率直に言ってください。即削除致します。なお、虚名であれ、発言の主旨は曲げていません。ほぼ実話です(笑)

淡い期待。

昨日の夕方、電話がかかってくる。見知らぬ電話番号。ワン切りでないので、

事件性が弱い電話だと感じる。ちなみに先日もワン切り電話があった。

まだワン切り系の業者が存在するようである。


電話に出ると、予想通りPCの修理見積もりを出した電気屋からの電話だった。


店員「○○様、見積もりが出ました。えぇ~っと・・・・まず見積もりが二段階ありまして、

   第一段階が、液晶の修理になります。この見積もりがですね・・・えぇ~っと・・・

   (明らかにとても言いにくそうな空気が出る間が起こる)100000円ですね。」


俺 「(4秒くらい間を置いて)・・・あ?え、あ、はい、うん。」


「ゼロ一つ読み違えてないのか?」と期待する。

だがその期待も、次の会話で淡く消え去る。


店員「それでですね、第二段階の修理がですね、Windowsの不具合と・・・が折れて

   いるようでしたので、その修理になります。その見積もりがですね、第一段階を

   合わせますと・・・139000円になります。」


俺 「ん、あ、あい、あ、いや、はい。」


これ以外の会話も含め、しめて、2分くらいの会話である。

しかし、自分には30分くらい話した会話のような、そんな長電話の余韻が残る。


即決でPC新規購入決定である。最後の「はい」を言った以来、自分は若干意識が飛んだ。

その後の会話で覚えているのは「じゃあ、修理はしないってことでもできますか」という質問と

「はい、それなら返品される時期が分かり次第、ご連絡差し上げます。」という店員の返信だけだ。


それ以外、少し会話があったのだが、覚えていない。


そういうわけで、サヨナラVaio。サヨナラSony。次のPCは何になるのだろうか。

研究と飲みのはざま

昨日は金曜日。珍しく夜中の3時まで学校に残っていると、雨が降ってくる。

よって、帰れない。同じ研究科の子と雨が止むのを待つ。


結局帰ったのが夜3時半。それから少し本を読んで、寝る。


今日は土曜日。朝起きて調子の悪さに学会の大会(シンポ)への参加を取りやめる。

明日の分科会へのみ参加してみるつもり。東京-つくばは、電車出来ても、やはり遠い。


季節の変わり目に小さいころから対応できない体のため、風邪っぽい。

小さな頃からずっとアレルギー体質--鼻と皮膚--なので、風邪を

ひくと鼻水が止まらない。目もくしゅくしゅする。


思いっきし鼻をかんだら、驚くべきことが起こる。鼻をかむたびに、目に

ぷっーーーーーと強い風が当たるのだ。その理由は、目の涙点(まぶた

下の小さな穴のこと)と鼻が繋がっているから。その後、何度か鼻をかんで

試してみると右目と右鼻の穴、左目と左鼻の穴とが繋がっているような

ことに気づく。目と鼻と口が繋がっているということは聞いたことがあったけど、

初めて体験した人体の神秘だった。


といっても、鼻をかむたびにぷーぷーなったもんだったから、

感動も最初のうちだけで、嫌な感じしかしなかったんだけど・・・。


・・・・・


旧帝国大のチン友(決して怪しい友達ではない)である熊五郎から連絡がくる。

彼の友人が国際政治学会で発表するから、その準備で韓国朝鮮学会は

行けないとのこと。大学院生で国際政治学会で発表ですか・・・すげぇやつは

世の中にごろごろしているのだなと無駄に関心してしまう。自分も頑張らねば。


