こんにちは、

本日は、『寂しさ』について書きます。

 

自分の寂しさについての謎解き(「なるほど!そういうことだったのか!!」)がされました。

 

私自身が過去、強く寂しさを感じていました。

また、寂しさに人生の前半を振り回されていました。

 

しかし、T理論に出会い、気功に出会い、

私の内側が変化するとともに、状況も変化をしていくことになりました。

 

過去の寂しさによって結んでしまっていた繋がりを外していき(悪縁切り)、

生まれた空白を放っていたらホメオスタシスが慣れ親しんだ悪いもので埋めてしまうため、

先にT理論・気功の世界で活躍されている方たちのコミュニティや、ゴールsを先に達成している先人に対して、ホメオスタシスのフィードバックループを繋いでいきました。

 

このゴールを生きる視点での縁の外し・結ぶの繰り返しによって、

孤独や寂しさは過去と比較するとほとんどないに等しいものになってきています。

 

「寂しさを解消するために何かをする」ということはなくなり、

「大きな情報場の移動や世界線の移動、転生時に少し哀愁から寂しさを覚える」になってきています。

 

すべての変化は寂しさをともなう。私たちが捨ててゆくものは私たちの一部なのだ(アナトール・フランス)

 

 

そのような状況の中、『寂しさ』『孤独』について意識に上ったのは、

まといのばの開業セミナーでした。

(cf.開業セミナーはアーカイブ受講も可能!明日はバレエ部、ダンス部開催!週末はシン・ヒーラー養成!! (2025年10月19日))

 

 

『営業は脱洗脳』であり、「(クライアントの)Happyな未来を売る」ということの土台の議論として、

現代の状況を俯瞰した『都市化』について社会学的なレクチャーがありました。

まずその議論から共有します。

 

都市化とは、

都市への人口集中または都市の文化、習慣が周辺や農村に広がること(wikipediaより)

です。

 

歴史としては18世紀のイギリスで産業革命によって農村での手工業から機械化された工場へ移行し、

工場の労働力を供給するために都市化がはじまりました。

 

農村から都市に出てくることになったので、人々はそれまでの「地縁・血縁」の共同体から切り離され、ばらばらの個人になってしまいました。

 

これは脳機能の面から、厄介な事態を引き起こします。

 

まず、我々の脳は、50人までしか一人ひとりを個人として認識できないそうです。

狩猟採集時代に遺伝的に50人に最適化し、その後は生物学的なスケールでは脳が進化していません

以下、まといのばから引用します。

そしてAKB48と「孤独な群衆」について!(マスタークラス2025年10月第2回のテーマでした)

 

それに対して「50」というのは親族などをふくむ大家族の人数で、狩猟採集時代のヒトの群れの上限に相当します。人類の歴史の98パーセントを占める旧石器時代には、ヒトは30~50人の群れをつくって、果物を採集したり小動物を狩ったりしながら移動生活をつづけていました。私たちの脳はこの時代に合わせて遺伝的に最適化されており、「50」というのは、集団のなかの一人ひとりを個人として認識できる限界なのです。

(略)
AKBは「58」や「68」であってはならず、「48」には進化論的な理由があったのです。

 

農業に移行しても村落共同体では50人のいつものメンバー(いつメン)で生活には十分であり、

また、一度知り合ったらずっと付き合う前提でした。

(ほぼ親戚なので、それはそうですよね。)

 

それに比べて、都市は脳からしたらどういう環境なのでしょうか。

 

出会っては去っていく人々。

同じマンションの人とも切り離され、コンビニやレストランで出会うスタッフとも没交渉。

すれ違う人々に目をくれることもない。

コミュニティや趣味の輪にしても、入れ替わりは早く、そもそも長くあることが前提とされていないことが多いと思います。

デフォルトのマインドセットとしても「人が入れ替わり続けるのが当たり前」「過ぎては去っていくもの」になっているように感じます。

 

『行きずり』

『一期一会

になっています。

 

しかし、脳の感覚としてはいまだに「人と出会ったらずっと付き合う」ままであり、

少し関わって別れることは、辛いことになります。

 

