開運や金運ということを真剣に考えるならば、ストア派の理想に行き着くのではないかと思います。
ストア派?
そう、哲学ですね。
Wikipediaの冒頭の定義を貼り付けておきます
ストア派(希: Στωικισμός)はヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた
シンプルに言えば、ストイックの語源になった言葉がストア派ですね。
*ストイックに!
*ヨガスクールは7月開校です!!
その中でもセネカはストア派の偉大な教師であり、それ以上に実践者でした。
セネカと言えば『人生の短さについて』などでお馴染みかと思います。
セネカは第五代皇帝ネロの(あのネロの)幼少期の家庭教師としても知られており、そしてその弟子から死を賜った人としても有名です。
ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない(タキトゥス「年代記」15.62)
昨日開講した「開運と金運の科学」では冒頭にこのセネカを紹介しました。
(いや、より正確にはブラック・スワンのナシーム・ニコラス・タレブの『強さと脆さ』より引用しました)
セネカは『書簡集第Ⅳ書』でこんな話を書いている。スティルポーンの国が、攻城王と呼ばれたデーメートリオスに占領された。スティルポーンの妻子は殺された。どんなものを失ったかと問われたスティルポーンはこう答えた。Nihil Perditi 何も失ってはいません。Omnia mea mecum sunt! 私のものはすべて私の中にあります。
国王であったのに、国を滅ぼされ、妻子を殺されたスティルポーンに、「あなたはどんなものを失ったのですか?」と残酷な質問がなされます。
それに対して、スティルポーンはこう答えます。
何も失ってはいません。
私のものはすべて私の中にあります。
と。
ストア派の用語で言えば、アパティアです。
(ἀπάθεια/apatheiaとは、pathos(情動)の否定です。まさにストイックw)
これを言い換えて、タレブいわく「彼は奪われるかもしれないものは自分のものだとは考えない」と言います。
奪われるかもしれないもの、失うかもしれないものは自分のものでは無いのです。
*心が動くと、身体も動きます。
*逆に身体が動くと、心が動きます。
これは旧約聖書のヨブ記のヨブの高い精神性を思わせます。
ヨブ期は神々のいたずら(ギャンプル)によって、ヨブが出走馬にされたというかなり極悪非道なお話です。
ヨブは神様とサタンの賭けの道具にされたのです。
恵まれていなくても、義であり続けられるか?
不条理な困難の中でも、神を信じられるのかという賭けです。
そして、そのヨブがすべてを奪われたときに、義人としてこう言い放ちます。
わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな(ヨブ記1:21)
ここまで深い覚悟があれば、ヨブもまたストア派の悟りに達していたと言って良いかもしれません(いやいや、そんなことを言われたらヨブがびっくりするでしょうが)
人間を出走馬にして賭け事をするということで思い出すのが漫画の「カイジ」です。
(いや、競輪や競艇も人間に対して賭けるのですが)
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そのカイジの実写版の中でも、このシーンは最高です
*「世間はお前らのお母さんではない」( ー`дー´)キリッ
傲慢(ヒュブリス)も厄介ですが、甘えも厄介ですね。
でも社会は大きな枠組みでは自然なので、そこでは淘汰が働きます(確率論的ですが)。
ですので利根川のようにわざわざ教えてあげることはありません。
まあ、それはともかくとして、、、、
ヨブやスティルポーンの諦観なり、アパティアに達していれば、開運や金運は思うままというのが今回のまといのば講座の趣旨でした!(いや、アパティアを開運や金運に使うとか、ありえないと哲学プロパーの人に言われそうですが、哲学を人生に活用するのがティールたちの生き方です)。
そしてセネカ自身も富や財産に不動産に価値を一切見出していませんでしたが、一方で当時最も裕福な人の一人でもありました。
そして、人妻をたらしこんでいたそうでw
*ネロの家庭教師であり、そのネロに殺されたセネカ
とは言え、タレブいわく「お金持ちで権力者で尊敬されているときに理性的でいるのは、貧しくて惨めで寂しいときに理性的でいるより難しい」のです。
(マルクスもこのことを知っていたら、援助をもっと喜んで受けて、子どもたちを死なせずに済み、自分も若くして資本論を一巻しか書かないで死なないで済んだように思います)(いやいや、知っていて、なお貧困の中を選んだかもしれませ
ん。不摂生と不養生によって、彼は病弱で、お尻におできもでき、座って執筆ができないほどだったそうです。その痛みが彼の憎悪をまたかきたてます)。
清貧に甘んじる必要は無いのです。
ただ、「主が与え、主が取られたのだ。」とヨブが言うときに、そこには創世記の「あなたは、ちりだから、ちりに帰る (創世記3:19)」を思い出します。アダムとは土という意味でした。土塊であり、我々はそもそもちりなのです。
ですので、奪われるかもしれないもの、失うかもしれないものは自分のものでは無いと言ったときに、それは自分自身の生命も含まれます。
セネカは日々、すべてを失う覚悟をしており、そこには自らの命も含まれます。実際にネロの命令で自死します。
ジョブズも「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と毎朝、鏡の自分に問いかけたと言います。いやいや、そもそも西洋にはメメント・モリ(死を忘れるな)と言われてきています。哲学は死の練習とも。
我々が日々新鮮な気持ちで新しいことに挑戦し、新しいことに目を見開き、そして挑戦を恐れず、冒険を楽しめるならば、開運、金運などと言わずに強運な人生が開けるのです。
我々は圧倒的に恵まれた環境に生まれ落ち(そして貴族が豪奢な暮らしに対して不満と退屈をかこつように)、我々もすべてを捨てる勇気、もしくは自分の手からこぼれ落ちるもの(命も含めて)は所有していないのだと思えれば、運が開けていきます!!
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