いつも応援してくださる皆様へ

Eテレを見てくださった方、

ありがとうございました。
 

興味を持ってくださり、

このブログまで来てくださったこと、

心から感謝申し上げます。

今日はちょうど、地域の支援センターに行く日でした。
そこで、先日友人と出かけた日のことを話しておりました。

 

幼い頃からの知人で、

血縁者よりも彼女のことをよく分かっている友達です。


とてもとても楽しかった、と言っていました。
背伸びしすぎないように気をつけて、

その友人の前ではなるべく自然に、

自分のままでいようと頑張ってきたようでした。

 

ただ、カウンセラーが、彼女のことを表現するときに言う
「頭のとてもいい10歳」
ではいられなかったらしく、


17歳ぐらいを演じていたかもしれない、と申しました。

 

年齢相応にカモフラージュするとき、

ギャップが20歳以上あるのと、一桁なのとでは違います。


17歳であれば、差は7年ほどですから、

そこまで激しいギャップではありません。


けれど、ゼロではありません。


だから昨日、今日と、疲れがまだ取れていないようでした。

 

彼女にとっての年齢ギャップ

――実年齢と、先生の言う年齢とのずれ――

は、5年ほど前までは頭の良さでカバーしてきたものの、

どうすることもできなくなり、背伸びに疲れ、

自分の中がしっくりこない時期が本当に長かったと思います。

 

その違和感を、カウンセラーに言語化していただいたことで、
「なんだ、、そうだったんだ、、、

それが私で、それは悪いことじゃないんだね」


と、思えるようになってきたところです。

 

こんなことで大人は泣かない。
こんなことで痛いと騒がない。
こんなときに飛び跳ねない。
(うれしいと跳ねます。)

 

そういう時代を長く通ってきて、
体で表現していいんだ
と本人が思えたことは、とても大きかったと思います。

 

親がこういうことを、もっと早く分かっていればな、、、
と深く深く思うことの一つです。

 

 

正しさより、平和を選ぶ朝もある

 

昨日の騒ぎで、私はかなりエネルギーを取られてしまいました。

声のトーンは低くなり、

話すテンポも遅くなっていたと思います。
娘たちは、その変化に何か感じたのでしょう。

 

あれだけ
「どっちも悪くない」
と言い張っていた二人が、一転して、

私に小さなプレゼントを用意していました。

「いつもありがとう。」

その一言と一緒に。

 

何が正解だったのか、そこはひとまず棚に上げて、

今日は一応、平和な朝が明けました。


私は大阪での仕事のため、朝から新幹線。

 

33歳の娘なら、二人でランチの用意くらい、お手のもの。
……と、世の中的には思うかもしれません。

 

でも、我が家はそうではありません。

台所での作業は、思っている以上にマルチタスクです。


段取りよく動くこと、同時にいくつかのことを進めること、

相手とすれ違うこと、場所を譲ること。
そういうことが、簡単ではありません。

 

BGMなしには動けないこともあります。
すれ違う時に体がぶつかるのがいや。
お皿を出すにも、

まずその皿を広げるスペースを空ける必要がある。


でも、その順番がうまくつながらない。
両手に皿を持ったまま、
「どうしよう……動けない……」
となることもよくあります。

 

スパゲティの乾麺を手に握ったまま

棒立ちになり、お湯にお塩いれるのわすれた、、

どうしよう。。。。

 

そんなこともあります。

 

そして、味は
「いつもの」がいい。

 

というわけで、今日のお昼は二人ともカップ麺です。

ゴミは最小。
味はいつもと同じ。
洗い物も最小。
彼女たちにとっては、これが最高の食べ物です。

 

もちろん、わかっています。
栄養のことを言えば、もっといいものはいくらでもある。
添加物のことを言えば、すすめられるものではありません。

だから、私が家にいる時には、決してそんな食事にはしません。

 

でも、彼女たちの特性を考えると、
いちばんリスクが少ない食べ物は何か。
そう考えた時、答えはカップ麺になります。

 

栄養的に“いちばん正しい”ではなくても、
家庭がいちばん平和に回る選択が必要な日があります。

今日はそういう日です。

 

私は大阪で、おいしい老舗のおうどん。
二人は家で、いつものカップ麺。

 

それぞれに無理のないお昼を食べられるなら、
今日はそれで十分だと思っています。

 

お時間がありましたら、少し深掘りしている

ノートの記事もどうぞご覧ください。

 

 

 

「どっちもただしい」が一番困る。

兄弟げんかを見ていて、

「どうして、こんなに話が終わらないんだろう。」

そう思ったことはありませんか。

 

しかも、聞いていると、どちらも間違ったことは言っていない。

親としては、仲裁に入れば入るほど疲れてしまいます。

 

双子のどちらかの味方になってしまうから。

 

我が家では、そんなことがよくありました。

車の中では喧嘩をしない。

これは、小さい頃からの約束です。

 

密室で喧嘩が始まると、運転に集中できなくなる、

事故の元です。

 

ある日、一人が体調を崩し、後部座席で横になっていました。

すると、もう一人が言いました。

「シートベルトをしなければいけない。」

正論です。

 

でも、体調の悪い本人は、

「横になりたい。」

と言います。

私も、

「それなら今日は車に乗らないで、家で休みなさい。」

と言ってしまった。

 

すると今度は、

「さっきまで何も言わなかったのに、

どうして今になって言うの?」

と話が変わります。

 

さらに、

「今日は金曜日でしょう。」

「金曜日は一緒に車に乗る約束だった。」

という話まで出てきます。

 

