ヴィクター・フレミング監督
デヴィッド・O・セルズニック① 製作
アメリカ南部が舞台です。
南北戦争に翻弄されながら,たくましく生き抜いたある女子の半生と愛を描いたおはなし。
奇跡の人 (1962)とは南北戦争南軍つながりです。
長時間の映画です。Introductionから始まります。
そして前置きの言葉
There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South...
Here in this pretty world Gallantry took its last bow..
Here was the last ever to be seen of Knights and their Ladies Fair, of Master and Slave...
Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered.
A Civilization gone with the wind...
かつて「オールド・サウス」と呼ばれた,騎士たちと綿花畑の広がる土地があった...
この美しい世界において,騎士道精神は最後の幕を閉じた...
ここには騎士たちと淑女たち,主人と奴隷の姿が見られた場所があった...
今ではすべての夢に過ぎない。風と共に去ってしまった。
映画の題名がここに出てきます。
まずは,その "Old South"に暮らす,優雅な人々の姿が描かれました。
主人公のお嬢様スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は美しく男子たちの人気の的でした。
オークス屋敷で園遊会
男子たちの気を引きますがスカーレットの意中の人はアシュレー(レスリー・ハワード)。
アシュレーはメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)を紹介しました。
そしてスカーレットを見つめる男,レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)
男たちは北軍といつ戦争になるのかのはなしで持ちきりです。
レットに意見を求めると「能書きでは勝てない。大砲がない。われわれにあるのは綿と奴隷とおごり」と言い放ち,批判を浴びて出ていきました。
スカーレットはこっそりアシュレーを呼び止め愛を告白しますが,メラニーと結婚すると言われ,花瓶を壁に投げつけました。
ソファーで寝ていたレットが「戦争が始まった?」っていうセリフはいいですね。
スカーレットはアシュレーに対する腹いせにメラニーの兄(弟?)と結婚しました。
そして南北戦争勃発。スカーレットの夫はすぐに病死。
喪に服して退屈で嘆いていたスカーレットが母にメラニーもいるしとアトランタ行きを勧められました。
アシュレーに会えると喜んだスカーレット。この家の使用人マミーはそれを見透かして「面倒が起きるよ」とつぶやきます。
喪中にもかかわらず,喪服で南軍の軍資金募金運動のパーティに参加してレット・バトラーと巡り会いました。
募金をして希望の女子とダンスできるという申し出に,150ドルでスカーレットを指名しています。
150ドルは単純に計算すると現在の価値にして60万円に相当します。
アメリカ南部ではこの頃インフレがかなり進んでいたのでもう少し貨幣価値は低いかも知れません(ChatGPT)
それにしても戦時中だというのに南部上流階級のパーティの華やかさが伝わってきます。
レットはスカーレットに贈りものをして,こんなにもらって良いのかしらと言われます。
レット「当然見返りは期待している。もうすぐ戦争も終わる。決戦となる戦い(ゲティスバーグの戦い)が行われている」
それに対してスカーレットはまた「そこにアシュレーがいるのね」なんて言うのでレットは怒って出ていきました。
Dixie(南軍の愛唱歌)が演奏される中,戦没者のリストが配られていました。
アシュレーは一時帰還しました。性懲りもなくスカーレットはアシュレーに愛していると迫りますが,メラニーを頼むと言ってアシュレーはまた戦場に帰っていきました
メラニーとスカーレットは負傷兵を収容している教会で看護にあたっていました。
スカーレットはもちろんイヤイヤ付き合っているだけでしたが,メラニーは傷病兵をアシュレーだと思って看護しています。