修士論文のことで、良い言葉をかけてもらう。もともと自分自身がこうして

研究ってものに対する志向が強くなっていったのも、あいつのお陰だった。

今更ながら良い友達--というか仲間を持ったなと思う。


・・・・・


卒論、旧帝国大の入試課題で取り組んできた「日韓関係と戦争の記憶」に

関する論文を、またちょこちょこ書き直す。韓国研究の授業で提出するためである。

その論文を学会誌へ投稿したらと、その授業の先生から薦められるが、自分自身が

否定的。何故なら自分の指導教授から「ゴミ扱い」された論文だからでもある。


思い起こせば、卒論時点で恩師のM先生から「雑誌に投稿しなよ」といわれ続けてきた

論文だった。でも今のままではどうしても出せないし、やはり多くの問題抱えている

論文だと思うからこそ、また今の指導教授からゴミ扱いされたからこそ、あまり

雑誌への投稿には乗り気になれない自分がいる。こうした弱気な部分、あまり自分が

研究者向きではないのかなと思う一因でもある。


・・・・・


さて来週から、この大学は試験Weekに入る。


火曜日に東アジア研究の授業で試験があるため、その準備をせねば。

試験題目は先の記事にも書いた通り、「日中戦争の不可避性」について。

授業が「国内社会」という視点から論じてきたものなので、今まで自分が見てきた

国際社会から見た日中戦争ではなく、国内社会構造、権力闘争などの観点から

考えていく必要性が大きいので自分としては始めての試み。


・・・・・


試験が終わり、他のいくつかの授業の課題をクリアしたら、この学校特有の秋休みが始まる。


秋休みの予定はざっとこんな感じ。


同じ研究科の奴らと飲み会で酒に呑まれ、俺たちどこへ向かってるんだろうねと語る?

結婚した友人宅で鍋をツツくの会。新婚ホヤホヤの夫婦を前に愛を語る?

マグロ業でアメリカに栄転する友人が12月にアメリカ行くので、飲み会でマグロについて語る?


それ以外に大学の同期から飲み会の話が降ってくる・・・

冬はバイトの季節なのに、それがそのまんま出ていくのだろうか。

というか周りは働き者ばかりなので、都内のそこそこ良い店で

平気で金出していく彼らを尻目に、院生の私の尻はしぼみっぱなし。

でも実際の尻はムチムチしっぱなし。走って痩せなきゃ。


飲み会ばかりであるが、お勉強面では、冬場に受けるTOEFLの準備や

修論の準備進めたりとする予定。


他には後輩で沖縄小僧がこちらであるマラソンに参加するとのことなので、彼の

応援をするつもり。途中でヘタレ小僧と化したら、俺がそこから引き継ぐ予定。

そしてゴールした瞬間に、どこぞのスプリンター漫画らしく天国へ昇る予定。


・・・・・


2週間しかないので、そんなこんなであっという間に過ぎるのだろう。


時間が出来たら、先月末行った学部時代の大学へももう一度行ってみるつもり。

M先生の授業を、渋谷一等地上流階級大学への国政経への『入院』が決まった

五郎とM先生と戦いに・・・否、聴講しにいこうと五郎と意気投合(自己解釈)したので。

ちなみに五郎と言っても、『北の国から』の『五郎』ではない。野口五郎である。

熱々と淡々のはざま

大学時代、自分の周りにゃ2つのタイプがいた。


単純な表現で表すなら、「淡々」としとる奴らと「熱々」な奴ら、とでも言えようか。


あまりに単純に区別すれば、前者がサークルの仲間で、後者がゼミの仲間だったか。

(絶対単純すぎる区別だから、決して当てはまるわけでもないから、あくまで例えの範疇。)


