こんにちは、Hareです。

 

 

好きな楽曲を好きなアーティストがカバーしてくれると、どうしようもないくらい舞い上がっちゃいます。

たくさんの縁起がある中で、奇跡!って思えます。

そういう興奮が昨夜から今朝まで冷めやまず、でした照れ

 

現代のアーティスト同士のコラボも楽しいですが、

作曲家と演奏家の出会いも、時代を超えてすごいですよね。100年以上隔たっているわけで。

 

書くことがテレパシーを想起しました。

 

 

時空を超えて、メッセージやイメージを共有できて、話すために唇を使うこともないのに、テレパシーが実演できるのが、Writingということだ、とスティーブン・キングが言います。

 

これは我が意を得たりという感じです。

 

実際にこれを書いているときと時間と空間が隔たれたところで、あなたは受信します。

時間的にはおそらく後で(前だったらびっくり)、空間的には地球1個分を最大値とした距離程度の隔たりの中で、リアルに触れ合うことができるのです。

 

(まといのば)

 

テレパシーつながりで言えば、KhronosのHiroさんのブログで紹介されていた『クリストファー・ボグラー』の著作『ライターズジャーニー』の中で、作家(ライター)を励ます文脈で、テレパシーについての記述がありました。

 

 

書くことは魔法だ。書くという行為の最も単純なものにも超自然的な力があり、それはほとんどテレパシーのようなものだ。考えてみてほしい――一定の決まりに沿った抽象的なマークを紙切れに書いておくだけで、何千年も先のまるで別の世界の誰かに、われわれの複雑な考えを伝えることができるのだ。時空の境目や、ひょっとすると死の境界さえ超越してしまうのだ。

 

 文字とは単なる伝達や記録、歴史の回顧のためだけにあるものではない、と考える文化はたくさんある。文字とは強力な魔法の宿るシンボルであり、文字によって呪文を投げかけたり、将来を予測したりすることもできると信じられている。北欧のルーン文字やヘブライ語のアルファベットは、言葉を綴るための単純な文字であり、同時に宇宙の深い意義を象徴するものでもある。

 

 こうした魔法的な感覚は、言葉を作るために文字を操作する行為を表すものとして子どもたちが教わる単語、すなわち「スペリング」という言葉の中にも名残がある。われわれは、言葉を正しく「綴る(スペル)」ために「呪文(スペル)」を唱え、この抽象的な任意のシンボルに意味と力を与えている。「棒や石で人の骨を居ることはできるかもしれないが、言葉では痛みを与えられない」などと言われることもあるが、これは明らかなまちがいだ。言葉には傷つける力も癒やす力もある。手紙、電文、電話の単純な言葉でも、ハンマーの一撃のような痛手を負わせることができる。それはただの言葉――紙に書かれたマークや空気の振動による音声――かもしれないが、「有罪である」「構え、狙え、撃て!」「誓います」「あなたの脚本を買い取ります」といった言葉は、人を拘束したり、判決を下したり、喜びを与えたりできる。その魔力で、人々を傷つけることも癒やすこともできるのだ。

 

 癒やしの力は、言葉の持つ最大の魔力的側面だ。古代文化のシャーマンや祈祷師のように、ライターも癒やし手となれる可能性を持っている。

(作家の旅 ライターズ・ジャーニーより)

※25周年で新しく出たほうです。元の『神話の法則』は、アマゾンではプレミアム価格で10000円ほどしましたが、この新版は3000円弱で買えます!

※ 新版ではチャクラについて述べていたりして面白いです。

ライター(書き手)であり、癒やし手(ヒーラー)として、励まされます。

書くことは、現実を変容させるということ、それも時空を超えるということ、体の中心から力を湧き上がってきます。

 

 

以下のhiroさんの記事は、僕自身がヒーローであり旅をすることを自分に認めるきっかけ位になった記事で、これもおすすめです。

 

ぼくらは場の流れの中で、それぞれの物語を生きていて、その主人公であるという認識は大切なことです。

 

 

 

ということで、今日の本題に入ります。

 

 

 

隠宅風水と場の力による父親との関係性の奇跡的な変化(こちらの記事参照)の翌日、

朝からだるさがすごかったです。

身体から全く湧き上がるエネルギーがなく、

何を見ても聞いてもトキメキがなく、

これを作りたいあれを作りたいという創作意欲も消えており、少し焦りました。

 

 

部屋の壁に貼ってある『宝地図』(※ゴールに関連するものをペタペタはったものです。正式名称?はVision Board)を観ても、身体の内側の深い緩みとドーパミンが出るシュワッとした体感がなく、

 

「もしや自分が設定したGoalsは父親に認められる欲が形を変えているものしかなかった?」

「自分の人生のゴールがここだった?」

と思いが去来もしました。

自分に対して残念に思うような気持ちです。

 

 

