コミュニケーションが苦手な娘が

講演会でお話し出来る訳

 

「コミュニケーションに課題があるのに、

どうして講演会ができるんですか?」

時々、そんな風に尋ねられることがあります。

 

親子で講演会をさせていただく時に

彼女は舞台上でスラスラと話しています。

 

確かに、娘のHにとって、

言葉のキャッチボールは簡単なことではありません。

 

ではなぜ、彼女は多くの人の前で、マイクを握り、

自分の言葉で語り、歌を届けることができるのでしょうか。

 

その答えの一つは、講演会が、

ある意味で「一方通行」だからです。

 

それは、芸術作品の創作に似ています。

彫刻家が誰かと相談しながら彫るでしょうか。

 

作曲家がアドバイスを受けながらメロディーを紡ぐでしょうか?

 

もちろん、そういうプロセスもありますが、

多くの芸術家は、誰とも話さず、

たった一人で山小屋にこもるようにして、

自分の内なる世界と向き合います。

 

Hにとって講演会は、その創作活動に近いのかもしれません。

準備したことを、自分のペースで、一方的に話す。

だから、できるんですね。

 

もちろん、その「一方通行」の舞台に立つまでには、

周到な準備があります。

 

まず、親子で何度か、話し合います。

「今回は、どんなことを伝えたい?」

「どういう言葉なら、Hの気持ちが一番伝わるかな?」と。

 

そして、参加される方々の情報も、できる限り掴んでおきます。私たちの話を何度も聞いてくださっている方なのか、

初めての方なのか。

 

当事者の方なのか、ご家族なのか、

それとも教育や支援の現場にいる方々なのか。

誰に届けたいのかを想像することで、

話す言葉は自ずと変わってきます。

 

そして、講演会で最も大切な時間。

それは、彼女が歌を歌うときです。

 

科学的にも、

歌うことには人の感情を解放する力があると言われています。

 

歌は、脳の記憶や感情を司る部分に直接働きかけ、

セロトニンやオキシトシンといった

「幸せホルモン」の分泌を促すそうです。

 

難しい理屈はわからなくても、私たちはその力を、

何度も目の当たりにしてきました。

 

Hが歌い始めると、会場の空気が変わります。

彼女の歌声は、まるでダムの門を開く鍵のように、

聴いている方々の心の扉をこじ開けていく感じがします。

 

堰を切ったように涙が溢れ出し、

ティッシュをハンドバックから出していらっしゃる方も。

 

それは、歌という非言語のコミュニケーションが、

理屈を超えて、魂を直接揺さぶる瞬間です。

 

講演が終わると、Hはホッとしたように、

ひたすら脱力しています。

 

あれだけのエネルギーを放出したのですから、当然です。

一方で、私はいつも通り。私は用意があってもなくても

大丈夫。

 

終演後は、

会場の出口で、お客様にご挨拶をする時間。

 

感想を直接伺えることは本当に嬉しいのですが、

次から次へと会話が始まるこの時間は、

残りのエネルギーがほとんどない彼女にとって、

とても大きな負担です。

 

でも、お客様に感謝したい。

感想を聞いてみたいという想いはあります。

でも「会話」は苦手なので

電池残量はどんどん減ります。

すべてが終わって車に乗ると、はああああああ

と空気が抜けた風船のような感じになります。

 

 

だから、どんなに小さな公演でも、終わった後は必ず

スタッフと「打ち上げ」をします。

 

そこで「今日の講演、本当に役に立ったね」

「あの歌で泣いている人がいらっしゃった」と、

感想を共有します。

 

自分にまだまだ自信がないHに

(自信を失う事が人生には多かった)

この時間は、ご褒美であり、

「また次もお役に立てたら、」と思える原動力になっています。

 

 

舞台の上も、舞台を降りた後も、

すべてが彼女の人生そのものです。

その姿を、これからも伝え続けていきたいと思います。

 

助けを必要としている人が、

もっと申請しやすいシステムになったらなあ

 

