「チャンスは人からやってくる」というお話を前の記事でしましたが、
早速、面白い展開がやってきました。
前まではスルーし続けていた方面からのinvitationだったのですが、
今回「あ、これかな」と思い立って掴むことになり、
違う世界線に移りました。
必要な当たり前のものが変わりました。(英語とか😅)
先月のまといのばの開業セミナーで、
現代の状況を議論する土台としての都市化(工場化)についてを学びました(内容はこちらの記事にまとめてあります)が、
まだ産業革命以降の労働問題は継続しているのだ、ということを改めて感じました。
日本だと飼いならされていてピンとこない人も多いかもしれませんが、アジアやアフリカ、インドの現場の状況を聴くとvividに立ち上がってきます。
前置きはさておき、本題に入ります。
「あなたは夜寝ているとき、夢のなかで思い切り後悔することがありませんか?」
「どういうわけか、何となく寝覚めの悪い朝を迎えることがありませんか?」
(苫米地英人著 ドクター苫米地の新・福音書 より)
いきなりですが、どうでしょう。
心当たりありますか。
ほんのりどんよりさがあったり。
引っ掛かりが胸の中にあったり。
「今日なにやらなくちゃいけないんだっけ」という脳内思考が出てネガティブめな情動が付属していたり。
すぐに浮かばない人は、子供の時分と比べて、どうでしょう。
やりたいことがたくさん会って寝るのも嫌で、起きたらその場で立ち上がって走り出す。
微かな記憶が心の奥底にあるのではないでしょうか。
それに比べて、寝覚めの悪い朝のシグナルに心当たりがあったりしませんか。
- 目が覚めてもすぐ起き上がれず、布団の中で手足が重く感じる。
- 鏡を見たけど、顔の輪郭がむくんで見えて、自分が疲れて見える。
- 外から子どもの声や車の音が聞こえるけど、どこか遠く感じる。
- 部屋の空気がこもっている。コーヒーを淹れても、香りが立ってこない。
- 朝ごはんを食べる気がせず、パンをかじっても砂みたいに感じる。
夢の中と寝起きというのは変性意識が深いため、自分をごまかせないタイミングであり、
良いチェックポイントです。
ドクターの本から何故の部分を引用します。
起きて活動している間は社会的催眠にかかり、いわば洗脳されている状態。「奴隷の幸せ」で満足していられます。
しかし、睡眠という深い催眠下ではその洗脳の殻を破るようにして本当の自分が顔を出し、思い通りに生きられない不幸を嘆き始めます。
社会的催眠にかかっているときは安心して幸せでいられても、その催眠は睡眠という深い催眠には勝てません。
寝ているときは、社会的催眠は覚めているのです。だから、夜寝ているときに突然、不幸感に襲われるのです。
(苫米地英人著 ドクター苫米地の新・福音書 より 引用者太字)
恐ろしくないでしょうか。
私は初めて読んだ時、恐ろしい話だと思いました。
昼は幸せに生きていても夜中や寝起きはどうか。
多くの古来・現代の作品でもこの種の不幸は描かれていて、かなり普遍的な悩みであるのだと思います。
他人事ではなく、その時の自分を見つめました。
日中はやることがたくさんあり、お客様もいて仲間もいて、充実感もある。
でも、夜は悪夢ばかりが続き、寝ている間もうなされていると言われ、
寝起きはどこかどんよりしていました。強烈な寂しさ・孤独感もありました。
朝起きると「今日も予定がビッシリだからそんなこと言ってられない!」と無理やりシャキっとさせ、
日中用の顔に切り替え、親しい人や家族にも見せないように身体を鞭打ち、動き回り、
疲弊したまま、夜は遊びに繰り出し、楽しく暴飲暴食をしたり、会食に出かける。
こんな生活が当たり前になってしまっていて、
忙しくて他の生き方している人たちを知らず、
「社会一般的には楽しく見えるらしいし、それなりに充実しているから良いか」
ってなってしまっていました。
(今の視点から、この時代の日記を見ているとツッコミどころしかないのですが😓)
(ゴールドリブンじゃなく、健康に対しての意識もなく、エフィカシーの低さ、煩悩に振り回される、他にも……)
まさにドクターの言う
起きて活動している間は社会的催眠にかかり、いわば洗脳されている状態。「奴隷の幸せ」で満足していられます。
状態でした。
更にこの後悔というのは、死ぬ瞬間に永遠に味わうことに成るという更に恐ろしい話が、脳の仕組みから推測されております。
少し長いですが、引用します。
私はこの箇所を読んで「奴隷の幸せ」をやめる決意をした記憶があります。
「奴隷の幸せ」が夜寝ている間には通用しないのと同じことが、死の直前に訪れる「強烈な睡眠」時にも当てはまります。
死の直前の強烈な睡眠では、すべての社会的洗脳は解けるでしょう。どんな深い催眠よりも死の眠りは深いからです。
よく「死を間近にすると、さまざまな思い出が走馬灯のように浮かぶ」なんて言われますよね?
