恩人 最終章
試合終了後、記者会見場に現れたバクスター監督。
報道陣の質問に答えながら、日本代表へ苦言とエールを贈った。
そして、最後の総括に神戸から来た多くのサポーターたちに感謝の意を述べた。
日本サッカー協会公式ホームページにも掲載されていた。
リップサービスではなく、心から。
最短で20メートル先しか近づけないにも関わらず、バクスターの元気な姿を見に神戸から来たサポーターには驚いたと。
フィンランドの応援席にはクリムゾンレッドのユニフォームを着た神戸サポが集結していた。
本当に信じられない光景だった。
彼は猛烈にジャガードを振り回した。
記者会見場は変な空気に包まれた。
その頃、私達は国立競技場から恵比寿まで移動し、食事をしながら今回の旅を締めくくった。
翌日のネットニュースに記者会見のレポートがあった。
最終日のホテルのチェックアウト時に、フロント前の10分100円のインターネットでそれを確認した私は、また泣いた。
スポーツを通じて、街や住民の心を変えていった英国紳士。
僕は、ケーキ屋さんだから、ケーキを通じて街や住民の心を変えていきたいと確認した。
アスリートには悪いが、これがスポーツとは言わないが、
これもスポーツなのだと俺は強く思います。
これから先の人生を強く生きていくための勇気を貰いました。
次、来日する時までに、バクスターからの宿題をちゃんとやっておくから。
また神戸に着てくれると信じて。
感謝しています。
彼は人生の恩人です。
彼らとの時間は大切な思い出であり、夢のようでした。
またあとで会おう。
マタアトデ
mata atode!
完
※今回で恩人シリーズは終了とさせていただきます。長い間、有難うございました。
次回来日した時は、皆さんもバクスターに注目してみて下さい。
生きる為のチカラを与えてくれる神様のような日本人より日本人な熱血漢の英国紳士です。
2006年は私にとって転機になりました。
これからも地域の為に頑張ります。
バクスター、本当に有難う。
報道陣の質問に答えながら、日本代表へ苦言とエールを贈った。
そして、最後の総括に神戸から来た多くのサポーターたちに感謝の意を述べた。
日本サッカー協会公式ホームページにも掲載されていた。
リップサービスではなく、心から。
最短で20メートル先しか近づけないにも関わらず、バクスターの元気な姿を見に神戸から来たサポーターには驚いたと。
フィンランドの応援席にはクリムゾンレッドのユニフォームを着た神戸サポが集結していた。
本当に信じられない光景だった。
彼は猛烈にジャガードを振り回した。
記者会見場は変な空気に包まれた。
その頃、私達は国立競技場から恵比寿まで移動し、食事をしながら今回の旅を締めくくった。
翌日のネットニュースに記者会見のレポートがあった。
最終日のホテルのチェックアウト時に、フロント前の10分100円のインターネットでそれを確認した私は、また泣いた。
スポーツを通じて、街や住民の心を変えていった英国紳士。
僕は、ケーキ屋さんだから、ケーキを通じて街や住民の心を変えていきたいと確認した。
アスリートには悪いが、これがスポーツとは言わないが、
これもスポーツなのだと俺は強く思います。
これから先の人生を強く生きていくための勇気を貰いました。
次、来日する時までに、バクスターからの宿題をちゃんとやっておくから。
また神戸に着てくれると信じて。
感謝しています。
彼は人生の恩人です。
彼らとの時間は大切な思い出であり、夢のようでした。
またあとで会おう。
マタアトデ
mata atode!
