「おうちにいてほしい」が言えない。。。
一昨日は97歳の母の眼科付き添いでした。
出かけてから診察が終わるまで、約4時間。
97歳にはちょっと長い。。
車椅子とはいえ、体調を見守りながらの検査でした。
娘たちもついてきてくれました。
母や私のことをなんとか助けたい、
という気持ちが伝わってきました。
97歳という年齢は、
これからさきも、
ずっとお正月を祝い、誕生日をあと何十回もむかえる年ではないと、わかっています。
だから、なるべく力になりたいと思っている彼女たち。
はい、彼女たちが私の母を見てくれるのは助かりますが、
それには条件が、、
「私と一緒」
母の付き添いの時には、私は母をフォーカスするので、
彼女たちのケアがちょっとおろそかになります。
というわけで、私としては、どちらつかずになってしまう。
「今日はおばあちゃまのためにお出かけするから、
家で待っていてくれる?」
と、手伝おうとしている彼女たちにはなかなか言いにくい。
「家で待っていてくれたら、実はたすかるんだ」
と思うこともあるのですけれどね。
眼科が入っている、
そのショッピングモールで彼女たちは別行動。
眼科の順番待ちで、子供が泣いたら、、
だれかが理不尽なことをしたら、、
そう思うと、
「二人で好きなところに行ってきていいわよ」と促します。
でも、どこかでは、
店員さんに話しかけられることが苦手、
人混みも苦手という特性があるので、
気が気ではありません。
母にフォーカスしつつ、
彼女たちからSOSが飛んでこないかちょっとドキドキ。
そして、診察がいつ終わるかわからない、という状況が
彼女たちには大きな不安につながるがゆえに、
メッセージがはいります。
「もう終わった?」「あと、どのぐらい?」
この辺がなかなか平静でいられない私。
だって、、
「それがわからないのが、お医者様なんですうううう」。
「この時間までに終わる」
というスケジュールが脳に組み込めないから、
この質問がでてくるのも無理はありません。
私も頭で「わかっちゃいるけど、、、」です。
ASDの特性として、見通しが立たない状況は、
定型発達の人が感じる以上の負荷になります。
疲弊して、不安になると——思ったことが声に出ます。
「ああ、めんどうくさい」
「これ、やだ」
「なぜ人一倍疲れなきゃならないんだ???」。
ASDには「思ったことをそのまま口に出してしまう」
という特性があります。
脳の「言わないでおく」フィルターが、
定型発達の人とは異なる働き方をするためだそうです。
研究でも確認されていることです。
誰でも心の中でそう思う場面はあります。
でも多くの人は、なんとか乗り越えて、何も言わずにやる。
娘たちは、その一つひとつを声に出します。
母の世話をしなければならない時に、
そのネガティブな言葉が続くと——正直、
「今はちょっと勘弁だああ。」
ただ、私や母を助けたいという気持ちは、
否定したくはありませんものね。。。困る。。
そしてもう一つ、難しいことがあります。
彼女たちが幼い頃、私は言いました。
「何を言ってもいいわよ、みんな聞いてますよ」と。
あの時は小さかったから言ったこと——これでは
彼女たちには全く通用しません。
「いつから変わったの?
変わったなら言ってくれなければわからない」というのです。
ASDのもう一つの特性として、
「ルールが変わること」
への対応が難しいということがあります。
私が言った「何を話してもいいのよ」一言は、
彼女たちの中でずっと有効なルールとして生きています。
これが、発達障害の子を持つ親の、
なかなか言えない本音の一つです。
「ありがとう」と「今日は家にいてほしい」が、
同時に存在する。 なかなか消化できない問題です。
消化できないまま、おとといも一日が終わりました。