熱々としているのは、「うざい」とか感じる(または、感じられる)ことが多分にある。

返って淡々としている方が「面倒くさくない」と感じることが多い。


一方で熱々は「正直で素直で、人間らしい」ということを感じたりする。

返って淡々としている方が「あまりに淡白過ぎて、つまらないんじゃないか」とか感じたりもする。


どちらが良いとか正しいとかというのは人それぞれで、何が良い正しいというのは決して存在しない。


で、自分はどちら部類に入るかというと、淡々としているようで熱々な混合型に入るのかな。

生真面目、という性格とボケーとしている・・・生真面目なのに結構チャランポランという

典型的A型+O型混合タイプっていうのがその理由なのかもしれないとか、色々と

無根拠で勝手に自己分析したりする。


・・・・・


ある人が、ある日「熱々」だったのに、急に「淡々」とし始めた。自分が言った余計な一言が

その要因だったのかなとか勝手に感じたりもして、言わなきゃよかったと思ったりもしてるが、

たぶん、その人に対してそんな影響力が自分にある訳無いので、考えすぎだと思ってもいる。


でも何か勿体無いなとか思ったりもする。熱々っていうのが自分に正直であることは確かだ。

たぶん、その人は、ある誰かに何かを伝えたかったんだろう、それで熱々としていたのかなと

勝手にそんな風に解釈してる。でも、もしそうなら伝え続けてみれば良いのにと思ってしまう。

その人は熱々とはまた相当違う意味の言葉で自分を表していたけれど、時に「大丈夫?」と

感じてしまったけれど、そう素直で正直になっている姿は、恥ずかしいとかいうものよりも、

むしろ素敵だったように感じる。


そう、やまとなでしこ (リンク参照)で感じたのは、そういうことだった。

人間正直であることの大切さと素敵さってやつだろうか。



といっても、上に書いた多くは、結局自分の想像上でしかない。

・・・これって自分の悪い癖なのかな・・・考えすぎと妄想癖にほどなく近い想像癖・・・

これだから、熱々はキモイと言われるのかもね。切腹。


・・・・・


熱々と淡々・・・これって、いわゆる冷静と情熱、みたいなものか。


とにかく、この2つのいずれかって人間が備えるもので、それに人々は常に振り回されてるし、

自らで振り回してもいる。結局、どちらか片方のみを備えているわけでもなく、急に何かの

風が吹くと、それが振り子のように揺れまくることもあるってものなのかなと思える。


またそれはどちらであるべきか、ということに答えがないっていうことは、結局そういうところ

からも来ているのかもしれない。


自分がどちらを好むかという選好の問題でいえば、自分個人としては、熱々としたのが

良いと思っている。熱々としてたほうが人間臭さがあって、面白みがあるように感じてしまう。

大学時代に元々淡々としていたところに熱々とした方が良いんだみたいな価値観を持つ

環境に出会って、自分がそう変わったことも、そうした選好に大きな影響を与えている

のかなと自己分析してる。逆に、淡白な人もいるけれど、あまりに淡白な人に魅力を

感じることが難しかったりしている。ただ淡白な人にも、意外と熱々としている部分が

内に秘められていることも多いから、そうしたところを掴めたらとか、勝手に思ってたりも

してる。


でもこれらはかなり自分自身の自己満足とも言われてもしょうがない、それこそ

「好み」の問題だ。そうして、他人の価値観としてはそうじゃない人は多い。

だから自分が変わった経験があったとしても、そういうの押し付けちゃいけないんだよな

とかも、最近感じるようになった。


だから結局、さっき例に挙げたその人にも淡々としない方が良いのに、とか言えない。

すっかり

すっかり秋になったなと感じる今日この頃だ。

町の木々も多様な色に彩られてる中で毎日自転車こいで学校へ行く生活が続く。


               9


秋は、読書の秋との言うが、大学院生にもなると、そんな言葉は年中あるべき姿で、

何か風情も感じられない言葉に感じてしまう己がいる。


そんな風にしていると、時に授業中に何かボーっとしてしまうことも少なくなく、急に

こんな絵を書いてたりする。


               17


おそらく、これは自分自身であろう。


テレビを見ていると、このCMをよく見る。なぜか、ぽかぽかする。



               11


愛嬌というやつか。とても良いキャラだと思う。私はこのCMが好きだ。

暑苦しさみたいなのを表現しているようで、実際にはそうした暑苦しさを

感じさせない。ほのぼのとすらする。


それにしても昔、さんまの番組に出ていた当時は、こんなに出世するとは

思ってもいなかったなぁ・・・。