ベルという安っぽいサロン(酒場)の女将が,寄付を申し出ても汚い金だから受けってもらえないと訴えていました。
サロンと言っても実は,売春宿/娼館です。この映画の公開当時は検閲(映倫)が厳しいためこういった表現にしていました。
ベルはR・Bの刺繍の入ったハンカチを持っていました。レット・バトラーの頭文字です。
さらに戦争は激化していき,アトランタには大砲が撃ち込まれ,市民は逃げていきました。
教会(病院)では数少ない医師が飛び回って治療していました。
薬がない,麻酔なしで下肢切断といった荒技,見ていられないスカーレットは外に逃げ出します。
家に戻ろうとしたところに,レット登場。
アシュレーのことなんて忘れて似たもの通しどこかに逃げようと誘われましたが,ここでもケンカ別れ。
タラに帰るつもりでしたが,出産間近のメラニーを置いていくわけにもいかず,医師にも面倒見ろといわれました。
メラニーは「迷惑をかけてごめん,私が死んだら子どもの面倒を見てほしい」と言いました。
医者を呼びに行くと,アトランタの駅には至るところに南軍の負傷者。
この場面,プロデューサーのセルズニックは「引き」での撮影を所望していました。
現在ならドローンを使うところでしょうが,1939年当時はそれができずに大きなクレーンを使用して撮影したそうです。
エキストラの数も膨大で,2,500名を予定しましたが1,500名しか調達できなかったようです。
スカーレットは医師を見つけましたがどう考えても出産のために離れられることはできない状況です。
結局,スカーレットが分娩介助をしました。
でもこのままでは北軍の攻撃を受けてしまうためにタラに向かおうとして,ベルの店にいるレットに馬車を調達してもらいました。
南軍が撤退前に武器を奪われないように燃やしています。
弾薬庫についた火の中を馬車で駆け抜けました。最大のスペクタクルです。
当時ハリウッドにあった7台のテクニカラーカメラすべてがこの撮影するために使われました。
ロサンゼルス消防局の消防車10台,消防士50人,スタジオの助手200人が,火災の延焼に備えて撮影中は待機,そして5,000ガロンの水タンク3つが炎を消すために使われました。
この映画で最初に撮影されたのはこの場面です。
この時はまだ主演女優が決まっていませんでした。燃えさかる炎の中で演じているのは代役です。
この場面の見学に,プロデューサー,セルズニックの兄が連れてきた人たちの中にヴィヴィアン・リーがいたようです。
弱いものには味方したくなる性分,南軍に入隊すると言い,レットは離れていき,スカーレットたちは焼け野原のタラに帰ってきました。
母は亡くなり,父はすっかりぼけてしまい,母が死んだことを理解していません。
食べるものもない中,スカーレットは夕焼けの中,畑に行き,細いダイコンを噛り,だれも飢えさせないと誓いました。
"As God is my witness, I'll never be hungry again."
このセリフはAFI(アメリカ映画協会)の選ぶアメリカ映画の名セリフベスト100(2005)で59位に選ばれています。
前半はここで終了,Intermission
映画の最初の場面のように男たちに愛想を振りまいていたお嬢様の姿はもうありません。
北軍の進撃は続きます。
敗北の地獄と飢えの中でもタラは生き残りました。
南北戦争は終了,南軍の負けです。
かつては富と気品に満ちていた南部に,疲れ切った兵たちがが帰還しました。
そしてもアシュレー帰ってきました。
タラに税金,300ドルがかかっていることを知ったスカーレットはその工面に苦労します。
昔,クビにした管理人が土地を高く買ってやろうと申し出たのに,父が怒りにまかせて馬で追いかけ落馬,死亡しています。
墓標によると,1865/11/14の出来事でした。
困った時のレット頼み
お出かけしようにも着るものがないスカーレットはカーテンからドレスを作りレットを尋ねました。
カーテン生地から服を作るのは,サウンド・オブ・ミュージック(1965)でも見られますね。
アトランタにいるレットに会いに行きましたが,北軍に捕まっていました。
手を握ると,小作人の手だと苦しい事情を看破された上,獄中のため金は動かせないと言われました。
またケンカ別れです。
