発達障害の娘Hの闘いと彼女達だからできること
こんにちは
今日も朝から、Hは動かないそして、ときどき痙攣する体を
持て余しております。
なにより自分は母の私に手間をかけているとおもっているHです。もっと、ますます手間をかけるから、、
と何とかしようと焦ります。
体がうごかくなったことがない私には、
その焦りをそのまま自分のこととして
感じることは無理だとおもいます。
というよりも、普段は動く、、ということが贅沢であり、
それを普通だと思っている自分がいました。
見えない障害であることの理解を求めてきた私であります。
もっと車椅子の方のためのスロープのような気遣いを、
発達障害の、特に感覚過敏の人たちに欲しいと思ってきました。
目に見えない障害でも車椅子はとても助けになるということ。
そして、いま、車椅子も必要となった今です。
心身ともに不自由があるということの大変さを考えさせられることがいっぱいです。
カタトニアのことはわかっていないこともいっぱい。
うごかなくなったら、筋肉がリラックスするお薬を飲みますが、体に力が入らない時は、、くにゃくにゃになります。
私も本日は大失敗が発覚し、
(データをまちがえて入稿して全部作り直しが判明)、
命を取られるわけではない、、が、申し訳ない、、、
などなど、無駄なものをつくっちゃった?!
『申し訳ない、、』気持ちと共に一緒に体もダラダラしました。
ダラダラもここまで来ると、、、、というほどダラダラして、
復活。したところで書いております。
いつも元気で、サイコー!でいるわけではありません。
アップダウンはいままでも山ほど。
さあ、そのHができることは、、大好きなものを見て、聞くこと・
大好きな「塔の上のラプンツェル」を見ています。
わたしはほぼ、ストーリーを忘れていました。
NやHはまだ塔の中にいる気がしました。
はじめてラプんツェルが塔から出て、
草の上に足を置いた時の幸せが、彼女たちにあったらいいなあ。
彼女たちがここなら走り回れて、ここなら思いっきり歌えて、ここなら思いっきり自分をだせたらいいなあ。
私もかつて大好きだったディズニーであり、
ディズニーランドでした。
開園直後に行ったものです。
テレビでしかみたことのない、夢のランドでした。
いつの間にか、日本に、車で行けるところにあることが
普通になってたかもしれません。
動けることと同じ。
ずっとあると、
入場料が高くなったとか、そんなことを考えてしまう。
きょうは、そんな当たり前のことを、
うごけなくなったHとディズニーに教えてもらいました。
彼女にも伝えます。
「うごけない、なにもできない」
ではなくて、
こんなにいい映画、思い出させてくれたことは、
一生のうちに大きな出来事だって。