ノーマン・ジュイソン監督
人種差別の根強いアメリカ南部の田舎町が舞台です。
都会の黒人敏腕刑事と地元の白人警察署長が反目し合いながら殺人事件を解決していくお話
冒険者たち(1967)でレティシアを演じたジョアンナ・シムカスとこの映画の主人公を演じたシドニー・ポワチエ1)が夫婦だというつながりです。ちょっと苦しいつながりです。
オープニングクレジットはレイ・チャールズが歌う "In the Heat of the Night" とともに始まります。
まず,サム・ウッド巡査(ウォーレン・オーツ2))がダイナーでコーラを飲み,その後パトカーで巡回。
暑くて裸で過ごしている女子を眺めて,さらに巡回,死体を見つけます。
殺された男はこの町に工場を建設しようとしていた実業家で金持ち,財布が盗まれていました。
ここから犯人捜しが始まります。
警察署長ギレスピー(ロッド・スタイガー3))に命じられ,サムが逮捕したのはバージル・ティッブス(シドニー・ポワチエ)です。
大金を所持していたからという理由です。
しかし彼はフィラデルフィアから列車乗り換えのため偶然ミシシッピ州スパータの駅にいただけでした。
しょっ引かれた警察署で,署長が「名前は,Boy?」と聞いて「バージル・ティッブス」と答えると笑いだし「バージル?もめる気はないだろうな」と言いました。
なぜ笑ったのか初めて見た当時は分りませんでしたが,この時代黒人を呼ぶ際,Boyと話し,バージルという名は白人につけられる名前のようです。
ギレスピー署長も根っからの南部白人で差別主義者だということです。
この時明らかにされたバージルの「週給162.39ドル」という給料は,ChatGPTによると2024年の価値に換算して1453.40ドルです。1ドル150円で換算すると週あたり21万8000円の給料です。ギレスピー署長は多分週給60ドル程度だったとの推測があり,さらに反感を買ったのでしょう。
署長を演じたロッド・スタイガーは終始ガムをクチャクチャ噛んでいました。これは監督から要望で,最初は抵抗していましたが次第にそのアイデアが気に入って,撮影中に263箱のガムを食べ尽くしたそうです。
さて犯人捜しですが,財布をもっていた男が最初に殺人犯として逮捕されます
しかし男はサウスポー,犯人は右利きと看破したバージルは嫌々ながらも捜査に協力することになります。
車にシダの根がついていたことから,この辺の綿花畑の農園主の元に行き,温室にシダがあることを確かめました。
温室ではランを栽培していました。
バージルが着生蘭が好きだと言うと農園主は黒人と同じで手がかかると言い,自分が尋問されていると分るとバージルを平手打ち。間髪を入れずバージルも平手打ちで応じます。
農園主が「本来なら撃ち殺しているところだ」と言っていましたが,本当に射殺された例は数知れなかったのでしょう
そして捜査を続けるバージルを良く思わない白人連中がリンチしようと追いかけ乱闘になりました。ギレスピー署長が助けます。
次に署長が犯人と決めつけたのはサム
632ドルを銀行に入金したから
いろんな人が犯人扱いされましたが,結局犯人は全く関係のない人物でした。
スリリングで見ごたえのあるサスペンスとして楽しめる映画ですが,黒人に対する激しい差別に驚かされる映画です。
そもそもアメリカはもともとヨーロッパから移住した人々が先住民を追いやって築いてきた国です。
そして,アフリカ大陸から連れ去られてきた黒人を主にアメリカ南部の綿花農園で酷使してきました。奴隷制度をめぐって起こった南北戦争の最中,1863年,時の大統領リンカーンにより奴隷解放宣言が発布されました。
南北戦争を題材にした映画にはアカデミー賞作品賞を受賞した 風と共に去りぬ(1939),デンゼル・ワシントンがアカデミー賞助演男優賞を受賞したグローリー(1989)などがあります。
1865年の憲法修正によりアメリカの奴隷制度は廃止されたはずですが,現実には経済的自立が困難であったこと,南部の州レベルでの隔離政策が合法化されたことにより黒人差別はなおも続いていました。
ジム・クロウ法と呼ばれる人種分離法で白人,有色人種を様々なところで分離して鉄道車両,ホテルなども人種により差別化されたことはアカデミー賞作品賞を受賞したグリーンブック(2018)にも描かれていました。
1960年前後に起こったのがアメリカ黒人の基本的人権を要求する運動です。
キング牧師らの非暴力による運動が広い支持を集め,1964年に公民権法が成立しました。
しかし社会的不平等が解消されたとは言えない状況の中でこの映画は撮影されました。
シドニー・ポワチエはミシシッピ州を訪れた際,KKK(クー・クラックス・クランズマン,白人至上主義団体)に命をねらわれた事件があったため映画撮影を北部で行うよう主張しました。とはいえ,綿花農園での屋外シーンのために映画関係者はテネシー州に短時間の撮影を行いました。テネシーではポワチエは枕元に銃を置いて眠ったそうです。実際に地元の人種差別主義者から脅迫を受けたため撮影は打ち切られイリノイ州スパルタで撮影したそうです。
こういった差別主義者たちの妨害の中,この映画を完成させた出演者を始めスタッフには敬意を表したいです。