私達都市に慣れた人間は、「行きずりなのは当たり前で特筆することではない」だと意識して思っていても、

潜在意識では「出会いと別れ」を感じているということです。

 

辛くないのではなく、脳が疲れ、麻痺させることによって辛さを感じていないふりをしているということです。

別れの辛さから、抑圧し、挨拶もしなくなっていっているということです。

 

そして、SNSも使い方によっては、脳にとっての出会いと別れのサイクルを高速で回して麻痺させ、

心を貧しくすることを助長しているとのことです。

 

 

でも、

麻痺していていて、自分が寒々しく感じていることさえわからなくなっているけど、

『寂しい』のです。

そうなると、寂しさを解消するには、『共同体』に入ることになります。

 

ここで、人々の眼の前に現れてくる共同体があります。

それが、宗教、会社、マルチ、カルトなどです。

 

どの共同体がいいのかはその人のゴール次第ですが、

人間として生きていくために共同体が必要なのであれば、

自分のゴールを叶えるための共同体、群れに所属するべきでしょう。

 

 

だから営業とは共同体へのinvitationであると繋がっていくのですが、

私達は、都市で分断され、個人主義にも汚染されており、共同体こそが自分を形作っていることを忘れがちです。

 

 

アリストテレスの政治学より、「共同体から切り離された個人は神か獣」であり、

都市化で切り離された私達は『人でなし』であり、個人主義の洗脳も入っています。

自分だけでできるのではないか、と傲慢さが出てきます。

 

自己啓発というのは最悪な社会的洗脳かもと思っています、最近。個人主義というイデオロギーが僕らを分断しておかしくしたのではないかと盲信しています。

 

僕らはアリストテレス(の政治学)に戻って、共同体を人類の最小単位と考えるべきかもしれません。

 

 かくて国家が自然にもとづくものであって、われわれ各人よりも先にあるのだということは明らかだ。(略)これに反して、共同体に入りこめない者、あるいは自足していて他に何も求めることのない者がもしあるとしたら、それは国家社会のいかなる部分ともならないわけであって、したがって野獣か神かであるということになる。(アリストテレス「政治学」第一巻)

 

国家が「各人より先にある」ことが「明らか」かは分かりませんが(双方向的かと思いますが)、ただ、共同体に入り込めない者、あるいは自足していて他に何も求めることのない者が、野獣か神か(すなわち人間ではない)という感覚はよく分かります(ここで「感覚」などと言ったら、アリストテレスからグーで殴られそう)。

何が言いたいかと言えば、僕らは集団で動くということです。

そしてお互いがお互いのために動く(自己犠牲ではなく、拡張された自己認識です)ことで、お互いにもっと豊かになり、一人ではできなかった奇跡が起こせるようになるのです。

 

(まといのばより)

 

 

『自分は都市で洗脳を受けているので【人でなし】である』

からスタートすることがとても大事に感じました。

 

社会的な洗脳なので仕方ないということで、自分が心が擦り切れて感謝もできなくなってしまっていると認めると、

自分のことが俯瞰できて、抜け出せ、ゴールへ加速していくと思うからです。

 

 

そして、

共同体によって脱洗脳され、

一生付き合うマインドセットで共同体を作り、

機械的であることによって逆に人間性を取り戻し、

麻痺していかないように心を守る。

 

 

そのためのアパテイア。

 

 

パトスを乗り越えているのがアパテイアであり、麻痺による無気力とは別とのことでした。

引用します。

でも、我々はこれに似たアパテイア(apatheia)というのを至上の原則としています(←大げさか)。ストア派ですね。

 

たとえば、Nihil Perditi(ニヒル・ペルディーテ:何も失っていません)などもアパテイアの極地です。

 

(省略)

 

国王であったのに、国を滅ぼされ、妻子を殺されたスティルポーンに、「あなたはどんなものを失ったのですか?」と残酷な質問がなされます。

 

それに対して、スティルポーンはこう答えます。

 

何も失ってはいません。

 

私のものはすべて私の中にあります。

 

と。
 

(省略)

 

 