※宝地図については、まといのばで「長くゴールを覗き込む(ゴールを自分の近くに置く)」文脈の記事で勧められていたのを読んで始めました。

以下本家まといのばブログの引用です。

 

と、終わっても良いのですが、いわゆる自己啓発界隈で20年前に流行った「宝地図」という手法は有効です。

いや、ビジュアリゼーションと言っても良いですが、まあとりあえず「宝地図」。

自分の理想を体現しているモデル、場所、建築物、身体、思想、偉人、などをどんどんグーグル画像検索で探し、気に入ったものをダウンロードして、コラージュすることです。

コルクボードか何かにどんどん貼っていっても良いでしょう。そしてそれを見る度に良い気分になることを自分に課すのです(←ここ重要)。

愛するとは受動態ではなく、能動態とか言いますが、これもそう。

ビジュアリゼーションは意図的にドーパミンを出すように自分を訓練するのが、裏のカラクリです。そうでないと悪い意味で慣れてしまいます。これが最初で最後のチャンスだと思い、徹底的に自分を追い込んで良い気分になりましょう。全てが叶い、幸せな自分。その空間には、苦楽を共にしたパートナーがいて、友人がいて、良きライバルがいて、ギルドの仲間がいて、皆の健康と成功があるはずです(だからこそ、バランスホイール。一人だけの成功は虚しいと早い段階で気付くのが大事)。

そして、それらは次々と叶い、そして次々と新しいゴールを呼び込んでくれます!

一緒にがんばりましょう!

 

(まといのばブログより)

(余談)

宝地図をはじめてから、一ヶ月ちょっとです。

 

ゴールs、バランスホイールへの接し方自体が大きく変わっていってます。

ゴールとの付き合い方を試行錯誤することができています。

常にそこに貼ってあるというのは、自分の無意識(システム1)に重要性を認識させることになりますし、

宝地図を作り、印刷をして場所を占拠させるという(微々たるですが)コストを払うことによって、「ゴールってなんだっけ」「ゴールがなにをもたらしてくれるのか」ということを真剣に考えるようになりました。

それも、頭の中だけではなく、身体全体で対峙しています。ゴールsを眺め、瞑想することによって、変化が出るのは身体や世界含めた現実全体であり、それは脳を含めた身体全身でキャッチする(フィードバック取る)ものだからです。

 

こんなこと言ったら「今更?」感ありますが、「ゴールを舐めていた」から「ゴールsがある生活」への移行です。

 

 

 

ここ一ヶ月ほど自分をブーストしていた、黒い炎のような暗い欲望からもエネルギーが引き出せなくなっていました。

(一ヶ月ほど前の記事)

 

 

ゴールや欲望があることは認識できても、透明な壁のようなものがあり、

ふわふわして現実感がない状態に陥りました。

 

 

父親との変化によって、

後ろから追われ続けれる強迫観念から解放され、

一時的に宙に浮いてしまったのかなと思いました。

 

(T理論と気功に出会う前)後ろから追われる圧力でここまで行けばもう大丈夫と思える安全地帯を探して走っている

(T理論と気功に出会ってから)後ろから追われつつ、嫌なことから逃げるだけではない未来が前にあると信じて走っている状態

NEW:(父親と変化後)後ろから追われるものがなくなり、それが不思議に思えて後ろをチラチラ見ている状態

 

Y先生による診察時に指摘を受けたのですが、

どんな悪いものでもいつのまにか心地よくなっているので、失われると寂しくなる、と。

 

 

 

成功していない人の集まりの場にいると、変化の寂しさについてはそもそも理解してもらえず、

成功していてもT理論を知らない場合だと「やる気・根性の問題」やその人個人の体験の中に帰結してしまうかもしれませんが、

 

成功し続けていてT理論を実践している場では、

抽象度が高い視点から整合性のある理論で、パターンを認識できます。

 

これって本当にすごいことです。

存在自体がアファメーションとなる人たちがいて、かつ理論もあり、他者を導いたりヒーリングすることができる、全部揃っている場です。

世界に何箇所そのような場があるかは知りませんが、同時に自分の今までアクセスできた範囲には存在しなかったので、この幸運を噛み締めます。

 

 

理論に関して、今回の以下のまといのばの記述が思い出されました。

 

毒が抜けると呆けたようになってしまい、魂が抜けて、何もやる気が出ない、、、、。

 

という状態にだんだんと入ってきている人が多いのは良く分かります。

 

(〜〜〜)

 

これまでであれば、怒りだったり、悔しさであったり、自分への過小評価であったり、自分への(自分からの)罵倒などを原動力にしていました。

その原因である「毒」が薄まっていき、解毒が進むと、自分を支えていた原動力が消えていきます。

 

解毒が大事なことは分かっていても、モチベーションの根源が消えるのはたまらないと思うでしょう。

 

