内藤接骨院 院長の日記 -3ページ目

何をどこまでするか・・・は本人の自由!

本来、何をどこまでやるかは個々の自由だ!
広く浅くやろうが、一つのものを追求しようが、それこそ個性であり、人様にとやかくゆわれる筋のものではない!!

ただ、それが人様の迷惑になるとなると話はかわる・・・。
ただ、すべて他者の「適正」といわれるままに動くこともない!・・・

モンテスキューによる「法と道徳」なども学生時代にほんの少しかじったが、道徳を説く人のいわれるままに動く必要もい。

なぜなら、時代によってもものの考え方が変わってゆき、道徳の観念も変化してゆくからだ!!

どのようなスタイルでどのようなスピード、タイミングで何を行うかも・・・・人にとやかくいわれる筋合いではない。

もちろん、自由は責任を伴うが、・・・
それを理解しない主張、行動なら、それを聞かない自由もある!
また、個人の自由と組織の中の個々の自由では話が違う!
この場合、本来の自由とは違い多くの制約を受け、その制約の中での自由が認められるということになる!

組織運営上、これらの制約は止むを得ない場合が多くあるが、個の場合の自由度は責任の大きさに反比例してくる!

企業コンプライアンス、ガバナンス、守秘義務、その他多くの義務が生じてくることにより、がんじがらめになってしまうこともある。

あまり規則に忠実であると組織の首を自ら閉め続けることになり、逆に緩めてしまうとズルズルと大きなセキュリティーホールが拡大してくる。 そしてその穴をさらに広げんとする人たちによって逆に締め付けを強化せざるを得なくなる。

違う言い方をすれば、
風船も空気をどれだけいれるかによって破裂の危険性が上がってくる!
ギュウギュウヅメでもいけないし、ユルユルでは見た目も癒着も生じてしまうのでこれもいけない・・・。

キャパにあった中で自由にふるまう必要が組織にはある!
責任があがれば、風船自体のキャパを変えるか・・・・それとも空気を抜くか、その選択の自由が生じる。

いずれにせよ、自由は責任を伴いこの考えは、義務と権利に一部似ている!

音楽のジェネレーションギャップ

アマゾンのプレミアム会員になってしまったら、送料は無料になり、音楽聴き放題、ビデオ見放題のサービスなども含まれていた!   

J-POPなども年代別になっていたり、いろいろと好みもあるのだとうが、好きな楽曲を多く聴けるようになって便利だ!   ダウンロードしてスマホやipadなどからも聴けるようにし、外出時には落ち着ける曲を聴いたり、少し気分を高める曲を聴いたりその時々によって聴く曲を変えることもできる!  

ただ・・・・年代によってこれらの曲が異なることは流行った時代が違うということからも容易にわかるが、その年代に好まれる曲風があることも感じるこの頃だ!  

カラオケにいっても当然のことながら年代によって歌う曲が異なってくる!!

昔は、堺正章さんの「街の明かり」の詩にもあるように、「好きな唄を耳のそばで、君のために低く歌い」 という具合で低い声を響かせて唄うことがよいとされていたし、アップテンポといってもいまのようにすごく早いテンポはほとんどなかったように記憶している。  やがてフォークソングの時代になり、少しアップテンポな曲風が多くなり、そしてキーが高くなってきた。  

しかし当時、TV番組をフォークソンググループの人達はあまりTVを好まず、出演をされないことが多かったので、ラジオなどで流れる曲を楽しむのが流行であった。

それまでの間では、おそらく昭和の40年代、1960年代までの間になるのだろうが、日本国内のTVではキーの高い曲やファルセットを使用して歌っていたのは・・・・ キング・トーンズのグッド・ナイト・ベイビーくらいのものだった。  

また、時代とともに演歌メインだった日本の歌謡界もグループサウンズ時代になり、そしてフォークソングメインと時代はかわってゆき、j-pop というくくりの中、それらの曲が国内では親しまれる曲ということになってきているようだ。  

もちろん、いずれも日本国内の話であり、私の青春時代はビートルズ全盛期が終わってリバイバル・ブームの真っただ中であった。 そしてその影響がかなりあったのを記憶している!  

いまも続くその人気は音楽の普遍性ともいえるものだと感じるが、その他歌謡曲のほとんどは時代とともにだんだんアップテンポになり、キーは高くなってきて、ファルセットを使う曲も増えてきている!  

