開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -20ページ目

日筮の効用

日筮(にちぜい)というのは、その日一日、どのような日になるかを易に問い質すこと。

「せめて、日筮だけでもやっておけ」というのが師匠の教えでした。

 

それで私も師匠に倣って日筮を立てるようにしているのですが、まさにその通り! と言いたくなるような時もあれば、何言っているんだろう? と思う時もあります。

 

 

過日、財布をどこかで落としてしまいました。

この中にはクレジットカードやら免許証も入れておいたので、少々焦ったのですが、クレジットカードはネットを使ってすぐに手続きが済みましたが、免許証はどうしようもない。

 

 

そこで地元の警察署に行こうと思ってバスに乗り、警察署の近くのバス停で降りて歩いていったところ・・・

あるはずの警察署が、全くの更地になっていて、目が点。

 

え? と、軽くパニックになりながらスマホで調べてみたら、別の場所に昨年移転していたことが判明。

 

 

そこで仕方なく、またバスに乗って自宅へ戻り、新しい住所の場所へ行くと真新しい建物がありました。

 

は〜やれやれ、と思って中に入ると、ちょうど昼休みで職員は誰もおらず。

多少むかっ腹を立てながらも10分程度だから仕方ないと午後の仕事が始まるのを待ちました。

 

で午後1時頃になると職員の方達が戻ってきて受付開始。

順番が来たので、免許証を紛失した旨を告げると

「ああ、免許証の再発行はここじゃなくて××へ行って下さい」とのこと。

 

茫然自失とはこのこと。

と、この時に、今日の日筮が「天雷旡妄九五」だったころを思い出しました。

これが天雷旡妄九五か〜、でも、ということは最終的には帳尻は合うはずだよなとも思いました。

 

で・・・仕方なく警察署を出て、目の前のバス停でバスを待ちました。

時刻表によれば、10分ほど待てばバスが来るはずなのですが20分近く経ってもバスの姿は見えず。

 

この路線のTバスは以前の自宅から通勤に使っていたことがあるので分かってはいたつもりですが、特にこういった昼日中の運行は間引きされることが多く、これ以上待っていても仕方ないから、最寄駅まで行こうと歩き出したところ、5分くらい歩いたところで後ろから乗るつもりだったバスに追い越されました。

 

「Tバスめ〜!」とは思ったものの、今更バスを追いかける気持ちにもなれず、そのまま最寄駅まで歩き、電車を使って自宅まで戻り、改めて××へ出向きました。

 

ここでの手続きはあっという間に終わって、すぐに免許証は再発行され、何はともあれ目的は達成できました。

 

 

天雷旡妄というのは、一言で言えば成り行き任せ。流れに乗っていれば良いということで、流れに逆らったり、または自分であれこれを策を寝るとかえって結果が良く無い、ということ。

 

その中でも九五というポジションの場合は

「旡妄の病あり。薬することなくして悦びあり」

という言葉が書かれています。

 

まさに天雷旡妄そのもののような言葉であり、何もしないのが最もよろしい、という意味。

 

これが過日の私の日筮でしたが、以前、ある生徒さんの日筮に天雷旡妄の上九、つまり6番目のポジションが出た日がありました。

私とは一つポジションが違うだけです。

 

が、この生徒さんの場合、とあるお店を探してウロウロしたのだけれど、きちんと地図を見て下調べをしておかなかったために結局このお店を見つけられずに帰宅することになったそうです。

 

上九というポジションの場合

「旡妄にして行けば災いあり」

と言う言葉があり、たった一つポジションが違うだけで全く違う結末になりました。

 

 

天雷旡妄という易の場合、結末を見るまでには何らかのトラブルなり災難なりを経験するのが特徴ですが、同じ易でもポジションが違うだけで結末は全く違います。

 

こんなことを人体実験で身をもって理解できるのは、日筮をやっておくおかげです。

日筮の効用、実に大きいと言わねばならないでしょう。

 

易者を志すのであれば、まずは日筮からと、改めて実感しました。

筮前の審事(ぜいぜんのしんじ)

私の易の師匠、横井伯典からは「筮前の審事(ぜいぜんのしんじ)」ということをやまかしく言われました。

 

筮前の審事とは、実際に易を立てる前にクライアントさんの事情を詳しく聞いておく、ということです。

 

今回のご相談にはどんな事情があるのか、どのような経緯でその問題になったのか、この問題に関わる人間とその関係、そして何を相談に来られたのか等々。

 

自分の前に座るに至った経緯を根掘り葉掘り詳しく聞いておけ、と言われました。

 

でないと、実際に易を立てた際に、易が何を言っているのかが分からないからです。

これは易だけでなく、タロットや六壬などの卜占であればどんな技術を使う場合も当てはまることでしょう。

 