思案に暮れていると妹スエレンの婚約者だったフランク・ケネディに偶然出会います。
製材所で1,000ドル貯めて,スエレンと結婚できそうだというケネディに対し,フェイク情報を流して自分がケネディと結婚し300ドルの税金を用立てました。
アシュレーはニューヨークに行き,銀行で働くと言いますが,スカーレットは店を手伝ってほしいとメラニーの前で嘘泣きしてアシュレーが断りづらい状況を作ります。
妹の婚約者を横取りしたり,アシュレーを手元に置いておきたいために演技したり,スカーレットの権謀術数の数々。
マキァヴェリも真っ青。倫理的に許されない行為も入っていますが,これほどグイグイ推し進める女子は見ていて気持ちいい。嫌いじゃないです。
製材所でも働き手として受刑者を雇いました。安い給料で済むから。
がむしゃらに稼ぎました。
過去に食べ物がないといった命の危機を経験した脳は,またいつかその危機が来るかと過剰に警戒します。
そのために最も万能な生存手段である「お金」を過剰に蓄えようとする行動に繋がるそうです。
そしてスカーレットが一人で馬車に乗って危険地帯に足を踏み入れ,あやしい奴らに襲われるという事件が起きました。
運良く以前の使用人に救われました。
その報復行為を計画し,夫フランク・ケネディは死亡,アシュレーも撃たれて怪我をしました。
違法行為ですので憲兵隊がアシュレー逮捕に来ていましたが,レットの機転で切り抜けました。
このシーンはレット・バトラーの知略と度胸が光る名シーンでしたね。
高潔な南部紳士のアシュレーがベルの店(=娼館)にいたというのは相当なスキャンダルです。
また妻であるメラニーからしても,夫が自分たちを裏切って娼館にいたというのは南部淑女としてのプライドを激しく傷つけられることになります。メラニーは夫の命を救うために,この醜聞を受け入れ,証言をしてくれたベルに感謝を伝えました。
この場面だけでなくメラニーの人柄は本当に賞賛に値しますね。「本物の南部の淑女」という女子がいるとすればメラニーです。
2度目の夫が亡くなり,スカーレット酒を飲んで気持ちを紛らせます。そこにレット登場。スカーレットはオーデコロンでうがいをして酒を飲んでいたことをごまかそうとしましたが,レットはだまされませんでした。
妹の恋人だったフランクと結婚して,私のせいで死んでしまったと,泣きます(嘘泣き)
レットは求婚しました。もう結婚なんかしないというスカーレットに「これまでの相手は役不足だった。本物をためしてみろよ」と言っていました。
実際には "You’ve been married to a boy and an old man. Why not try a husband of the right age, with away with women?"
"an old man" とはフランク・ケネディのことを指しているんでしょうが,実際にの俳優はクラーク・ゲーブルとともに1901年生まれでした。
そして結婚,出産
女の子でした。でも実際には男の子が演じて(?)います。
出産後ウエストサイズを気にするスカーレット。
20インチ(50cm)じゃダメ,18.5インチ(47cm)にしなきゃだけだと言っていました。
47cmも50cmもあり得ないだろうと思っていましたが,最近見たマーティン・スコセッシ監督のエイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事(1993)に出演していたウィノナ・ライダーのウエストの細いこと。コルセット着用で脅威の19インチだそうです。
スカーレットはいまだにアシュレーことが忘れられません。レットにはもう子供は産まないと宣言。
それでもいいと言われましたが,つまりはもう抱かれるのはイヤだということですね。
この時代の映倫ではストレートな表現は禁止されていました。
レットは頭に来て出ていき,ベルのもとに行き,愚痴をこぼしました。
アンタはスカーレットに惚れぬいている,それに子どもを見捨てられないでしょうと言われました。
ベルはレットを愛していたんでしょうね。
社会の底辺に生きる娼館の女将であり,自分がレットと表舞台で結ばれることはないことを分っていました。
レットが愛する人と結ばれて幸せになってほしいという,切ない気持ちが伝わってきます。
レットはベビーカーで散歩して,すれ違う人に愛想を振りまきます。山師だといわれたレットにも良い評判が立ってきます。
