熱々と淡々のはざま | いざ、キャバクラ(さぶっ)。       -漁師物語 続編-

熱々と淡々のはざま

大学時代、自分の周りにゃ2つのタイプがいた。


単純な表現で表すなら、「淡々」としとる奴らと「熱々」な奴ら、とでも言えようか。


あまりに単純に区別すれば、前者がサークルの仲間で、後者がゼミの仲間だったか。

(絶対単純すぎる区別だから、決して当てはまるわけでもないから、あくまで例えの範疇。)


熱々としているのは、「うざい」とか感じる(または、感じられる)ことが多分にある。

返って淡々としている方が「面倒くさくない」と感じることが多い。


一方で熱々は「正直で素直で、人間らしい」ということを感じたりする。

返って淡々としている方が「あまりに淡白過ぎて、つまらないんじゃないか」とか感じたりもする。


どちらが良いとか正しいとかというのは人それぞれで、何が良い正しいというのは決して存在しない。


で、自分はどちら部類に入るかというと、淡々としているようで熱々な混合型に入るのかな。

生真面目、という性格とボケーとしている・・・生真面目なのに結構チャランポランという

典型的A型+O型混合タイプっていうのがその理由なのかもしれないとか、色々と

無根拠で勝手に自己分析したりする。


・・・・・


ある人が、ある日「熱々」だったのに、急に「淡々」とし始めた。自分が言った余計な一言が

その要因だったのかなとか勝手に感じたりもして、言わなきゃよかったと思ったりもしてるが、

たぶん、その人に対してそんな影響力が自分にある訳無いので、考えすぎだと思ってもいる。


でも何か勿体無いなとか思ったりもする。熱々っていうのが自分に正直であることは確かだ。

たぶん、その人は、ある誰かに何かを伝えたかったんだろう、それで熱々としていたのかなと

勝手にそんな風に解釈してる。でも、もしそうなら伝え続けてみれば良いのにと思ってしまう。

その人は熱々とはまた相当違う意味の言葉で自分を表していたけれど、時に「大丈夫?」と

感じてしまったけれど、そう素直で正直になっている姿は、恥ずかしいとかいうものよりも、

むしろ素敵だったように感じる。


そう、やまとなでしこ (リンク参照)で感じたのは、そういうことだった。

人間正直であることの大切さと素敵さってやつだろうか。



といっても、上に書いた多くは、結局自分の想像上でしかない。

・・・これって自分の悪い癖なのかな・・・考えすぎと妄想癖にほどなく近い想像癖・・・

これだから、熱々はキモイと言われるのかもね。切腹。


・・・・・


熱々と淡々・・・これって、いわゆる冷静と情熱、みたいなものか。


とにかく、この2つのいずれかって人間が備えるもので、それに人々は常に振り回されてるし、

自らで振り回してもいる。結局、どちらか片方のみを備えているわけでもなく、急に何かの

風が吹くと、それが振り子のように揺れまくることもあるってものなのかなと思える。


またそれはどちらであるべきか、ということに答えがないっていうことは、結局そういうところ

からも来ているのかもしれない。


自分がどちらを好むかという選好の問題でいえば、自分個人としては、熱々としたのが

良いと思っている。熱々としてたほうが人間臭さがあって、面白みがあるように感じてしまう。

大学時代に元々淡々としていたところに熱々とした方が良いんだみたいな価値観を持つ

環境に出会って、自分がそう変わったことも、そうした選好に大きな影響を与えている

のかなと自己分析してる。逆に、淡白な人もいるけれど、あまりに淡白な人に魅力を

感じることが難しかったりしている。ただ淡白な人にも、意外と熱々としている部分が

内に秘められていることも多いから、そうしたところを掴めたらとか、勝手に思ってたりも

してる。


でもこれらはかなり自分自身の自己満足とも言われてもしょうがない、それこそ

「好み」の問題だ。そうして、他人の価値観としてはそうじゃない人は多い。

だから自分が変わった経験があったとしても、そういうの押し付けちゃいけないんだよな

とかも、最近感じるようになった。


だから結局、さっき例に挙げたその人にも淡々としない方が良いのに、とか言えない。