長いこと、ありがとうございました

 

12年間、ここで書いてきました。

記事は490本。最初の記事を見たら、

行も空けず、読みにくーーーい。笑。

 この12年間で、社会もSNSも、どんどん変わりましたね。

 

途中、休眠したことも度々ありました。

ごめんなさい。

 

 短めに書こうと思っても、

書き出すといつの間にか長くなっていて、

気づいたら時間が経っていました。 

それが私のブログでした。

 

いつも見に来てくださった方、本当にありがとうございました。

 

これからは、Xで発信していくことにしました。

 

文体は全くちがっていて

 短い言葉で、我が子に対してだけでなく、

同じ生きづらさをもっている方々に

声をかけるつもりで、書いています。

 

私もまた、いろいろ新しいことに挑戦中です。 

変わりながら、続けていきます。

 

もしよければ、続きはこちらで。

 X(旧Twitter):

https://x.com/mariko_asd2

 

長い間、本当にありがとうございました。

 

7月20日に間に合わなかった私が、思い出したこと

      

一つの目標を、7月20日に置いていました。

「この日から、きっと変わるぞ。」

そう思っていました。

 

ところが、その一週間ほど前から娘が風邪をひき、

夜になると咳がひどくなり、夜間救急へ行くことになりました。

こんな時に。

よりによって、この大事な時に。

そんなことを思いました。

 

でも、少し落ち着いて考えてみると、

20日までに本当にやるべきことをやり切っていたかというと、

そうでもありませんでした。

 

私の目の前には、いつも三つ、四つ、五つの的があります。

どれも大事。

どれもやりたい。

だから、一生懸命も五分割されてしまいます。

 

それでは、一つ一つが小さくなってしまう。

それは嫌だな、と思いました。

その時、ふと思い出しました。

 

「あ、私は双子を育ててきたんだった。」

二人に同時に向き合えない時は、どうしていただろう?

 

一人ずつ。

順番に。

ずっとそうやってきたじゃないか。

 

仕事も同じなのかもしれません。

五つを少しずつではなく、一つにしっかり向き合う。

終わったら、次へ。

 

その繰り返しなら、五つ全部が前へ進んでいく。

 

7月20日の目標には届きませんでした。

 

でも、「なぜ届かなかったのか」を考えられたのは、

大きな収穫でした。

 

よし、仕切り直しです。

そして、もう一つ考えたことがあります。

 

変わり続ける世の中で、何を手放さずに生きるのか。

それは、noteに書きました。

 

 

 

 

大人だけのカフェが、ほしい季節

 

夏休みになると、子供達が街に溢れてくる。

 当然、娘たちは耳を塞ぐ機会が増え、

私もヒヤヒヤする場面が増える。

 

決して子供が嫌いなわけではない。 

ただ、あの泣き叫ぶ声や、

突然の「きゃー!」という声が、

どうしても彼女たちには辛いという現実があるからだ。

 

「子供は泣くもの」 

そう頭では分かっていても、

彼女たちにとっては

耳にキリを突き刺されるような痛さを感じるらしい。

 

それほどまでに、我慢ができないものなのだ。

 

逃げ場のないエレベーター。

 突然の子供の「きゃー!」に、娘も「きゃー!」

と叫んでしまう。 

 

子供達の悲鳴には平然としている大人たちが、

娘のことはジロジロと見る。

 

娘のパニックは声だけではすまない。 

泣き出したり、飛び跳ねたり、

ひどい時には靴を脱いで駆け回ることさえある。

 

それほど、彼女たちにとって大変な事態なのだ。

 特に、その前に小さなストレス

(人とぶつかった、買おうと思っていたものがなかった、など)

が重なっていると、爆発までに時間はかからない。

 

彼女自身も、

頭では「こんなこと、ここでするべきじゃない」

とわかっている。 

 

けれど、例えばあなたの手に熱湯がかかったら、

静かに「熱い」とは言えないだろう。

 

その熱さとショックで飛び跳ねたり、

あわてて歩き回ったりすると思うのだ。 

私は、娘のパニックもそれと同じことだと解釈している。

 