秋を、馬肥ゆる秋という言葉で表したりもする。我が家に出入り・・・している

わけではないが、我が家の前を毎日徘徊しているコヤツもつねに肥ゆっている。


               15


たまに俺の部屋の玄関で「餌、餌ぁぁ」とか鳴いているが、どうもよそ様の家でも

同じことをしているらしく、野良猫なのに肥ゆりすぎである。そんな訳で、最近は

俺に対して反抗的な態度をとり始めた。いわゆる反抗期というやつだろうか。


               16


秋になったけれど、それとともに、すっかり寒くなった。福島生まれ・福島育ちの

筑波の同期の女の子ですら「もうコート必要かなぁ」とか言い出す。

お前、北の国育ちなのに・・・というと「脂肪が減ったから」とか返しがくる。

素敵な返しだ。メモっておこう。

でも俺には使えない返し方か・・・立派に脂肪ついてしまったしな、このカラダにゃ・・・。


さすがにこのつくばでもコートは不要だ。でもこれは必要不可欠な寒さになってきた。

姉貴(前述)曰く「東京より寒すぎ」と聞くが、こちらはもうこれが必要なお天気さまになってます。


               14


そう、もうすっかり秋になったかと思えば、もう冬がやってきたようでもある。


「やまと・・・」の魅力。

昨日は木曜日②。


勉強していて、ふとテレビをつけると「やまとなでしこ」がやっている。


松嶋菜々子・・・自分の主観だけど、当時が最盛期だったなと感じる。結婚前ってのもあるけれど、今は少しより大人びた感じがする。「やまと~」当時は、若さが溢れてた(今もあるけれど)。死語だけど、それこそ「ぴちぴち」だ。なでしこ、という言葉は大辞林(yahoo)によれば、日本女性の清楚な美しさをほめていう語とあり、若さとかってのは、意味としてあまり含まないようだけど、とにかく、このドラマでやまとなでしここと桜子を松嶋菜々子が演じたのは、大正解だったんだろう。


一方で、主人公がやまとなでしこなのに、相手は、決して大和男児とはいえない、頼りなさ。そんな対比が、このドラマを盛り上げる。相手役を演じる堤真一の良さってのは、この当時も今も変わらない。彼の芸風も、また多彩だ。映画「39」のあの狂気の演技といい、今回のコメディといい、何でも出来る役者だ(話ずれるが、思い出せば、39とエドワード・ノートン主演の真実の行方は、微妙に似た感じが今更ながらしてきたな・・・)。「できる」人も演じれるし、「頼りない」今回の欧介みたいな人も演じられる。元来、にじみ出てくる人の良さってのもあってか、俺は男性俳優の中では、堤真一がかなり良いなと思ってる方だ。


こうして、松嶋菜々子の桜子役といい、堤真一の欧介役もまた適役だった。

               
              ジェネオン エンタテインメント
              やまとなでしこ DVD-BOX

このドラマは・・・(以下、ほんの少しネタバレ含む)・・・


みんなが嘘をついている。結局、松嶋菜々子演じる桜子だって、欧介だって、みんな正直に生きていない。東幹久演じる東十条だって桜子にある嘘をつきつづける。西村雅彦すら奥さんに黙って合コンしまくりの嘘をつき続ける。そうした嘘がすべて氷解し、みなが素直に、正直になるのがこのドラマのオチだ(西村雅彦の合コンしまくりの嘘は氷解しようもないが)。


人間正直になる、素直になるっていっても、その素直になることで事が全て(+)の方向へ向かうっていうものでもない。だから傷つくのが怖くて、わざと嘘をついたりして、あまりに傷の程度の大きい(-)を選ばずに、敢えて程度の小さい(-)の方向へ自ら進んでいる時がある。


この選択って、答えがない。たぶん、他者と接して生きていく限り---特に恋愛や結婚とかがその一番の山になるんだろうけど---ずっと抱える選択問題なんだろうな。


そんなことを時たま考えてたり・・・かつ今タイムリーに考えていたりするからか、どうもこのドラマをまた見てしまう自分がいる。気のせいかもしれないが、もうこれで4度目くらいな気がする。


                  

                      (EpisodeⅠで書くようなことこっちに書いてしまったな・・・)

違う世界でも、同じこと。

昨日は木曜日①。


授業が無いので、英論文を読み、英語の勉強するなど、英語漬け。そろそろ韓国語も危ういのに、3ヶ国語使い分けて勉強するべきなんだが・・・・どうしたら3ヶ国語同時並行で勉強続けられるのだろうか・・・ともかく無事(?)Stephen. Waltの国際政治理論に関する論文を読み終える。ここまで丁寧にまとめたのがあるんだなぁと関心するだけしてしまう始末。もっと他の論文読まなきゃな・・・。


