あっとニューヨークな春馬。 | 春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬くんはみくびれない男。
天晴れ春馬。
偏愛ブログです、ご了承下さい。
seasonⅡは、はてなブログから。

 
 
全投稿のキンキキッズの
資料を探している時に
キンキつながりで
あっとニューヨークさんの記事を発見する。
 
 
切りとられた文を見かけた事はあったが
全文を読むのは初めてだ。
 
 
 
先輩方はこの記事をきっと
何回も何回も読んだのだろうなと思った。
 
 
 
人間三浦春馬を
たくさん感じることのできる
本当に良い記事だと思う。
 
 
 
私も今、何回も何回も読んでいる。
 
 
 
本来であればこういった
春馬さんを感じられる
記事やコメントが
わんさかでてきていいはずだと思う。
 
 
 
 
 
 

こちらのスタッフが横で仕事をしていても、本人はそれも意に介さず熱心に大きな声量で歌を歌っていた。

 

 

 

必死だったと書かれているが、人が仕事をしている横で

なかなか歌は歌えないものだろう。

 

普通であれば空気読んでできないとなるところだ。

気使いの男が、こうなるのがたまらなく愛おしい。

 

 

 

とても人間くさいひとだったのだなと思う。

 

 

 

 

 

 

集中力が凄まじいのだ。

そして海外で2度もフライトに

乗り損ねてもなお

カラッとした爽やかさがあった

 

 

 

 

この絶妙なヌケ加減と

そして、、、

何があっても

カラッとした爽やかさがある。

ここが三浦春馬のいちばんの

魅力だと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

また私の話で恐縮だが

24歳頃初めてニューヨークに行った。

 

 

 

 

例の追っかけのメンバーと

追っかけ熱がさめた頃に。

 

 

 

当初はブルーノートで好きな

ミュージシャンを楽しもう

というのが旅行にお題目だったのだが

あいにく良いカードがなく、

ブルーノートは見て終了にした。

 

 

 

それでもニューヨークが

楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 

 

 

タイムズスクエアーから

比較的近いホテルだったが

電話のベルの音、

外で鳴り響くサイレンの音にすら

ワクワクした。

 

 

 

 

親にニューヨークの

どんなとこが楽しいのかと聞かれたが

 

 

山も海もあるわけではないけど

とにかく楽しいんだよ。。

と応えたのを覚えている。

 

 

 

 

 

今はどうなっているのかわからないが

 

 

 

 

ニューヨークは、

説明のしようのないワクワクや

何かやる気を起こさせてくれるような

不思議な空気があった。

 

 

 

何をして遊んだかは割愛するが。。。

 

 

 

 

ニューヨークは

魅力的。。。。魅惑的。。。

いや何か魔力的な街だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

春馬さんがキンキを観たのも

24歳頃だろうか。

 

 

 

私ですらこんな楽しかったのだ。

春馬さんにとっては

もっともっと楽しい滞在だったに違いない。

 

 

 

その楽しさは

このあっとニューヨークさんの記事からも

うかがう事ができる。

 

 

 

 

 

私以上にワクワクとした

高揚感ある楽しい時間が

春馬さんにあったと思うと

それだけで嬉しくなる。

 

 

 

 

好きな人が楽しい時間を

沢山持っていたのがわかるだけで

幸せだ。

 

 

 

 

魔力的な街ニューヨークで

より魔力的な三浦春馬を

楽しんでいたのかな。。

 

 

 

 

 

そんな事を感じさせてくれる、

あたたかみのある

あっとニューヨークさんの記事だ。

 

 

 

 

悲しみにくれる中

こういった記事がほんとうに救いになる。

 

 

 

 

あっとニューヨークさんと

春馬さんが共に良い時間を

過ごした事が伝わってくる。

 

 

 

 

三浦春馬を垣間見る事のできる良い記事だ。

ありがとうあっとニューヨークさん。

 

 

 

 海外でのびのび

自由に生きてもらいたかったよね。

 

 

 

 

<あっとニューヨークさんの記事>

 

早朝から鳴り止まないスマホのアラート音で目が覚めた。

スマホには、三浦春馬さんが亡くなったという知らせがたくさん入っていた。

寝起きの頭で考えても理解できず頭が真っ白になった。

 

あっとニューヨークには春馬さんの思い出がたくさん詰まっている。

春馬さんは、あっとニューヨークのオフィスにもよく遊びに来てくれていた。

 