あれは、短い間に脳が超並列的に動いて、すべての記憶が怒濤の如く一気にあふれだしてくるからです。
ただし、「短い間」といっても、看取る側の人間にとって短く感じられるだけのこと。死んでいく本人にとっては、とてつもなく長い体感的時間です。
というより、脳が壊れて、時間の概念が崩れていくので、内省的には死の時間は永遠に訪れないも同然なのだと考えられます。
たとえるならそれは、永遠に軸につかない接線のようのもの。すぐそこにある死のホライズンになかなか 辿り着けないわけです。
臨死体験をした人の中には、一生分の長い長い後悔をしてこの世に戻ってくる人もいます。
となれば、「奴隷の人生」を生きた人は、死を前にした強烈な睡眠状態にあって、永遠に後悔し続けることになります。
よしんば、あの世という死の向こう側の世界があったとしても、そこで永遠に苦しむのですから、死の時間が訪れようと訪れまいと同じこと。
社会的催眠をといて自由に生きなければ後悔は免れず思い切り怖い思いをしながら、果てしない時間宇宙のなかを漂うしかないのです。
その点、「奴隷の幸せ」ではない「本当の幸せ」を願って生きた人は、安らかな気持ちで死を迎えることができます。
本当に自分が望む通りに生きた人生は、何回なぞり直したって楽しいではありませんか。まさに極楽です。
(苫米地英人著 ドクター苫米地の新・福音書 より 引用者太字)
奴隷の人生を歩むと、死の瞬間に永遠に後悔し続けるということです。
しかも、死ぬのだから、二度とやり直せないのです。どんな地獄でしょう。仏教のいう無間地獄(むげんじごく)でしょうか。
文学的な話ではなくロジカルに推測される仮説として提示されています。
私は
「幸せかと思っていたけど奴隷の幸せだった!?」という衝撃と
「だらだら人生ゴールイン(死亡)しても死ぬ時にもはや取り戻せない後悔をし続ける!?」という衝撃の
ダブルショックに心臓を握られるような緊迫感を覚え、冷水をぶっかけられた時に正気に戻る感覚になりました。
「自分やばい! 今の生き方やめよ!」と考えが変わり、
「本当の幸せを生きて晴れやかに起きたい」と模索が始まりました。
スピリチュアルの浅瀬を右往左往したり、
(水が合わず深く潜ることにはなりませんでした)
コーチング理論を学んだり、
(コーチングを受けられる状態に自分を持っていく必要があることに気付き、というか、指摘してもらいました)
いつのまにか気功にたどり着いていたのですが、
結論から言えば、気功は本当に反則技で、
「悪霊」状態になっていた私でさえ、厚い皮を少しずつ剥がしていくように変わっていきました。
恐る恐る気功を実践し、
身体を緩め(身体が固まっていることに気づいてなかったし、緩むことの気持ちよさも知らず)、
身体の使い方や姿勢を知り(身体の内側の骨なんて気にしたこともなかったです)、
IQが上がって読解ができるようになっていき(苫米地本が一度目の読書と全く違う濃さで立ち上がってくる)、
ヒーラーによる遠隔ヒーリングへの参加、LINEやメールでのやりとり、
セーラーとのセッション、
イベント・セミナーへの参加を通してのショックと脱洗脳ごとに、
朝の寝起きのどんよりとしたものは減っていきました。
そして、最近、
バランスホイールのある領域でずっと過去の失敗からベタッとした情報が張り付いていたところが、
視点の変更で整理され直し、反転してwant toになって楽しみでしかない事象へ切り替わるということもあり、
かなりの大物が外れたようです。
一気に寝起きの『晴れやかさ』が上がりました!