この映画はアカデミー作品賞,主演男優賞(ロッド・スタイガー),脚色賞,編集賞,音響賞の5部門を受賞していますが,クインシー・ジョーンズが担当した音楽部門ではノミネートもされていませんでした。個人的にはレイ・チャールズが歌う "In the Heat of the Night" とっても好きです。何故選ばれない。
ロッド・スタイガー演じるギレスピー署長は最初の頃は,周りの皆と同じで黒人であるバージルを差別していましたが,バージルに対する気持ちが少しずつ変わっていく様子が見て取れます。
最後の別れのシ-ンも良かった。
アカデミー賞主演男優賞がロッド・スタイガーだったということも納得できます。
また
AFI(アメリカ映画協会)の100年シリーズでいろいろな部門でランクインしています。
2003年,ヒーローと悪役ベスト100のヒーロー部門でバージル・ティブスが19位
2005年,名セリフベスト100で ”They call me Mister Tibbs!” が16位
2006年,感動の映画ベスト100で21位
2007年,アメリカ映画ベスト100で75位
1) シドニー・ポアチエ
暴力教室(1955)などの出演の後に,スタンリー・クレーマー監督の手錠のままの脱獄(1958)ではトニー・カーティスとともにアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。受賞は果たせませんでしたがベルリン国際映画祭の主演男優賞にあたる銀熊賞を受賞しています。
そして野のユリ(1963)では黒人として初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。
暴力教室(1955)で不良少年を演じたポアチエでしたが,いつも心に太陽を(1967)では不良たちの高校で教鞭を執る先生役でした。いい映画だったなあ。出演者のルルが歌った主題歌To sir, with love(いつも心に太陽を)もイイ曲です。1967/10,Billboard Hot 100で1位になっています。
さらにこの年公開のスタンリー・クレイマー監督の招かざる客(1967)にも出演しており,この当時,アメリカのいくつかの州で違法とされた異人種間結婚を題材にしています。
ただでさえ娘の彼氏を家に招く時には身構えるものですが,それが異人種だったらどうか。社会的にはリベラルな態度をとっても,いざ身内の話になると難しいですね。自分だったらどう反応するか分りません。
ということでシドニー・ポアチエは「夜の大捜査線」を含め,同じ1967年に非常にいい映画3作品に登場しています。
しかしアカデミー賞主演男優賞,助演男優賞にはいずれもノミネートされていませんでした。
3作品にも出たから票が別れたという見方もあるようです。
この年は俺たちに明日はない (1967),卒業 (1967),暴力脱獄 (1967),暗くなるまで待って (1967)といったいい映画がたくさんあったので仕方ないですかね。
1992年,AFI生涯功労賞,2001年,アカデミー名誉賞を受賞しています
2) ウォーレン・オーツ
サム・ペキンパーが監督した,昼下りの決闘(1962),ダンディー少佐(1965),ワイルドバンチ(1969),ガルシアの首(1974)に出演しています。
ワイルドバンチ(1969),ジョン・ミリアス監督のデリンジャー(1973)でベン・ジョンソンと共演していますがワイルドバンチでは仲間同士でしたがデリンジャーでは敵同士でした。
53歳の若さで突然死していますが,解剖の結果,慢性閉塞性肺疾患(COPD)を基礎疾患とするインフルエンザが原因の死亡でした。彼はヘビースモーカー(しかも大酒飲み)だったようですのでしょうがないかなぁ。けっこういい役者だったのに残念です。
「夜の大捜査線」では彼も含め,誰も煙草を吸っている人はいませんでした。この時代の映画では非常に珍しいです。
3) ロッド・スタイガー
アクターズ・スタジオ出身の俳優で,エリア・カザン監督の波止場(1954)でマーロン・ブランドの兄役で出演していましたが,実はブランドの方が1歳年上です。
シドニー・ルメット監督の質屋(1964)でベルリン国際映画祭,主演男優賞にあたる銀獅子賞を受賞し,「夜の大捜査線」でアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。
この映画のギレスピー署長役,最初はジョージ・C・スコットが演じる予定でしたが,スコットが途中で辞退しています。またパットン大戦車軍団(1970)のパットン将軍役として最初にロッド・スタイガーがオファーされましたが戦争を美化したくないと断っていました。この映画でジョージ・C・スコットはアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。
最初に断った役を演じた次の俳優がともにアカデミー賞主演賞を受賞するっていうのはおもしろい偶然です。
ほかにもオール・スターキャストの史上最大の作戦(1962),デヴィッド・リーン監督のドクトル・ジバゴ(1965)など多くの映画に出演しています
ワーテルロー(1970)ではナポレオン役を演じています。