今日は絶好のお散歩日和。。。
ブログ村「統一教会」の中を、たくさんお散歩しました。
そこで、目にした記事を読んで、
深く考えさせられました。
その記事は…
yosia621さんの
裁く事が出来るのは・・・誰?再確認出来ました、ありがとうございます。
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http://ameblo.jp/yosia621/entry-11237437748.html
◇◇◇記事より抜粋引用◇◇◇
私は「親なる神様、文鮮明師は子供を裁かない」という信仰観を持っています。
他人も自分を裁く事は出来ない。
じゃあ誰が裁くのか?
唯一裁くのは「自分」であるという事を再確認させていただき、……
……「自分」と表現していた部分は「良心」と整理できました。
◇◇◇引用終わり◇◇◇
yosia621さんと同様に、私も「親なる神様」は、
子供を裁かないと信じています。
どんな放蕩息子でも娘でも、愛し許して来られたお方です。
なので、自分を裁くのは、
自分の良心である、
とするyosia621さんの記事に共感しました。
そう、私を裁くのは、神様でも サタンでも 他人でもなく、
自分自身の良心です。。。
私の信条に新しい言葉が加わりました。
「私を裁くのは、
神でも サタンでも 他人でもなく、
私の良心である」
ここで、良心とは何かを考えてみました。
辞書で「良心」の意味を調べると、
善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き、
とあります。
この正しく行動しようとする心の働き、即ち「良心」は、
神様に由来するものだと思います。
そう考えると、「人間の良心」=「神様の心」となり、
私を裁くのは、私の良心、即ち私の中の神様である、
とも言えると思います。
(以上の文章は、yosia621さんの記事を読んで、私が思うままに綴ったものです)
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最後までお読み頂き、感謝申し上げます。