これまでのお話

実家処分を決意するまで

実家をしまう 

母屋をしまう        

 

母の寝室とキッチンは大体片付き、

次は居間と隣の板の間と納戸の片付けである。

 

納戸は元々フツーの床の間まである良い和室だったけど、知らない間に物が積み上げられ、納戸になった部屋である。

特に、その家にとって一番神聖な場所であるはずの床の間は、いい感じに凹んでいるので格好の物置になっていた。

 

一方板の間だが、そこには父が若い頃使っていた正座して使うタイプの机があり、その上と下に例のボランティア活動の資料が大量に置いてあった。

 

 

上手い具合に机で隠されていたので気がつかなかったが、寝室から出てきたものの半分くらいの量があり、なかなか凄かった チーン

今まで通り、名簿があるものはシュレッダーで処理してから捨てた。

 

しかし、途中でシュレッダーが音を上げる チーン

熱くなってうんともすんとも言わない。

 

そこで弟が自宅から自分のシュレッダーを持ってきてくれた。

しかし、これも間もなく停止する。

 

しかし、シュレッダーって冷めると通常に戻るらしい、という情報を入手 ひらめき電球

確かに冷めると、二つとも復活した ウインク

 

それからは、書類を大量に処理せずシュレッダーを冷ましながら使った。

とっても、手間だった 笑い泣き
 

板の間に古い桐のタンスがある。

 

ここにはいったい何が入っているのだろうはてなマーク と、前から思っていた。

そこには一部母の部屋着や帽子が入っていた。

 

そしてその他の部分大半を占めたのが、

 

な、なんと、

 

名前入りの挨拶用のタオルだった。

 

母の部屋着の隙間、もしくは引き出しの全てに、

保険会社とか飲食店からもらうあの名前入りのタオルが、

びっしりと詰められていた ポーン

タンス1棹のうちの大きな4つの引き出し殆ど全てに、これらのタオルが詰まっていた。

 

母はタオルをあまり買わず、そういう挨拶用タオルを色々なところで使っていた。

でも、かなり古くなるまで使う。

こんなにあるのなら、ジャンジャン使えばいいのに、とその大量のタオルを見て思った。

 

タオルたちは捨てるに忍びないので、段ボール箱に入れて一旦保管した。

 

居間に移る。

 

居間の廊下に、金属でできた大きな本棚がある。

 

ここからは、これまた父の本が大量に出てきた。

一応、メルカリなどで中古の価格を調べてみたが、どれもそれほどの価値はない。

残念だが結局、全て捨てることになった。

 

金属の本棚もなかなかのボリュームだ。

 

居間には前出のへそくりが出てきたおじいちゃんの押入れがある。

 

 

おじいちゃん、祖父の管理していた部分には、農業の本が何冊かあった。

野菜の育て方とか、養豚の仕方など・・。

祖父が農業していた姿が、さっとよみがえってきた。

祖父もこうやって本を読んで研究してたんだな、ということを始めて知った。

 

祖父のスーツも出てきた。

もう傷んでいたので捨てた。

 

祖父が友達と一緒に旅行した思い出の写真などもあった。

整理するため、一旦保管した。

 

そして奥の奥から、例のへそくり、4万円分の100円硬貨が出てくる。

 

なんだろ、へそくりのことを書いたら、少し切なくなった ショボーン

祖父はそのお金を何に使うつもりだったのだろう。

 

使わずに誰にも告げずに亡くなってから40年以上経つ。

祖父が貯めた昭和40年頃は、それは大金だったはずだから、もっと早く気がついてあげれば良かったと感じた。

 

押入れにはその他、再び様々な贈答品が大量に入っていた。

シーツ、座布団カバー、鍋、食器、タオルセットなどなど・・・。

 

こちらも、一旦保管した。

 

居間をある程度片付けたあと、前出の神棚を引き払ってもらった。

 

 

神棚から干支を模った陶器の鈴が、バラバラと十数個出てきた。

 

なんか、縁起物だから捨てにくい ショック

一旦保管したが、いずれなんとかしないと・・・、と心がソワソワした。

 

納戸まで書こうとしたが、長くなりそうなので納戸の話は次回に持ち越す