これまでのお話 実家処分を決意するまで      

 

2年前の8月、母は朽ち果てた実家を出て、私達の賃貸マンションのそばのアパートでひとり暮らしを始めた。

 

私は殆ど毎日アパートに通って、母の世話をした。

母の介護認定は要支援2だったが、要支援2くらいでは、まだまだ日常生活でそんなに介護保険のサポートは期待できない。

 

その頃、母は実家の近くの趣味のサークルに2つ入っていた。

引っ越し後もそれを続けていて、私は週に1度か2度、車で1時間弱かけてそれらのサークルに母を送り届けていた。

そして母がサークル活動をしている間、私は実家を片付けることとなる。

 

5LDKある実家の、まず6畳の母の寝室から片付け始めた。

母の寝室の床は、ベッドが置いてあったところ以外は、ぎっしりと物で埋まっていた。

ただ、それはゴミではない、、、らしい、、、。

 

よくYouTubeとかで見るゴミ屋敷は、とにかく床がゴミで埋まっている。

飲み終わった何かの飲料の缶とか、食べ終わった、もしくは食べかけたお菓子の袋とか・・・。

床を埋める物の中に、そういったゴミが混ざり込んでいる。

 

しかし母の寝室の床を埋めているものは、そういういかにもゴミというものではなかった。

 

では、何が床を埋めているかというと・・・。

 

それは、母が参加したいくつかのボランティア団体の資料とか名簿とか、そういったものが多かった。

いくつかのグループのリーダーを務めていた母は、ミーティングの資料を取りまとめていることが多い。

 

そして、そういう資料には、参加者の名簿が入っていることが多いのだ。

その名簿が、母が物をため込む原因にもなっていたようだった。

 

リーダーの母はそういう資料を予備として多めに持っている。

また、ミーティングの会場で他の資料を複数もらうこともある。

 

母の寝室の床を埋めていたものは、主にそういうものだった。

 

よくあるスーパーの袋や紙袋に、もしくは小さめの段ボールそれぞれに、以下のものがまとめて入っていた。

 

会議の資料。紙、それぞれB4の紙を半分に折りたたんだもの数枚をホチキス止め。こちらが5~20部くらい

会議の当日もらったボールペンやティッシュ、メダル、盾、文鎮などの記念品。

空の集金袋や封筒数枚。

その日の自分のうちの郵便物。(なんで?)

時々、ハンカチやタオル。

その日、友達からもらったお土産や集合写真。

 

こういったものがひとつにまとめてあるものが大量にある。

そのレジ袋や紙袋、段ボールが、古い順に奥からひとつづつ並べて置いてある。

時々、上2、3段に重ねてある時もある。

 

だから、ちゃんと片付けているといえばそうとも言えるはてなマーク

でも、要るものも要らない物もごっちゃになったレジ袋や紙袋、段ボール箱をひとつづつ開けて、中味を確認しなければならない。

 

いそいそとサークルに出かける前の母が、これから片付けに向かう私に言う。

 

「ホチキスの針は燃えないゴミだから、外して分けてね。

それから、名簿とか郵便物は個人情報だから、すべて分けてシュレッダーにかけて欲しいの。

記念品は捨てずに私に見せて。

それから、時々表彰状や感謝状、写真が入っている時があるから、それは私の歴史として残しておきたいの。

お母さん、片付けられないわけじゃないの。捨てられないだけだったのよ~。」

 

母は車に乗っている私を残して、キャッキャと賑わうサークルの人波に消えていった。

 

私は実家に帰って作業を始めた。

 

B4サイズの紙を半分に折って何枚かまとめた資料のホチキスの針を外して、燃えないゴミに分ける。

その資料の中から、参加者の名簿を取り出しシュレッダーにかける。

それを毎回5部から20部くらい行う。

 

母の友達からの写真は取り置き箱に分けておく。

使っていないティッシュやハンカチも別のとりわけ箱に分けておく。

封筒はひとつひとつ何も入っていないことを確かめる。

手紙っぽいものは、営業なのか大切な手紙なのか少し読んで確認し、大切なものは取り置き箱に分ける。

重要そうな冊子や記念誌はとっておく。

時々、大昔の化粧品の試供品なんかも出てきた。これらはもちろん捨てる。

 

父が亡くなってからの約33年分、母が自分の寝室に溜めた荷物をただひたすら分けていく。

 

9月とはいえ、まだまだ暑い。

エアコンは壊れている。

網戸はところどころ破れていて蚊も入ってくる。

テレビを一台おいてはあったけど、Blu-rayデッキとかはついていないから、ワイドショーとかしか見られない。

水道からは水しか出ない。

ボットン式トイレだし えーん

 

厳しかった父や祖父とは逆に、めったに叱らず自由にさせてくれる母が好きだった。

いたずらも見逃してくれる母が好きだった。

心配性な割に天然で、ちょっと抜けている母が好きだった。

 

だけどさ~笑い泣き

 

片付けながらふと思う。

母は叱らないのではなくて、私のことを見てなかったんじゃないのはてなマーク

いたずらも見逃したわけではなくて、見てなかったんじゃないのはてなマーク

相手のことを想っていれば、相手がどんな状況なのかフツーは気が付けるんじゃないはてなマーク

 

こんな大量の片づけを、「ごめんね。ありがとう。」の一言で済ませる母に、ちょっと怒りを覚えた。

もうね、仕方ないんだけどね。

片付ける判断力も力も、母にはもうないんだから・・。

 

私は・・・、アメリカから帰国後、就職にも失敗して。

帰国時はコロナパンデミック中だったから、なんとなく友達に連絡しにくくてずっと孤独で。

で、母が急に「ひとり暮らしはできない。」なんて言っちゃって。

 

実家に物がたくさんあるのは知っていたけど、想像以上でチーン

しかも、母は自分では片付ける気力はもうないのに、捨て方にこだわりがあってさ・・・ゲロー

 

このくそ暑い中、ひとりでちまちま、ホチキスの針なんて外しちゃってさえーん

いちいちシュレッダーにかけてさ。

 

なんなんだよ~!!

私、惨めじゃないか!!

バカヤロー!!

 

片付け初めの頃は、何回かひとりで泣いたこともある。

 

でも、その度になんとか気をとりなおして、

「少しずつ時間をかけて、それこそ数年かかったっていい、ゆっくり片付けていこう。」

と、その時は思っていた。

 

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こんな状態だったから、実家の片付け時に、こういうパンフレットとかでてきたわけですウインク