また、この夏は暑いし、外で遊べる日も限られる。 

そういう時、

誰もが行きやすい場所はショッピングセンターだ。

 

 広いところに出たら、子供は開放的になる。

屋外ほどではないにせよ、

自宅よりは広いはず。

 

開放的になって声が大きくなるのは、

自然なことだと心得ている。

 

だからこそ、大人だけが入れるカフェを切望する季節でもある。

 

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解決策よりもお話が大切

 

 

問題を解決することばかり考えて、

話すことを忘れていました

ここ数日、いろいろなことが重なり、頭も心も体も、

あちこちに飛んでいました。

 

そんな時だからこそ、就寝前に30分ずつ、

一人ずつ話す時間を取ることにしました。

 

30分一人と話し、

30分もう一人と話す。

 

そして三人で一旦寝て、私はまた起きて仕事をする。

 

昔から、一人ずつ話す時間は大切にしてきました。

双子は何かと一括りにされがちですが、

この時間を忘れると、

あとになって気持ちがこじれることがあります。

 

お互いに気を遣って

言わないことが積み重なってしまうからです。

 

一人は、

「もう一人が私の真似をするのが嫌。」

と話してくれました。

私が辞めると言えば彼女も辞めると言い、

私が行くと言えば彼女も行くと言う。

 

それが、とても嫌なのだそうです。

 

もう一人は、私にこう聞きました。

「何か、お母様から話したいことないの?」

私は少し考えました。

 

彼女自身から話し始めると、

どうしても将来への不安や、取れなかったビザの話になります。

 

だから私は、いつもどこかで

「どうしたらこの悩みを解決できるだろう」と考えています。

 

でも、「私から話したいこと」と言われると、

すぐには思い浮かびませんでした。

 

すると彼女は言いました。

「話したいことがないなんて、寂しい。

ディケンズの小説、

『クリスマス・キャロル』の

クラチットさんの家みたいだったじゃないか。」

 

その言葉に、ハッとしました。

私はいつの間にか、「何を話そうか」ではなく、

「何を解決しようか」

を考える時間のほうが多くなっていたのかもしれません。

 

もちろん、悩みを一緒に考えることは大切です。

 

でも、それだけでは足りない。

解決するための会話とは別に、

ただ話したいことを話す時間も、同じくらい大切なのだと、娘の一言に教えられました。

 

 

 

 

記憶力がいいことは、しあわせ?!

記憶力がいいことは、本当に幸せなのでしょうか。

 

一般的には、「記憶力がいい」は長所だと思われています。

でも私は、

そうとも言い切れない場面を何度も見てきました。

 

人間の脳は、生命を守るために、

危険だったことや嫌だったことを忘れにくくできています。

 

だから我が子たちは、

幼い頃の出来事を驚くほど鮮明に覚えています。

 

しかも覚えているのは出来事だけではありません。

その時の空気、その場の雰囲気、体の感覚まで、

一緒によみがえるそうです。

 

適度に忘れられることも、

生きていくためには大切なのだと感じることがよくあります。

 

詳しくは書けませんが、

それぞれの心の奥には、今も横たわっている出来事と、

その時の感情があります。

 

「そんな昔のこと」とは、とても言えません。

 

でも私は何度も聞いているので、

つい「またその話?」と思ってしまうことがあります。

 

本当は、「それほど嫌だったんだね」

と寄り添えればいいのでしょう。

 

でも、あれもこれも重なって、

しかも暑い〜〜。(関係ないです、、けれど。)

 

そうなると、寄り添うより先に、

解決する方向へ話を持っていきたくなってしまいます。

 

すると、いつも言われます。

「先のことじゃなくて。解決策じゃなくて。

今の私の気持ちに寄り添ってくれないの?」

 

同じところをぐるぐる回っているように見えてしまうのです。

 

でも、本当は同じところではなく、

螺旋階段なのかもしれません。

 

少しずつ違う高さまで来ているのに、

私にはそれが見えていないだけなのかもしれない。

最近、そんなことを考えます。

 

 

もうすこし詳しいお話は下記から