発達障害の娘と超えていく世界
こんにちは
毎日毎日、話すことが山積み(娘たちと)で、
これはなくなることがあるんだろうか?
いやいや、きっとずーっとなくならないのでしょうね。
双子が話しているのを聞いていると、
わかっているようなつもりになるのです。
でもいざ、個人的にNとHと話すと私だけがずれている。。。
そこじゃないんだ、、問題は。
どういうこと?
前にも言ったとおもうけど、、
そんな会話になることも多く、
そこから起承転結の、「結」に至るまで、話は進みます。
私は時々、自分の器がいっぱいになってしまうと、
「転」の少し手前で 脳が働かなくなる時があります。
そんなつもりで言ったわけじゃなくて、、
という領域に入って、言葉のジャングルが密林になってくると、
ジャングルを抜け出して 言葉のコンビニで一服?したくなるような、そんな感じになる時があります。
普段自分が使っている回路ではないところを使うので、
ショートするときもあり
そんなときには、その道からちょっと外れて
粗熱が取れてから帰って来たいとおもうこともあります。
非自閉の者にとっては、
「そんなこというわけがないじゃないか』、とか、
「そんなこと思っているわけがないじゃないの」、、と
根本に流れているものを見てほしい、
信じてほしいと思うのです。
が、それができたらASDではない。
できないから大変な毎日をおくっている彼女たち。
だけど、私も自分のこととなると、わかってくれ!
となる。。。
勝手なものです。
想像することが難しい彼女たちは、
言葉が頼りのことも多い。
ですから、あとから、
「そういう意味じゃなくて」
なんて私に言われてしまうと、
じゃあ、どんな意味で言ったの?と
どんどん、質問は、鋭く、深くなっていきます。
いままで、何度もジャングルから抜けて
どこかに一旦頭の中で避難して、元に戻ったことかわかりません。
でも、、避難せずに、そこにいて、最後まで、つまり起承転結の、結の最後まで居た方が、結果的にはベターですね。
何度も「ほら、そうやって逃げる!」
と言われたことがあります。
こちらも天使ではないし、千手観音でもないので、
実際に逃げたくなる時があったのだと思います。
どんな時にも、大きな手のひらの上に載せて、
「大丈夫よ、大丈夫」と言えたら、
彼女たちは安心なのだと思いますが、
わたしにも、日々考えることがあり、
そのことで脳や心のバケツがいっぱいになっている時には、
「もう、よくわからない!」とか
「もう、いいよ!」とか、
「わかりました、すみませんでした!」という、
彼女たちには訳のわからない言葉を発していた時もありました。
これら、、かなり曖昧な日本語です。。。
よくわからない、、なら、もっと話せばいいし
もう、いいよ!、、は何がいいんだ?って話だし
すみませんでした!、、は何に?誰に?なぜあやまっているんだ?だし。。
こういう日本語の解説はとても難しいですね。
『はっきりとは言いませんが、わかってくださいね、
このニュアンス』
みたいな言葉がいっぱいありますものね。
こちらも普段、調子よくつかっているものだから、
ついつい使って、真髄から意図的に?無意識に、
ずれちゃっているなんてこともよくありました。
理解しようとして質問して、その質問がこれまた頓珍漢、、
ということもありました。
今日も、あるドクターの動画で、
「よくASDの人は他人のことを想像できないといいますが、
かれらは努力して、とても努力してわかろうとしています。
ASDではない人の方が、ASDの人のことを、想像できていません」
そんなセリフがありました。(うろ覚えですが、、)
彼女たちを愛していて、大好きである。。
これは動かない事実ですが、
それをいうと、それなら、
どうしてこうなるんだ?
どうしてこうしないんだ?、、そんな話になることもあります。
昨日は、、、
じゃあ、どうしたらいいのさ!!なんて言ったらいいのさ!!
みたいに私がなった時に、、
とてもわかりやすく、娘が言ってくれた言葉がありました。
そうか。。。とても納得しました。
そして、話は明け方の3時ぐらいまで続きました。。。