でも、やはりゴールを達成して、自分の理想の世界を実現するためには、解毒は必要なのです。

毒由来の原動力で頑張るのは、ブレーキを踏みながら、アクセルを踏んでいるようなもので、その頑張りが10年、20年、30年続いたとしても、本来のパフォーマンスや生産性とは程遠いものになります。

 

あなたは「普通」にやることで、「普通」に成功し、「普通」に幸せになれるのです。

(今後は、成功や幸せをモチベーションにするこのブラックなやり方も漂白されていく気がします)

 

解毒をしつつ、普通に戻ることによって、ふわっと空中に浮いたような気分になり、がんばらなくても結果が出せることに気付けます。最初は騙されたような感じすらしますし、もっと自分を痛めつけて、頑張らねばと思うのですが、落ち着いて考えれば、「ああ、これは毒が回っている」と気付けます。

 

(まといのばブログより)

 

このような理論でパターンが入れてあるので、自分の過去の経験則といったものに頼らず、認識をすることができます。

認識がRゆらぎになり、自分の中で思考が回って変なところに落ちていくことが止まります。

 

 

そして、再び、のろのろとですが、歩き始めたのは、

場の力とルーティーンのおかげでした。

 

今はブログだけでなくYouTubeなどでの配信をやっているまといのば系列ヒーラーも多く、

顔を見て声を聞いて話を聞いて、抽象度が上がり、エネルギーがチャージされます。

 

半農ヒーラーいちさんとセクシャリティヒーラーAyaさんの自己受容についての配信、良かったです! 「ココロの穴」

 

現代は女性も男性も大変です。

 

女性は、お母さんになったり、仕事を続けたり、美しくあらねばならなかったり、恋愛もしなくちゃいけないと大忙しです。

 

男性のほうも、ちゃんとしないといけないという形はどんどん狭くなり、弱者男性がヒエラルキーで最も大変な位置に置かれてたりします。

 

そんな社会のなかで心の穴はいつのまにか形成されていきます。

その穴は幼少期の親との関わりだったり、社会の中でどんな役割を与えられていたかなどで変わっていきます。

 

(半農ヒーラーいちさん)

 

 

日時が決まっているのも、とてもありがたく感じます。

先にスケジュールを押さえ、押さえたからには多少気分が落ち込んでいても観ようと思えるからです。

 

そもそも、何か合った時や質問に連絡できるという環境自体が、百人力と感じます。

 

 

また、ルーティーンの力です。

朝の散歩やランニング、家事といった、身体に染み付いていることが、

動き出しの起点になり、やっているうちに身体にリズムが生まれ、別のリズムに乗ることができるようになっていく。

 

 

寂しさを感じ、宙吊りにして停止させるのもホメオスタシスですが、

自分個人よりも大きな共同体のホメオスタシスが否応なく動くきっかけをくれ、

自分個人のリズムを作れるのもまた身体のホメオスタシスであり、

 

天使にも悪魔にもなるというホメオスタシスとの付き合い方が馴染んできている感触があります。

 

 

 

 

この動きが、リズムになっていき、ふとしたところから、ゴール更新に導いてくれました。

 

のろのろ動き始め、東京都庭園美術館(アール・デコ展開催中)で、ゴールの再発見がされました。

 

宝地図に書いていたGoalsの中には父親との関係をどうにかしたいがためのFake Goalも混ざっていますが、

そうではない、後ろから追われるのではなく、純粋に引き寄せられていくゴールが改めて認識されました。

 

このゴールはかなり僕の根本、アイデンティティの底にあるものなので、

他のバランスホイールのGoalsに派生して開いていくきっかけになる予感しかしません。

 

なにはともあれ、情報空間でも物理空間でも移動していきます!

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

Hare

 

 

 

  ヒーラーs 配信の紹介

 

今夜は、YukaさんとAyaさんの大人女子のリアルトーク配信!

女性のリアルをヒーラーが話しているということで学びが深いです。

 

 

Ayaさんインスタ

 

 

森野さんが日曜日19日の14時から配信!

 

巨人の肩に乗るということをもっと具体的に考えていきましょう。

 

まず最初はT理論の用語や理論を、過去の苫米地手帳のコラムにあるようなオーセンティックな人による記述によって抑えます。

 

次に(あるいは並行して)目指すべきは、本家の寺子屋シリーズに顕現されるリベラル・アーツが挙げられます。

 

(〜〜〜)

 

いつの時代も知というものは軽んじられるものですが、知識の運用によって気功を行う僕たちは、大切にしなければなりません。

(〜〜〜)

 

さて、次回のLive配信ではそんなお話をできればと思います!!

 

日曜日19日の14時スタートの予定です!また公式LINEアカウントで開始時に連絡しますので、参加希望の方は登録をお願いします!!!

 

 

 

公式LINEやっています。

対話の場として、感想やフィードバック、質問などいただけると嬉しいです。

友だち追加

 

遠隔ヒーリングなど企画の告知や開始アナウンスにも使いますので、忘れないように是非登録いただくと便利かと思います。