Hardnutのブログ -112ページ目

アラブ人たちのオバQ服のこと

一昨日・昨日と越前福井に友人のT氏を訪ねて飲んで食べて温泉につかってそしてゴルフを楽しんできた。

T氏は10年前某大手商社の駐在員としてナイロビに赴任しており、その際ゴルフで競い合った仲で、彼は帰国後東京本社勤務を経て数年前に系列の福井県にある繊維織物会社へ出向した。


産業の空洞化が深刻化してずいぶんと経ち、繊維・縫製産業などはいち早く韓国・タイへ、その後中国へと生産拠点を移していったが、T氏が社長を勤める会社のように高品質織物を作り続け、国内でがんばっている会社が北陸地方に多くある。


北陸地方と中東湾岸地方・アフリカ東海岸スワヒリ地方が繋がる話。

中東湾岸地方の男性の衣服である白の貫頭衣は「Tobu」と呼ばれる。「オバQ服」と云うとすぐ分かってもらえるが、これは湾岸地方とアフリカ東海岸地方特有のもので、スワヒリ語では「Kivaa」と云い、本来スワヒリ語の普通名詞の「衣服」を表すKivaaをそのままTobuを特定する単語としても使う。


モンバサのお土産屋で見かけるペラペラの安物のKivaaはケニア製か中国製だが、アラブのお金持ちが着ているTobuの高級品は日本製で、九頭竜川沿いの良水が豊富に確保できるところで生産されている。T氏の会社はその高級織物のかなりの量をドバイに向けて出荷している。

一年前の世界的な資源価格・穀物価格の高騰は急激な物価高となってどこでもモノの売り上げが落ち込んだが、その時点では富裕層にはあまり影響がなかったようでT氏の会社の製品売り上げにはさほど響かなかったらしい。しかし、9月のリーマンショック以降は富裕層も何も関係なく消費者全体の動向に影響を与え、ドバイ・アブダビを中心とした湾岸地用でも、高級品の売り上げは落ちているようでも、さすがのT氏も今回は苦戦しているようだ。


アフリカがクジラを絶滅から救った話

南米ガイアナ生まれのアフリカ人Walter Rodneyはジャマイカ・西インド大学卒業後、ロンドン大学オリエンタル・アフリカン・スクールで学び1966年「上ギニア史」で哲学博士号を取得、その後、ダルエスサラーム大学で教鞭をとる。

ダルエス時代に、60年代のアフリカの民族独立闘争の高揚から一転、解放闘争の分裂拡大で混迷する新興独立国を目のあたりにして著したのが『How Europe underdeveloped Africa(欧州はいかにアフリカを低開発化したか)』という1972年の論文で、邦訳が出ていて『世界資本主義とアフリカ』北沢正男訳・柘植書房という1976年初版で、帯にはアフリカ人による本格的なアフリカ史とある。


原題のとおり、アフリカの諸問題を歴史を遡って唯物史観で解明しようとしているものでスンナリ受け入れられない箇所などもあるが、現在アフリカが直面する問題の根源を探ろうと実例を示し、その一例を多国籍企業ユニリバーのアフリカでの展開を引用し「アフリカを収奪した代表的企業」(P221)として解説する。


現在でも食物油脂として世界でもっとも生産されているはアブラ椰子から生産する椰子油(パームオイル)である。日本では馴染みがないのでピンと来ないが、ユニリバーがこのアブラ椰子を19世紀中頃からコンゴで作付けを開始し、ギニア湾に沿ってナイジェリア・ガーナ・リベリアと作付けを増やしていったし、インドネシア・マレーシアなどのアジアでも生産が拡大していった。

当時食用油脂や石鹸の原料には鯨油が多く使われていて、ジョン万次郎が鳥島から救助されたのも米国の捕鯨船だし、ペリーが浦賀に来たのも日本に捕鯨船基を地確保するということが理由のひとつだった。石油産業が発達する前の当時の鯨油は非常に貴重な戦略物資であったが、西アフリカの椰子油がそれに取って変わって行き、20世紀前半には鉱物油脂の生産技術革新と相まって鯨油の時代が終焉を告げる。


捕鯨は終息していったが、アフリカの収奪はそれから始まったという訳だ。

ケニアKerichoに美しいお茶農園展開するLiptonも、石鹸のLux、その他多くの企業がユニリバー傘下である。

能天気なタイトルをアップしてしまったが、なんとなくズシリと思い話りなってしまった。

『白ナイル』

おとといの土曜日から横浜で「海のエジプト展」が始まったようだ。


新聞社・テレビ会社は本来の業務の業績が良くないとのことで、いわゆる文化事業などを積極的に行って少しでも業績をカバーしようと腐心している様子は分かるのだけど、大掛かりな仕掛けで「文化事業」のいろいろな話題づくりをされると何となくあざとさが感じらて少し引いてしまう。


「海のエジプト展」も興味深い展示内容なのでそそられるのだけど、こちらの性根がひねくれているのか「海エジ」などと短くして煽られると何となく行きたくなくなってしまう。


豪州のジャーナリストにして作家のアラン・ムアヘッドと云う人の作品で、-ナイル水源の秘密-というサブタイトルのついた『白ナイル』と『青ナイル』という二部作があり夢中になって読んだことがあった。

むかしから謎とされていたナイルの水源がどのような探検され解明されていったかと云うことが1856年から1900年頃までの期間に限定されて詳しく掘り下げられたノンフィクションで、読み終えた後は東アフリカ中部湖沼地帯からナイル河に沿ってカルツーム、アスワン、河口のアレキサンドリアまで俯瞰できたような気持ちになった。


「海エジ」、どうしようかなぁ。