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前回に続き
大川従道著「永遠と復活」
教会での時間から数日後に、新しい年が明けました。新年早々に上演が始まることとなっていた「罪と罰」の本番の舞台に、三浦春馬さんが私共夫婦を招待してくださいました。
中略
公演が始まるとすぐ、他を圧倒するような三浦春馬さんの声が素晴らしく、しかも様々な声色を自在にコントロールしながら台詞を語る、役者としての三浦春馬さんの才能と深い感情表現に感動しました。
私自身、原作の小説は読んで知ってはいましたが、『罪と罰』の難しいテーマが芝居の舞台となると一体どうなるのか、興味もあり、また同時に正直なところ不安でもありました。
しかし、三浦春馬さんの、まるで音楽のような台詞回しにそのような不安は一気に吹き飛ばされ、観客が物語の世界にどんどん引き込まれていく様が、客席にいても伝わってきました。
中略
私は芸能や舞台に関して、決して経験豊富な詳しい観客と言えません。貴重な舞台に接することのできた体験と、その価値を少しでも深く理解したかったので、当日の感動を思い起こすためにも、今回二人の専門の方と舞台の感想を分かち合いました。
先に、三浦春馬さんが私を訪ねてこられる経緯の中でお話に出てきた、池末さんと長谷川開さんです。
舞台は演じる人のありようが現れる
三浦春馬さんのボイストレーナーを4年間務めた長谷川開さんは、こんな話を聞かせてくださいました。
「春馬くんは、いつの日かブロードウェイの舞台に立つことを、真剣に夢みていました。なので、そのために歌も、踊りも、常に上質なものにしたい、という強い願望を持って取り組んでいました。
僕は歌の面で彼をコーチングしましたが、ダンスにはダンスの、演技には演技の、それぞれの分野で情頼するコーチのもとで常に勉強していたようです。あの舞台で、朗々と会場を満たす声で台詞を語る彼の姿に、声のトレーニングでお手伝いしていた者として、"春馬くんが望んだものが手に入っている”と思わせていただき、とても嬉しかったのを覚えています。
彼は、自分が表現したいと思うことは、とことん細部にわたって考え抜いていくタイプでした。あの日の舞台でも、目線、視線、ちょっとした動きの手の角度に至るまで、本当に細部にわたって、漫然と無意識のうちにやっているものが何ひとつない感じがして、舞台経験の少ない僕自身としては、彼のプロ意識、高い向上心に敬服させられました。
あれほどの人気者だったので、自分が出演するだけで多くのお客様に来ていただけるという存在だったにもかかわらず、いつも観客の方には、誰かを見に来るのではなく、上質な、良いものを見に来ていただきたい”と言っていました。自分のファンは大切でも、舞台を見終わった時には、自分ではなく、素晴らしい作品を見た、そう感じて欲しかったのだと思います。自分がそのきっかけになれば嬉しい、と言えばよいでしょうか。
だから、自分自身の成功というより、その舞台が成功するために、自分のできることを精一杯して、完成に貢献したい、そんな熱い思いが強かったように思います。前日の公演を振り返って”あそこの、あの部分、こうした方が良いと思うんだ。今日はこうしてみよう!"と、少しでも舞台を良いものにするために、決して満足せずに挑戦し続けていたのも、”上質なものを提供したい”という思いが常に根底にあったからだと、今になって感動しながら思い出しています。
僕は、彼の最後の舞台をご一緒できたのですが、その舞台もミュージカルでした。
不思議な感じがしますが、その中で彼は、イエス・キリストに間違われる役だったんです。公演期間中も『こうして、毎日勉強できる環境が嬉しい』と言って、自分を向上させることの喜びを繰り返し口にしていました。
だから、常に真剣で.......。手を抜く、ということを知らなかったのかもしれません。
『罪と罰」でも僕が見た日の公演も本当に感動的で、いろいろなことを学びましたが、きっと最終公演の方は、さらに素晴らしいものになっていたに違いない、と思います。
彼は、仕事上でもプライベートでも人に何かを伝えたい、伝えなければならない、そのような時、いつも気にしていたことが”いかに、誰も傷つけることなく伝えるか”ということだったように思います。
人を傷つけないこと・・・・・・春馬くんはいつも気を配っていました。それが、彼の優しさだったのでしょう。だから、今でも僕は彼のことを悪く言う人に会ったことがありません。
「罪と罰」の舞台にも、そこここに、彼の優しい人間性が溢れてました。優しさ、がラスコーリニコフの深いところにある、罪の意識を呼び覚まされるプロセスに説得力を与えていたように思います。
本当に舞台には、誤魔化しの利かない、演じる人のありようが現れるのだということ、教えてもらったような思いがします。」
役者魂
長谷川開さんの先生である池未さんは
「春馬くんが出ているだけで、作品の品格というか、崇高さが一気に高まっている感じがしました。あの時代のロシアの貧しい青年を演じるために、ほとんどの贅肉を落とし、ご自分の体を彫刻のように鍛え、この数ヶ月、与えられた役を演じるために入り込んできたのだな、と彼の佇まいそのものに役者魂を感じましたね。
彼の舞台をいくつか拝見して感じさせられたことがあります。それは社会の中からはみ出したり、異端と思われるような中にある人物の心理・心情を受け取り、心を削ってまででも、そこにある人間の姿を表現したいということだったように思います。
「罪と罰」は、彼にとっては、まさに思いの結晶のようなものだったのでしょう。最後のシーンが終わり、幕が下りた時には、あまりのメッセージの強さに、しばらく席を立つことができなかったほどです」
と語ってくださいました。
お二人との対話を通して、私はあの日の感動が、どこから来たのか、改めてわかったような気がしています。結局それは、舞台の内容うんぬんを超えたところにある彼のありよう、さらに目指していたものに対する、真摯な努力と誠実さだったのでしょう。
池末さんの記憶にも残るラストシーンは、私の脳裏にも今も鮮やかに刻まれています。
「永遠と復活」大川従道著
より引用させて頂きました
おふたりの言葉を
今回はわたしの言葉を加えず
著者が
書籍を通して共有して下さった
長谷川さん、池末さんの言葉を
そのまま置きたいと思います
次回また、、




