【後飾り祭壇】母、2年ぶりに実家へ帰る | 50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

明治の初めから4代続いた実家が、いよいよ幕を閉じようとしています。決して円満とは言えない家族でした。でも今はただ、寂しいばかりです。

こんにちは。ちょびにっこりです。

 

5月初旬に

認知症の母が87歳で逝去しました。



 

家族葬で優しく母を送り出し、

その日のうちに初七日法要を終え、

 

兄と娘と私は

母を実家に連れて帰りました。

 

母はやっと

ずっと帰りたがっていた実家に

戻る事ができました。

 にっこり

 

 

後飾り祭壇は思い出の部屋に

 

実家の敷地内には

母屋(築130年くらい)と

離れ家(築30年)があります。

 

 

後飾り祭壇は

私と娘が帰省した時に

いつも父母と一緒に過ごしていた

離れ家のリビングに設置しました。

 

 

部屋の壁には、

娘からの手紙や写真、

娘が描いた猫の絵、娘の書き初め、

一緒に折った折り紙などが貼ってあります。

 

もう ちょび娘一色の離れ家です。

 ニコニコ爆笑

 

 

母の遺影を父親の遺影と並べ、

私が結婚式の時に手に持った

胡蝶蘭のブーケを飾りました。


遺骨は四十九日の納骨まで

ここにお祀りします。


ちょび娘と私、それに兄と父と母、

実家で初の勢揃いとなりましたビックリマーク

 

 

ちょび娘は懐かしそうに

部屋をぐるりと眺めていました。

 🥹

 

 

 

この場所は

もうなくなってしまいます。

 

せめて土地売却の前に

3人で父母の前に揃うことが出来て

本当に良かったです。


 

 

 

🌈✨

 

ここまで来ると、

長男崇拝やら借金返済の恨み辛みも

もうすっかり時の彼方ですね。

 昇天

 

 

 

 

母の晩年とコロナ

 

実家は、母が生まれてから

施設に入る85歳までを過ごした場所。

 

母が老後、

どんなに貧困にあえいでも手放そうとせず

命がけで守り抜こうと

周囲を敵に回しても一人で戦った母の城郭です。

  ☟



父を亡くし一人暮らしになり3年、

やっと介護サービスを受け入れたところで

パンデミックが起こり

 

関東住まいで受験生を抱えた私は

介護を兄に託し

実家に戻らなくなりました。

何とかして戻れないことはなかったでしょうが

戻りませんでした。

 介護より子育てを優先しました。

 

そして皮肉にも

 

コロナの数年間でできた

母との物理的な距離が

私を冷静にさせてくれました。



だんだんと

 


😢お母ちゃんはもう、

以前のお母ちゃんじゃないんだ。

 

自分の人生をかけて育て上げた

最愛の息子に捨てられた

ただの可哀想なお年寄りなんだ

 

 

と思うようになりました。

 

 

 

 2年が過ぎ…


母が85歳の時

特養に入所しました。



施設に入ってくれたお礼に

 

帰省の度に母を実家に連れて帰って

いつもの部屋で軽くお茶でもして

 

おしゃべりをしながら

いつものスーパーに買い物に行って

 

お決まりのベンチに座って

コーヒーを飲んで

他愛のない話をして笑い合おう・・。

 

なんて

夢みたいなことを考えていました。

 

 

 

特養が、コロナ禍の面会制限で

外出どころか、

対面面会も中止になっていると知ったのは

母が入所した後のことでした。

 

 

入所前、確認したときは

この施設で面会制限の話は出ていない・・

と、ケアマネさんから

確かに聞いていたんです。

 

あれは、ひょっとして

私が母の施設入所を拒否するのを避けるために

ケアマネさんが

故意におっしゃった言葉なのかもしれません。

 


釈然としない思いはありますが

 

もしも

私の思いが実現していたら

 

娘の受験には選択肢が無かったかも知れず

 

かさむ遠隔介護費用に

夫とさらに険悪になっていたかも知れず

 

私も母の認知症状に辟易していたかも知れず

 

兄は私がいるのを良いことに

主介護者にならず

母から遠ざかっていたかも知れず

 

 

振り返ってみれば

 

コロナのお陰で

母と跡取り息子が向き合う時間を

持つことが出来た訳なのです。

 

 

 

「今」は母が育てた子どもの「未来」

 

コロナ禍の5年間

 

母が願っていたとおり

兄は母の元に戻ってきました。

 

幼い頃の

可愛くて従順な兄ではなくて

 

親離れした一人の大人の男として

 

母と母の実家を

ある意味、

整えるために戻ってきました。

 

 

それはもちろん

母の望む跡取り息子の姿ではありません。

 

母は、人生の終わりに

自分の子育ての答えを知る事になったのですね。

 

 

同じ「母親」として

なんとも切ない思いです。

 

 

 

 

ご先祖様はきっと…

 

こんな母をご先祖様たちは

どんな風に迎えてくれるでしょう?

 

わたしは

 

よくがんばった

 

と、

母を褒めてくれるような気がします。

 

母は最後まで

先祖代々の実家を

何よりも大切に思っていました。

 

とても不器用ですが、一生懸命でした。

 

 

 

兄と私、(父も)

母の理不尽にはとても苦しみましたが

 

今、兄も私も

自分の人生を生きています。

 

 

兄は社会的な地位を得て

血縁はないものの

新しい家族を大切にして

幸せに暮らしています。

 

私も自分の家庭を持ち

母親にもなれました。

 

 

母の子育て人生は

決して悪い結果になっていないのです。

 

 

 

よくがんばったね。

会いたかったよ。

ずっと待ってたよ。

 

 

母のお父さん、お母さんは

 

そう言って

 

母を

ぎゅっとハグしてくれると信じています。

 ニコニコ





自分の時は

お墓を作らず

手元供養にして欲しいんです。

にっこり



こんなコンパクトな骨壷も

いいなあ

ニコニコ