それと逆に、演歌は下火になりつつあり、TVでの露出も少なくなってきた!  

ただ、そんな中でもなぜか、年代年代で好きな曲風が違い、自分たちの時代の匂いのするような曲風だとふと耳を傾けることがある!  
ここらの研究もなされているのかもしれないが、曲のテンポ、キーの高さなどから年代がわかることもあるのではないだろうか?   

年代によって流れる曲にシンパシーを感じ、脳波にそれが描出されることもあるのではないだろうか?  

音楽の普遍性の部分と、ジェネレーションによる差異がわかると面白いのかもしれない。

「**な時に聞く音楽」 というようなCDなどもあったが、逆に脳波を図りながらカテゴリー別の曲を流し、反応の状態から年代とその人の現在の気分を診断することも可能になるような気がする!  

いまの心境を癒してくれたり、励ましてくれたり、同調してくれたりする曲を聴きながら、ふとそんなことを考えてみた。

わからないことはネットにきけ!?

わからないことの大抵はネットをよく調べると書いてあることが多くなった!
情報過多の時代になった!

とはいうものの、大変便利な世の中になったものだ!!!
たまに電車に乗ると、ほとんどがスマホ、タブレットを見ていることに驚く!
人それぞれ違う使い方をそれぞれのデバイスで行っている。

昔はウォークマンを付けている若者が車両に数人いた時代・・・私もそういう時代の人間だが、
私が大学の時代には、わからないことは大学の図書館にいってこつこつと調べたり、文献をコピーしてそろえたりして読む必要があった! それでも求めるものがなかなか探せずに困ったことが多かった!

量子力学の数列問題を電算室で大型コンピューターを使って解く仲間もいたが、パンチカードで打ち込む必要があった! フォートランとか コボル の時代・・・・パンチカードで命令文を打ち込んで入力する必要があったかただ・・・・。

PCの普及、インターネットの普及によって、その時代を過ごした人たちにとってはまさに夢のような時代ともいえる!

が・・・・・
いまだにネット検索とは何ぞや? 
という方も多くいらっしゃる。 

ネット検索を使ってわからないことや疑問に思うことを調べる術を知らないと、PC関連のほとんどのことが人任せにするしかなくなってしまう。

ホリエモンが中小企業の集まりにいくと、 「あっ! わからないことをホリペディアに聞こう!」 
という人がいるとTVで話していたが、さすがに1~10まで、すべて教えるとなると、いささか大変だ!

電話でPCやスマートフォンの操作サポートをするサービスもあるが・・・・・・・
この方たちの苦労はいかばかりか・・・・・

ある程度、PCやスマホの操作がわかる方に教えるのと、ICT難民に教えるのでは違う・・・・
「おれは一生PCなんかつかわね!」
っと、おっしゃる方もまだ多くいらっしゃるが、このご時世・・・
ICTの技術なしに生きるのは難しくなってきている。

電車に乗るのもバスに乗るのもICカードやスマホをかざすすだけ!
コンビニもスマホのお財布携帯で小銭いらず・・・。
道に迷ったらスマホに聞けば行先は教えて案内までしてくれる!
知らない出先での電車の乗り換え時間、終電の時間やその他の時刻表もスマホやタブレットで検索可能だ!

新幹線やロマンスカーの予約、映画館で何を上映しているのか? からその予約、近くのグルメの検索から予約、・・・・・待ち合わせの場所の確認と地図表示!
タクシーの手配まで・・・・
検索によってさまざまなことができるようになってきている!

だが、その検索を活用するためのステップが必要だ!
まず
1.ネット検索 (これで解決することもあるが)
2.必要なアプリインストール
3.活用・・・・・

今ではその検索したい事項の入力も 「OK GOOGLE」 とスマホに話しかけて、その後質問事項を話すなどすれば、さまざまな検索が行えるようになってきた。 
また音声だけでスマホやタブレットのアプリまで操作してくれるようにもなってきている。

ここまでICT化が進むと、かえってアナログで乗り換えの切符を券売機で購入するほうが難しくなっているのかもしれない。

が・・・・
この便利なアイテムを使いこなせない難民も多く出ている!
少し前まで 「使えなくてもどうということない!」
といえたのだが、いまのご時世・・・・
それなしでは不便な時代になってしまったと感じる!

