開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -38ページ目

易の優しさ

これは私の立てた易ではなく、算命と周易を習いに来ている生徒さんが立てた易のことです。

彼は既にプロの占い師&カウンセラーとして活躍されていますが、新しい占法を学びたいという熱心な方。

私のところに来始めて、もう一年以上になりますが吸収力が高くて、こちらもやりがいがあります。

で、その彼に、今出版の話が来ていて、これがどうなるかを知りたいということで、彼に易をたててもらいました。

その彼にはブログに掲載する許可をもらって、この記事を書いています。

占的は

1 当面の出版運
2 不慮
3 方針


この不慮というのは、「思いがけないこと」という意味で、アドバイス的な易が欲しい時に使います。

方針は、最終的な結果とか、心構えなどを知りたいため。


で、結果は・・・

1 当面の出版運、は火地晋4
2 不慮は、水澤節上
3 方針は、風火家人2



彼が易を立てるのを横で見ていたのですが、最初の火地晋4を見て、思わず吹き出しそうになってしまいました。

火地晋4が言っているのは、「お前は欲深い」ということです。

また火地晋自体は、夜明けの象です。

現在は普通の生活をされている方にとっては、夜明けは単なる夜明けかもしれませんが、易が書かれた大昔は、夜明けの陽光は希望の光だったのではないでしょうか。

今のような家はなかったかもしれません。獣に襲われたかもしれないし、盗賊や外敵が入ってきたかもしれません。

となれば、命の危険は今よりもよほど高かったでしょう。

そんな時代の夜明けです。陽光が輝きだしたのを見て、ほっと一息ついたかもしれません。

そんな夜明けです。つまり、気分は良いけど、実体は何も無い。

それが火地晋です。


彼も出版の話があって気分が高揚していたのでしょうが、易に「それは気分だけだ、お前は欲深いね」と、チクリと釘を刺されたわけです。

そして方針の風火家人2は、家の中でおとなしくしていろ、ということ。

なので、今回のこの話は実現しない可能性が高いと見ることが出来ます。


が、不慮の「水澤節上」が実に良い易だと、私は思いました。

水澤節上は「こだわるな」という意味。そして、水澤節自体に2度になる、という意味も含まれています。

つまり、今回の話にこだわらなくても、また話があるよ、と易は言っているのではないでしょうか。

冷たく突き放すのではなく、さらりと次の期待も持たせてくれる。

やはり易は優しいですね。

師匠の分占法と筮前の審事

最近、改めて私の周易の師匠、横井伯典が残した著作を読み直しているのですが、易の内容とともに易者に求められる姿勢について、はっとさせられることがあります。

師匠は生前、口を酸っぱくして言っておられたのは「易は占的が全て」ということでした。

「おめぇ、那須与一だって的が決まらなきゃ、矢は射てねぇぜ」

とは師匠のお言葉。

自分で易を立てる時、またはクライアントさんからのご依頼で易を立てる時に、最も悩むのは、この「占的(せんてき)」をどうするか、ということ。

占的とは、何を易に問うか、ということ。クライアントさんの問題をどのように理解して、どのように易に問い答えを引き出すか、ということ。

ここを間違うと、ボタンのかけ違いのようになってしまいます。

これは私の生徒さんにもいつも言うことですが、まさに師匠のおっしゃる通り、「易は占的が全て」ということが、最近、しみじみと感じています。

クライアントさんのお話から、どのように占的を組み立てるか。これが最も大切だと、最近しみじみと感じます。

師匠の占的は、大雑把に言ってしまうと「Yes No 方針」と、一つの問いを3つに分けます。

例えば、どこかへ行きたい、という場合、まずは「行って良い=Yes」なのか、「行かないのが良い=No」なのか、「どっち?=方針」といった組み立て方です。

行って良い、つまりYesであれば、この易に納得できるような卦爻を得るだろうし、行かないのが良い、つまりNoであれば、この易に納得できるような卦爻を得る。

そして最終的な裁判官の役目が、3つめの「方針」となります。

でも、必ずしも3つとも理解できる必要はありません。

「3つありゃぁ、どれか分かるだろ。そしたらなんとかなるじゃぁねぇか」ということ。

周易を使われる方は、よろしければこの方法も試してみられたらいかがでしょうか。


そしてもう一つ、師匠がくどいくらいに言われていたのが「筮前の審事」。お医者さんが患者さんの状態を把握するのに、幾つかの質問をされるように、易者もクライアントさんのことを詳しく聞いておかなければ、正確な判断は出来ません。

お医者さんにとっての「問診」が易者にとっては「筮前の審事」です。

「黙って座ればピタリと当たる」というのが理想かもしれませんが、易者だって神様じゃあるまいし、リピーターさんならともかく、初めてのクライアントさんだったら、ある程度の情報をいただかないと、正確な判断は出来ません。

師匠はこれをしつこいくらいされたそうです。「じゃなきゃ、初めてのお客さんのことなんざ分からねぇよ」と言われていました。


師匠に入門してすぐの頃だったでしょうか。

あまりにも師匠の判断が鮮やかなので、思わず「なんでそんなに凄い判断が出来るのですか?」と質問したことがありましたが、師匠のお答えは、

「お前ねぇ、俺は50年以上、これでメシ食ってるんだぜ」

そりゃぁ、そうです! 未だに師匠の足下にも及びませんが、師匠が実占の中から掴みとってきた易の神髄をいくらかでも身につけられるように、これからも精進したいと思います。

秋分の日

今日は秋分の日。

毎年、春分の日と秋分の日は同好の士と連れ立って(とはいえ、現地集合ですが)、富士山のご来光を浴びに行きます。

ただ、ご来光とはいえ、富士山に登るのではなく、富士山の山頂から太陽が昇ってくる、その光を浴びに行きます。
富士山1
毎年、春分の日と秋分の日には、富士山の山頂の真ん中から太陽が昇ってくるのをご存知でしょうか。

この場所では、午前6時30分過ぎ頃に、この写真の要に光が指してきます。

富士山2
そして5分くらいすると、さらに光は強烈に輝いてきてくれます。

毎年、このようにきれいに晴れるわけではないし、雲がかかってお光がはっきりしない事も多いですが、ここ数年はこの写真のようにきれいなお光がいただけています。

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、もう既に風は秋風でした。

これから日を追うごとに寒くなっていくんでしょうね。