これまでのお話
母がよく仏壇の過去帳を見せてくれる。
実家で、いつ誰が何歳で亡くなったのか記入してある帳面である。
実家に住んでいた人が初めて亡くなったのは1640年だそうだ。
その人がそこに家を構えて数十年経ってから亡くなったとすると、実家は1610年くらいからそこにあるということになる。
江戸幕府が開かれたのと同じ頃である
重い・・・
歴史の重さが肩にのしかかってくる
かといって、祖先はずっとお百姓さんだったようで、400年以上、特に歴史に名を残すような人はいない。
裕福だったかといわれれば、そうでもなさそうだった。
過去帳には、幼い子供が亡くなった記録がたくさん書いてある。
裕福な家であれば、子供の死亡ももっと少ないのではないかと思った。
小作人だったのかな
ずっとそれほど広くはない田畑を耕してきた雰囲気だった。
うちが本家になって、何軒か周りに同じ名字の方たちが住んでいる。
でも、もうどこで繋がっていたのか、知る由もない。
明治生まれの祖父には、大人まで成長した兄弟は妹しかいなかった。
他の兄弟は4~5人、幼い頃に亡くなっている。
そして、祖父の唯一の妹も、若くして亡くなっている。
祖父は農家を継ぎたかったわけではなく、鉄道員になりたかったそうだ。
でも、たったひとりの長男だから、それほど裕福ではない実家の農業を継いだ。
祖父の息子は父だけだった。
父には姉と妹がいた。
父はあまり運動が好きではなかった。
だけど、勉強はできたとのこと。
運動嫌いの父は、体育会系の農家は継ぎたくなかったようだ。
実家は大農家ではなかったので、祖父も農家に限界を感じており、
父を大学に入れて、就職させようという話になったらしい。
そうして祖父は田畑を切り売りして、父を大学に進学させた。
父も勉強が好きだったし、たくさん努力もした。
父は国立大学に入学した。
でも父は、実家は守らなくてはならない。
農地は切り売りして減ってはいるが、そこには土地と家があり、祖父と祖母がいるから。
父が転勤して実家を離れるようでは困る。
そして父は転勤が県内のみの、地方公務員の道を選ぶことになる。
数学や物理が好きだった父は、本当は一般企業の技術、開発職に就きたかったらしい。
そして父と母の息子は弟しかいない。
姉、私、弟の兄弟構成だ。
弟は実家を継ごうと思い、大学時代に、父と同じ職業に就くべきか父に打診したそうだ。
すると父は、「おまえは好きなように生きろ。」と言った。
それから間もなく、父は病死した。
弟も実家を継ぐつもりだったが、時代の流れで実家を離れることになった。
弟に息子はいない。
それから母は30年以上も実家でひとり暮らしをしてきた。
そして家も庭も限界まで荒れたところで、突然、母が言う。
「もうひとり暮らしはできない。なんとかして。」と。
もう、”仕舞う”しかないと私達は思った。
でも、母が音を上げる前から、私達家族はずっと薄っすら気がついていた。
この家は、いずれ”仕舞う”しかないんだと。
だけど、母が400年分の過去帳を見せてくれる度に、私達兄弟はそのことを言い出しにくかった。
そして、「大丈夫、大丈夫。」と平静を装い、不便な実家で暮らす母に甘えていた。
兄弟間で、「そのうち誰かがやるだろう。」と思っていた。
でも結局、母に限界が来てどうにもならなくなった時、一番近くにいる私達夫婦を全面的に頼ってきた。
見るに見かねて、私達は母を実家から救い出した。
え なんで私
と、思った。
こんな時、「自分に任せろ」と言ってくれる人はいないの
そう思いながら、オロオロ周りをみたけど、みんな忙しそうで、代わってくれる人はいなかった。
400年の歴史を仕舞うなんて、私には責任が重すぎるよ
泣きそうだった
農家ではなく鉄道員になりたかった祖父には父しか息子がいなくて、
技術者になりたかった父には弟しか息子はいない。
その弟には息子はいない。
今回、梅の木が倒れたことがきっかけで、実家をしまう流れになった。
でも、その時はまだ家族みんなに迷いがあった。
しかしその後は、小さなトラブルが起こっては、実家をしまう方向に話がどんどんと進んでいく。
実家じまいが加速して進んでいく。
実家を片付けていていくと、空になった部屋が息を吹き返したように感じた。
ぎっしり不用品が詰まっていた時の実家は、家自体が苦しそうだった。
実家自体も、限界だったのかもしれない。
広くはない農地で農業を営み、子供もたくさん亡くなって、ご先祖様も大変な生活をしてきたのかもしれない。
祖父も父も夢を諦めて、心に葛藤を抱えてあの土地で生きてきたのかもしれない。
だから、弟には何も強制しなかった。
どさくさに紛れて、なんか唐突に私が実家じまいの旗振りの旗を持たされた。
でも今回の実家じまいは、ご先祖さまや祖父、父も、なんとなく納得してくれているように思う。
「もういいよ。」
って、言ってくれていると思う。
それを信じて、丁寧にしまっていこうと、
次女なのに、
実家では薄い存在なのに、
知らない間に旗振りの旗を持たされた私は思っている。
ご先祖様がどんな方たちかは知らないけれど、時々目を閉じて私は祈った。
どうか無事安全に、実家をしまえますように。
そしてその後も、家族が無事安全、幸せに過ごしていけますように。