こんばんは、畠山です。
記事の続きです。
橿原神宮を後にした我々は、
ついに箸墓古墳へ!
向かう道すがら、
私はガイドと相談しながら
集中力を高めていきました。
古墳の全体像を見ると、脇に池がありました。
この池は比較的新しく、当時から
あったものではなさそうでしたが、、
池という性質上、百襲姫(ももそひめ)
と一緒に埋葬された巫女たちの
悔やまれるようなエネルギーが
染み出しているように感じました。
いわゆる心霊スポットのような、
おどろおどろしい空気感は無いですが、
どこか物悲しいエネルギーです。
まずはこの池にあるエネルギーを
上げることしました。
ここでハブとなるのは桃華さん。
桃華さんには当時の過去世の
書き換えをお願いしました。
yumihijiさんとK先輩には、ひたすら
調和の状態をイメージしてもらい、
私は何個もある魂(たま)を
三輪山の神に引き受けてもらうよう
お願いしました。
三輪山の神氣をいただいた
御神酒を奉納し、エネルギーの昇華は
終了しました。
4人でやっているせいか、ここは案外
あっさり終了しました。
次は、古墳の祭壇に赴き、
古墳にある呪術の書き換えです。
祭壇へは、池沿いにある
畦道のような道を歩いていきました。
祭壇の前へ到着地して、いざ領内に入るとと
風がブワッと吹いて、カラスをはじめとした
様々な鳥が鳴きます。
この現象は、
土地のブロックを取る際のあるあるで
島根で大国主命のエネルギーを上げた時も
そんな感じでした。
桃華さん、yumihijiさん、K先輩には
再び調和の状態のイメージをしてもらいました。
私は、ガイドと三輪山の神にお願いして
ここにかけられたエネルギーのブロックを
取ってもらいました。
ここにかけられた呪術は、
恐らく埋葬された百襲姫が
転生出来ないよう閉じ込める
ものだったのではないか?と思いました。
そうする事で、日本女性の目覚めを
暗に妨げる影響があったと思われます。
でも近年、女性も徐々に
目覚め始めているので
タイミング的に
解除されるものだったのでしょう。
鳥の声が落ち着く頃、
遠目でも分かるぐらい
鮮やかなスカイブルーの蝶々が一羽
ヒラヒラと飛んでいました。
それと同時に、
美しい羽衣を纏った姫が
フッと出てきては消え、
書き換えは終了しました。
K先輩も、
「綺麗な色の蝶々がいたね」
と蝶々の存在に気付いてて、
流石だなと思いました。
来た畦道を戻る時、
通る道通る道で、蛙やバッタが
ぴょんぴょん跳ねてきました。
カエルは10匹ぐらいですが、
バッタは本当に何十匹と、通る道の前を
跳ねています。
まるでこの土地の喜びを
表現しているような光景です。
来る時は気付かなかったので、
この違いに驚きました。
そして、遠目から陵墓を見ると、
どことなく明るくなっているねー
というのが4人の見解でした。
畦道を降りる時、ふと足元を見ると
長くて織り込んでいたズボンの折り目に
橿原神宮の砂利石が二つ入り込んでいました。
本来神社のものは、持ち帰るのは厳禁、
不可抗力とは言え肝を冷やしましたが、
御祭神の神武天皇と
媛蹈韛五十鈴媛皇后が
お力を貸してくれるべく
入り込んだんだと
yumihijiさんが言ってくれて
すごく腑に落ちました。
なので、その二つの小さな石は
池のほとりに置いて、手を合わせました。
卑弥呼と目される百襲姫の古墳には
日本女性の力を封じる呪術がかかっていた。
そしてそれを解放した。
果たしてそんな大それたことを、
本当に成したのだろうか?
正直こうやって、文字に残すのも恐れ多く
何度も自分に問いかけました。
だけどそれが出来たのは、今回スピ旅を
一緒に行ってくれた仲間のおかげだし、
普段から力を貸してくれてるガイド、
また三輪山の神や、橿原神宮の
御祭神のお力添えがあっての事と思うと、
それを否定するのは反対に申し訳ないと
思い直しました。
また確かに、あちこちで、
こんな活動をしているうちに
気がついたら人生はより良くもなっています。
今回を機に、私や旅をした仲間、
また、この記事を読んでくれた皆様に
どんな変化が起こるのか未知数ですが、
その変化がより良いものであることは
確信しています。
またそうであるよう、心からの祈りを込めて
このシリーズを締めさせてください^ ^
本日もお付き合いくださいまして
ありがとうございました!
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