「今日も一日が始まった」
「何があったかな」
これらの脳内発生の言葉の中に含まれている「引っかかり」「重さ」が消えていました。
前日までと同じ言葉でもニュアンスが決定的に変化していました。
ワクワクが増加し、内から溢れる。
ワクワクの澄んだエネルギーが存在の底を流れている。
全方位ワクワクになる予感しかしない!
という状態です。
(ちなみにクンダリーニの詰まりもスコーン!と抜けました。)
この状態に至るまでに
さわやか爽快マックスになるための副腎の回復、『アドレナル・パーフェクト』であったり、
いろいろな要因がありますので、
これをやれば『晴れやか』になるよと言えないものではありますが、
晴れやかさの素晴らしさに、一つの区切りがついたように感じます。
寝起きの身体と心の状態で「自分の人生を生きられているか」=人生の純度を定点観測してきた日々で、一つの目標を達成したような心持ちです。
ここまで来たか!という感慨があります。
もちろん終わりではなく、
更に人生の純度が上がったら晴れやかさの意味が変わったりするのかもしれませんが、
どんよりが当たり前の日々からはサヨウナラになりました。
閑話休題。
何を話したかったか、ですが。
寝起きの身体と心の状態が、「自分の人生を生きられているか」=人生の純度を定点観測する上でとても良かったですよ、ということ。
と、
朝から晴れやかであることの素晴らしさです。
思考に陰りがなく、未来に陰りがなく、
ワクワク、が自分の存在の底から湧いてくるんです。
ということで、
どんよりがあって「自分の中にも奴隷の人生成分があるかも!?」
という方は、
気功というチート技でどんどん変わっていきましょう。
言葉で説明されても何も変わらない、なんてことは起こりがちですが、
気功は言葉の寒々しさを吹き飛ばして書き換えます。
以下は過去、私が気功によって大きく変わった瞬間です。
自愛を受け入れた瞬間です。
自分を否定しないで、完璧ではない自分も受け入れましょう、とか
愛されていることに気付くことが大切です、とか
そんなことを、何度も言葉で説かれてきて、自分でもそれは確かに大切だと受け入れて、実践しようと努力もしてきたけど、なかなかできなかった。
1000回愛してると言われても、拒否してきた。
それが、
「愛(LOVE)」の伝授を受け、「愛(LOVE)」を使ってみて、愛に満たされてみたら、1回で入ってしまった、受け入れてしまった。
1000回だめだったことが、1回で変わってしまうことって、あるんです。
便利で効果のある気功技術はいろいろとありますので、使っていきましょう。
余分な情報を外す『浄化』
純度を上げる『shrink』
酷使されがちな副腎を労る『アドレナルパーフェクト』(や『内臓気功』も)
脱抑制のための『花見酒』
周囲の目線をシャットアウトする仕様の『SP結界』
非気功ではコールドシャワーやアイスバスも、自分を刀のように研ぎ澄まさせていくのでおすすめです。
物語(mythos)としてはまといのばでよく紹介される『5分後の世界』(amazonリンク)も「心の贅肉が取れていく感覚」が得られると思います。
たくさんヒーリングを受け、T理論を学び、ワークも一緒にやって、
他者のモノサシや常識など社会的洗脳を捨て、
自分という入れ物の内容物を変えていきましょう。
まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。マルコ2章22節
知識がスコトーマになるという例と理由についてです。
単純に言えば、知識というのはアルゴリズムです。関数であり、ファンクションです。Fxなのです。
知識というのは、ある数値を入れれば、ある出力を吐き出すブラックボックスなのです。
アルゴリズムであるということは、邪魔するプログラミングにもなりえます。
