ケニアのゴルフ事情 3
今日の東京の気候は、南緯2度標高1800メートルのあるナイロビの一番暑い頃の気候のようだ。
ケニアは昨日は国勢調査の人口カウントのため国民休日でした。その首都ナイロビの知人から面白い書き出しのメールが届いた。いわく「Things are good in Kenya. The Government has no idea of what they are doing in Kenya but the people are very happy to work hard and make some income.」。
政府のゴタゴタは毎度のことというのはケニアに限ったことではなく、日本も同じようなものでしょう。
現大統領のキバキは昔からゴルフ・フリークとして有名だけれど、2002年の大統領選挙の選挙運動中に交通事故に遭ってからは歩くのも難儀しているようで、とてもゴルフどころではないようだ。
ナイロビの名門ゴルフクラブMuthaiga Golf Clubの正面入り口の右手に、プロショップと並んで小さな事務所があるがこれがケニアのゴルフの総元締めKenya Golf Union(KGU)のオフィスである。
ケニアには約40のゴルフクラブがあり、そのほとんどは昨日書いたような会員が集まって自分たちで運営するクラブだけれども、中にはAbadare Country Club(Nyeri), Windsor G&C Club(Nairobi), Diani Beach(Mombasa),Green Park(Naivasha)のようなここ20年以内にできた会社組織が運営する日本と同じ形態のゴルフ場もあるが、いずれもケニアのゴルフクラブである限りはKGUの会員にならなくてはならない。つまり、KGUの会員はブルファー個人ではなく、ケニアに実在するゴルフクラブとなり、KGUの年間活動計画に沿って各クラブのゴルフ行事を組んで行くことになっている。
KGUはKGUで理事会(Exective Committee)というChairmanとCommittee Membersからなる運営機関があるが、この上に名誉職となるKGU Patronというポストがあり、キバキが30年以上にわたってKGU Patronとなっている。
日本のゴルフ人口はひところ2000万人と言われたが、ケニアのゴルフ人口は多分全国で3000人位と推測された。
スポーツクラブにテニス目的で会員のなっている人はKGU年会費というのを払う必要はないけれど、各クラブのゴルフをする会員はKGU年会費として約500円相当を払っていて、そのお金は各クラブを通してKGUに上納され、各ゴルファーの公式ハンディキャップはKGUが各クラブのゴルフ・キャプテンを通して発行する。
クラブ対抗のイベントなども多くあり、みんなお互いが知り合い状態となってゴルファー同士の小さな、結束の強い独特の社会を形成している。
ケニアのゴルフ事情 2
インターネットは本当に便利なものだ。ちょっと気になったことがあって「ウガンダ鉄道」を検索したら面白い項目がたくさん見つかった。学術論文などもあり「ウガンダ鉄道と英領東アフリカ/植民地鉄道の現地経済への影響」林一哉・同志社大学経済学会『経済学論叢』第40巻という興味深いものがあった。
で、ケニアのゴルフだけれど、100年近く前にケニアに入植した英国人たちは各地に交流の場として「Club」を設立していった。
現在のゴルフクラブ、とくにナイロビ市内のクラブは立派になったけれど、それもここ30年くらいのことで、かつては農園主が一日の仕事の後にみんなで集まって一杯やるという場所で余所者はなかなかその輪の中には入りにくい小さな社会であり、まさに英国の「Club」そのもので、今でも地方にはそう云う雰囲気のクラブがある。
ナイロビから北のケニア山へ向かってThikaを過ぎDel Monteのパイナップル農園を過ぎて行くとMakuyuという小さな町がある。道路左側に中国の援助でできたMuranga Teachers Collegeがあり、その反対側(右側)にMakuyu Sport Clubの9ホールだけのゴルフコースがある。ただの野っ原で云われないとゴルフコースには見えないが、多分、その風景が英国人入植者たちが100年近く昔にケニア各地にゴルフクラブをつくり始めたころものだろう。小さな盛土のティグラウンドと草を刈っただけのフェアウェイにちょっとお粗末なグリーン。小さな避難小屋のような建物はクラブハウスではなく、本来のクラブハウスはそこから1キロほど奥まったところにあり、そこにはバー、ホール、シャワールームもあり、外にはテニスコートも4面あったと記憶する。
クラブの運営はそのメンバーがそれぞれの部署の担当になり、もちろん無償で役割を果たす。運営の主体はManagement Committeeと呼ばれ、普通は、Chairman, Vice Chairman, Trustee、Golf Captain, Tennis Captain, Swimming Convener(プール担当)、House Convener(施設設備担当),Treasurer,Secretary.Membership Secretaryなどと云う構成で毎年選挙で選ばれる。
農作業のあとでトラクターを持ってきてコース整備のボランティアなどということは当たり前だし、お金を出し合って灌漑設備をよくしたりと、みんな熱心にクラブを盛り立てようとするから、ただの野っ原だったところが長い月日をかけて立派なゴルフクラブになっていく。
当然のことだけれど、独立以前は、アフリカ人はもちろん、インド人や黄色人種もメンバーにはなれなかった。
ケニアのゴルフ事情 1
週末、信州伊那を訪れ、土曜日の晩は高遠町の古刹の宿坊に投宿し、日曜日には駒ヶ根でゴルフを堪能した。
初めて訪れた地方だったけれど、南アルプスと中央アルプスの美しい稜線を遠くに眺めながらの行楽やゴルフのラウンドは気持ちがよく、Good Companyにも恵まれて楽しませてもらった。
かつてケニアで暮らしていたころ、週末はゴルフ三昧という時期がかなりあった。
説明してもなかなか分かって貰えないけれど、ケニアは世界中で最も恵まれたゴルフ環境にあり、まさにゴルファー天国だと思う。
ナイロビからクルマで1時間以内の距離(最近は渋滞がヒドイけど)に10以上のゴルフ場があり、それもかなりのレベルにありそれらを低料金で出来て、それでコースは混んでない。さらに気候だけれど、一年中初夏の気候が続きそれも日本の初夏とき比較にならないほどカラッと乾燥していて爽快なのだ。
「なにもすることが無いからゴルフ・クラブへ行って誰か知り合いを探してラウンドしようか」などと、今、日本にいて思えばとんでもなく贅沢なことをしていた。
英国政府により、モンバサからウガンダのカンパラまでの鉄道建設が開始されたのが1896年で、ビクトリア湖畔のKisumuまで開通したのが1901年で、モンバサ=カンパラ間は1903年に開通した。
Imperial British East African Railway(Uganda Railway)というこの鉄道の建設にあたっては、当時の現地での労働力の確保が難しかったため、当時同じく英領だったインド・パキスタンから3万人を越えるインド・パキスタン人(= Asians)を連れて来て建設労働者として働かせた。現在のケニアの多くのエイシアンはこの人たちが始まりとなる。
鉄道が開通すると英国人入植者が一気に増え、Nairobi - Thika線は1913に開通しているが、ナイロビの北40キロのところにあるCetnral Highlands入植地の中心地Thikaには1917年にThika Sports Clubが設立され、英国人入植者たちの集会・娯楽・交流の場となっていった。
ナイロビの名門ゴルフクラブ・Muthaniga Golf Clubは現在のMuthaiga Clubと一体になっていて1919年の設立と記憶する。どこのクラブのホールにも過去のChairman,Golf Captainの名前を刻んだ大きな銘板があるのでこれで確認できる。しばしケニアのゴルフ事情でも綴ってみようか。