「黙って座ればピタリと当たる」というのが理想かもしれませんし、私自身、ある先生の鑑定を受けた際には、こちらから話をする前に、その先生から「あのね、君ね、仕事っていうのはね・・・」とこちらの悩みをズバリと先に答えられたこともあります。

 

が・・・

 

全てのクライアントさんに対してそんなことが出来るわけではないし、よく師匠が言ってらしたように「俺ぁ、神様じゃねえんだから、そんなに何もかも分かってたまるかい」ってなもんです。

 

 

 

先日、ある生徒さんから、この「黙って座ればピタリと当たる」を易でやってみたいという話がありました。

 

クライアントさんが目の前に座ったらすぐに易を立てて、このクライアントさんは何の相談でここに来られたのかを見てみたい、と言うのです。

 

それをやっていいかどうか、というのも易を立ててみたそうです。

 

そしたら、出た易は、

地火明夷 六五

だったそうです。

 

地火明夷とは太陽が地面の下に隠れてしまい、明るさが傷つく、という意味です。

明るさ、つまり知恵、知識、明察などもこれには含まれます。

そして六五という5番目のポジションには

「箕子の明夷(めいやぶ)る」という言葉がついています。

 

箕子というのは、殷王朝の最後の王様、かの暴君として名高い紂王の異母兄です。

そして、中国史上最も頭が切れた人物の一人だそうです。

その天才的に頭が良い箕子は、異母弟であり王様である紂王の悪政を諌めたそうですが、紂王はその言を聞き入れなかった。

そこで箕子は気が狂ったふりをして奴隷に身をやつして粛正を免れたそうです。

 

ということは、この易の「箕子の明夷る」という易の言葉は、そんなことは止めておけ、という忠告であろうと考えられます。

 

もし易でクライアントさんの悩みを予め分かったとしても、そんなことを続けていたら、いつか落とし穴に落ちて痛い目に遭うだろう、ということも裏に含んでのことでしょう。

 

その易を見て、この生徒さんも納得したようです。

 

やはり師匠が言われた通り、「筮前の審事」は大事ですね。

講師辞めたいんですが、という相談

先日LINEで生徒さんから、易を立てたので見て下さいと連絡がありました。

 

彼女はとあるカルチャーセンターでお花を教えてらっしゃるのですが、どうも最近マンネリでやる気が無くなってしまった。もうカルチャーセンターの講師を辞めたいと思っていたようです。

 

そこで自分で占的を考えて易を立てて判断したのですが、この判断で良いかどうか教えて下さい。という連絡でした。

 

彼女が考えた占的は、

 

当面のカルチャーセンターの講師運

講師辞めて良い

講師辞めないのが良い

方針

 

の4つ。

 

占的としては、なかなか良く考えられていると思います。

 

で、得られた易は、

 

当面の講師運

山風蠱 上九

講師辞めて良い

風沢中孚 六三

講師辞めないのが良い

水山蹇 九三

方針

雷風恒上六

 

でした。

 

当面の講師運の山風蠱上九を本人は「もうやりきってやることが無い」と判断されていました。

 

自分のことでもあるし、とても的を得た判断だとは思うのですが、もし私ならもう少し辛口の言い方をするかもしれません。

 

たとえば、

「あ~、もうやってらんない。やる気出ね~」とかね。

 

まぁいずれにせよ、この易で本人が脱力してしまっているのは良く分かりました。

 

 

しかし、講師を辞めて良いかという問いに、易は

風沢中孚 六三

と答えます。

 

「お前さん、一人で悩んでたってどうしようもないだろ。そんなの所詮、お前の一人相撲だよ」とでも解釈しましょうか。

 

そして講師を辞めない、つまりまだ続けて良いかという問いの答えは

水山蹇 九三

でした。

 

水山蹇とは足萎えの意味。だから健常者に比べると目的地に到着するのに時間がかかる。

つまり、今すぐに辞めようったって、それは無理だよね、と易が言うのです。

 

この易を見て、私はこの生徒さんに、これじゃすぐに辞められないんじゃないの? と聞いてみたところ、今月から新しい講座が始まってしまって、まだ半年は続けなければいけないんです、とのこと。

 

まあ、水山蹇じゃ、すぐに辞めるわけにはいかないでしょう。

 

そして方針は

雷風恒 上六

 

雷風恒は「恒」という字がついているように、いつまでも同じなのが良いという意味ですが、上六というポジションでは、この同じ状態を続けることに飽き飽きしてしまって動きたくて仕方ない状態を意味します。

でも、今は恒を守らなければいけない時なので、動いてはダメ、と言われています。

 

とりあえず新しく始まった半年の講座は続けなければいけませんね、というお話をして納得してもらいました。

 

易は日常生活と共にあるべし、というのが私の師匠の考え方でした。

 

こんな日常によくあるちょっとした悩み事でも、易は明快に答えを示してくれます。