夕方、いまや姉貴みたいな存在の人から電話が来る。「今、研修でつくば来てるから会えない?」と。もう数ヶ月会ってないから二つ返事でOK!と返事をする。その時刻、夕方5時。つくばのセンターで食事でもしましょうということになる。


ところがその人から次のような連絡が立て続けにやってくる。


「研修がなかなか終わらない」


「終わったけれど、みなでの食事会が入っちゃった。でもすぐ終わるはず」


「食事会が着席の食事会で抜けられない」


とかなんとかで、気がついたら夜の7時。まぁ仕事の研修で来ているから、まぁ会えなくてもしょうがないかということも覚悟の上で、つくばから出発し、俺がその研修の現場まで出向くことに。


待ち合わせ場所の一つ隣の駅にたどり着く俺・・・


               10


・・・ぜんぜん、つくばじゃねーじゃん!そこはもう千葉県と埼玉の三つの県の県境・・・。しかもいつもは降りない駅=守谷で降りて、また別の電車に乗り換える。関東鉄道という電車に乗る・・・


・・・二両編成だ・・・電車が動くたびに「ぶろろろろろろぉぉぉ・・・」というけたたましいエンジン音がする・・・これってディーゼル??(苦笑)生まれて初めての二両編成列車だ・・・。


              12

                     こんな感じ。ってか、これ。


新守谷という駅前にマクドナルドしかない駅に到着。どうやらつくばエクスプレス開通のおかげ?で、これから新興住宅地としてやっていく気満々の匂いがする町並みだ、よってまだ何もない。


蛇足だが、つくばエクスプレス沿線の町並みは、凄まじく何も無い。電車開通→沿線開発という順序が、あまりにきっちりと成り立ちすぎているために、本当に何もない・・・無駄に舗装された道路が綺麗かつ目立つという光景が続く。


さて、なんだかんだで姉貴の研修は終わらず、結局、あちらの都合で会って話すも40分だけ・・・なんつーこった。


その姉貴みたいな人(以下、姉貴)は大学時代の先輩かつ友人。でもあっちはむちゃくちゃ弟みたいな扱いしてくる。まぁ子どもか、俺は・・・。その人はサムソンという韓国の電子機器メーカーでマーケティングを担当している傍ら、社会人が集う夜の大学院・・・青学のMBAコースで経営の勉強をしている。まぁ元々上昇志向が強かったのもあって、姉貴はそうした二束草鞋をしているのに、かなり「もう体持たない」とかいいながら、元気にそれらをこなしている。そうした姉貴は、今回サムソンの主催する全国リーダーシップ研修なるもので、つくば・・・とは決して言えない守谷に来たという。


40分だけ。たいした話は出来ない。最近どうよ、そんな話でほとんど終わる。あの先生がどうこう、あいつ、また彼女作ったらしいよとか、あいつどうこう・・・などと、ほんとに他愛の無い話で時間が過ぎる。


仕事の話になる。


どうするの?と。博士課程への進学を検討中なのとともに、就職面では外交官試験しか狙っていない現状に「ネクストチョイスも持っているべき・・・企業も受けろ」って言われる。あまり積極的に考えてなかった場所なので、ちょっとしっかりそれも検討する気持ちに駆られる。姉貴にまた改めて相談するか。


あっという間の40分で、もう帰らなきゃという時間になる。帰り際、ある話を俺がする。


「この前、法政の中国政治の先生に相談したんだ。『東大の大学院、受けなおそうかとか考えてるんですけど、先生も東大の総合文化出身ですよね、どうでしたか?東大の大学院の環境って。』そうしたらね、その先生がいろいろ答えてくれた最後にこう言ったんだ。『結局、自分次第だよ。』って。だから筑波で、やれるだけやってみようとおもうよ。」


