また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

*明日はプッチーニのオペラTOSCAの全幕バレエ化世界初演!Iwaki Ballet Company創立10周年記念公演です!!

 

最近のセッションでメンバーのK君から、「スノーボールと言うとあの雪玉を転がす画像が思い浮かぶ」と言われて、内心とても喜んでいます(実は喜びの沸点が低いです。幸せに生きるコツです。一方で怒りの沸点は上げるように言われています)。

 

映像をトリガーにするのは、本当に良いです。

言葉の情報量はあまりに少ないのですが、画像の情報量は大きいです。

情報量だけではなく、抽象度でも同様です。

 

 

この写真を見ると、スノーボールで言うべきことが全て含まれています(←言い過ぎ)。

 

K君の言いたいことは何かと言えば、ルー・タイスは自己啓発ではなく、チームプレイであり、リーダシップだということです(ちょっと違うか)。

スノーボールはウォーレン・バフェットとその取り巻きが提唱している概念です。ブログ読者の皆様にはお馴染みでしょう(あとで過去記事のリンクを貼っておきます)。

 

で、シンプルに言えば、雪玉は複数名で転がすということです。

ひとりでわびしく転がすのではなく、複数名で転がすのです。

 

この複数名のことをチームと呼んだり、共同体と呼んだり、ギルドと呼んだりします。

実態は複数の人間の寄せ集めで、同じ雪玉を大きく転がしていくのです。

一人ではできないことも、チームでは可能です。

 

単細胞生物には無理でも、多細胞生物には可能なことはたくさんあります。

 

共同体というのは、1つのリヴァイアサンであり、人間の集合体です。

(リヴァイアサンはホッブズの主著。その表紙は悪魔である地上の神のリヴァイアサンの身体が、人間でできているというもの)

 

 

雪玉を転がすのも、本来は一人ではなく、集団で転がします。

自己啓発というのは最悪な社会的洗脳かもと思っています、最近。個人主義というイデオロギーが僕らを分断しておかしくしたのではないかと盲信しています。

 

僕らはアリストテレス(の政治学)に戻って、共同体を人類の最小単位と考えるべきかもしれません。

 

 かくて国家が自然にもとづくものであって、われわれ各人よりも先にあるのだということは明らかだ。(略)これに反して、共同体に入りこめない者、あるいは自足していて他に何も求めることのない者がもしあるとしたら、それは国家社会のいかなる部分ともならないわけであって、したがって野獣か神かであるということになる。(アリストテレス「政治学」第一巻)

 

国家が「各人より先にある」ことが「明らか」かは分かりませんが(双方向的かと思いますが)、ただ、共同体に入り込めない者、あるいは自足していて他に何も求めることのない者が、野獣か神か(すなわち人間ではない)という感覚はよく分かります(ここで「感覚」などと言ったら、アリストテレスからグーで殴られそう)。

何が言いたいかと言えば、僕らは集団で動くということです。

そしてお互いがお互いのために動く(自己犠牲ではなく、拡張された自己認識です)ことで、お互いにもっと豊かになり、一人ではできなかった奇跡が起こせるようになるのです。

 

逆に個人手技や間違った社会的洗脳が前提となると、周りを蹴落として上に這い上がろうとしてしまいます。蜘蛛の糸を手にしたカンダタのようなものです。

傲慢(ヒュブリス)となり、地獄から天国へ登るための糸が切れるのです。

 

*ヒカルさんの言葉をRaySalonセラピストでもあるシュン君が紹介していました。
他人を落としても自分のステージは上がらない。

でも誰かのステージを上げると自分も上がる。

*蛇足ながら、、、「まといのば」ではこれを天国と地獄は同じ中華レストランという話で、描写しています。

c.f.アルゴリズムをシンプルにしすぎることの弊害〜行こう牢獄へ。 我々2人で籠の鳥のように歌を歌おう 2013年07月18日

 

 

で、話を戻して、、、繰り返しとなりますが、、、

 

何が言いたいかと言えば、僕らは集団で動くということです。過激に言えば、個人なぞ存在しません。

 

そしてお互いがお互いのために動く(自己犠牲ではなく、拡張された自己認識です)ことで、お互いにもっと豊かになり、一人ではできなかった奇跡が起こせるようになるのです。

 

ですので、イエス様が「君の名は?」と問うたときに、僕らは「レギオンです」と答えましょう(まじで?w)。

 

 

また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。マタイ5:9

 

レギオンとはそもそもローマの軍団のこと。ローマから迫害されていたので、悪魔の名前をローマの軍団にしました(そして庇を貸して母屋を取られたローマは、キリスト教をローマの国教にしあます)。

 

マホメットを近親憎悪するあまりにバフォメットという悪魔を創ってしまうのにも似ています(というか、ベルゼブブなどもそうですが、有名な悪魔は他宗教の神様です。いと高き王=バアル・ゼブルを、蝿の王=ベルゼブブと変えたのです)。

ちなみにルシファー(光をもたらすもの、明けの明星)は大天使の名前です。でも、堕ちてサタンとなります。

 

 

 

話を戻すと、僕らはレギオンで良いのです。

 

言い換えれば、ギルドです。集団で動く工房なのです。
 

ただしスター集団としての工房(ギルド)を考えています。一人一人がしっかりとコミュニティーを持っていて、アルファー(リーダー)として機能を果たしつつ、そのスター集団が集まるギルドがあって、そこで共進化するというイメージです。

(かつての東京バレエ団のイメージです。次々とスターを輩出しながらも、一人のスターに依存しないシステムです)(Kバレエや松山バレエ団と比較してみてください)

 

僕らのスノーボールは超情報空間から見たら金平糖のようになっているのかもしれません。すなわち様々な方向に才能が尖って出ているのかもしれません。その才能の1つ1つにスターが対応しているイメージです。

 

 

スター集団ながら、ギルドであり、1つの意志をもったリヴァイアサンのように情報空間を歩きます。

 

スノーボールを転がすときも、お互いの縁起を持ち寄ってネバネバと関係性を構築していく感じです。

 

たとえば、お互いがお互いをリスペクトして、お互いがお互いを相互承認(相互宣伝)しあえば、そのネバネバは強力なスノーボールの礎となります。

 

金平糖のように棘はバラバラの方向を向きます。才能もコミュニティーの性格も異なるものになります。何が言いたいかと言えば「かぶらない」ということです。才能もキャラもかぶらないのです。
そして、まだまだ空席が目立ちます。
あなたのご搭乗をお待ちしております!!
自身の才能を深く確信するのであれば、是非「まといのば」共栄圏に飛び込んできてください!!(とりあえず審査会は来月早々です)。