シートベルトも正しい。

体調を優先したい気持ちもわかる。

金曜日の約束も守りたい。

 

どれも間違っていません。

だから終わらないのです。

 

娘たちは普段、本当に仲がいい。

でも、一度議論が始まると、

「AだからB。」

「BだからC。」

と、お互い筋道を立てて話します。

幼い頃から私は思っていました。

もし将来、検事になったら……。

できれば法廷では会いたくない。

 

それほど二人とも、

自分の考えを論理的に積み上げて話す力があるのです。

 

私は長い間、

「どうしてこんなにエンドレス??!!」と思っていました。

 

最近になって、

それは「正しいことが一つではない場面」が、

とても難しいからなのかもしれない、

と思っています。

 

事実は一つといいますが

人の数だけ事実はありますものね。

その人の目から見た事実。

 

最近ノートもはじめました。

少し深く、別の例も含めて書いています。

 

 

 

 

 

 

「邪魔しなかったよ」

 

「邪魔しなかったよ。」

その一言を聞いた時、私は返す言葉がありませんでした。

娘がまだ小さかった頃、

仕事のスタジオへ連れて行くことがよくありました。

 

スタジオには何時間もいます。

終わりがなかなか見えない仕事です。

打ち合わせが始まり、録音が始まり、また人が来る。

 

スタッフも演奏者も、入れ替わりながら仕事が進んでいきます。

 

娘たちは隅で塗り絵をしたり、絵を描いたりしながら

静かに待っていてくれました。

 

ところが、ある日、人に言われて気づいたのです。

娘たちは、誰が来ても、

「こんにちは。」

を言わない。

誰が帰っても、

「さようなら。」

も言わない。

 

家へ帰ってから聞きました。

「どうして挨拶しなかったの?」

 

すると娘は、不思議そうな顔で言いました。

「邪魔しなかったよ。」

意味がわかりませんでした。

 

さらに聞くと、

「人が話している時は、口を挟んではいけないって教わった。」

「約束はちゃんと守ってたよ。」

と胸を張りました。

 

確かに私は、そう教えていました。

スタジオでは、誰かが話しています。

録音中なら音もしています。

娘にとっては、そこにいる何時間もの間、

ずっと「人が話している時間」だったのでしょう。

 

だから、

「こんにちは。」

も、

「バイバイ。」

も言わなかった。

いえ、言えなかったんですね。

 

私はあの日まで、

「挨拶だけは別。」

ということを、一度も教えたことがありませんでした。

 

「邪魔しなかったよ。」

その一言は、今でも忘れられません。

 

関連記事をノートに書いています。

お時間あればのぞいてみてください。

 

 

 

 

「今日のお昼、何食べたい?」

 

何気ない会話です。

でも、この質問に答えるまでに、

漢書たちはとても時間がかかることがよくあります。

 

私は長い間、「決めることが苦手なのかな」と思っていました。

でも、一緒に暮らしているうちに、

決断について、わかったことがあります。

 

何を食べるのか。
何時に食べるのか。
どのくらい食べるのか。

 

これは決断すべきことですね。


どんな味なのか。
どんな食感なのか。

 

これは、予想を立てることです。

 

この二つがとても大事みたい。

 

私たちは「何を食べる?」と一つ質問しているつもりでも、

本人の中では、

たくさんの小さな決断が同時に始まって、

その先には予想しないと不安になる

そんな気持ちが見えてきます。

 

 

娘から、こんなメッセージが届いたことがあります。

「ねえ、私、何食べたらいい?」

最初は、その意味がわかりませんでした。

食べたいものを選べばいい。

 

私には、それほど難しいことには思えなかったからです。

 

でも、外出先で食事をする時も、

希望を聞きながら店を決めていると、

 

「もう、決めるの疲れた……」

という言葉を何度も聞くのです。

 

私は食いしん坊です。

「今日は何を食べようかな」

と考えることは楽しみの一つです。

 

だからこそ、「食べるものを決めるだけで疲れる」

という感覚は、

最初は想像できませんでした。

 

けれど、朝から見ていると、

「決断をする」のは食事だけではありません。

 

いつ起きる?何を着る?
いつ出かける?いや、でかけない?
どちらへ行くか。
何を持って行くか。

 

 

私たちには小さなことでも、

一つ一つの決断に時間がかかり、

それが積み重なっていくように見えることがよくあります。

 

以前の私は、

「どうしてそんなことを決めるだけで、

こんなに時間がかかるのだろう」

と思っていました。

 

今は、「決めることが苦手」というより、

一日に向き合っている決断の数そのものが、

私とは全く違うということがわかりました。

 

「早く決めてほしい」と思うこと、正直あります。

雨、ふるかなあ?ふらないかなあ???

 

そんなことは、神様じゃないとわからないんだから、

折りたたみ持っていけばいいじゃないか?!

 

 

なんて思ってしまいますが、、、

でも、そのバッグの中には、

イヤフォン、イヤマフ、フィジェット、

大きめのサングラス……。

「もしも」に備えるためのものが、

すでにたくさん入っています。

 

 

だから、彼女たちの迷いも必然。

予想外はパニックになりかねないから

あれこれ考えるのも必然

感覚過敏だから、混んでるかな、混んでないかなあと

考えるのも必然。

 

       「どうして決められないの?」

        そう見えていた出来事が、

          「一つの質問に、

   たくさんの決断と予測が重なっていたのかもしれない」

 

       そう思えるようになってから、

     娘たちの見え方が、また一つ変わりました。