娘たちが私に教えてくれた

「効率の悪い生き方」の豊かさ

いま、世の中はどんどん速くなっています。

 誰もが新幹線に乗りたがり、それでも満足いかず、

もっと速いもの、もっと省エネ、もっと楽なものへと、

時代は加速し続けています。

 

タイパ(タイムパフォーマンス)なんて言葉がもてはやされ、

映画を倍速で見るのが当たり前になる時代。 

そんな中、我が家の娘たちは、声を大にして言っています。

「こんなのおかしい」と。

 

変化が苦手で、切り替えに時間がかかる。 

新しいことを認識したり、予定の変更を受け入れたりするのに、とても時間がかかる。

なぜそうなのか、私は長い間わかりませんでした。

 

ところが最近、こんな研究があることを知りました。

 ASDの人の脳は、

情報を受け取る幅(ダイナミックレンジ)が広く、

定型発達の人が見落としてしまうような細部まで、

キャッチしてしまうらしいのです。

(2024年、Medical Xpressほか複数の研究より)

 

 

つまり、普通の人よりも

「解像度が高すぎる世界」を生きているようです。

 情報量が多いからこそ、それを処理するのに時間がかかる。

 変化を嫌うのは、わがままではなく、膨大な情報を一つひとつ丁寧に処理しているから、なんですね。なるほど。。。

 

 

私は研究者ではないので、

これが娘たちに当てはまるかどうかは断言できません。 

でも、33年間彼女たちと一緒に生きてきた実感として、

「そうかもしれない」と思えることが、たくさんあります。

 

 

常にフル回転で、徹夜も平気、

効率よく仕事をこなすのが「生きること」だった私にとって、

彼女たちのペースは、最初は理解できないものでした。 

なぜパッパとできないのか。

一体どこでそんなに考え込むことがあるんだろう?

そこまで真剣にならなくても。。

 

でも、気づいたことがあります。

鈍行列車に乗っているからこそ、

見える景色があるのです。 

 

新幹線でビュンと通り過ぎてしまったら、

決して気づかないような道の草花や、空の色の変化。

 彼女たちは、それを一つひとつ、立ち止まって見ている。

 

 

「もっと速く」「もっと効率よく」を追い求める社会は、

本当に豊かなの?

 効率を極めた先に、私たちは何を手に入れようとしているの?

 

彼女たちの「効率の悪い生き方」は、

時に面倒で、私の日常を破綻させそうになることもあります。 

 

でも、その丁寧で、不器用で、

時間がかかる生き方を見ていると、ドキっとさせられるのです。

 

私は、もしかしたら、

大事なものをたくさん見落としている。。。

 

時代がどれだけ加速しても、

彼女たちは自分たちのペースを守るしかない。

なのでいつも社会のスピードと闘っています。 

 

その姿は、この速すぎる世界に対する、

一つの静かな抵抗のようにも見えます。

 

そして私は今、その「効率の悪い生き方」の豊かさに、

少しだけ憧れるときもあるんだなあ。

 

 

 

どーなってんの???

どーなってんの? 昨夜は、なんだか訳のわからない夜でした。

 二人がなぜか、とても機嫌が悪い。

 というよりも、

二人ともプチパニックを起こしているようでした。

 

 夜中に近づいていく時間に、

 こちらもフォローできるエネルギーが残っていない。

 

 一人は自分のベッドに行かず、同じ部屋で寝たいと言い、 

三人で同じ部屋にいるものの、妙な空気。

 気持ちの悪い夜でした。

 

 彼女たちの頭の中が透けて見えたらと、

何度も思いましたが、 

それはそれで、ちょいと面倒ですね。きっと。

 

 そして朝になり—— 二人は何事もなかったかのように、

大の仲良し状態。 

どーなってんの?

 

 双子の不思議なのか? 年が違う姉妹でもこうなるのか?

 私には4歳下の妹がいますが、

どうだったか記憶もないし、

 少なくとも今の私たち姉妹は、

何かまずいことがあっても、

 寝て覚めたら「はい、なかったことにー」とはなりません。 

 

今朝は二人は仲睦まじく、Hのリハーサルへ。

 (Nは照明担当として一緒に出かけていきました)

 

 彼女たちの頭の中を、ちょっと想像してみました。

 きっとものすごい勢いで、 

「どうする?」「こうする?」

「いや、これがいい」「いや、こっちがいい」 

と思っているのだと思います。

 

 嫌なときには、

「なぜだーーー!」「どうしてこうなるーーー!!」

と これまたトグロを巻いている。

 

 これが二人分、見えてしまったら——

 私の日常はきっと破綻するにちがいありません。

 泥沼をどうにかしようと私が入ったあと、

 ますます泥沼になり、 時間が経つと二人で笑っている。

 

  二人で同じ歌を、同じところから歌い出す。 

(絶対音感があるので、同じ場所だと、

二人とも同じオリジナルキーです)

 

 二人で同じ反応をする。

同じ返事をする。

 喧嘩していても、相手側の好きだったものに出くわすと、

買ってあげたいという。 

 

二人が定型発達だったら、 

きっとすっごくすっごく、やることがない母だった気がします。 

 

お互い助け合って、はい、完結。 

二人は隣同士のアパートかなんかに住んでいて

—— 想像できるなあ。 いろいろ、、そして。

 

 

行かせてあげたかった場所が、アメリカにあった

 

Netflixのドキュメンタリーシリーズ

「Love on the Spectrum」をご存知ですか?