せっかくだからわからないことをネットでいつでもどこからでも調べて理解し、ゆっくりでも何度でも調べて検索して使えるようにすることが必要なのだが・・・・
聞いたほうが速い
と、おっしゃる方も多くいらっしゃる!

語学もそうだが、年を取るにつけ覚える力が衰えてくる!
私も年齢を重ねるにつけ、新しいものの理解と活用はよほど興味がない限り、覚えたくないし覚えられなくなってきている。
それゆえ、それらの方々にとって、やりたい、興味がある人でも新しいものへの取り組みは大変だし、ネットに聞いても検索のキーワードの使い方ひとつで見当違いなことした表示されないこともある・・・。

やはりネット検索を行いある程度自己解決を行えるのはICTをある程度使いこなせる人にその条件が限定られるのだろう・・・。

だれでもいつでもどこでも使いこなせるICT社会を目指した 「ユビキタス」 などという言葉も昨今の電車の中の状態を見ると死語になりつつあるようだ・・・。









痛みをどこまで診れるだろう・・・?

我々柔道整復師は外傷・・・・打撲、捻挫、挫傷、そして応急処置として骨折、脱臼、また医師から依頼、または応急処置後に同意された骨折、脱臼の後療などの施術を行っていると、次のような悩みに絶えず遭遇する・・・。

痛みは測定できないゆえ、ご本人の主訴に頼らざるを得ない部分もあるが、それゆえご本人が治癒とすることに納得されず、第二度程度の捻挫であるにもかかわらず長期に加療となったりすることもある。・・・

「もし、痛みがとれなかったらどうすればいいの?」
「これから痛くなったらどうすればいいの?」

といわれても困るのだが、保険制度によってもここらへんの捉え方がまったく違う。

つまり加入している健康保険、あるいは被害者となった交通事故での自賠責保険や通勤途中や就労中の事故で使用する労災保険などでは、それぞれ対応が違うのだ!

たとえば、捻挫の施術後、腫脹がほぼ消失、日常生活でほとんど支障なしと思われても、ご本人が少しでも痛いと感じて訴えている間は、治癒とすることができないものなのだろうか? という疑問・・・・

ご本人が納得するまで保険制度は活用できるのか否かも含め、非常に理解に苦しむこの頃!

軽度捻挫であれば、だいたいこれくらいの痛み方で日常生活もほど不便なく可能であれば・・・
と思うと、少しならそこに負担をかけることもできるが頻繁に使うとその部位が痛くなり少し腫れる
といわれる。
微妙だ!

実際問題として長期療養となると、理解できないことなのだが保険の種類によって対応がまったく違ってくる!

ここらはそれぞれの保険に合わせて対応するという考え方になるしかないのかもしれない・・・
が、そもそもここらもおかしな話なのだが・・・。


クライアント(患者様)の権利を擁護するのは大事なことかもしれない。それゆえ顧問の先生などに紹介し診察していただいたり、自賠責、労災ではクライアントが自由に対診先を選択されることもあってそれを行っていただいている。 
ただ、それらをどこまで客観的に診るかが問題になる。


また、クライアントごとにモチベーションや考え方が異なるため、同条件で同じ程度の外相であるにも関わらず、短期に治癒に至る方と長期化する場合が生じる。


客観的な判断なども他の医療機関などともとってゆく必要もでてくる場合もあるのだが、利害関係が生じるケースにおいては、ここらが如実にでてくる。


本来・・・医療や我々の施術、医業と患者さんの保険の加入状況による差別はあってはならないのだが、現実には制度によって異なる。


また、最近では自賠責では「1ヶ月だけしか保険で診てもらえませんから! あとなおらなければ勝手にお金自分で払って診てもらってください!」というケースも多くなってきている!


本当に外傷により骨折など、重症を負った方で早期復帰を願って施術を受けられる方は比較的早期に回復をしてくるものだが、何をもって治癒とするのかも含めてクライアントの権利なども考えると、難しいことが多くなってきていると感じる!

その昔、「半年も捻挫治療していてなおんないのか? そりゃおかしい!!」 
などと頭ごなしに言われることも多くあり、クライアントと医療と制度の間に立たされ、中間管理職のように上司、部下からそれぞれの主張をされて板挟み状態となることもあったが、あくまで中立公正というのがどこにあるのかいろいろな主張をみているとわからなくなる!