それも溺愛する娘ボニーのためです。
製材所で働くアシュレーに会いに行き,昔話。昔を思い出しすと前に進めないと言うとアシュレーに抱きしめられました。
ちょうどアシュレーの妹インディアに見られてしまいました。うわさが広まりました。
夜中にレットは酒を飲んでいます。酔っぱらいスカーレットを抱きかかえ,ベッドをともにしました。
翌朝のスカーレットは上機嫌。夫婦仲も改善したかに見えましたが,また本音を言い出せずにすれ違い状態。
レットはボニーを連れて旅行。
帰ってみると,スカーレットは二人目を妊娠。
「アンタの子なんてほしくなかった」,「流産を祈ろう」,またケンカです。はずみで階段から落ちてしまい,本当に流産。
レットは許してくれるならもう一度やり直したいと心から思いました。
そこにボニーが馬に乗り,バーを飛び越すと言い,落馬,死亡。
レットとスカーレットは互いに罵りあい,レットはボニーの部屋から出てきません。
メラニーがようやく説得しましたが,今度はメラニーが倒れてしまいました。
メラニーは死の床についています。スカーレットを呼んで「息子とアシュレーを頼むわ,バトラー船長に優しくして,あなたを愛しているわ」
そしてラストシ-ンにつながります。
スカーレットが愛していたのはレットでした。それを最後に言ってもレットは去っていきます。
最後のレットのセリフ "Frankly, my dear, I don't give a damn."オレには関係ない。
このセリフはAFI(アメリカ映画協会)の選ぶアメリカ映画の名セリフベスト100(2005)で第一位でした。
そしてひとしきり泣いたスカーレットが彼を取り戻すにはどうしたらいいの,タラに帰ってから考えるわと自問自答して,最後に発したセリフが "After all, tomorrow is another day."
明日に望みを託してという字幕でしたが,明日は明日の風が吹くという意味ですね。これも有名なセリフでアメリカ映画の名セリフベスト100(2005)で第31位でした。
超大作の映画です。
まずこの映画が1939年に作られたと言うことにビックリですね。
ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まったのが1939/09です。その3ヶ月後の公開です。
アシュレーを演じたレスリー・ハワードはイギリス人です。アトランタで行われたプレミアに出席しませんでした。
開戦のため映画の公開前に帰国しました。そして戦争中はイギリス情報機関に従事しています。
日本はというと,1937/07の盧溝橋事件によって日中は交戦状態となっています。
1938年に成立した国家総動員法により,戦争のための人的資源・物資の動員と統制は政府(=軍部) に実行権がありました。
軍国主義のもと,庶民の生活は軍事最優先の原則の下で制限されていた時期です。
なのにアメリカではこの映画。
しかも,背景になっているのはアメリカ最大の内戦,南北戦争です。
この映画でも戦争の悲惨さが描かれていましたが,戦争反対の運動は起らなかったかと思いましたが,所詮はヨーロッパでの戦争ですからね。
この映画では戦争というより公開当時は黒人メディアを中心に,この映画に対して抗議や批判を展開しました。
南北戦争前の南部(奴隷制社会)をあまりにも優雅で美しい理想郷(ロマンティシズム)として描いている,劇中の黒人奴隷たちが「白人の主人に喜んで仕える従順な存在」として偏ったステレオタイプで描かれている,といった意見です。
マミー役を演じたハティ・マクダニエルが黒人として初めてアカデミー賞(助演女優賞)を受賞しましたが,当時の人種隔離法(ジム・クロウ法)があったためアトランタでのプレミア上映会への出席ができないといった差別も起きており人種問題こそが最大の論争の的でした。
映画の撮影中も黒人専用の人種隔離トイレがあり,クラーク・ゲーブルはプロデュサーのセルズニックに「もし明日もあのトイレがまだあったら私は降りる」と言ってトイレ撤去させたそうです。
ハティ・マクダニエルがプレミアに出席できないことにも激怒してプレミアをボイコットすると脅しましたが,彼女の説得で最終的には出席しています。
ハティ・マクダニエルは人種差別的な映画に出演したとして一部のア黒人メディアから批判されました。
