「いつものAセットが無い」これで娘が固まる理由
「あ、ごめん、ちょっとコンビニ寄っていい?」
高速道路を降り、
自宅まであと少しという安堵感が車内に満ちた頃でした。
私が何気なくそう口にすると、バックミラーに映る娘の顔から、すっと表情が消えるのがわかりました。
しばらくの沈黙の後、
後部座席から絞り出すような声が聞こえます。
「……また、それ? ねえ、お願いだから、やめて」
この一言が、なぜ娘をこれほどまでに追い詰めるのか。
昨日の記事で提起した、ASD(自閉スペクトラム症)の娘が
日常で感じる「見えない困難」について、
今日はこのエピソードを深掘りしてみたいと思います。
■「家に帰る」というゴールテープ
娘に言わせれば、車に乗った瞬間から、
彼女の頭の中では「家に帰る」というゴールテープに向かって、一本の線路がまっすぐに敷かれているのだそうです。
その線路の上を、
ガタンゴトンと予定通りに進んでいる時の安心感。
ところが、私の「コンビニ寄っていい?」の一言は、
その線路の途中に、なんの予告もなく突然
「寄り道駅」を出現させるようなもの。
「え、聞いてない。心の準備ができてない。どうしよう」
脳が混乱し、頭が真っ白になるのだと、彼女は言います。
私にとってはほんの数分の寄り道でも、彼女にとっては、
必死で保っていた心のバランスを崩しかねない、
重大なインシデント(出来事)なんですね。
■「いつもと同じ」というお守り
こうした「予期せぬ変更」への困難は、
日常の至る所に潜んでいます。
娘と二人で、彼女のお気に入りのカフェに入った時のこと。
席に着く前から、
娘は「いつものAセット」を食べるのを楽しみにしていました。
頭の中は、Aセットを食べると決めています。
ところが、席についてメニューを開くと、
季節の移り変わりによりメニューが替わっており、
彼女の好きなパスタがどこにも見当たらない。
娘は呆然と固まります。思考停止。
周りから見れば、「食べたいものが無かっただけ」の
小さな出来事です。でも、彼女にとっては、、
「絶対に食べられると思っていた、
安心できる選択肢」が突然消え、
何を頼んでいいか分からなくなる
パニックの入り口だったのです。
私たちが思う以上に、
彼女たちにとって「いつもと同じ」という安心感は、
お守りのように大切なものなのかもしれません。
親として一番近くにいるはずの私でさえ、
そのお守りを、いとも簡単に取り上げてしまうことがある。
娘の「やめて」という言葉の重さを噛み締めながら、
今日もまた、自問自答を繰り返しています。
(本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。)
【次回の予告】
なぜ、私たちは「コンビニに寄る」ことや「メニューの変更」の大変さを想像できないのでしょうか。
その根底には、私たちが「想像できる障害」と「想像できない障害」の大きな壁があることに気づかされました。
次回は、97歳の母との比較で娘に言われ、
ハッとした「見える障害と見えない障害の本質」について
詳しく綴りたいと思います。