キンキーブーツのミュージカルのレッスンに来ていた際はニューヨークにひと月程滞在していた。

当時、レッスンを受けていたトレーナーの声が出なくなったことでレッスンを受けれなくなり、あっとニューヨークのオフィスでボイストレーニングをしていた。

こちらのスタッフが横で仕事をしていても、本人はそれも意に介さず熱心に大きな声量で歌を歌っていた。

凄い迫力だった。必死だったのだと思う。

彼はいつも必死だった。真剣に生きていた。

真面目な方だった。

 

何度も一緒に食事に行ったりミュージカルを見にいった。

 

キンキーブーツでドラッグクイーン役を演じるとのことで、オフィスの皆で女装してドラッグクイーンパーティーにも行ったことがある。

舞台のため女装の予行練習である。

 

ヘアサロンでメイクをして貰い、女装した格好のまま食事に出かけてスタンダードホテルのラウンジで開かれているパーティーに参加した。

春馬さんはモテた。実際に誰よりも美しくなりすぎた。

男性トイレでゲイに囲まれて大変だったとか。

その日は女装したまま家まで歩いて帰ったとか。

日本だったらできないこともニューヨークではできてしまう。

春馬さんはそんなニューヨークが好きだったのだと思う。

休話だが、そのパーティーに誘ってくれたゲイの知人も先月に亡くなったばかりだ。

コロナといい、今年はさんざんな年だ。

 

以前、僕らはParamourというミュージカルのレセプションパーティーに出かけた際、そこでスペイン人と知り合い、皆でミュージカルを見た後食事に行った。春馬さんもそのスペイン人とは仲良くなり、彼らが日本に遊びに行った際には東京を案内してあげたりもしていた。日本人を案内したこともないのに外人に東京を案内するとは思っていなかった。なかなか日本を説明するのは難しかったけどいい経験になった、と春馬さんは語っていた。そのスペインの知人からも先程連絡を受けたばかりだ。当然だがとてもショックを受けていた。

 

ある年の年末、春馬さんはニューヨークにカウントダウンを見にくることになっていたが、その知人に会うために先ずスペインに寄ってからこちらに来ることになっていた。そこで珍事が起きた。

 

バルセロナでNY行きのフライトに乗れずイスタンブール経由の便に振り替えたとLineで連絡があった。30日には来れるからと心配はしていなかったが、今度はイスタンブールでフライトを逃したと連絡があった。何でも飛行機の出るゲートにいたのだが、英語の勉強をしていたら、搭乗が始まっていることにも気づかずフライトが出てしまっていることすら気がつかなかったらしい。彼にはそんなところがあった。集中力が凄まじいのだ。そして海外で2度もフライトに乗り損ねてもなおカラッとした爽やかさがあった(トルコでフライトを逃した際の春馬さんからのLineI missed my flight again です。Really stupid of me… 笑」、無事フライトに乗った後のLine「今、飛行機に運ばれているのでご安心をーーー 笑」)。ユーモアまで交えてあるのだ。

 

大晦日の夜、無事にJFKに着いて、そのままあっとニューヨークのオフィスに来て貰い、皆で年越し蕎麦を頂き、タイムズスクエアー近くで新年を祝った。その後、メジャーリーグ関係者やニューヨーク在住の芸能人等も来てくれて、あっとニューヨークのオフィスはとても賑やかな新年を迎えた。朝まで飲んだ。一年の始まりとしてはこれ以上ない素敵な時間だった。

 

あっとニューヨークには春馬さんの思い出がたくさん詰まっている。

春馬さんのあの憎い程美しい笑顔も、芸能人とは思えない人懐っこさも、レッスン中の真剣な姿勢も、大きくて美しい歌声も。すべてがこのオフィスに残っている。

 

春馬さんにはもう二度と会うことができない。

僕はただその事実を受け止めることができないでいる。

 

 

 

https://at-newyork.sakura.ne.jp/atny/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%98%A5%E9%A6%AC%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%A8%83%E5%A0%B1%E3%81%AB%E9%9A%9B%E3%81%97%E3%81%A6/

 

 

 『芸術と中性的とローラ。』個人的な好みの話で恐縮ですが。。 私は、どこかに男性性のある女性、どこかに女性性のある男性が好きな傾向にある。(どんな男性性、女性性の内容は割愛しますが) …リンクameblo.jp