 

ASD(自閉スペクトラム症)を持つ若者たちが、

恋愛や人間関係に向き合う姿を追ったシリーズです。

笑えて、泣けて、そして考えさせられる番組です。

 

その最新シーズンに、ユタ州の施設が登場しました。

 

ScenicView Academy(シーニックビュー・アカデミー)

ユタ州プロボという町にある、ASDや学習障害を持つ18〜30歳の若者のための、非営利の学校です。

 

 

この施設が何をしているかというと——

午前中は学校で授業を受けます。

でも教えているのは、いわゆる「勉強」だけではありません。

 

料理、掃除、お金の管理、医療機関への行き方、

交通機関の使い方。

 

そして就労に必要なスキルや、職場での人との関わり方。

私たちが「自然に身についた」と思っているあらゆることを、

丁寧に、体系的に教えてくれます。

 

午後は、施設の中で実際に働きます。

学んだことを、実際の仕事の場で試す。

そのサイクルを繰り返しながら、

「自立して生きる力」を身につけていく。

 

寮生活をしながら、1年半から3年かけて、自分のペースで。24時間スタッフが常駐し、一人ひとりに個別の計画が作られます。

 

(この番組を見たあと、調べました)

見て、調べて、思ったこと

こんな学校に行かせてあげたかった。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校(退学)では、

いろいろ困難があったことは、ブログでも、講演会でも

お話ししています。

 

彼女たちの学内の困難は、

私が彼女たちの発達障害に関して知識が無さすぎて、

学校に理解をしていただくアプローチが

全くできていなかったことが原因です。

 

私もシングルマザーとして生きていくのが必死だったため、

「社会に出て生きていくための暗黙のルール」を

誰も彼女たちに教えていない、誰かが教えなければならないことに全く気づかなかったのです。

 

 

「自然に身につくもの」だと、誰もが思っていたと思います。

 

でも、ASDの特性を持つ人たちにとって、

「自然に身につく」こともありますが、

そうでないものもいっぱいあり

 

自然には身につかないコツ、模倣や観察で無意識に学ぶことが、できないことがいっぱいあります。

『習うより慣れろ』は通用しません

 

 

だから、明示的に、丁寧に、繰り返し教えてもらう必要がある。ScenicView Academyはそれをしている場所のようです。

 

日本には、こういう場所があるのかなあ。

調べていないので、わかりませんが、

私の周りにはありません。

それが現実です。

 

この学校も自分の子供に必要な学校が無い!

と保護者が設立したと聞いています。

 

Netflixを見られる方は、

ぜひ「Love on the Spectrum」を見てみてください。

(動画配信サービスで視聴できます)

 

ASDを持つ若者たちが、どんな可能性を持っているか。そして、適切な環境と支援があれば、

どんなふうに生きていけるか。

海外でのアプローチが、きっと何かを教えてくれます。

 

 

キリンとハリネズミが同じ屋根の下に暮らすということ

 

彼女たちにとって住みやすい世界と、

私にとって住みやすい世界は、根本的に違います。

 

例えるなら、

キリンが食べたいものと、ハリネズミが食べたいものが

違うようなものです。

 

 生活のリズム、

大切に守りたいもの、

理想、できること、好きな食べ物、生活の仕方。

これらがほぼ違う者同士が、なんとか合わせて生きている。

そこには当然、限界もきてしまいますね。

いくらお互いに好きでもね。

 

 

理解したい、せめて我が家では無理せずに生きてほしい

と思う気持ちは本当です。

 

でも、それを実践するには莫大なエネルギーが必要で、

お互いに本音を捻じ曲げているような感覚に

なることもあります。

 

私はアーチストというなんとも、

他の人に合わせるということが苦手だからこそ、

この職業を選んでいます。

 

会社勤めではない私にとって、休みは必要ありません。

な、なんと、そうなんです。必要がないのです。

 

常に仕事をしていていい、それが「生きている」

ということだから。つまり、自家発電しているようなものです。

 

娘たちが生まれる前は、

自分の誕生日だけを休みにしていたくらいです。

ひええーーですよね。

 

でもそうなんです。。。

 

同年代の中で、いまだに徹夜しても平気なのは

私ぐらいかもしれません。

エネルギーの貯蓄タンクが「アート」であれば

それは無尽蔵にでかいのです。

 

一方、娘たちは同じ芸術に触れるにしても、

ASD(自閉スペクトラム症)の特性上、

絶対に「休み」が必要です。

 

主治医からはずっと

「常にずーっとフル回転しているお母さんを参考にするな」

と言われ続けています。

 