障害手帳をいただくこと、障害年金をいただくこと。

これらは、国が定めた制度であり、

私たちが必要な支援を受けるための大切な権利です。

 

でも、その権利を手にするまでの道のりは、

想像以上に険しいものでした。

 

申請には、膨大な時間と労力がかかります。

書類を集め、何度も窓口に足を運ぶ。ただでさえ日々の生活で手一杯な中、それだけで体力も気力も削られていきます。

 

(大震災が起きた時にも、救済措置を申請するのに

そんな話を耳にしました。)_

 

特に精神的な負担が大きいのは、

過去の記録を掘り起こす作業です。

 

「いつ、どこの病院にかかったのか」 

「その時、どんな状態だったのか」

 

申請のためには、できれば思い出したくもない記憶と向き合い、それを客観的な事実として

書類に書き起こさなければなりません。

 

精神・発達障害のケースでは、

「これは申請が必要な状態だ」

と気づくまでに何年もかかることが多く、

記憶は遠く、曖昧です。

 

 

やっとの思いでたどり着いた病院が、

すでに閉鎖されていたら?診療記録はもう、手に入りません。

 

Hの申請の時のことは、今でも忘れられません。

当時は年金事務所でしか手続きができず、

予約を取るだけで何週間も先になりました。

 

そして、詳細を書類に書き起こす作業の精神的な苦痛は

とても大きく、Hは事務所で2回倒れました。

 

今は、私が住む市では、

市役所でも手続きを扱ってくれるようになり、

本当に助かっています。

 

こうした変化は、確実に前進です。

私たちは、毎日を精一杯生きています。

 

子どものこと、仕事のこと、通院のこと。

それだけで、もう手一杯です。

そこに手続き、、ふううううう、、、

 

だからこそのお願いがあります。

申請の手続きを、もう少し、

私たちが動きやすい形にしていただけたら。

 

市役所での対応のように、身近な窓口で

相談できる場所が増えること。

 

書類の記入を、簡素化して、オンライン面談や

郵送で完結できる手続きが増えること。

 

文句を言いたいわけではありません。

ただ、助けを必要としている人が、

その申請の途中で疲れ果てて諦めてしまうことがないように。

 

そのための工夫を、

ぜひ考えていただけたらと思うのです。

 

ふと気づいたことがあります。

彼女たちがあちこち病院を転々としていた時、

マイナンバーがあって、医療情報と完全に連携されていたら、

申請の時に「いつ、どこの病院に行ったか」を

自分で思い出さなくても済んだのかもしれません。

 

閉鎖されてしまった病院の記録も、残り続けるかもしれない。

 

マイナンバーを提示するだけで、

係の方が代わりに病歴や診察履歴を記入できるようになる日が

来るかもしれない。

 

マイナンバーにはいい噂ばかりではありません。

でも、私たちのような当事者にとっては、

あの苦しかった申請の手間が、

相当省かれることになっていたかもしれない。

そう思うと、少しだけ、希望が見えてくる気がします。

 

制度は、確実に少しずつ変わっています。その変化を信じながら、今日もあーでもない、こーでもない、と

歩いていきたいと思います。

 

 

自分に言っちゃう!『素敵な娘たちを持ったね』

 

 

 

今日、娘のHが、鎌倉の道端にぺたんと座り込んで、

わんわん泣き始めました。

 

目の前に飛んできた虫を咄嗟に払った時、

かけていたメガネが手から滑り落ち、

コンクリートの上にカツン、と音を立ててしまったのです。

 

フレームの端に、ほんの小さな傷。

でも、彼女にとっては、

それが世界の終わりのような出来事でした。

 

頭ではわかっているのです。

物はいつか壊れるし、完璧なままではいられない、と。

でも、大好きなプーさんがついたそのメガネは、

彼女にとって宝物でした。

 

その宝物が、自分のせいで「完璧」ではなくなってしまった。

その事実が、彼女には耐えられなかったのです。

 

家に帰ってきても、Hはずっとメソメソしていました。

その姿を見ながら、

私は、この使い捨ての時代に、

これほど一つのものを大事にできる彼女の心を、

本当に素晴らしいと思いました。

 