ただ、その間に立たされるのは、クライアントでもなければ審査を行う人間でもなく、実際で医療を提供する医師であり、療養のための施術を行う柔道整復師である。

介護保険も似たようなところが多々あるが、クライアントと制度を関する機関の間に立って困惑するのは実際にサービスを提供する人たちだ!

もちろん、これら制度の裏をかいて私利私欲をむさぼる輩もいる!!

よって正直者は悩み・・・・そしてばかをみる!

なにか不合理だ!

国民に不都合な制度の説明は医療機関、そしてわれわれの施術所など・・・・
国民にも不合理に感じる方もいればおとなしく従われるかたもいらっしゃり、大人しく従われる国民を標準にとらえて不都合を押し付けるような制度がある.

もしかすると、もっと明瞭でだれでも理解されやすい制度のリミットのようなものを決めるならきめられたほうが、ここまで保険でできる精一杯と説明しやすいのではないだろうか?

制度とニーズの狭間で板挟みになるのは非常にストレスとなる・・・・。

関東学術大会にでかけます!

明日は公益社団法人の関東地区で県単位で毎年持ち回り行われる学会に参加するため今年度開催権である栃木までバスで向かうことになっている・・・・。

天気が心配だが、学会はさまざまな情報交換の場でもあるので、頑張っていってこよう!

一度地震のために会場の使用が困難になり、学会が中止になる地区もあったが、今回はなんとかなるだろう!

一昨年、大雪による被害で山梨で行われた学会では会場近くで雪で倒れた柱の下に軽乗用車がつぶれていたり、果物のハウスがつぶれていたりという被害を目にした!

自然の猛威にいまだ人間は無力であり、なすすべがない状況になることも多々ある・・・。

3.11から5年たつが、復興のあり方などもだれのために行っているのかよくわからないようなものもあるようだ!

学会への参加は学術的なものであるが、その視点は上からではなく、下から人を助けるための手法であってほしいと願い。

たしかに一般人目線だけでもうまくいかないこともあるのだろうが・・・
それでも多くの地元の方々の意見を取り入れながら独自性、独立性を自治体で持っていただき、その補佐、補助を上の方々がされればよいと感じるのは私だけなのだろうか?

生の情報交換は必要だ! 
・・・ということで、明日からはさまざまな情報交換を多くおこないに学会にでむこう!

あやふやさがわかれば進歩する・・・・

自動運転技術の進歩が気になり、いろいろネット検索をしてみるうちに、さまざまなイノベーションは結局その”あやふやさ” からくるのでは・・・・と思った。  
 
 たとえば車の場合、最初は自動ブレーキも完全に止まるまで制御してはならない・・・ とのお達しが国土交通省よりなされていたが、完全停止するまで、自動ブレーキによって追突防止をすることが認められるようになってきた! 

 その進歩の過程などをディスカッションしている動画ものぞいてみたが、あやふやさと戦いながら前進してゆく企業、行政、学者の姿がさまざまであり、必ずしも正解を一つに絞って前進していないことがわかる。

 医学もそうだが、いまもって診断、治療に関してもあやふやさが多々あり、もちろんその全てが判明しているわけでもないので、やってみて検証を繰り返すことが必要になる。 

 これらの新技術は往々にして賛否両論があり、はじめのうちはどちらかというと否定的な見解が多勢を占めることが多い。
 それでも、少し前からPDCA という手法がとられるようになり、それに基づいて補正が行われたり、さまざまなものがイノベーションとして生まれてくることになってきたが、それで確実に確定されるものができた! とは言えないから絶えず進化し続ける必要がある。

 とにかくどこかにイノベーションが起こると、当初はどこかに皺寄せがくる! その皺がどこに来るかが判明したとしても、今の技術ではどうにもならないことも時に生じることがある。 これらの諸問題が垣根を超えてコラボレートしたときに新しい発想の取り組みが生じてくることになるだろう・・・。

 いま、SFは相当先のことまで考えないとSFではなくなってしまう可能性が高くなってきたといわれているが、将来像を考えてみるのは自由だし、突飛もないアイディアは考えるだけでもわくわくする。