完
※今回で恩人シリーズは終了とさせていただきます。長い間、有難うございました。
次回来日した時は、皆さんもバクスターに注目してみて下さい。
生きる為のチカラを与えてくれる神様のような日本人より日本人な熱血漢の英国紳士です。
2006年は私にとって転機になりました。
これからも地域の為に頑張ります。
バクスター、本当に有難う。
恩人 16
昼間は東京観光を適当にしてバクスターのお遣いをしてホテルに戻った。
軽い夕食の後、友人や関係者で集まり国立競技場にタクシーで向かった。
スタジアムの周辺は人だらけだった。
フィンランドは来日メンバーが2.5軍 だったので、日本代表が何点穫るかが焦点だった。
スタメン発表の時、バクスター監督がアナウンス紹介した後、スタジアム全体から大きな拍手が贈られた。
フィンランド大使館が用意してくれたチケットは、メイン中央の最前列だった。
真ん前にはフィンランド代表のベンチがあり、バクスターが一番近くで見れる席だった。
日本人でありながら、日本代表の試合内容はどうでも良かった。
ただ、相変わらずの元気な姿が見れるだけで本当に十分だった。
試合そっちのけでベンチにいる若い選手に指導する姿に、一同が
『相変わらずだね。』と笑みがこぼれた。
試合は5-1で日本代表が勝った。
そして日本代表の選手たちが場内一周している間に、バクスターは逆方向へ走り出した。
神戸からバクスターに会いに来たファンが数百人もいた。
バクスターコールに対して、急にそこへ走り出した。
客席から飛んできたタオルマフラーをキャッチし、両手一杯に広げて首に巻き、ロッカールームへと消えた。
17へ続く
軽い夕食の後、友人や関係者で集まり国立競技場にタクシーで向かった。
スタジアムの周辺は人だらけだった。
フィンランドは来日メンバーが2.5軍 だったので、日本代表が何点穫るかが焦点だった。
スタメン発表の時、バクスター監督がアナウンス紹介した後、スタジアム全体から大きな拍手が贈られた。
フィンランド大使館が用意してくれたチケットは、メイン中央の最前列だった。
真ん前にはフィンランド代表のベンチがあり、バクスターが一番近くで見れる席だった。
日本人でありながら、日本代表の試合内容はどうでも良かった。
ただ、相変わらずの元気な姿が見れるだけで本当に十分だった。
試合そっちのけでベンチにいる若い選手に指導する姿に、一同が
『相変わらずだね。』と笑みがこぼれた。
試合は5-1で日本代表が勝った。
そして日本代表の選手たちが場内一周している間に、バクスターは逆方向へ走り出した。
神戸からバクスターに会いに来たファンが数百人もいた。
バクスターコールに対して、急にそこへ走り出した。
客席から飛んできたタオルマフラーをキャッチし、両手一杯に広げて首に巻き、ロッカールームへと消えた。
17へ続く
恩人 15
あれから少し経った後に、バクスターはリトマネンがいるフィンランド代表の監督に就任した。
そして、我々にとって驚いた発表があった。
日本代表の親善試合で、対戦相手にフィンランド代表をチョイス。
2009年2月4日に対戦が決定した。
バクスターにチケットを手配してもらい、我々は東京に向かった。
前日、新幹線で東京に移動しマネージャーと通訳の小野氏と合流。
久しぶりの再開で、近況を報告しあった。
そして午後10時。
バクスターの待つリーガロイヤルホテルへ向かった。
到着した我々はロビーへ向かった。
すると、そこには乗松コーチが家族を連れて一足早く来ていた。
暫くみんなで話をしながら待っていると、エレベーターからバクスターが家族を連れて出てきた。
目頭が熱くなった。
まさか、東京で再会できるとは。
本当に会いたかった。
そして家族を紹介してくれた。
ホテルのレストランへ行き、ワインのコルクを彼が開け、早すぎるような再会に乾杯した。
話は帰国の要因となった娘さんの重病について。