アパテイア[1]またはアパテイアー[2](古希: ἀπάθεια apatheia)は、ギリシア哲学の概念。「感情(パトス)がない状態」を指す[3]。無情念[4][5]、不動心[6][7][5]などとも翻訳される。特にストア派において理想的な境地とされた。

(略)


ストア派によれば、不幸の源は、怒りや悲しみといった感情(パトス)である[1][8]。ストア派の賢者は、こうした感情にまどわされず、理性(ロゴス)に従って生きるとされる[5][1][8]。アパテイアは「精神の城塞」をもつこととも表現される[7]。

諦めとは本来は明らかに見ることです。

無気力とは麻痺であり、アパテイアは積極的な意思の結果なのです。

両極はいつも似て見えるのです。月とスッポンであってもどちらも丸く見えるのです。

 

(まといのば)

 

 

開業セミナーの前段部分のアウトプットで長くなってしまったため、

寂しさの謎解きについては、また別の記事にします。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

Hare

 

 

  追記:森野さんのyoutube配信

 

 

寂しさについて、森野さんがYoutubeでご自身の体験を交えて語られていました。

引用します。

 

本家主宰のレクチャーをそのように消化することで、先述の通り幼少期に抱えていた孤独や寂しさの正体が詳らかにされて、そしてまた別の本家主宰のお言葉で、身体が一挙に楽になりました。

 

個人的な話をすると、僕は生まれは岐阜なのですが、生まれてすぐに父親の仕事の都合で埼玉県の朝霞というところに住んでいました。自衛隊の基地があるところですね。

 

そこで5歳まで過ごし、幼稚園に通い、お友達や彼らの親たちといった「AKB48」的な村落共同体に囲まれて暮らしていました。

 

ただそれもまた父親の仕事の都合で岐阜に戻ることになり、ずっと続くと思っていたその共同体から引き剥がされることになりました。その頃からうっすらと孤独や寂しさを抱え始めたのを覚えています。

 

そしてそれが歳を重ねる毎に強くなっていったことも。

 

その孤独の正体が本家主宰からのレクチャーを通じて理解され、解放されることができました。もちろん当時の共同体の仲間たちが戻ってくるなどのことがあるわけではないのですが、理由がわかり、そうでしかあり得なかったことを理解することができました。

(TMダイエットより)

 

 

 

 

公式ラインへのお誘い

 

対話の場として、感想やフィードバック、質問などいただけると嬉しいです。

(ヒーラーに連絡や相談しておくと後になってその縁をきっかけに解決した、なんてことが私自身多くあります)

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 初ランクイン&7位への祝福の言葉、ありがとうございました!

 

記事へのコメント、

公式ライン、個人ラインで祝福の言葉をいただき、ありがとうございます!

 

「これから当たり前に入るようになりますよ😎」という予言の言葉も嬉しいです!

 

 

いくこさんにはご自身のブログの中で祝福と紹介いただきました!

そして、hare-fieldさんが初ランクインで7位に!!!

おめでとうございます!!!

 

そして7位御礼の記事も素晴らしいです。

 

 

 

話を戻します。

華やかな光の面と同時にダークサイドがあり、

「現状の外の世界のルール、情報空間のルールがあることを踏まえた上でどのようなマインドセットを持つべきか

に関しては

『中庸』

とのことでした。

 

悪いように見えても、陽がある。

良いものと悪いものは同時に訪れたりするもの。

 

中庸』になるには、の続きのお話を昨日一真さんより伺ったばかり!

プレイヤーとして、今日は更に加速していきます!!!

 

またこちらでも発表させていただきます❤️

(いくこさんブログより)

 

 

 

孤独を癒やすヒーリング音源

夏前に行われたヒーリングフェスの主催者の斎藤順さんのYoutube「アルケミストの音楽室」で

孤独感、インナーチャイルドを癒すヒーリング音源が公開されてます。

 

落ち着いてきます!

 

 

自分でセルフヒーリングできないまたはする気が起きない時に、

苫米地博士の機能音源であったり、Shunさんが出しているヒーリング音源を活用させてもらっています!