現在、自動運転ではドライブの楽しみが奪われるという意見、自動運転の責任をだれがとるのか? といったことが挙げられているようだ! それらの意見は意見として、あやふやさを少しずつ取り除いてゆき確率的な検証を挙げてそれらが行われた場合とそうでない場合を比較検討し検証することが必要になってくるのだろう・・・ 

 このようなあやふやさの中で将来の車についてもやはりSF的だとかあやふやなこととなるのだろうが、こうであったらよいのではないかなどと夢のような未来を私なりに考えてみた。 おそらく、ドライバーの運転支援は個人的な資質であるメンタル面、健康状態、反射速度、運転スキルによっても運転支援状態が自動的に変えられるようになっているのではないだろうか。

 たとえばどの支援をどこまで行うのかは上記をトータル的に判断し、その日の状況やその時の疲労度によっても変わってくるようになるだろうし、逆走防止はもちろん、運転している気分にさせて実際には完全自動運転を行う認知症高齢者対応や急病時に救急病院に自動連絡し受け入れの可能な最短病院への自動搬送が行われるなどmの可能になってくるのではないだろうか? 
 いまも一部の車では緊急時に通報が行えたり、オペレーターにつながりGPSからその対応がとれるようになってきているが、現状のあやふやであるところが判明すれば、それに対応する次世代のシステムが登場するようになるだろう・・・。

 あやふやさは、変化しないほうがよいところやしたほうがよいところが実際にはあるのだろうが、それが事前にはだれも確定的なことがわからないことによるものだろう・・・。 

 どんなイノベーションもそうだが、あやふやさは怖いのが人の常・・・・。
常にチャレンジする人もいるし、そうでない人もいる。そしてそれが全て正しいかどうかもあやふやなのだ。  
常に新しくすることが必ずにも良いとは限らないのだが、そのあやふやななかになっても、私はまだ夢を楽しめる方でいたい!

バージョンアップのたびに問題が生じる・・・・

PC教室を組合員向けに行っているが・・・
一番やっかいなのが、IDとパスワードの管理のようだ・・。
私は、ソフトを使って管理したりしている。

たくさんあるIDとパスを紙の手帳で管理するのは困難な時代になってきている。

来られる方でPCをある程度使える先生方が久しぶりに来られた場合、・・・・
厄介なのがIDとパス!
私のIDなんでしたっけ? パスは?
この場合のIDはどれをいれれば・・・

という具合になり、それを調べるだけで終わってしまう。

IDとパスの管理がもっと簡単にできればよいのだろうが、セキュリティーとの関係で手帳に記載したりしておかれる方が多いようだ。

また、便利そうで不便なものがソフトの自動アップデート・・。
Microsoftのブラウザ、IEで困ったのが、コンテンツアドバイザーによって設定を行ってしまった方が、その後の自動アップ医デートでIEバージョンが11になり、IEを開くたび、ページを見るたびににパスワード、IDをきかれるようになってしまったことだ。

とてもではないが使い物にならない・・・。
戻す手段を検査するためにもいちいちページが変わるたびにIDとパスを入力させられる・・・。

こんなトラブルは作成した会社が責任を負うべきと思うが・・・
とにかくダウングレードするか該当するレジストリーを削除する手法がよいと記載されているが、これらを行うのは次回・・・
ということになってしまう。

知っていればなんとか自分で修正もできるだろうが、簡単に治せるパッチなどがない限り、その状態が続くことになり、インターネットを利用できなくなる!

IEを使わず、windowsも10にアップデートしてしまえばよいのだが、PC教室の間にそれを行うには時間が足りなすぎる・・・。

作った会社が次のバージョンでその機能をやめるのはよいが、前のバージョンでの設定をもどせないようなものを作っては困る!

IT難民が多くでているようだが、ハードウェアだけではなく、全ては弱者にやさしいソフトの制作にかかっている。

それまでは・・・
時間をかけてひとつひとつに対応しなければならないだろう・・。
時間と手間暇がかかる・・・
ソフト作成会社からそういう助成金をいただきたいくらいだ!

