違う世界でも、同じこと。
昨日は木曜日①。
授業が無いので、英論文を読み、英語の勉強するなど、英語漬け。そろそろ韓国語も危ういのに、3ヶ国語使い分けて勉強するべきなんだが・・・・どうしたら3ヶ国語同時並行で勉強続けられるのだろうか・・・ともかく無事(?)Stephen. Waltの国際政治理論に関する論文を読み終える。ここまで丁寧にまとめたのがあるんだなぁと関心するだけしてしまう始末。もっと他の論文読まなきゃな・・・。
夕方、いまや姉貴みたいな存在の人から電話が来る。「今、研修でつくば来てるから会えない?」と。もう数ヶ月会ってないから二つ返事でOK!と返事をする。その時刻、夕方5時。つくばのセンターで食事でもしましょうということになる。
ところがその人から次のような連絡が立て続けにやってくる。
「研修がなかなか終わらない」
「終わったけれど、みなでの食事会が入っちゃった。でもすぐ終わるはず」
「食事会が着席の食事会で抜けられない」
とかなんとかで、気がついたら夜の7時。まぁ仕事の研修で来ているから、まぁ会えなくてもしょうがないかということも覚悟の上で、つくばから出発し、俺がその研修の現場まで出向くことに。
待ち合わせ場所の一つ隣の駅にたどり着く俺・・・
・・・ぜんぜん、つくばじゃねーじゃん!そこはもう千葉県と埼玉の三つの県の県境・・・。しかもいつもは降りない駅=守谷で降りて、また別の電車に乗り換える。関東鉄道という電車に乗る・・・
・・・二両編成だ・・・電車が動くたびに「ぶろろろろろろぉぉぉ・・・」というけたたましいエンジン音がする・・・これってディーゼル??(苦笑)生まれて初めての二両編成列車だ・・・。
こんな感じ。ってか、これ。
新守谷という駅前にマクドナルドしかない駅に到着。どうやらつくばエクスプレス開通のおかげ?で、これから新興住宅地としてやっていく気満々の匂いがする町並みだ、よってまだ何もない。
蛇足だが、つくばエクスプレス沿線の町並みは、凄まじく何も無い。電車開通→沿線開発という順序が、あまりにきっちりと成り立ちすぎているために、本当に何もない・・・無駄に舗装された道路が綺麗かつ目立つという光景が続く。
さて、なんだかんだで姉貴の研修は終わらず、結局、あちらの都合で会って話すも40分だけ・・・なんつーこった。
その姉貴みたいな人(以下、姉貴)は大学時代の先輩かつ友人。でもあっちはむちゃくちゃ弟みたいな扱いしてくる。まぁ子どもか、俺は・・・。その人はサムソンという韓国の電子機器メーカーでマーケティングを担当している傍ら、社会人が集う夜の大学院・・・青学のMBAコースで経営の勉強をしている。まぁ元々上昇志向が強かったのもあって、姉貴はそうした二束草鞋をしているのに、かなり「もう体持たない」とかいいながら、元気にそれらをこなしている。そうした姉貴は、今回サムソンの主催する全国リーダーシップ研修なるもので、つくば・・・とは決して言えない守谷に来たという。
40分だけ。たいした話は出来ない。最近どうよ、そんな話でほとんど終わる。あの先生がどうこう、あいつ、また彼女作ったらしいよとか、あいつどうこう・・・などと、ほんとに他愛の無い話で時間が過ぎる。
仕事の話になる。
どうするの?と。博士課程への進学を検討中なのとともに、就職面では外交官試験しか狙っていない現状に「ネクストチョイスも持っているべき・・・企業も受けろ」って言われる。あまり積極的に考えてなかった場所なので、ちょっとしっかりそれも検討する気持ちに駆られる。姉貴にまた改めて相談するか。
あっという間の40分で、もう帰らなきゃという時間になる。帰り際、ある話を俺がする。
「この前、法政の中国政治の先生に相談したんだ。『東大の大学院、受けなおそうかとか考えてるんですけど、先生も東大の総合文化出身ですよね、どうでしたか?東大の大学院の環境って。』そうしたらね、その先生がいろいろ答えてくれた最後にこう言ったんだ。『結局、自分次第だよ。』って。だから筑波で、やれるだけやってみようとおもうよ。」
そうしたら姉貴が言う。
「それ、仕事でも同じようなこと言われた。今回のリーダーシップ研修でね、『どうするか、どうなるかっていうのは環境じゃない、自分次第なんだ。』って。」
社会と大学院って、まったく違う世界だと思ってた。もちろん大学と大学院は似て異なるが連続性もあり、大学院と社会のつながりというのは否定できない。でも一方で、実際、住んでいる人間の種類と、それこそやっていることの意味あいがかなり異なる。
前者に関していえば、反社会的な人間が多いとすら、社会からは言われる場合も多く、確かにおかしい世界かもしれない。また後者について言えば、人によってはそうした研究世界を「非生産的なことをする人々」と評する人もいる。合理的な生活を求める人からすれば、確かに何かを得られる可能性が危うい研究生活は「非生産的」であることはまったくもって否定できない。
でも実際にこうしたことで、同じことがあるんだなぁ。まぁ違う世界のようで、結局つまるところ、生活の営みの一つであることに、お互い違いは無かったってことなんだろう。
そんな訳で、たった40分の久しぶりの姉貴との再会は、こうした興味深い気づきがあったものとなった。