これに対し彼女は「メイド役で週に700ドル稼ぐ方がメイドが7ドルになるよりマシだ」と答えたそうです。
マクダニエルの週給が実際700ドルだったのか,彼女の撮影期間がどのくらいだったかは不明ですが,ヴィヴィアン・リーは125日間働き25,000ドル,クラーク・ゲーブルは71日間働き12万ドル以上のギャラだったようです。
この映画の原作はマーガレット・ミッチェルの小説です。
出版1か月後に製作者のセルズニックが当時としては前例のない高額の5万ドルで映画化権を購入しました。
セルズニックが最初に選んだ監督はジョージ・キューカーでした。
女優の魅力を引き出すのがうまいキューカーがヴィヴィアン・リーやオリビア・デ・ハビランドを過度に引き立てていると感じたセルズニックがキューカーを解雇し,クラーク・ゲーブルの提案もあり,ヴィクター・フレミングに変更になったようです。
ほかにもサム・ウッドも監督している期間はありました。
ジョージ・キューカーが解雇された理由の一つは,彼がゲイだったため,レットとスカーレットのラブシーンを適切に演出できないためだとされていました。彼は解雇されたもののセルズニックとフレミングに知られずに週末にヴィヴィアン・リーとオリビア・デ・ハヴィランドの要望で個人的にコーチを続けていました。
南部アメリカが舞台なのに主たる俳優で南部アメリカ出身者はいませんでした。クラーク・ゲーブルはオハイオ州出身で北軍に相当,ヴィヴィアン・リーは英領インド帝国生まれのイギリス人,レスリー・ハワードはロンドン生まれのイギリス人,オリヴィア・デ・ハヴィランドは日本生まれですが両親はイギリス人でした。
特に南部出身者は,イギリス人女性がスカーレット・オハラ役に起用されたことに否定的な反応を示しました。
アカデミー賞は多数の部門で受賞しています。
作品賞,監督賞(ヴィクター・ヤング),主演女優賞(ヴィヴィアン・リー),助演女優賞(ハティ・マクダニエル),脚色賞,撮影賞,編集賞,美術賞です。
そのほかに主演男優賞(クラーク・ゲーブル),助演女優賞(オリヴィア・デ・ハヴィランド),作曲賞(マックス・スタイナー),特殊効果賞でノミネートされました。
さらにAFI(アメリカ映画協会)アメリカ映画100年シリーズでは以下のジャンルに選ばれています
アメリカ映画の名セリフベスト100 (2005) 1位,31位,59位
音楽の担当はマックス・スタイナーです。この年12本の映画音楽を担当していて,この映画の3時間の音楽は3ヶ月で仕上げました。アンフェタミン(日本の法律上は覚醒剤に分類)を服用して20時間連続で働いたそうです。
名セリフベスト100で1位に選ばれた "Frankly, my dear, I don't give a damn."
"damn"という言葉は「くそっ」「ちくしょう」といった意味で使われます。
アメリカで汚い(下品)な言葉(Vulgar Word,卑語)と言われているものは映画で良く出てきます。
ボクも映画を見ていて相当な数のスラングを覚えました。
ただ下品さの程度がひどいものなのかどうかまでは正確には理解できていません。
たぶん"damn"は現在では下品度レベルは中くらい以下かなと思ってますが,この映画公開当時は映画に使うことは御法度でした。
制作規則違反として5,000ドルの罰金を科されていますが,これがまた映画の宣伝効果をさらに高めたようです。
① デイビッド・O・セルズニック
「風と共に去りぬ」は「監督の映画」ではなく,「プロデューサー・セルズニックの映画」であると世界中で公認されています。
自分のビジョンに合わなければ監督も容赦なく交代させたり,脚本の修正も何度も繰り返されました。
また映画の隅々にまで目を光らせ,毎日大量の指示メモ(セルズニック・メモ)をスタッフに送りつけたことでも知られています。
セルズニック製作,アルフレッド・ヒッチコック監督のレベッカ(1940)でもアカデミー賞作品賞を受賞していますが,この映画では,すべてを支配したいプロデューサーVs.独自のビジョンを持つ映画監督で激しく対立しています。この映画においてもセルズニックはヒッチコックに大量のメモを送っています。
セルズニックが1965年に亡くなる直前,ヒッチコックはセルズニックが1939年に送った最初メモを読み終えたばかりだと冗談を言ったそうです。