バージョンアップのたびに問題が生じる・・・・

PC教室を組合員向けに行っているが・・・
一番やっかいなのが、IDとパスワードの管理のようだ・・。
私は、ソフトを使って管理したりしている。

たくさんあるIDとパスを紙の手帳で管理するのは困難な時代になってきている。

来られる方でPCをある程度使える先生方が久しぶりに来られた場合、・・・・
厄介なのがIDとパス!
私のIDなんでしたっけ? パスは?
この場合のIDはどれをいれれば・・・

という具合になり、それを調べるだけで終わってしまう。

IDとパスの管理がもっと簡単にできればよいのだろうが、セキュリティーとの関係で手帳に記載したりしておかれる方が多いようだ。

また、便利そうで不便なものがソフトの自動アップデート・・。
Microsoftのブラウザ、IEで困ったのが、コンテンツアドバイザーによって設定を行ってしまった方が、その後の自動アップ医デートでIEバージョンが11になり、IEを開くたび、ページを見るたびににパスワード、IDをきかれるようになってしまったことだ。

とてもではないが使い物にならない・・・。
戻す手段を検査するためにもいちいちページが変わるたびにIDとパスを入力させられる・・・。

こんなトラブルは作成した会社が責任を負うべきと思うが・・・
とにかくダウングレードするか該当するレジストリーを削除する手法がよいと記載されているが、これらを行うのは次回・・・
ということになってしまう。

知っていればなんとか自分で修正もできるだろうが、簡単に治せるパッチなどがない限り、その状態が続くことになり、インターネットを利用できなくなる!

IEを使わず、windowsも10にアップデートしてしまえばよいのだが、PC教室の間にそれを行うには時間が足りなすぎる・・・。

作った会社が次のバージョンでその機能をやめるのはよいが、前のバージョンでの設定をもどせないようなものを作っては困る!

IT難民が多くでているようだが、ハードウェアだけではなく、全ては弱者にやさしいソフトの制作にかかっている。

それまでは・・・
時間をかけてひとつひとつに対応しなければならないだろう・・。
時間と手間暇がかかる・・・
ソフト作成会社からそういう助成金をいただきたいくらいだ!

雪なのか? 暖かくなるのか?

このところ、天気予報が頻繁にわかる・・・。
雪かと思えばはれて暖かくなるとなったり、まるまる一日天気がずれたり・・・

また、このところの景気動向も政府の予想とも、学者さんたちの見解とも相違があり、いったい何を信じればよいのか混乱をすることが多くなった・・・。

国民の懐も天気予報と同じで予測がつきにくくなってきた!

もしもしくじり先生がしくじらなかったら・・・!?

いまTVで人気の「しくじり先生」という番組がおもしろいので見ている。
毎回いろいろなゲストが出演し、過去の大きなトラブルでTVを干されたり、うまくいってから急激に仕事が減少したり、その原因が本人にあったり、そうでなかったり、過去の反省なども含めていろいろな著名人が出演してきた。

ただ、出演した方々に対して共通して感じたことがある。
その人たちがもし、大きな 「しくじり」 をしなかったなら、はたして今のポジションはあったのだろうか・・・っと

人生が順風満帆で全く逆風や冷や飯を食うことになったことがないという人がいたら、かえって危険なのではないだろうか。

この番組は辺見真理、ホリエモン、内山、みえはる、松本明子(敬略) などなど、いったん人気絶頂となり、時代の寵児と呼ばれた人たちが過去の過ちを本人がおもしろおかしく語る番組だ。
成功した人のうまくいった話はあまり参考にならないのだが、人の失敗は人生の教訓にもなりえる。

成功事例が書き連ねてあったり、こうやった成功する! といった内容の書物も多く見られるが、私の人生からはあまりにかけ離れており、その人物のファンにはなれても、すでに還暦が近い私には現実離れしすぎている。
ただ、成功者本人の著書には、失敗をしたからいまがあるということも記載されていることが多い。

仮に失敗をしなかったなら、その人の今はあったのだろうか?
っと考えてみると、感慨深いものがある。

もしかすると将来、STAP細胞の小保方さんもこのような番組にでるようになるかもしれない。
その前に明日、彼女の手記が発表されるようだが・・・・・。
思うに、成功者が絶えずしくじらずに事を成し遂げたことはあるのだろうか?

進歩は失敗から学ぶことにある!・・・・っとはいえ、いつまでも同じ失敗をしていては前に進まないのも事実。

要は、軌道修正をできるような失敗なのか、リセットすべき失敗なのかを考える必要があるということではないだろうか。

裁判で 「記憶にありません。」  というのは・・・リセットすべき失敗なのではないだろうか?
とりあえず、号泣会見で著明になったのだから・・・。