「休みがいらない生き物」と「休みが必要な生き物」。 

どちらかが間違っているわけではありません。

ただ、生態系が違うんですね。

 

問題はキリンがハリネズミを産んだってことです。

 

そんな私たちでも、うまくいく時があります。

私が勝手に「最小公倍数の場所」と呼んでいる時間です。

 

それは、ディズニーに触れている時、

一緒にゲームをしている時、

あるいは共に飛行機に乗っている時。 

 

共通しているのは、

「私が仕事をしていない時」だということです。

 

常に何かを心配し、

過去の書類や写真の整合性、

ルール違反になっていないかを確認し続ける彼女たちが、

それを多少忘れられるのが、

その「最小公倍数の場所」。

 

だから私は今、1週間のうち1日だけは、

わざとオフの日を作っています。

 本当は、私にはいらない休日です。

 

そして彼女たちがともに地球に生きていれば

その存在を感じられることで

十分嬉しい

 

が、彼女たちは、目の前にいることが大事。

これは見えないものは不安材料になってしまう

という特性があるからですね。

 

私の特技や好きなことで一家の主人として二本足で立つには

私を生かして生きることが大事だと思っています。

 

でも、そちらに比重を置きすぎると、

家の中がうまくいかなくなる。

それを痛いほど実感しています。

 

家族を幸せにしたら私も幸せになる、

という単純な計算にはなりません。 

 

キリンとハリネズミが同じ家で暮らすには、

お互いの違いを「異常」とするのではなく、

「生態系の違い」として受け入れ、

意識的に交わる場所を作っていくことが大事ですね。

 

だって彼女たちだって懸命に私に合わせているのですから。

 

あなたの家にも、

もしかしたら「キリンとハリネズミ」がいるかもしれません。 

違いをどちらかが我慢するのではなく、

お互いが息をできる「最小公倍数の場所」

 

あなたの場合にはどこですか?

 

 

4月2日、世界自閉症啓発デー 娘のつぶやき

 

 

昨日、4月2日は「世界自閉症啓発デー」

 毎年思うのですよ。 

もうすこしテレビなどで特集があっても

いいんじゃないか?って。

 

4月2日から8日までは「発達障害啓発週間」。

 世界中のランドマークが、癒しや希望を表す

「ブルー」にライトアップされる日でもあります。

 

ちなみに、なぜブルーがシンボルカラーなのかご存知ですか?

 ブルーには「癒やし」や「希望」「平穏」

という意味が込められているそうです。

 

また、自閉症の方には青色を好む人が多い傾向にある

とも言われています。

我が子たちもブルーが大好き

 

一人はキラキラとしたブルーが何よりも好きです。

そしてそれが動いたら最高。

スノードームの白い雪のようなヒラヒラが

あおいキラキラだったら

言うことなしなのです

 

昨日、藤沢市役所に行った時のこと。

 壁には、自閉症啓発デーに合わせたポスターや掲示物が

たくさん貼られていました。

 

 

 

 

 もうちょっとホールの真ん中だといいなあ。

手続きの順番を待っている人が自然に読めるような場所。

 

 

「自閉症の人たちは、こんな風に感じているんです」

わかりやすいイラストや言葉で、

自閉症の世界が丁寧に説明されていました。 

それを見ていた娘が、ふとこんな風にラインをくれました

 

 

「ここに書いてあることの6割ぐらいでも、

一般の皆さん(定型発達の方)が自閉症に理解をもっていたら……首から『私は自閉症です』

っていうカードを下げている意味があると思う」

 

 

私は彼女の意見はもっともだと思うのです。

ふだを下げていても、

何をどう困っているのかわからなければ

助けようがないですものね。

 

 

大きな音が怖いこと。 

予想外の出来事にパニックになってしまうこと。

 人の目を見て話すことが難しいこと。

 

市役所のポスターに書いてあるような、自閉症の特性。

 その6割でもいいから世の中の人が知っていてくださったら、

 

「もしかして、これがパニック?」とか、

「じゃあ、どうしたらいいんだっけ?」とか、

「落ち着いてもらうには??」とか、

 

想像していただける。 それはとてもとても助かることなのです。

 

そうすれば、そのマークをつけている

「本当の意味」が生まれますね。

 娘の言葉は、当事者としての切実な、

でもとても静かな願いでした。

 

世間がブルーに染まり、

「自閉症への理解を」と呼びかけるこの日。

 ほんの少しでも「知っていること」が、

自閉症の人を見かけた時の優しい想像力につながればいいなと、心から思います。

 

そして目に見えない他の障害を持っていらっしゃる方にも

その障害を知ることで

多様性の世界に近づく気がします。

 

自閉症啓発デー。 もし街でブルーのライトアップを見かけたら。 そしてもし、「私は自閉症です」というカードや、

赤いヘルプマークを下げている人を見かけたら。

世の中には様々なハードルを超えながら生きている人たちがいる

ってことを思い出していただけたら幸いです。

 

さあ、今日もまた、私たちの一日が始まります!