娘さんは、回復し元気に過ごしていると笑顔で答えたバクスター。
そして千羽鶴の話に。
帰国前、ヴィッセルのサポーターたちが娘さんの為に千羽鶴を作り、手渡したというエピソードがある。
その千羽鶴は娘さんの病室のベッドの真横に飾られていた。
その千羽鶴を見て、神戸を側に感じてくれていたのだ。
千羽鶴は気持ちの面で本当に支えになったと。
話は変わり、武術の話に。
彼は武術が大好きで、特に宮本武蔵とブルースリーの大ファンだ。
息子のリー・バクスターは震災直後からヴィッセルのゴールキーパーだった。
主にサテライトでの出場だったが、神戸の古くからのファンなら誰でも知っている選手。
このリーという名前はなんとブルースリーから取ったんだ、と教えてくれた。
宮本武蔵はよく、ミーティングの例え話に使っていた。
武士道を重んじるサムライのような、日本人よりも日本人な英国紳士。
書物を漁り、宮本武蔵に感銘したという。
規律を重んじる哲学的な影響は宮本武蔵からだった。
なんとも興味深い話だった。
話が弾み、時間がアッという間に過ぎた。
そして、国立競技場で会おうと言い別れた。
その後、恵比寿で待ち合わせをしていたセガ・スマイルビットのサカつく・龍が如くの開発責任者として活躍した川越氏たちと呑んだ。
久しぶりの夜はやはり彼のエピソードが肴だった。
目黒のホテルに戻り、初日のスケジュールを終えた。
奇遇にも、それは今からちょうど一年前の夜だった。
16へ続く

そして、我々にとって驚いた発表があった。
日本代表の親善試合で、対戦相手にフィンランド代表をチョイス。
2009年2月4日に対戦が決定した。
バクスターにチケットを手配してもらい、我々は東京に向かった。
前日、新幹線で東京に移動しマネージャーと通訳の小野氏と合流。
久しぶりの再開で、近況を報告しあった。
そして午後10時。
バクスターの待つリーガロイヤルホテルへ向かった。
到着した我々はロビーへ向かった。
すると、そこには乗松コーチが家族を連れて一足早く来ていた。
暫くみんなで話をしながら待っていると、エレベーターからバクスターが家族を連れて出てきた。
目頭が熱くなった。
まさか、東京で再会できるとは。
本当に会いたかった。
そして家族を紹介してくれた。
ホテルのレストランへ行き、ワインのコルクを彼が開け、早すぎるような再会に乾杯した。
話は帰国の要因となった娘さんの重病について。
娘さんは、回復し元気に過ごしていると笑顔で答えたバクスター。
そして千羽鶴の話に。
帰国前、ヴィッセルのサポーターたちが娘さんの為に千羽鶴を作り、手渡したというエピソードがある。
その千羽鶴は娘さんの病室のベッドの真横に飾られていた。
その千羽鶴を見て、神戸を側に感じてくれていたのだ。
千羽鶴は気持ちの面で本当に支えになったと。
話は変わり、武術の話に。
彼は武術が大好きで、特に宮本武蔵とブルースリーの大ファンだ。
息子のリー・バクスターは震災直後からヴィッセルのゴールキーパーだった。
主にサテライトでの出場だったが、神戸の古くからのファンなら誰でも知っている選手。
このリーという名前はなんとブルースリーから取ったんだ、と教えてくれた。
宮本武蔵はよく、ミーティングの例え話に使っていた。
武士道を重んじるサムライのような、日本人よりも日本人な英国紳士。
書物を漁り、宮本武蔵に感銘したという。
規律を重んじる哲学的な影響は宮本武蔵からだった。
なんとも興味深い話だった。
話が弾み、時間がアッという間に過ぎた。
そして、国立競技場で会おうと言い別れた。
その後、恵比寿で待ち合わせをしていたセガ・スマイルビットのサカつく・龍が如くの開発責任者として活躍した川越氏たちと呑んだ。
久しぶりの夜はやはり彼のエピソードが肴だった。
目黒のホテルに戻り、初日のスケジュールを終えた。
奇遇にも、それは今からちょうど一年前の夜だった。
16へ続く