そうしたら姉貴が言う。


「それ、仕事でも同じようなこと言われた。今回のリーダーシップ研修でね、『どうするか、どうなるかっていうのは環境じゃない、自分次第なんだ。』って。」


社会と大学院って、まったく違う世界だと思ってた。もちろん大学と大学院は似て異なるが連続性もあり、大学院と社会のつながりというのは否定できない。でも一方で、実際、住んでいる人間の種類と、それこそやっていることの意味あいがかなり異なる。


前者に関していえば、反社会的な人間が多いとすら、社会からは言われる場合も多く、確かにおかしい世界かもしれない。また後者について言えば、人によってはそうした研究世界を「非生産的なことをする人々」と評する人もいる。合理的な生活を求める人からすれば、確かに何かを得られる可能性が危うい研究生活は「非生産的」であることはまったくもって否定できない。


でも実際にこうしたことで、同じことがあるんだなぁ。まぁ違う世界のようで、結局つまるところ、生活の営みの一つであることに、お互い違いは無かったってことなんだろう。


そんな訳で、たった40分の久しぶりの姉貴との再会は、こうした興味深い気づきがあったものとなった。

今日という一日。

学校は火曜と水曜、金曜に授業が入っている。前回の記事を見て、改めて自分の


一週間なるものを振り返ってみると、月曜日は「寝る」になっている。ところが、


昨日、すなわち月曜日の昨日の自分はというと・・・やっぱり家で寝ていた。


といっても、決して寝て何もしていない訳でなく、しっかり本を読んだり、英語の


勉強していたことは一応付け加えておきたい。




さて、今日は火曜日。


たまに学校来るもんなら、来てみると3つあるはずの授業のうち、2つが休講。


唯一の授業を受けて、来週の試験問題が「日中戦争の不可避性」に関する


ものだと聞いて、なぜかわくわく、心が躍る。やヴぁい、俺。


戦争というワードに心を躍らせるなんて、国際政治勉強してきた人が抱える、


ある意味、病魔みたいなものなのかな。




さて、空いた時間使い、ずっと書き続けている論文を書き直すして、何となく悶々と過ごす。


同じ研究科にいる女性が、非常に大人な空気感ある人なので、その人のことを


私は「マダム」と呼んでいる(そして広める)。でも当の本人はそれが気に食わないらしい。


そんな発言の結果なのか、たまに雌豹のような鋭い睨みをきかせて私を威嚇してくる。


ところで当の本人の愛読雑誌は「FIGARO」。しかし、その雑誌の名前の頭には


ある名詞がついている。それは「madame」。そう、「madame FIGARO」である。


本人もついに自覚したとおり、貴方様は立派な“madame”であろう。




さて、これから学食で少し飯食って、Waltの国際政治の論文でも読みに or 寝に図書館行くか。

天然

一時期、埼玉や神奈川へ行っていたことに触れたけど、そこに行ってつくづく思ったのが、今いるところの魅力なのかなと。


それは何といっても、夜更かし型人造人間な私にとっての魅力なのかもしれん。よく夜中3時ごろにお腹が空いたり、なんとなく息抜きしに、外に出ることがある。そしてたびたび感じることがある。


それは何といっても空気の良いこと。そしてそのおかげで見れる、辺り満天の星空。


自転車で5分ばっかし走ると、周囲に何も建造物がない畑に行くことができる。あたりは当然真っ暗なわけだけど、そのおかげで360度、☆空が広がっているのだ。


空気が澄んでいるし、電灯は無いし・・・埼玉や神奈川にいて、いくら空気が澄んでいる日でも見られなかったはずの、ほしぼしが見られる。何か、星雲とか銀河とか見られそうな気もしてくるってもんだ。


ふむ、ここの地に引越して来て、一番で唯一の良いところ、それがこのことかもしれない(笑)


そういや、昔サークルの合宿で山中湖に行ったとき、夜12時ごろに急に3人の友達と富士山行こう!って話になって、車で富士山少しだけ上ったことがあった(どこへ行ったのかはよく分からないのだけど)。そんときの星の綺麗なこと、綺麗なこと・・・あぁ、また富士山で星見たいなぁ。


やっぱプラネタリウムも、天然プラネタリウムが良いなぁと思う今日この頃だ。


                6