25年前の「大丈夫」

 

私は、娘たちの前では、なるべく明るく、

元気な母でいようとしてきました。

 

人前で、
「うちの娘、本当に困るんです」
「この子たち、仕方がなくて」
そんなふうに話すことはしませんでした。

 

もちろん、悩みはいっぱいありました。
でも私は、人前で家族のことを悪く言うのが嫌だったのです。

 

娘たちは小さい頃から、
「あれ、どうして自分の家族のことを悪く言うの?」
と言っていました。

 

「育てたのは自分なのに、

どうしてそんなふうに言うんだろう」
と。

 

私はその感覚を、とても貴重だと思っていました。
そして、どこか真実をついていると感心していました。

 

多くの人は、ある程度大きくなると、
「まあ、親ってそういうものよね」
と、少し距離を置いて受け止められるようになると思うのです。

 

でも娘たちは、そこがずっと変わらなかった。

冗談として流す、
少し引いて理解する、
そういうことが、脳の特性でできなかったんですね。

 

それを知らなかった私は
「大丈夫、大丈夫」
「私がやるから」
と、言い続けてきました。

 

でも最近になって、
もしかしたら私は、

「大丈夫」を言いすぎたのかもしれないと思うことがあります。

 

私が「母の娘」という立場だった頃、
母が大変そうにしていると、自然に手伝っていました。

 

運転して帰宅したら荷物を持ったし、
料理をしていたら横で見たり、手伝ったり、
母がどこかに寄るなら、「私が行くね。」と車を降りました。

 

特別なことではありません。

「大変そうだから、私、やる」

「手伝いたい」

そう思っていました。

 

だから娘たちにも、
「やりたいと思ったらやってね」
という育て方を、長くしていました。

 

でも、
その「やりたいと思う」が、なかなか来ないのです。

あまりに来ないので、
ある時、聞いてみたことがあります。

「手伝おうって、思わないの?」

 

すると娘たちは、こう言いました。

「言われたらわかる。でも、言われなきゃわからない」

 

料理は、
音がうるさくて、
同時にいろんなことをしなければならなくて、
何を見ればいいかわからなくなる。

 

洗い物も、
水の音、食器の音、
濡れる感覚、
順番を考えること、
いろんな種類の作業が混ざっていて、
やりたいと思わない。

 

お店に一人で行くのも、
店員さんと話さなければならないから、
車から降りたくない。

 

そう言われて、
私は初めて、
「やらない」のではなく、
「ハードルが高い」
という世界があるのだと、少しずつわかってきました。

 

もちろん今では、
できることも増えました。

手伝ってくれる時もあります。

 

でも根本的には、
「気づいたら自然に動く」
ということ自体が、
娘たちにはとても難しい。

 

だから結局、
私がやってしまうことが増える。

そして私は、
また言うのです。

「大丈夫、大丈夫」
「私がやるから」

 

昔、娘たちのかかりつけの病院で

よく言われました。

「お母さんは特別パワフルだからね」
「真似しないようにね」

 

私は昔から、
かなり丈夫です。

徹夜もできるし、
疲れにも強い方でした。

だから、
子どもたちの前で、
つい、「私は大丈夫」
と言ってしまっていたのです。

 

でも、
人は歳をとります。

30年経てば、
さすがに同じではありません。

ところが、
私が「ちょっと疲れちゃった」と言うと、
娘たちは驚いたようにこう言うのです。

「だって、お母様はずっと元気だって言ってたじゃないか」
「ずっと大丈夫って言ってたじゃないか」

 

その時、
私は気づきました。

娘たちは、
25年前の私の言葉を、
“その時の励まし”ではなく、
“ずっと変わらない真実”
として受け取っていたのだと。

 

私は、
そんなふうに残るとは思っていませんでした。


私の誤算は他にもいっぱいあって、

いまだに戸惑うことがあるんです。