ケニアのゴルフ事情 2
インターネットは本当に便利なものだ。ちょっと気になったことがあって「ウガンダ鉄道」を検索したら面白い項目がたくさん見つかった。学術論文などもあり「ウガンダ鉄道と英領東アフリカ/植民地鉄道の現地経済への影響」林一哉・同志社大学経済学会『経済学論叢』第40巻という興味深いものがあった。
で、ケニアのゴルフだけれど、100年近く前にケニアに入植した英国人たちは各地に交流の場として「Club」を設立していった。
現在のゴルフクラブ、とくにナイロビ市内のクラブは立派になったけれど、それもここ30年くらいのことで、かつては農園主が一日の仕事の後にみんなで集まって一杯やるという場所で余所者はなかなかその輪の中には入りにくい小さな社会であり、まさに英国の「Club」そのもので、今でも地方にはそう云う雰囲気のクラブがある。
ナイロビから北のケニア山へ向かってThikaを過ぎDel Monteのパイナップル農園を過ぎて行くとMakuyuという小さな町がある。道路左側に中国の援助でできたMuranga Teachers Collegeがあり、その反対側(右側)にMakuyu Sport Clubの9ホールだけのゴルフコースがある。ただの野っ原で云われないとゴルフコースには見えないが、多分、その風景が英国人入植者たちが100年近く昔にケニア各地にゴルフクラブをつくり始めたころものだろう。小さな盛土のティグラウンドと草を刈っただけのフェアウェイにちょっとお粗末なグリーン。小さな避難小屋のような建物はクラブハウスではなく、本来のクラブハウスはそこから1キロほど奥まったところにあり、そこにはバー、ホール、シャワールームもあり、外にはテニスコートも4面あったと記憶する。
クラブの運営はそのメンバーがそれぞれの部署の担当になり、もちろん無償で役割を果たす。運営の主体はManagement Committeeと呼ばれ、普通は、Chairman, Vice Chairman, Trustee、Golf Captain, Tennis Captain, Swimming Convener(プール担当)、House Convener(施設設備担当),Treasurer,Secretary.Membership Secretaryなどと云う構成で毎年選挙で選ばれる。
農作業のあとでトラクターを持ってきてコース整備のボランティアなどということは当たり前だし、お金を出し合って灌漑設備をよくしたりと、みんな熱心にクラブを盛り立てようとするから、ただの野っ原だったところが長い月日をかけて立派なゴルフクラブになっていく。
当然のことだけれど、独立以前は、アフリカ人はもちろん、インド人や黄色人種もメンバーにはなれなかった。