完璧でなくなったことが、それだけ悲しい。

その純粋な気持ちは、

生きていく上では不便かもしれないけれど、

私たちが忘れてしまった何かを、思い出させてくれます。

 

 

そして今日、もう一つ、心を揺さぶられる出来事がありました。

Hがパニックになっている間、双子のNが、

静かにこう言ったのです。 

「落ち着くまで、私、待ってるから」と。

 

数年前までの彼女なら、考えられないことでした。

Hのパニックは、N自身のトラウマを呼び覚ます引き金でした。

彼女自身もパニックを起こしますが、

Nのパニックは外からはわかりにくいのです。

 

だから、まわりが「あなたは平気ね」と勘違いしてしまう。

だからHのパニックが顕著であることが

ある意味Nには辛い時期が長かったのです。

 

ですから、Hがパニックを起こした時には

その辛い時期を思い出してしまう。

Hの隣で、フラッシュバックに耐えながら

わざと関係ないそぶりをしていたものでした。

 

そのNが、今日は、ただ静かに、妹が落ち着くのを待っている。

完璧じゃなくなったメガネを抱きしめて泣く娘と、

その隣で静かに待つ娘。

 

素敵な娘たちを持ったな、と心から思います。

大変なことも多いけれど、

こういう日もある。

 

自分の大変と、娘たちの素敵さは

関係がない、、

 

こういう日はわかるのです。

自分がぱつぱつだとわからなくなります。

 

 

 

 好きなことを仕事にしたい。

でも、 その環境が

「苦痛」だったら?

先日、娘が「言葉にならない」と涙を流した理由が、

時間が経ってわかりました。

 どうやら、自分の将来について

深く考えさせられる動画や出来事があったようです。

 

彼女が目指しているのは、演劇やミュージカルの世界。

それは、彼女が心から「やりたい」と願い、

そのために

技術を磨き続けてきた道です。

 

しかし、その道を究めようとすればするほど、

大きな壁が立ちはだかります。

ドーーーん、と大きな壁

 

 演劇やミュージカルは、多くの人々と関わり、

コミュニケーションを重ねながら、

一つの作品を創り上げていく共同作業です。

 

そして予定変更の嵐も吹き荒れます。

ゴーーーー!!!

 

それは、彼女にとって「苦手」という言葉では足りない、

ほとんど「苦痛」に近い環境。

え?この先どうなるの?が襲います。


 

ここに、魚と友達になりたいと願う青虫くんがいるとします。

でも青虫くんは水の中に入ったら溺れます。。

青虫くん。

 

そんな感じなのだと思います。

人は大好き、色々な方と知り合いになりたい。

だけど、、、

定型発達の人が何気なくつかっているスキルが彼女の中にない。

 

それほど定型発達の人々は自然に「とけこむ」「なかよくなる」

「共通項を何気なく探す」

を行っているわけです。

 

意識をせずに交わしている他愛のないやり取り。

「やあ」「ああ、どうしてた??」

なんて会話。

 

この技術を何気なく使っている我々は

実はすごいことをしているということです。

 

あちらにもこちらにも目を配り

耳をそばに立てて

適材適所に

コメントを残し合いの手を入れていく

ASDにとっては、魔法のようにみえるのだと思います。

 

あ、ちょっと話題がそれました。

さて、

娘が行きたい道は、自分が耐えられる環境とは

あまりにも大きく外れている——。 

そのどうしようもない事実に、彼女は改めて気づかされ、

心が大きく揺れたのでした。

 

青虫くんのやりたいことは、池の底にある。。

 

この話をすると、

「それなら、もっと向いている仕事を選べばいいのに」

と言う人もいらっしゃるかもしれません。

 

もし、娘が私と同じように、

一人で完結できる仕事(作曲など)を

「好き」になっていたなら。

もしかしたら、今のような苦しみを味わうことは

なかったのかもしれません。

 

でも、人の「好き」という気持ちは、

そんなに都合よくできてはいません。

 

その「好き」という圧倒的な衝動と、

「人と関わるのは好きだけど、

関わり方を考えて疲労してしまう」という現実。

 

 その板挟みで、彼女はもがいています。

 

彼女は、ミュージカルを愛してやまない。

そして劇中では、何を話そうか?と迷わなくてもいい

という安心が待っています。

セリフがきまっている!