このブログで繰り返し出す例で言えば、3から5は引いいてはいけませんという小学校の算数の規則は中学生以降には邪魔になります。この規則はアルゴリズムであり、このアルゴリズムは邪魔をします。
すなわちアルゴリズムは抽象度が上がれば、同時に更新しなくてはいけません。
新しい酒は新しい革袋に盛れです。アルゴリズムはいつも更新する必要があります。知識も更新する必要があります。傍から見て同じアルゴリズムに見えても、その中身が大きく変わる必要があります。たとえば、日の出という言葉がそうです。幼児の無邪気な直観では天動説でしょう。しかし、幼稚園に入園するころには、天動説がいかに優れた説明であり、すべての現象を説明することが可能ながら、なぜ地動説へ移行すべきかを納得する必要があります。
(まといのばブログより)
一人ではできない事も出てくると思うので、
その時は一緒にやりましょう。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
駆け上がっていくので、共に駆け上がりましょう!😆
Hare
(日本の龍脈、富士山)
参考書籍
余談
奴隷の人生を歩むと、死の瞬間に永遠に後悔し続けるということです。
しかも、死ぬのだから、二度とやり直せないのです。
奴隷の人生を歩むと、死というのは逃げ道・逃避先にもならないということですね。
この世に絶望して、
「もうこれ以上繰り返される絶望を味わいたくない」とか
「あの世に望みを託す」と
死んでいった人たちを更に待ち受けた苦しみは。
ああ「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって雲つかんで
風になって遥か遠くへ
希望を抱いて飛んだ
生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きていきていたんだよな
あいみょん 『生きていたんだよな』 より引用
生者であるうちは足掻き続けたいと思います。
生命現象とは多次元世界の住人が、ある側面から見れば、物理的現実世界という奇妙な情報空間を通りすぎる、つかの間の現象です
Ref:フラットランド(2次元世界)からの手紙 〜万有引力とは ひき合う孤独の力である〜 鬼神の実在性
一念三千
(Ref:彼らは楽しんでいるわけではなく、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。(スマナサーラ))
メメント・モリ
(Ref:スティルポーンの妻子は殺された。どんなものを失ったかと問われたスティルポーンはこう答えた)
癒着した胸の空洞から 忘れがちな死者の声が聞こえてくる ――私達は死を賭した お前は何を賭しているのか?
(Ref:われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した〜私達は死を賭した お前は何を)
公式ラインへのお誘い
ブログ開設の紹介
Arkのオフ会『プリマヴェーラ』で私に『舌骨ラピュタ』の施術をしていただいた『Kieさん』がブログを開設されました。
その時の様子は以下です。
交流会では、今話題の『舌骨ラピュタ』をお互いにかけあっているグループが幾つもあり、
僕は8月に開催されたヒーリング合宿組のKieさんにしていただけました。
周囲で見ている方たちも気功師で変化に敏感で声をかけてくださるので、
フィードバックがすごく取りやすいですし、
変化を言葉で書き込んでくれるため、自分でやるよりも変化が強かったです!![]()
Kieさんのブログはこちらです!
とても明るく楽しく活動的な方で、既に気功使ったヒーリングもされているとのことで、楽しみです!!
是非フォローしてください!
ランキング御礼
昨日の記事が9位。ありがとうございます!
読んでいただいている皆様のおかげです🙇