なんて言おう、、って思わなくてもいいのです。

だから、劇中で、普段我々がしているような

コミュニケーションを楽しめるのですね。


「好きなことを仕事にする」という言葉は、

とても輝いて聞こえます。

 

でも、その好きなことを続けるために、

自分の魂を削るような苦痛を乗り越えなければ

ならないとしたら。

 

一番近いのは鶴の恩返しの鶴、、、そんな気がします。

自分の羽をもいで、美しい織物にする。

 

今はミュージカルのナンバーを、

理解あるウィーンで勉学を共にした友人と

理解あるピアニストと共に

コンサート形式でご披露しています。

 

英語とドイツ語で、そこは

耳の過敏さを武器にして母国語のように

海外で聴けるような言語でお届けしています。

 

いつか皆様にも聞いていただけたら

彼女にとって励みになると思います。はい!

 

と鶴の母ちゃんはおもうのでした。

鶴の母ちゃんを応援するよという方は

ぜひフォローをお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

「なんて言っていいかわからない」

——食卓で、泣き始めた娘

 

昨日の夕食の時間、Nはとても何か言いたそうにしていました。 でも、なかなか口に出すことができない。

私の手をぎゅっと握り、

「言葉にならないの。なんて言っていいかわからない」

と言いながら、

ただ静かに涙をこぼしていました。

 

これは、彼女が何かを強く経験し、

心が大きく揺さぶられた時に、時々現れる現象です。

 

彼女の頭の中では、感じたことや考えたことが、

まず「映像」として浮かぶのだと、

以前教えてくれました。

 

それは、具体的な風景かもしれないし、

「もやもや」や「キラキラ」といった、

もっと抽象的なイメージかもしれません。 

 

口から言葉として出てくるのは、

その映像を、なんとか言語に「翻訳」できたものだけなのです。

 

 

だから、心が大きく揺れた時、

そのイメージはあまりに複雑で、

豊かで、ぴったり合う言葉が見つからなくなる。

 

私たちも、日常生活で

「ええっと、なんて言ったらいいかな…」と、

言葉に詰まる瞬間はあります。

 

「さびしい」「むなしい」「せつない」——

どれもしっくりこない。 

 

「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」——

そのどれとも、少し違う。

 

でも多くの場合、私たちは会話のテンポを優先して、

一番近い言葉を選んで口にしてしまいます。

あるいは、「ヤバい」とか「すごい」といった、

便利な言葉で

感情を丸めてしまったりもします。

 

 

でも、彼女はそれをしません。

 自分の心の中にある、

あまりに繊細で、複雑な感情のグラデーションを、

ありのままに伝えようとする。

 

だから、ぴったりな言葉が見つからない時、

「言葉にならない」という状態になるのでしょう。

 

それは、感情が「ない」のではなく、

むしろ、ありすぎるほど豊かな感情が、

既存の言葉の器から溢れてしまっている状態ってこと?!

 

 

時が経ち、心の整理がついてから、

「あの時、言葉にならなかったのは、こういうことだったんだ」と、彼女が話してくれることもよくあります。

 その言葉はいつも、

驚くほど的確で、正直です。

 

 

昨夜、彼女の涙の理由を、

私は急かさずに待つことにしました。

言葉にならない思いを抱えながら、

それでも何とか伝えようと、私の手を握る娘。

 

その手から何かつたわってくるのを待ちます。

言葉が発達していく分

「感じる力」が弱くなっていく気がします。

きっと我々は遠くで何かが起きたら

感じることができるセンサー、

人が何かを思っているとわかるセンサーを

今でも持っているのだと思います。

 

宝の持ち腐れになったらもったいない!!